毎日が、始めの一歩!

日々の積み重ねが、大事な歴史……

間のなかへ分け入り、激励を重ねた。そこに現代における、「不軽の実践」が、菩薩の道がある。 <第7巻「操舵」の章>

2021年03月13日 | 妙法

〈新・人間革命と私〉 新大阪総県婦人部長 大平妙子さん2021年3月13日

〈心に刻む珠玉の言葉〉

 不幸に苦しむ人びとに希望を与え、励まし、元気づけていくことを、彼(山本伸一)は、自らの義務としていた。伸一は、この関西指導でも、行く先々で、同志のなかへ、人間のなかへ分け入り、激励を重ねた。そこに現代における、「不軽の実践」が、菩薩の道がある。 <第7巻「操舵」の章>

〈時代背景〉

 1963年(昭和38年)4月、山本伸一は関西指導へ。仏法者としての“振る舞い”の重要性を強調しながら、同志に渾身の励ましを送っていく。6日には、大阪市内で関西本部に次ぐ建設となった西淀川会館(当時)の落成式に出席。同会館の立つ西淀川区は、2年前の61年(同36年)9月の第2室戸台風で甚大な被害を受けた地域であった。

「勇猛精進の信心」で前へ!

 新大阪総県内の淀川地域で生まれた私は、聖教新聞の販売店主を務めた父や草創の先輩方から地域に刻まれた不滅の師弟の歴史を教わり、育てていただきました。
  
 西淀川区は1961年(昭和36年)9月、第2室戸台風で甚大な浸水被害に見舞われました。
  
 当時、大阪事件の裁判闘争の渦中だった池田先生は、公判前の時間を縫って、被災した友のもとへ。一人一人を抱きかかえるように励ましてくださいました。そして、復興への指標として会館の建設を約束され、その言葉通り、63年(同38年)4月には西淀川会館(当時)が完成したのです。

 苦しんでいる友のもとへ真っ先に駆け付け、立ち上がるまで励ましを送り続ける。この師匠の振る舞いを命に焼き付け、同志は、師恩に報いる前進を誓ってきたのです。
  
 私にも師弟の原点があります。それは83年(同58年)3月17日、先生が新大阪文化会館を訪問してくださったことです。その前年、父が病に倒れ、私たち家族の生活は一変。私も専門学校を辞めて父の代わりに販売店を支えていた時でした。
  
 この時、先生が語られた“いかなる苦難があろうとも、勇猛精進の心で前に進みゆくことだ”“その強い信心がある時、途中の苦しみも全て功徳へと転じ、悔いない大満足の人生となっていく”との言葉を参加した先輩から聞き、学会活動に挑む中、大きく福運を積むことができました。
  
 この「勇猛精進の信心」は、新大阪総県の永遠の指針となり、後に3月17日は「新大阪の日」に。毎年、男女青年部を先頭に、この日を目指して、皆が人材・弘教の拡大に駆けています。
  
 昨年来、コロナ禍という危機の中で学会活動の制約が余儀なくされましたが、総県婦人部は、今こそ先生と同じ心で立ち上がる時と決め、心の絆を結ぶ一対一の励ましに挑戦。私自身、昨年は電話や手紙などを通して1202人の方と広布への決意を新たにしました。
  
 新大阪総県は、“常勝関西の玄関口”との誇りも高く、不屈の魂を燃やして、師弟凱歌の歴史をつづってまいります。

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