好評の婦人部「ヤング白ゆり希望カレッジ」(今月31日まで配信)2021年3月14日
婦人部の「第1回ヤング白ゆり希望カレッジ」が現在、オンライン(限定公開)で配信され、大好評を博している(31日まで視聴可能)。ここでは、登壇した3人の活動体験(要旨)を紹介する。
チーズの商社で最高売り上げ
信頼の姿で5人を入会に導く
“学会3世”の私は大学生の時にフランスに留学。現地のSGIメンバーの、師匠と共に生きる求道の姿に触発され、発心しました。
大学卒業後、チーズの専門商社に就職。店舗での苦手な接客に、心身ともに疲弊していた時、フランスの同志から手紙が届き、そこに師の指針が書かれていました。
“一念をしっかり持てば、一番苦しい時を一番価値あるものに変えることができる”
もう一度、師弟の原点に立ち返り、一つ一つの課題に向き合おうと決意。苦しい時も悔しい時も、正直な気持ちをぶつけるように祈りました。明るく、誠実に、と心掛けて努力を重ねた結果、徐々にお客さまが増えて、ついに社内史上最高の売り上げを達成することができたのです。
また学会活動では、わずかな時間でも座談会に参加。老若男女が笑顔で語り合う座談会は、究極のおもてなしの広場です。私は、疲れた心が決意と希望に変わる、そんな座談会が大好きです。
ある日、後輩から、「どうしたらそんなふうに元気になれるのですか?」と聞かれ、「秘訣を教えるね」と一緒に座談会へ。温かな同志の中で、後輩は夢を語り、祈り始めて入会しました。私は上司や同僚にも対話。社長を座談会に招待し、学会の真実の姿を見てもらうことができました。
2010年、聖教新聞に私の信仰体験が掲載された折、社長がコメントを寄せてくれ、自ら紙面のコピーを周囲に配布。学会に批判的だった空気は一変し、社内でも聖教新聞を長期購読してくれることになりました。
これまで、職場の同僚ら5人が入会。1人を入会決意に導くことができたのです。
私は現在、経営戦略室の部長として、企画や販売指導、セミナーなどを行っています。世界的なチーズ協会から“プロフェッショナル”の称号を授かり、境涯が広がると仕事の幅も広がっていくことを実感しています。
結婚して10年。てんやわんやの毎日ですが、小学3年生になる娘や、子煩悩な夫、婦人部の先輩である義母の支えに感謝しかありません。
昨年12月に白ゆり長の任命をいただきました。たくましき太陽の婦人部を目指して、これからも成長してまいります。
専門店を経営、地元の唐揚げ協会会長も
工夫と挑戦重ね周囲に元気を
水と緑が豊かな栃木県佐野市で、唐揚げ専門店と居酒屋2店舗を経営しています。
29歳の時、学会員の夫と結婚。「何かあったらお題目!」が合言葉の夫の家族の勧めで、嫁いだ4年後に入会しました。
しかし、夫の仕事が忙しく、私たちは離婚の危機に。夫の母に相談すると「申し訳ないね! 一緒に祈ろう」と言ってくれ、座談会に参加。赤裸々に信仰体験を話し、人のために祈る学会の同志の姿に感動し、私も学会活動を始めました。
すると心から決意できたのです。“夫を責めるのではなく、まず自分が変わろう”と。
2011年6月、以前から願っていた居酒屋経営の夢がかない、義母と義姉と共に店をオープン。経営は軌道に乗り、2店舗に発展しました。一番人気のメニューは「唐揚げ」です。
池田先生のご指導を学ぶ中で、“平和とは遠くにあるのではなく、唐揚げが食卓に並ぶような家庭が増えることにあるのだろう”と思うようになり、唐揚げを通して、お客さまに笑顔を届けることを心掛けてきました。
ソース味の“黒唐揚げ”が自慢の唐揚げ専門店を開業。イベント等に積極的に出店し、やがて最年少の私が「佐野から揚げ協会」の会長に推薦されました。“佐野の黒唐揚げ”を全国にアピールすると、東京スカイツリーでの出店が実現し、新聞やテレビにも紹介されたのです。
19年には台風19号の被害に遭い、自宅や店が全て水没。不安でいっぱいの私たち家族に同志や友人が励ましを送り続けてくれたことは忘れられません。
昨年はコロナ禍の中で、ワンコインのお弁当と配達、また、お得情報を発信するSNSを始めました。お客さまのために、工夫と挑戦を重ねる日々です。
「幸福には『強さ』が必要である。勝利には『強さ』が不可欠である」との池田先生の指針の通り、試練が私を鍛えてくれたことを実感しています。
白ゆり長になって6年目。多くの先輩に支えていただき、楽しく活動しています。夫のお陰で、温かい家族と創価学会に巡り合うことができたと心から感謝しています。
これからも「人とのつながり」を大切に、大好きな佐野を元気にしていきます。
保育士、地区婦人部長として全力
子の病を越えて笑顔の日々に
保育士として働きながら、地区婦人部長になって4年。同志の皆さんと仲良く前進しています。
信心の転機は、長男の春太が3歳になっても言葉が出ないことでした。何カ所も病院を訪れて出た診断は「自閉症」。帰り道、涙が止まりませんでした。
自分を責め、婦人部の先輩に話すと、「春太君が、あなたに本当の信心を教えてくれるんだよ。春太君には、大きな使命があるんだよ」と激励してくれました。
医師から「具体的な治療法はありませんが、家族が笑って幸せに暮らすことが一番の薬です」と言われた時、「学会で教わってきた一家和楽のことだね」と夫婦で語り合いました。創価の庭で伸び伸びと育てようと決め、学会活動に連れて歩きました。
春太の成長はたくさんの喜びを与えてくれました。小学校は特別支援学級と通常学級併用で学びました。コミュニケーションがうまく取れず、友達はほとんどいなかったのですが、4年生の時、初めて親友ができました。ずっと祈ってきたことでした。
「友達の家に行ってくる」と出掛けた春太の背中を、今でも忘れることができません。夫は春太に気付かれないよう、後ろ姿を写真に収めました。
中学進学時、春太は「僕は変わりたい」と、通常学級で学ぶことを選択。吹奏楽部に所属し、県大会にも出場。大勢の前で、堂々と楽器を演奏する姿は奇跡としか言いようがありませんでした。
次男は「クレチン症」という甲状腺の病気のある体で生まれ、一生、投薬が必要と言われましたが、“絶対大丈夫”と確信し、祈り続けました。5歳の時、検査結果が良い方向に。経過観察のみとなり、医師も驚きました。
長女が中学生の時、2人の弟のことを作文に書きました。タイトルは「未来に笑顔があふれるように」。「当たり前のことは実はすごく幸せ。このことを弟たちに教えてもらいました」とつづった作文は、日本放送協会山形放送局長賞を受賞。大反響を呼びました。
私は、『香峯子抄』にある「勝つことよりも負けないこと」という指針が大好きです。
これからも信心があれば全てを乗り越えられるとの確信で、家族や同志を笑顔で包んでいけるよう頑張ってまいります。