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「私は必ずあなたを守る」と大人から安心のメッセージを--青年部と医学者による第3回オンライン会議から㊤ 「 2020年4月12日

2020年04月12日 | 妙法

「私は必ずあなたを守る」と大人から安心のメッセージを--青年部と医学者による第3回オンライン会議から㊤  2020年4月12日

  • 〈危機の時代を生きる〉 テーマ「休校延長--親と子の心身を守るには」

 青年部と医学者の代表らによる第3回オンライン会議が開催された(9日)。テーマは「休校延長――親と子の心身を守るには」。これには青年教育者や未来部のリーダーも参加。その模様を上下2回にわたり紹介する。
 
 

 青年部と医学者の代表らによる第3回オンライン会議がかいさいされた(9日)。テーマは「休校えんちょう――親と子の心身を守るには」。これには青年教育者や未来部のリーダーも参加。そのようを上下2回にわたりしょうかいする。
 
 

睡眠・運動・食事など生活習慣を整える

 志賀青年部長 今月7日に政府の緊急事態宣言が発令されて以降、各地で小・中学、高校、特別支援学校の臨時休校期間を延長する動きが広がりました。
 テレワークや自宅待機となった保護者と、子どもたちとが四六時中、自宅で共に過ごさざるを得ないご家庭が増え、互いにストレスを募らせていく懸念も高まっています。
 親と子の心身の健康を守るために、家庭でできる工夫は何でしょうか。
 
 
 荻野医師 まずは「睡眠」「運動」「食事」といった基本的な生活習慣を整えることです。理想的な睡眠時間は、幼児で11~12時間、10歳で10時間、15歳で9時間といわれています。しかし、これまで日本の子どもたちの多くは、その睡眠時間を確保できていないのが実情でした。そうした意味で、この休校期間は、大人も含めて睡眠の在り方を見つめ直すことができる機会とも捉えられるでしょう。
 
 次に「運動」です。緊急事態宣言が発令されたとはいえ、健康維持のため、人との距離を取っての散歩やジョギングは問題ないとされています。お住まいの地域やご家庭の環境によって難しい場合もあるかもしれませんが、ダンスや体操、縄跳びなど、リズミカルな運動は心を安定させるためにも有効です。
 
 そして「食事」。休校によって給食がなくなり、栄養バランスが崩れることを心配しています。とはいえ親御さんが気にしすぎて、心身の負担が増加してしまっては本末転倒です。栄養バランスも1日単位で考えるのではなく、3日間で帳尻が合えば良し――くらいの気持ちでいいのではないでしょうか。
 
 
 松野未来部長 ご家庭によっては、料理の負担を減らすため、積極的に弁当などのテークアウト(持ち帰り)やデリバリーサービスを活用し、栄養バランスを取る工夫もされていると聞きました。また、せっかくの機会だからと、「親と一緒に料理をするようになりました」という未来部員の話も伺っています。
 
 
 佐藤女子青年教育者総合委員長 それは素晴らしいですね。「一緒に」という点が大事だと思います。現在のような社会状況であれば、イライラしたり不安になったりするのは、大人も子どもも同じです。いや、子どもの方が顕著かもしれません。だからこそ親御さんたちにはどうか、お子さんの気持ちを理解するためにも、意識して一緒に何かを楽しんだり、話したりする時間をつくっていただきたいと思います。
 
 

 
 
 

子どもの気持ちを受け止めてあげる
 

 大串女子部長 お子さんの発達段階ごとに、どんな対応が求められますか。
 
 
 荻野 乳児であれば、不快感を覚えるような大きな音や声から遠ざけて、安心できる環境づくりを。以前と同じような食生活や睡眠も心掛けてください。そして温かなスキンシップをお願いします。もちろん、衛生面には気を付けて。
 
 幼児や小学生であれば、親も一緒に遊んであげることで安心感が広がります。できれば1日1時間以上、楽しく体を動かすことが望ましいとされています。
 
 また、新型コロナウイルスのことについて質問されたら、答えは簡潔に。過度に怖がらせるような話は控えてください。不安が募るあまり、お子さんが親御さんにまとわりついたり、赤ちゃん返りをしたりするようであれば、大変かもしれませんが、どうか、優しく寄り添ってあげていただきたいと思います。
 
 
 先﨑女子未来部長 思春期の子どもたちに対しては何が大切ですか。
 
 
 荻野 じっくりと向き合う時間です。今、社会がどういう状況にあるのか、真剣に伝えることも、時には必要でしょう。その上で、子どもですから、友達と会えなくて寂しがったり、やりたかったことができなくなって悲しんだりするのは当たり前。そうした気持ちを「仕方ないでしょ!」と抑え込もうとしたり、「強くあること」を求めたりしないようにしてください。まず「受け止めてあげること」が大事です。
 
 また、勉強であったり、読書であったり、家の掃除や、朝のゴミ出しであったり、何かしら本人が「頑張りたい」「役に立ちたい」と思えることがあれば、その目標を共有し、実現の機会を積極的に与えてあげてほしいと思います。それが子どもの活力になっていきますから。
 
 
 庄司創価青年医学者会議議長 テレビやインターネットなどで、不安をあおるような情報も氾濫しています。子どもたちがそうした情報に、過剰にさらされるような状況は避けるべきでしょう。
 テレビをつければウイルスについて報じる番組ばかりで、つい子どもと一緒に何時間も見てしまいがちです。そうではなく、大人が正しい情報を踏まえ、お子さんの年齢に合わせ、適切にかみ砕いて伝えることが大事だと思います。
 
 
 荻野 その通りです。もちろん、事実をごまかしたり、何でもかんでも隠したりする必要はありません。それに、分からないことは「分からない」と正直に伝えていいんです。
 ウイルスの感染拡大の状況を踏まえれば、安易に「大丈夫だよ」と言い切れない部分があることも確かでしょう。その上で重要なのは、子どもに「私は必ずあなたを守るよ」というメッセージを、言葉で、表情で、振る舞いで伝えていくことです。
 安定して落ち着いた大人が近くにいれば、子どもは安心し、こうした状況にもうまく対応していけるものです。

 

 西方男子部長 WHO(世界保健機関)のテドロス事務局長は今月3日の会見で、DV(家庭内暴力)が増える可能性を指摘していました。“普段より多くのストレスがかかり、経済や失業への不安が増すことなどから、人々がより暴力にさらされる危険性が高まる。家庭内暴力の被害者への対応は、必要不可欠な支援だと各国に呼び掛けている”と。児童虐待のリスク増加も懸念されています。この点について、いかがでしょうか。
 
 
 藤原教授 児童虐待の予防研究に努めてきた経験から、親も子も健康でいるために、家庭や地域、自分でできることのポイントが分かってきました。
 
 今、感染拡大のリスクを減らすために「3密」(密閉空間・密集場所・密接場面)を避ける重要性が叫ばれていますが、私は「3S」――つまり三つの「S」を強調したい。
 
 一つ目のSは「Self care(セルフケア)」です。大人は、たとえ短くてもいいから一人になる時間をつくったり、少しでも好きなことをしたりして、息抜きができるよう心掛けていくことです。
 
 二つ目のSは「Social capital(ソーシャル・キャピタル)」。これは社会関係資本という意味ですが、簡単に言えば「人とのつながり」を指します。
 現在の状況にあっては「親だけで頑張る」ことで、限界を超えてしまうことがあります。その場合は地域や行政のサポートが必要です。
 また、直接会うことはできなくても、電話やSNSなどで誰かとつながり、不安や愚痴を聞いてもらうだけでも、どれほど気持ちが楽になるか。
 
 
 新井医師 おっしゃる通りです。とはいえ、性格的に誰かに相談することが苦手な人や、気持ちの余裕が持てず、誰かとつながるという発想自体ができない人もいるでしょう。そうした親御さんの状況を捉え、救ってあげられるのは、やはり身近な家族や地域のコミュニティーだと思います。
 
 

 
 

今、求められる、創価学会が育んできた「つながりの強さ」
 

 大串 創価学会が育んできた「つながりの強さ」が、ますます重要になってきますね。
 学会の同志、特に婦人部の先輩の皆さんは「あの人は元気だろうか」「この人はどうしているだろうか」といつも気に掛け、つながりを広げ、地域の絆を強めてきました。一本の糸のように思える細いつながりであったとしても、電話や手紙、メールなどで近況をお聞きしていくことが、困難な状況に置かれているご家庭を救うことになるかもしれませんね。
 
 
 志賀 かつて、社会起業家の駒崎弘樹氏が語っていた言葉を思い起こします。
 「行政による対策は重要なことですが、その一方で『助けて』と言えずに孤立して苦しんでいる人にも目を向ける必要があります」「全国各地で地域に根差したコミュニティーを持つ創価学会は日本最大の中間団体といえるでしょう。苦しむ人に積極的に寄り添う“おせっかい力”が、今ほど求められている時はないと思います」と。
 
 
 松本女子青年教育者委員長 私も、電話やメールを使って励ましの声を届け、悩みに耳を傾けていこうと決意を新たにしました。それでは「3S」の三つ目の「S」を教えていただけますか。
 
 
 藤原 それは、子育ての「Skill(スキル)」です。子育てのスキル(技術)や知識が足りないと、子どもと長時間、一緒にいることに困難さを覚え、ついイライラしてしまいがちです。
 特に父親の場合、今まで、なかなか子育てに関われてこなかった人も多いでしょう。子育てのスキルが高くないのは、当然といえるかもしれません。
 しかし、だからこそ、この休校期間や自粛期間は大きなチャンスです。一つ目と二つ目の「S」を大切にして心の健康を保ちながら、少しずつそのスキルを磨いていってはどうでしょうか。
 焦る必要はありません。行政からの支援や情報も活用しつつ、子育ての力を高めていく。それが、より豊かな自分と家族を築いていくことにもつながるはずです。
 
 <㊦に続く>
 
 


 
 

 
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未来に輝く知性の宝冠――池田先生の名誉学術称号45周年 2020年4月12日

2020年04月12日 | 妙法

 

未来に輝く知性の宝冠――池田先生の名誉学術称号45周年 2020年4月12日

  • ペルー 国立サンマルコス大学
  • 人を創り、社会を創る教育
  • ペルー 国立サンマルコス大学
  • 人をつくり、社会を創る教育
東京・創価学園の入学式の席上、400年以上の歴史を誇るペルーの国立サンマルコス大学から、池田先生に「名誉教授」称号が授与された。ムッソ総長(当時)㊥の隣には、先生と固い友情で結ばれたゲバラ前総長㊧の姿も(1981年4月)
東京・創価学園の入学式の席上、400年以上の歴史を誇るペルーの国立サンマルコス大学から、池田先生に「名誉教授」称号が授与された。ムッソ総長(当時)㊥の隣には、先生と固い友情で結ばれたゲバラ前総長㊧の姿も(1981年4月)
東京・創価学園の入学式の席上、400年以上の歴史を誇るペルーの国立サンマルコス大学から、池田先生に「名誉教授」称号が授与された。ムッソ総長(当時)㊥の隣には、先生と固い友情で結ばれたゲバラ前総長㊧の姿も(1981年4月)

 「大学(ユニバーシティー)」の語源となった「ウニベルシタス」は、“学ぶ人たちの集まり”を意味する言葉であった。
 
 若き探究者たちが、学問の目的のもとに結束し、教師を育み、大学を生んだ。制度でも、建物でもなく、「学び求める心」こそが、大学の魂である。
 
 南アメリカ大陸で、この真理の航海へといち早く船出したのが、ペルーの国立サンマルコス大学である。
 
 1551年の創立。南米最古の大学として、同国の歴代大統領やノーベル賞作家など、社会貢献の人材を多く輩出している。
 
 1981年4月10日、そのサンマルコス大学から、池田先生への「名誉教授」称号の授与式が、東京の創価学園で挙行された。
 
 世界の大学・学術機関から先生に対する名誉学術称号は、モスクワ大学の「名誉博士号」(75年)に続く2番目。「名誉教授」の称号としては、これが第1号となった。
 
 同大学の歴史上、名誉教授称号が日本人に授与されたのは初めて。大学首脳陣が国外を訪れて授与式を行うこと自体、異例だった。
 
 名誉教授称号の証書とメダル、さらに同大学の全ての教授と学部長並びに理事会の承認に基づく決議書が先生に授与されると、大喝采が会場を包んだ。
 
 この瞬間を、ひときわ喜ぶ人がいた。77年まで任期を務めた、ゲバラ前総長であった。黒縁眼鏡の奥に笑みをたたえ、先生との友情を思い返していた。
 


 

人類平和への鍵は青年 人間形成こそ大学の役割
 

 二人の出会いは、ゲバラ氏が総長の任期にあった74年3月、先生の第2次ペルー訪問の折。総長の強い要請で、会見が実現した。
 
 当時、大学改革を求める学生運動が世界的に高まっていた。サンマルコス大学でも、学生と大学当局が対立し、校舎の壁にペンキで政治的主張が書き殴られ、キャンパスでは、デモ行進が繰り広げられていた。
 
 建学の精神が大きく揺らいだその頃、総長は、先生の著作を読み、その教育理念と平和への行動に感銘と共感を深めていた。
 
 74年の年頭、総長はペルーの学会員の機関誌にメッセージを寄せ、つづった。“偉大な思想家であり、哲学者である池田会長によって、サンマルコス大学が目指す、人類の相互理解、平和、繁栄、福祉が実現されつつある”と。
 
 そして大学の教授会での決定を経て、先生に招へい状を送る。こうして実現したのが3月の会見だった。
 
 キャンパスには立ち入れない状況だったことから、会見は、首都リマ市内にある大学事務局で行われた。
 
 先生は語った。「私は創価大学創立者として、また人類の幸福と平和と繁栄を心から希求する一人として、その一切の鍵は青少年の教育にあると自覚しつつ、私なりに最善を尽くしてきました」
 
 先生が創大建設に踏み出したのは、日本の大学紛争が最も激しかった時期。
 
 暴力をも辞さない主義主張のぶつけ合いが大学の“日常”となる中で、「学生第一」を掲げる学府の建設は、時代の挑戦に対する「応戦」であった。
 
 会見当時、創大は開学から間もなく、卒業生は一人もいなかった。一方のサンマルコス大学には、創立400年を超える歴史があった。
 
 対照的だが、教育に懸ける先生の思いは、“大学は国の未来である。その第一の役割こそ、人間形成である”との総長の信念と、強く響き合うものだった。
 
 総長は応じた。
 「両大学の目的は本源的に一つです。わが大学は、創価大学と同じ目的を持つことを誇り高く宣言させていただきます」
 
 会見では、「教授と学生の断絶」「新しい大学像」などを巡り、白熱の議論が展開された。
 
 さらに先生が「教育国連」や「世界大学総長会議」などの構想を語ると、総長は声を弾ませ、「壮大なるスケールの提唱を、私は心から祝福いたします」と述べるのであった。

 

ゲバラ総長(右端)の招へいで池田先生がサンマルコス大学を初訪問。大学像などを巡り、語り合った(1974年3月、首都リマ市内で)
 
ゲバラ総長(右端)の招へいで池田先生がサンマルコス大学を初訪問。大学像などを巡り、語り合った(1974年3月、首都リマ市内で)

 74年は、長きにわたる友情の出発点となった。
 
 「私のごとき者でも、よい友をもったと思って、いつでもペルーにお越しください」――先生に、そう語っていたゲバラ総長。
 
 81年の名誉教授称号の授与式には、ムッソ新総長と共にはるばる来日した。
 
 さらに84年、3度目となった先生のペルー訪問でも、再会を喜んだ。
 
 この折、先生はベラウンデ大統領(当時)と会談し、国家の最高位の勲章である「ペルー太陽大十字勲章」を受章している。
 
 80年代、ペルーを含む南米諸国は「失われた10年」と呼ばれるほどの、厳しい経済状態に陥った。
 
 この経済危機はペルー教育界にも影響を与え、予算の削減による質の低下などを招き、教育の改善が求められていた。
 
 先生とゲバラ総長の友情を機に、人間教育の光がペルー社会を照らしていったのは、この頃である。
 
 そして先生の励ましを糧に、社会貢献に汗を流すペルーSGI(創価学会インタナショナル)の同志の奮闘が、友情と信頼の大輪の花を咲かせていった。
 
 ゲバラ総長は2000年に亡くなる晩年まで、先生の著作をそばに置き、SGIメンバーとの交流を何より大切にした。
 
 サンマルコス大学との友情は、ゲバラ総長からムッソ総長、そして現・カチャイ総長へと、世代を超えて続いている。2017年8月には、創大とサンマルコス大学の交流協定が締結された。この折、同大学から、名誉教授称号に続く「名誉博士号」が先生に贈られている。
 
 カチャイ総長は、「名誉博士号」の授与について、こう振り返った。
 
 「私たちの思いは、ただ一つ。『池田博士を今一度、顕彰させてほしい』ということでした。なぜなら、それが国立サンマルコス大学、ひいてはペルー社会の喜びとなり、栄誉となるからです」
 教育が人を創り、人が社会を、未来を創る。
 
 日本とペルー。古くからの“友人”である両国は、「人間教育の志」によって結ばれ、平和と希望の共鳴音を奏でている。

 74年は、長きにわたる友情の出発点となった。
 
 

サンマルコス大学から池田先生への「名誉博士号」の授与式。会場は、1984年に先生が訪れた同大学の「サロン・デ・グラードス」。カチャイ総長から代理の原田会長に学位記が手渡された(2017年8月)
サンマルコス大学から池田先生への「名誉博士号」の授与式。会場は、1984年に先生が訪れた同大学の「サロン・デ・グラードス」。カチャイ総長から代理の原田会長に学位記が手渡された(2017年8月)
 
カチャイ総長の声

 総長として、彼ら(学生)の成長が楽しみであることはもちろんですが、同時に「わが母校は、著名な大学の水準にも全く引けを取っていない」と異口同音に語っていることが、何よりうれしい。
 
 大学運営に当たって心掛けていること――それは、私自身が池田博士の思想・哲学を体現することです。
 
 対話、団結、誠実、共存、寛容の精神……。そして何より「学生第一」の理念です。国の明るい未来、そして平和と幸福に満ちた新たな地球社会を築くため、学生こそが希望の光となると、強く思うからです。(中略)
 
 私は博士を、偉大な教育者として、また哲学者として、心から尊敬しています。健康、長寿を祈るとともに、いついつまでも広範な執筆活動を続け、平和思想や人間としての崇高な生き方を示しゆかれることを、切に願っています。
 
 博士の理念・哲学を継承し、後世に語り残していくことこそが、私たちの使命と責務ではないでしょうか。(本紙2018年2月3日付)
 

 
 

南米最古の伝統と格式 歴代大統領らを輩出
「サロン・デ・グラードス」があるサンマルコス大学の建物。メインキャンパスが広がるリマ市内に立つ
「サロン・デ・グラードス」があるサンマルコス大学の建物。メインキャンパスが広がるリマ市内に立つ
 

 1551年創立。南米最古の伝統と格式を誇る、ペルー有数の総合大学である。
 
 同国の首都リマに広がるメインキャンパスを中心に、20学部62学科を設置。2000人以上の教員が指導に当たり、約3万人の学生が学ぶ。
 
 多様な民族で構成されるペルーの「縮図」ともいわれ、政治、教育、科学、医学など、各界をリードする人材を輩出。卒業生には、歴代大統領やノーベル文学賞作家らがいる。

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「家庭」は地域社会の灯台 池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」  2020年4月12日

2020年04月12日 | 妙法

「家庭」は地域社会の灯台 池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」  2020年4月12日

 【写真の説明】雲一つない空。青く輝く湖を泳ぐ水鳥たちは、まるで仲の良い家族のようだ。アメリカ・デンバーの名所の一つ、フェリル湖。はるか向こうには、ロッキー山脈が見える。1996年(平成8年)6月、池田大作先生がカメラに収めた。
 家族が仲良く、家庭が安心の場であれば、人はどんな困難にも負けることはない。
 誰よりも身近で、自分の味方になってくれる存在。時には、窮屈に感じることや意見がぶつかることもあるかもしれない。だが、互いの幸せを祈っていけば、家族の絆を強める好機に変わる。
 きょうは「未来部の日」。ファミリー座談会を楽しく行い、皆で成長の節を刻もう。
 

 【写真の説明】雲一つない空。青くかがやく湖をおよぐ水鳥たちは、まるで仲の良い家族のようだ。アメリカ・デンバーの名所の一つ、フェリル湖。はるか向こうには、ロッキー山脈が見える。1996年(平成8年)6月、池田大作先生がカメラにおさめた。
 家族が仲良く、家庭が安心の場であれば、人はどんなこんなんにも負けることはない。
 だれよりも身近で、自分の味方になってくれるそんざい。時には、きゅうくつに感じることや意見がぶつかることもあるかもしれない。だが、たがいの幸せを祈っていけば、家族のきずなを強めるこうに変わる。
 きょうは「未来部の日」。ファミリー座談会を楽しく行い、皆で成長のふしきざもう。
 

池田先生の言葉
池田先生の言葉

 家族は人間にとって、
 常に返るべき
 「原点」であり
 「大地」といってよい。
 仲良く温かな家庭は
 幸福である。
 どんなに苦労があっても、
 家族で互いに励まし合い、
 団結して
 勝利の城を築いていける。
  
 人間は、一人で
 成長できるものではない。
 親をはじめとして、
 数え切れないほどの
 多くの人たちの支え、
 励ましがあればこそ、
 大成できるのである。
 そのことを、
 絶対に忘れてはならない。
 感謝の心がある人には、
 常に喜びがあり、
 歓喜がある。
  
 子どもに接する時は、
 一個の人格として
 尊重することが大事だ。
 「これくらい、
 いいだろう」と、
 安易に思っては失敗する。
 子どもの中には
 大人がいる。
 その大人に向かって
 対等に語りかけていけば、
 子どもの「人格」が
 育っていく。
  
 問題のない家庭などない。
 悩みや、つまずきも、
 大いにけっこうと、
 どこまでも、
 たくましい「楽観主義」で
 悠々と人生を
 切り開いていけばよい。
 苦労や試練に、
 一喜一憂せず
 乗り越えていくならば、
 崩れない「心の強さ」を、
 子どもだけでなく、
 親自身も
 培うことができる。
 根本は祈りである。
 親が子どものために祈り、
 子どもも応える、
 それで、ともに成長する。
  
 信心を根本とした
 健康的な生活のリズムを
 確立することから、
 “家庭革命”の
 大きな前進が始まる。
 そして、和楽と幸福の
 光彩を放つ家庭は、
 地域社会を照らす
 灯台となる。

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マイ・ヒューマン・レボリューション――小説「新・人間革命」学習のために 第5巻  2020年4月10日

2020年04月10日 | 妙法

マイ・ヒューマン・レボリューション――小説「新・人間革命」学習のために 第5巻  2020年4月10日

 小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを、巻ごとに紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は第5巻を掲載する。次回の第6巻は17日付2面の予定。挿絵は内田健一郎。

 <1961年(昭和36年)10月、山本伸一はフランスでバレリーナとしての成功を目指す女性に励ましを送る>
 
 「一流をめざすことは、大いに結構です。しかし、そのためには、一段階、一段階の目標を明確にし、日々徹底した努力と挑戦がなければなりません。
 夢と決意とは違います。ただ、こうなりたい、ああなりたいと思っているだけで、血の滲み出るような精進がなければ、それは、はかない夢を見ているにすぎません。
 一流になろうと、本当に決意しているならば、そこには、既に行動がある。既に努力があります。成功とは、努力の積み重ねの異名です。
 夢と憧れだけをいだき、真剣な精進がなければ、気ばかり焦り、現実はますます惨めになってしまう。大切なのは足元を固めることです。仏法は最高の道理であり、その努力のなかに信仰がある。
 また、自分を開花させ、崩れざる幸福を確立していくには、信心という生き方の確固たる基盤をつくることです。人間は自分の境涯が変わらなければ、いくら住む所が変わっても、何も変わりません。その境涯を革命するのが仏法です。
 ともかく、二十年、三十年と、地道に信心を全うすることです。その時に、あなたの本当の人生の大勝利が待っています」
 眼前の一人をいかに励まし、使命と幸福の大道を歩ませるか――壮大な広宣流布の流れも、そこから開かれる。いや、それが、すべてといってよいだろう。
 (「開道」の章、40~41ページ)

 

苦労は人生の最高の財産に

 <61年10月、スイスで伸一は、父親の仕事の関係でジュネーブに暮らす、20歳ぐらいの双子の姉妹に、人生の本当の幸福について語る>
 
 「寒い冬があるから、暖かい春が待ち遠しいし、春になった時には喜びがある。
 いつも春ばかりだったら、喜びを味わうことなんかできないじゃないか。
 人生も一緒だよ。いつも春ばかりではない。
 冬のように、辛いこと、苦しいこともある。しかし、それに負けないで、必ず春が来るのだと信じて、頑張り続けていくことだ。
 苦労なんてしたくないな、楽だけしていたいなと思っても、そんな人生は絶対にない。
 お汁粉にだって、砂糖だけでなく、塩も入れるでしょ。それによって、砂糖の甘さが生きてくる。
 あなたたちはこれまで、お父さん、お母さんに守られ、なんの不自由もなく、生きてきたと思う」(中略)
 「自分を磨き、深めていくために、何か目標を決めて、苦しいなと思っても、負けずに挑戦していくことだよ。苦労というのは、本当は、人間としての最高の財産なんだ。
 花が春になると、きれいに咲き香るのは、それまでに、たくさんの養分を蓄えてきたからなんだ。
 あなたたちも、人生の幸福という花を咲かせてほしい。そのための生命の養分が信心であり、仏道修行なんです」
 (「歓喜」の章、117~118ページ)

 

 
堅固な団結の人材城を築け!

 <61年11月、東北本部の落成式を終えた伸一は、かつて恩師・戸田城聖と共に歩いた宮城の青葉城址を訪れた>
 
 青葉城址には、東北の青年部の幹部や学生部員も姿を見せていた。
 彼は、皆で城址を巡りながら、石垣を指さした。
 「ほら、見てごらん。大きな石も、小さな石も、いろいろな石が、きれいに、きちっと積み重ねられている。
 だから、この石垣は堅固なんだね。これは、団結の象徴だよ。
 私たちも、一人ひとりが力をつけることは当然だが、それだけでは広宣流布という大偉業を成し遂げることはできない。この石垣のように、互いに補い合い、団結していくことが大事だ。
 人材の城というのは、人材の団結の城ということだ。団結は力であり、そこに学会の強さがある。
 東北に人材の牙城をつくろう。そして、あの『新世紀の歌』のように、東北の君たちの力で、民衆の新世紀を開いていくんだよ」
 青年たちの瞳が光った。山本伸一は、青葉城址の一角に立ち、一首の和歌を詠んだ。
   
 人材の
   城を築けと
     決意ます
  恩師の去りし
    青葉に立つれば
   
 彼の胸には、常に、師である戸田城聖の言葉がこだましていた。
 (「勝利」の章、268~269ページ)

 

 
民衆を守り抜くと立て

 <「大阪事件」の判決公判を翌日に控えた1962年(昭和37年)1月24日、伸一は関西の男子部幹部会に出席した>
 
 ここでは、伸一は、大阪事件の経過を述べ、彼の逮捕自体、でっち上げにもとづく、不当なものであったことを断言したあと、こう語った。
 「私は、いかなる迫害も受けて立ちます。もし、有罪となり、再び投獄されたとしても、大聖人の大難を思えば小さなことです。
 また、牧口先生、戸田先生の遺志を継ぐ私には、自分の命を惜しむ心などありません。だが、善良なる市民を、真面目に人びとのために尽くしている民衆を苦しめるような権力とは、生涯、断固として戦い抜く決意であります。これは、私の宣言です。
 仏法は勝負である。残酷な取り調べをした検事たちと、また、そうさせた権力と、私たちと、どちらが正しいか、永遠に見続けてまいりたいと思います」
 伸一の言葉には、烈々たる気迫が込められていた。彼は、男子部には、自分と同じ心で、邪悪な権力とは敢然と戦い、民衆を守り抜く、獅子として立ってほしかった。
 関西の若き同志は、伸一の言葉に、悪に抗する巌窟王のごとき、不撓不屈の金剛の信念を感じ取った。そして、それをわが心とし、広宣流布の長征の旅路を行くことを決意した。
 伸一は、さらに、力を込めて呼びかけていった。
 「日蓮大聖人の仏法は、いかなる哲学も及ばない、全人類を幸福にしゆく不滅の原理を説く大生命哲学であります。その仏法を弘めて、人びとを幸福にしていくのが地涌の菩薩であり、大聖人の弟子である私どもの使命です。
 したがって、その自覚と信念のもとに、不幸な人の味方となり、どこまでも民衆の幸福を第一に、さらに、堂々と前進を開始しようではありませんか」
 (「獅子」の章、342~343ページ)

 
世界を結ぶ伸一の対話精神

 1961年(昭和36年)10月、東西冷戦の象徴であるドイツの「ベルリンの壁」を前に伸一は、世界を結び平和を築きゆく誓いを胸に刻む。その夜、同行のメンバーに「対話の道」「平和の道」を開く決意を語る。

 

歴史家・トインビー博士と対談(1973年5月、ロンドンで)
歴史家・トインビー博士と対談(1973年5月、ロンドンで)
 

 「私がやろうとしているのは『対話』だよ。(中略)
 一人の人間として、真剣に語り合うことだ。どんな指導者であれ、また、強大な権力者であれ、人間は人間なんだよ。権力者だと思うから話がややこしくなる。みんな同じ人間じゃないか。そして、人間である限り、誰でも、必ず平和を願う心があるはずだ。その心に、語りかけ、呼び覚ましていくことだよ」
 
 ◇ 
 
 「また、もう一つ大切なことは、民衆と民衆の心を、どう繫ぐことができるかです。社会体制や国家といっても、それを支えているのは民衆だ。その民衆同士が、国家や体制の壁を超えて、理解と信頼を育んでいくならば、最も確かな平和の土壌がつくられる。
 それには、芸術や教育など、文化の交流が大事になる。その国や民族の音楽、舞踊などを知ることは、人間の心と心を近づけ、結び合っていくことになる。本来、文化には国境はない。
 これから、私は世界の各界の指導者とどんどん会って対話するとともに、文化交流を推進し、平和の道を開いていきます」
 
 ◇ 
 
 「学会によって、無名の民衆が見事に蘇生し、その人たちが、社会を建設する大きな力になっていることを知れば、賢明な指導者ならば、必ず、学会に深い関心を寄せるはずです。いや、既に、大いなる関心をもっているでしょう。
 そうであれば、学会の指導者と会い、話を聞きたいと思うのは当然です。
 また、こちらが一民間人である方が、相手も政治的な駆け引きや、国の利害にとらわれずに、率直に語り合えるものではないだろうか。私は、互いに胸襟を開いて語り合い、同じ人間として、友人として、よりよい未来をどう築くかを、ともに探っていくつもりです。民衆の幸福を考え、平和を願っている指導者であるならば、立場や主義主張の違いを超えて、必ず理解し合えると信じている」
 
 ◇ 
 
 「私はやります。長い、長い戦いになるが、二十年後、三十年後をめざして、忍耐強く、道を開いていきます。そして、その平和と友情の道を、さらに、後継の青年たちが開き、地球の隅々にまで広げて、二十一世紀は人間の凱歌の世紀にしなければならない。それが私の信念だ」(「開道」の章、8~11ページ)

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
 
 聖教電子版では「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」第5巻「解説編」の池田博正主任副会長の紙上講座を閲覧できます。
 
 第5巻「解説編」はこちら

 

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小説「新・人間革命」に学ぶ 名場面編 第18巻  2020年4月8日

2020年04月08日 | 妙法

小説「新・人間革命」に学ぶ 名場面編 第18巻  2020年4月8日

  • 連載〈世界広布の大道〉

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第18巻の「名場面編」。心揺さぶる小説の名場面を紹介する。挿絵は内田健一郎。
  

 イラスト・間瀬健治

イラスト・間瀬健治
イラスト・間瀬健治
配達員への感謝忘れず
配達員への感謝わすれず

 <山本伸一は、1972年(昭和47年)秋から、執務の中心を聖教新聞社に移し、記者をはじめ、職員一人一人の育成に当たる。その成長に大きな期待を寄せ、さまざまな激励を重ねていった>

 山本伸一は、新聞配達をする少年のブロンズ像を聖教新聞社に贈った。
 高さ約一メートル三十センチの、新聞を携えて走る少年の像である。これは、第二回「第三文明展」に「無冠の友」のタイトルで出品された著名な彫刻家・小金丸幾久の作品である。伸一は、この像を、なぜ聖教新聞社に贈ったか、職員に語った。
 「新聞を本当に陰で支えてくださっている力は配達員の方々だ。
 大雨の日はずぶ濡れになり、吹雪の日は寒さに凍えながら、来る日も来る日も、朝早く新聞を配ってくださる。その方々の健気な日々のご努力があるからこそ、聖教新聞が成り立っている。
 私は、その方たちを最大に讃えたい。そのせめてもの思いとして、この像を聖教新聞社に設置したいんです」
 伸一の話を聞いた記者たちは、ハッとした。いつの間にか、新聞が配達されて当然のような感覚になっていたのだ。その心を見透かしたように、伸一は言った。
 「特に記者の諸君は、“陰の力”である配達員の方々への感謝を、絶対に忘れてはならない。
 一般紙の世界では、記者は原稿を書くだけで、購読の推進や配達については無関心であるというのが実情かもしれない。しかし、聖教新聞の記者は、そうであってはならない。原稿を書き、自ら率先して購読推進にあたり、読者の声に耳を傾け、配達員さんを最高に尊敬していくんです。それは、新聞界の改革にもなる」
 この新聞少年の像は、伸一によって「広布使者の像」と名づけられ、聖教本社前の庭に設置が決まった。
 そして、この年(1973年=編集部注)の十二月二十九日、業務総局の職員や配達員、販売店の子弟の代表らと共に、除幕式を行ったのである。
 業務総局の職員には、始業時間より、一時間以上も前に出勤し、配達員や販売店主の無事故を真剣に祈っているメンバーが数多くいた。伸一は、その姿をじっと見ていたのである。(「師子吼」の章、89~90ページ)
  


  

恩を感じ、恩に報いる
 

 <73年(同48年)11月、山本伸一は栃木県幹部総会に、尋常小学校時代の恩師である檜山浩平先生を招待。再会を果たした>

 檜山は、目を細めながら語った。
 「……ご立派になられて。大変なご活躍、嬉しく、誇りに思っておりますよ。先生の本は読ませてもらっています。トインビー博士とも対談をされたんですね」
 伸一は、敬愛する恩師に「先生」と言われ、いたく恐縮して答えた。
 「はい。人類の未来のために、真剣に語り合いました。檜山先生が、私のことを、そこまで知ってくださっていることに感動しました。
 教え子をいつまでも思い、大切にしてくださる先生の優しさに、心打たれます」(中略)
 伸一は、最後に、檜山に言った。
 「檜山先生、本日は、本当にありがとうございました。今日の私があるのも、先生のお陰でございます。
 先生の教え子として、誇りをもって、社会のために尽くし抜いてまいります。先生のご恩は決して忘れません」
 そして、深々と、丁重に頭を下げた。
 檜山は、成長した教え子の姿に、感無量の面持ちで、笑みを浮かべて語った。
 「どうか、体を壊さないように頑張ってください。もっとも、こう言っても、休む暇もないようですが……」
 どこまでも教え子を思いやる檜山の心が、伸一の胸に熱く染みた。
 伸一は、「檜山先生」だけでなく、自分が教わった教師全員に、強い感謝の念をいだき、深い恩義を感じていた。
 いや教師に限らず、自分がこれまでに関わったすべての人に、同じ思いをいだいていた。
 それは、仏法者としての、彼の信念によるものであった。
 仏法の基本には、「縁起」という思想がある。それは「縁りて起こる」ということであり、一切の現象は、さまざまな原因と条件が相互に関連し合って生ずるという意味である。
 つまり、いかなる物事も、たった一つだけで成り立つことはなく、すべては互いに依存し合い、影響し合って成立することを、仏法では説いているのである。
 (「師恩」の章、190~196ページ)
  

 

美しい菊に輝く真心
 

 <73年11月、山本伸一は愛媛へ。地元の同志は、聖教新聞の購読推進に挑むとともに、松山会館を菊の鉢植えで飾り、伸一を迎えた>
 
 販売店主らと話し合って、配達員のメンバーが菊作りを始めたのは、新聞の購読推進に本格的に着手した、五月のことであった。
 菊を育てた経験のある人など、ほとんどいなかった。しかし、美事な大輪の菊で山本会長を迎えようと、水をやり、題目を送り、丹精込めて育てていった。
 なかには、途中で虫がつき、また新たに、苗から育て始めなければならない人もいた。しかし、それでも、決してあきらめなかった。
 メンバーの一念に育まれ、菊は日ごとに伸び、花をつけ始めた。“無冠の友”は菊の成長を励みにし、また、その成長に負けまいと、新聞の購読推進に走った。
 皆、力の限り戦った。菊の花も美事に咲いた。菊は“無冠の友”の大勝利の象徴となった。
 戦い抜いた人には、歓喜がある。生命の躍動があり、充実がある。
 全員が「私の育てた菊を見てください」とばかりに、喜々として、鉢植えを会館に運んだ。
 菊には、それぞれ名前がつけられていた。「開道の花」「仲良しの花」「題目菊」……。
 花の美しさにも増して、皆の真心は、さらに美しく、まぶしかった。
 白、黄、赤、紫……。
 伸一は、一つ一つの菊花を、丹念に鑑賞していった。
 彼は、見えにくい二列目、三列目にあった菊花を指差して言った。
 「いい名前をつけているね」
 そこには「共戦の菊」「広布の菊」と書かれていた。その二つの菊は、花の完成度としては高いものではなかった。(中略)
 伸一は、不揃いの花びらのなかに、菊作りに挑戦した同志の、健気な真心を見ていたのである。
 「みんな、苦労して育ててくれたんだね……。心の花です。勝利の花です。尊い真心が胸に迫ってきます」
 (「前進」の章、207~208ページ)
  


  

どこまでも友の幸せ願う
 

 <74年(同49年)1月、山本伸一は青年部総会に出席。登壇した女子部長の吉川美香子は、幸福を他に求めがちな、若い女性たちの傾向性や悩みについて掘り下げていった>

 能動的な自己をつくり、心を大きく、強くすることが、「人間革命」なのだ。女子部長の吉川美香子は、そのための信仰であることを強く訴えた。
 さらに、真の友を求めながら自らが傷つくことを恐れ、深い関わりを避ける生き方の背後には、根深い人間不信があることを指摘していった。
 「人の尊さも、自分の可能性や強さも信じることができなければ、人間はどうしても臆病になり、閉鎖的になります。
 しかし、仏法では、すべての人が輝かしい個性をもち、その胸中に“仏”の生命があると説きます。この法理のもとに、互いに信じ合い、助け合い、励まし合う、この世で最も美しい宝石のごとき、若き女性の連帯をつくりあげてきたのが、わが女子部であります。(中略)
 友を思う真心は、自ずから仏法対話となっていきます。いわば折伏は、友情の帰結であり、また、それによってさらに強い友情が育まれていきます。不信と猜疑の渦巻く現代社会を蘇生させゆくものは、確たる信条をもった、春風のごとき人間生命の交流です。(中略)
 私たち女子部は、『友の幸せのために、私はいかなる苦労も惜しまない。いな、それこそ私の最高の喜びである』と胸を張って、折伏・弘教の実践に邁進していこうではありませんか!」(中略)
 女子部時代に折伏に挑戦することは、仏法者として、自分の生き方の芯をつくり上げ、福運を積むうえで、極めて重要なことといえよう。
 折伏は、すぐには実らないかもしれない。しかし、仏法を語り、下種をし、末永く友情を育んでいくならば、いつか、その人も信心に目覚める日が来るものだ。決して結果を焦る必要はない。大事なことは、友の幸福を願う心だ。仏法を語る勇気だ。勇気が慈悲にかわるのである。
 また、壮年、婦人は、広宣流布の未来のために青年を大切にし、徹底して応援し、その育成に全力を注がねばならない。
 (「飛躍」の章、308~310ページ)

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