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マイ・ヒューマン・レボリューション――小説「新・人間革命」学習のために 第5巻  2020年4月10日

2020年04月10日 | 妙法

マイ・ヒューマン・レボリューション――小説「新・人間革命」学習のために 第5巻  2020年4月10日

 小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを、巻ごとに紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は第5巻を掲載する。次回の第6巻は17日付2面の予定。挿絵は内田健一郎。

 <1961年(昭和36年)10月、山本伸一はフランスでバレリーナとしての成功を目指す女性に励ましを送る>
 
 「一流をめざすことは、大いに結構です。しかし、そのためには、一段階、一段階の目標を明確にし、日々徹底した努力と挑戦がなければなりません。
 夢と決意とは違います。ただ、こうなりたい、ああなりたいと思っているだけで、血の滲み出るような精進がなければ、それは、はかない夢を見ているにすぎません。
 一流になろうと、本当に決意しているならば、そこには、既に行動がある。既に努力があります。成功とは、努力の積み重ねの異名です。
 夢と憧れだけをいだき、真剣な精進がなければ、気ばかり焦り、現実はますます惨めになってしまう。大切なのは足元を固めることです。仏法は最高の道理であり、その努力のなかに信仰がある。
 また、自分を開花させ、崩れざる幸福を確立していくには、信心という生き方の確固たる基盤をつくることです。人間は自分の境涯が変わらなければ、いくら住む所が変わっても、何も変わりません。その境涯を革命するのが仏法です。
 ともかく、二十年、三十年と、地道に信心を全うすることです。その時に、あなたの本当の人生の大勝利が待っています」
 眼前の一人をいかに励まし、使命と幸福の大道を歩ませるか――壮大な広宣流布の流れも、そこから開かれる。いや、それが、すべてといってよいだろう。
 (「開道」の章、40~41ページ)

 

苦労は人生の最高の財産に

 <61年10月、スイスで伸一は、父親の仕事の関係でジュネーブに暮らす、20歳ぐらいの双子の姉妹に、人生の本当の幸福について語る>
 
 「寒い冬があるから、暖かい春が待ち遠しいし、春になった時には喜びがある。
 いつも春ばかりだったら、喜びを味わうことなんかできないじゃないか。
 人生も一緒だよ。いつも春ばかりではない。
 冬のように、辛いこと、苦しいこともある。しかし、それに負けないで、必ず春が来るのだと信じて、頑張り続けていくことだ。
 苦労なんてしたくないな、楽だけしていたいなと思っても、そんな人生は絶対にない。
 お汁粉にだって、砂糖だけでなく、塩も入れるでしょ。それによって、砂糖の甘さが生きてくる。
 あなたたちはこれまで、お父さん、お母さんに守られ、なんの不自由もなく、生きてきたと思う」(中略)
 「自分を磨き、深めていくために、何か目標を決めて、苦しいなと思っても、負けずに挑戦していくことだよ。苦労というのは、本当は、人間としての最高の財産なんだ。
 花が春になると、きれいに咲き香るのは、それまでに、たくさんの養分を蓄えてきたからなんだ。
 あなたたちも、人生の幸福という花を咲かせてほしい。そのための生命の養分が信心であり、仏道修行なんです」
 (「歓喜」の章、117~118ページ)

 

 
堅固な団結の人材城を築け!

 <61年11月、東北本部の落成式を終えた伸一は、かつて恩師・戸田城聖と共に歩いた宮城の青葉城址を訪れた>
 
 青葉城址には、東北の青年部の幹部や学生部員も姿を見せていた。
 彼は、皆で城址を巡りながら、石垣を指さした。
 「ほら、見てごらん。大きな石も、小さな石も、いろいろな石が、きれいに、きちっと積み重ねられている。
 だから、この石垣は堅固なんだね。これは、団結の象徴だよ。
 私たちも、一人ひとりが力をつけることは当然だが、それだけでは広宣流布という大偉業を成し遂げることはできない。この石垣のように、互いに補い合い、団結していくことが大事だ。
 人材の城というのは、人材の団結の城ということだ。団結は力であり、そこに学会の強さがある。
 東北に人材の牙城をつくろう。そして、あの『新世紀の歌』のように、東北の君たちの力で、民衆の新世紀を開いていくんだよ」
 青年たちの瞳が光った。山本伸一は、青葉城址の一角に立ち、一首の和歌を詠んだ。
   
 人材の
   城を築けと
     決意ます
  恩師の去りし
    青葉に立つれば
   
 彼の胸には、常に、師である戸田城聖の言葉がこだましていた。
 (「勝利」の章、268~269ページ)

 

 
民衆を守り抜くと立て

 <「大阪事件」の判決公判を翌日に控えた1962年(昭和37年)1月24日、伸一は関西の男子部幹部会に出席した>
 
 ここでは、伸一は、大阪事件の経過を述べ、彼の逮捕自体、でっち上げにもとづく、不当なものであったことを断言したあと、こう語った。
 「私は、いかなる迫害も受けて立ちます。もし、有罪となり、再び投獄されたとしても、大聖人の大難を思えば小さなことです。
 また、牧口先生、戸田先生の遺志を継ぐ私には、自分の命を惜しむ心などありません。だが、善良なる市民を、真面目に人びとのために尽くしている民衆を苦しめるような権力とは、生涯、断固として戦い抜く決意であります。これは、私の宣言です。
 仏法は勝負である。残酷な取り調べをした検事たちと、また、そうさせた権力と、私たちと、どちらが正しいか、永遠に見続けてまいりたいと思います」
 伸一の言葉には、烈々たる気迫が込められていた。彼は、男子部には、自分と同じ心で、邪悪な権力とは敢然と戦い、民衆を守り抜く、獅子として立ってほしかった。
 関西の若き同志は、伸一の言葉に、悪に抗する巌窟王のごとき、不撓不屈の金剛の信念を感じ取った。そして、それをわが心とし、広宣流布の長征の旅路を行くことを決意した。
 伸一は、さらに、力を込めて呼びかけていった。
 「日蓮大聖人の仏法は、いかなる哲学も及ばない、全人類を幸福にしゆく不滅の原理を説く大生命哲学であります。その仏法を弘めて、人びとを幸福にしていくのが地涌の菩薩であり、大聖人の弟子である私どもの使命です。
 したがって、その自覚と信念のもとに、不幸な人の味方となり、どこまでも民衆の幸福を第一に、さらに、堂々と前進を開始しようではありませんか」
 (「獅子」の章、342~343ページ)

 
世界を結ぶ伸一の対話精神

 1961年(昭和36年)10月、東西冷戦の象徴であるドイツの「ベルリンの壁」を前に伸一は、世界を結び平和を築きゆく誓いを胸に刻む。その夜、同行のメンバーに「対話の道」「平和の道」を開く決意を語る。

 

歴史家・トインビー博士と対談(1973年5月、ロンドンで)
歴史家・トインビー博士と対談(1973年5月、ロンドンで)
 

 「私がやろうとしているのは『対話』だよ。(中略)
 一人の人間として、真剣に語り合うことだ。どんな指導者であれ、また、強大な権力者であれ、人間は人間なんだよ。権力者だと思うから話がややこしくなる。みんな同じ人間じゃないか。そして、人間である限り、誰でも、必ず平和を願う心があるはずだ。その心に、語りかけ、呼び覚ましていくことだよ」
 
 ◇ 
 
 「また、もう一つ大切なことは、民衆と民衆の心を、どう繫ぐことができるかです。社会体制や国家といっても、それを支えているのは民衆だ。その民衆同士が、国家や体制の壁を超えて、理解と信頼を育んでいくならば、最も確かな平和の土壌がつくられる。
 それには、芸術や教育など、文化の交流が大事になる。その国や民族の音楽、舞踊などを知ることは、人間の心と心を近づけ、結び合っていくことになる。本来、文化には国境はない。
 これから、私は世界の各界の指導者とどんどん会って対話するとともに、文化交流を推進し、平和の道を開いていきます」
 
 ◇ 
 
 「学会によって、無名の民衆が見事に蘇生し、その人たちが、社会を建設する大きな力になっていることを知れば、賢明な指導者ならば、必ず、学会に深い関心を寄せるはずです。いや、既に、大いなる関心をもっているでしょう。
 そうであれば、学会の指導者と会い、話を聞きたいと思うのは当然です。
 また、こちらが一民間人である方が、相手も政治的な駆け引きや、国の利害にとらわれずに、率直に語り合えるものではないだろうか。私は、互いに胸襟を開いて語り合い、同じ人間として、友人として、よりよい未来をどう築くかを、ともに探っていくつもりです。民衆の幸福を考え、平和を願っている指導者であるならば、立場や主義主張の違いを超えて、必ず理解し合えると信じている」
 
 ◇ 
 
 「私はやります。長い、長い戦いになるが、二十年後、三十年後をめざして、忍耐強く、道を開いていきます。そして、その平和と友情の道を、さらに、後継の青年たちが開き、地球の隅々にまで広げて、二十一世紀は人間の凱歌の世紀にしなければならない。それが私の信念だ」(「開道」の章、8~11ページ)

 

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