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〈教学〉4月度「御書講義」の参考 上野殿御返事(刀杖難事) 〈 2020年4月4日

2020年04月04日 | 妙法

〈教学〉4月度「御書講義」の参考 上野殿御返事(刀杖難事)  2020年4月4日

苦闘の中にこそ真実の人間革命がある
 
 4月度「御書講義」の拝読御書は「上野殿御返事」(刀杖難事)。範囲は「勧持品に八十万億那由佗の菩薩の異口同音の二十行の偈は日蓮一人よめり……うつ杖も第五の巻うたるべしと云う経文も五の巻・不思議なる未来記の経文なり」(御書1557ページ2行目~8行目、編年体御書1181ページ17行目~1182ページ5行目)です。ここでは学習の参考として、背景と大意、解説等を掲載します。(森中教学部長の御書講義の映像が、創価学会公式ホームページ「SOKAnet」で視聴できます<5月6日まで>。講義の内容は、後日、紙面で紹介します)

 
 背景と大意

 本抄は弘安2年(1279年)4月20日、日蓮大聖人が身延で著され、駿河国(静岡県中央部)の青年門下・南条時光に送られたお手紙です。別名を「刀杖難事」といいます。
 本抄が認められたのは、駿河の地で日興上人を中心に弘教が進んでいることに危機感を抱いた滝泉寺院主代の行智らによって、大聖人門下への弾圧が本格化し始めた時期でした。実際にこの4月には、門下が襲われる傷害事件が起こっています。
 時光にも、いつ命に及ぶ迫害があるか分からない状況でした。大聖人は、障魔の渦中にある時光に、信仰に生き抜く勇気と確信を与えるために、励ましをつづられました。
 本抄ではまず、大聖人が、法華経の故に命にも及ぶ種々の大難に遭ったと述べます。続いて「竜の口の法難」の折、平左衛門尉の家来である少輔房から、「法華経の第五の巻」で顔を打たれたことは忘れないとつづられます。
 「法華経の第五の巻」は、法華経の「第一の肝心」です。勧持品第13の二十行の偈にある三類の強敵、刀杖の難等を身読したのは、大聖人お一人であると断言します。ここが、今回の拝読の範囲です。
 続いて、従地涌出品第15に記された地涌の菩薩の先駆けとして、末法の妙法弘通を託されて出現したのが、大聖人であるとの確信を述べます。
 さらに「とにかくに法華経に身をまかせ信ぜさせ給へ」と、時光に一層の強盛な信心を促し、大聖人と同じ覚悟、同じ心で戦うよう励まされ、本抄を結ばれています。
 
 
参考1 「法華経の第五の巻」

 「法華経の第五の巻」には、即身成仏現証を説いた提婆達多品第12、三類の強敵による迫害を予言した勧持品第13、滅後の弘通を勧める安楽行品第14、地涌の菩薩の出現を明かした従地涌出品第15の4品が収められています。どれも末法の弘教にとって重要な巻です。
 特に勧持品の二十行の偈は、菩薩たちが釈尊滅後、法華経の弘通を誓っている箇所になります。
 そこには、「諸の無智の人の 悪口罵詈等し」(法華経418ページ)、「悪世の中の比丘は 邪智にして心諂曲に」(同ページ)等と、三類の強敵が示されています。
 さらに、「刀杖を加うる者有らん」(同ページ)、「誹謗して我が悪を説いて」(同419ページ)、「我を罵詈毀辱せん」(同ページ)、「数数擯出せられ」(同420ページ)等々、さまざまな迫害があることも記されています。
 本抄で大聖人は、「二十行の偈は日蓮一人よめり」(御書1557ページ)と、「勧持品二十行の偈」の経文通りに難を受けたのは、御自身一人であると仰せです。法華経の証明者としての誇りと喜びが示されています。
 

 

参考2 2度の刀の難

 本抄で大聖人は、御自身が遭った「刀の難」を二つ挙げます。
 一つは、「東条の松原」つまり「小松原の法難」です。東条景信の軍勢に襲撃され、門下が亡くなり、大聖人も額に傷を負い、左手を折られました。もう一つは「竜の口の法難」です。平左衛門尉が率いた兵士たちに捕らえられ、処刑されそうになりました。
 このような難に遭った人は、他にいないことを示すために、法華経の文に照らしてつづられます。
 まず、不軽品に記される不軽菩薩は、杖の難に遭ったが、刀の難に遭ったとは、書かれていない。天台や妙楽、伝教は、「刀杖も加えず」との安楽行品の文のごとく、“刀杖の難には遭っていない”と述べます。あえて経文を確認することで、難の意味を転換されているのです。
 難を受けているだけでは、単なる苦しみでしかありません。しかし、法華経の行者として捉え直すならば、地涌の菩薩として滅後の弘通を実践している確かな証明となるのです。それは取りも直さず、一生成仏の軌道を歩んでいることの確信と喜びでもあるのです。
 
  

  

参考3 未来記を実現

 少輔房に、「刀杖の難」が説かれる「法華経の第五の巻」で打たれたことをもって、「不思議なる未来記の経文なり」と仰せです。
 法華経は、釈尊滅後の広宣流布の未来記といえます。その未来記を現実のものとするために、戦い抜かれたのが大聖人です。
 末法の御本仏である大聖人は、「諸天善神並びに地涌千界等の菩薩・法華の行者を守護せん此の人は守護の力を得て本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布せしめんか」(御書507ページ)等、世界広宣流布について断言されています。この大聖人の「未来記」を実現するために「創価学会」は立ち上がりました。
 学会こそ、仏の大願たる広宣流布に連なる仏意仏勅の団体です。学会員一人一人が大聖人に連なる地涌の菩薩なのです。なかんずく、創価三代の師弟によって、世界広布は現実のものとなりました。
 大聖人が時光に、“私と同じように法華経に身を任せ、強盛な信心を貫くのだ”と励まされたように、私たちも創価の師弟に連なり、いよいよ強盛な信心に励んでいきましょう。
 
  

池田先生の指針から
 
1、青年への本格的な鍛錬

 少輔房が大聖人を打ち据えた「法華経第五の巻」は、法華経8巻の中でも、極めて重要な巻であると強調されています。「第五の巻」には、提婆達多品第12から従地涌出品第15までの4品が収められています。この「第五の巻」は、即身成仏の現証、滅後弘通の大難、妙法五字を弘める地涌の菩薩の出現など、末法弘通の方軌を示す「不思議なる未来記の経文」(御書1557ページ)なのです。
 法華経ゆえの大難は、この「第五の巻」の身読となるのであり、「仏果を得る」道である。ゆえに法華経に身を任せて、法華経を信じ抜き、法華経の題目を弘めていくのだ――これから起こり得る大難を乗り越えるためにこそ、時光に信仰の精髄を教えておきたい、真実の地涌の使命に生き抜き、三世にわたって師弟共戦の誓願の道を貫き通してほしい、との御真情が伝わってきます。
 この師匠の期待に応え、時光は熱原の法難の中で門下を護り、正義の旗を掲げ抜きました。後に、この若き後継の友を大聖人は「上野賢人」と賞讃されます。
 本物の信仰を教えたい、師匠と共に大願に生きる人生の価値を教えたい、との青年への限りない期待と鍛錬とも拝されます。そして、それに応える青年門下の誓願と奮闘――この師弟の中にこそ、広宣流布の脈動があるのです。
    
 

2、純真な求道心こそ勝利の源泉

 追伸には、「かつへて食をねがひ・渇して水をしたうがごとく・恋いて人を見たきがごとく・病にくすりをたのむがごとく、みめかたちよき人・べにしろいものをつくるがごとく・法華経には信心をいたさせ給へ、さなくしては後悔あるべし」とあります。
 法華経如来寿量品第16の自我偈にも、「咸皆く恋慕を懐いて 渇仰の心を生ず 衆生既に信伏し 質直にして意柔軟に 一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜しまざれば」(法華経490ページ)とあります。
 御本尊を信じ、妙法を求める心は、どこまでも強盛にして一筋で、また素直であることです。
 自身の宿命転換を願い、広宣流布の実現を祈って、身命を惜しまず戦うところに、必ず幸福勝利の人生を開くことができる。生涯、素直に信心を貫き通した人が勝利の人です。最後に勝つ人です。ここに信心の極意があります。
 苦闘の中でこそ、真の人間が鍛え上げられます。
 苦闘の中でこそ、強靱な鋼の意志が育つのです。
 苦闘の中でこそ、人生の真実の涙を知ることができます。
 そして、苦闘の中にこそ、偉大な人間革命があるのです。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第14巻)

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〈教学〉4月度「御書講義」の参考 上野殿御返事(刀杖難事) 〈 2020年4月4日

2020年04月04日 | 妙法

〈教学〉4月度「御書講義」の参考 上野殿御返事(刀杖難事)  2020年4月4日

苦闘の中にこそ真実の人間革命がある
 
 4月度「御書講義」の拝読御書は「上野殿御返事」(刀杖難事)。範囲は「勧持品に八十万億那由佗の菩薩の異口同音の二十行の偈は日蓮一人よめり……うつ杖も第五の巻うたるべしと云う経文も五の巻・不思議なる未来記の経文なり」(御書1557ページ2行目~8行目、編年体御書1181ページ17行目~1182ページ5行目)です。ここでは学習の参考として、背景と大意、解説等を掲載します。(森中教学部長の御書講義の映像が、創価学会公式ホームページ「SOKAnet」で視聴できます<5月6日まで>。講義の内容は、後日、紙面で紹介します)

 
 背景と大意

 本抄は弘安2年(1279年)4月20日、日蓮大聖人が身延で著され、駿河国(静岡県中央部)の青年門下・南条時光に送られたお手紙です。別名を「刀杖難事」といいます。
 本抄が認められたのは、駿河の地で日興上人を中心に弘教が進んでいることに危機感を抱いた滝泉寺院主代の行智らによって、大聖人門下への弾圧が本格化し始めた時期でした。実際にこの4月には、門下が襲われる傷害事件が起こっています。
 時光にも、いつ命に及ぶ迫害があるか分からない状況でした。大聖人は、障魔の渦中にある時光に、信仰に生き抜く勇気と確信を与えるために、励ましをつづられました。
 本抄ではまず、大聖人が、法華経の故に命にも及ぶ種々の大難に遭ったと述べます。続いて「竜の口の法難」の折、平左衛門尉の家来である少輔房から、「法華経の第五の巻」で顔を打たれたことは忘れないとつづられます。
 「法華経の第五の巻」は、法華経の「第一の肝心」です。勧持品第13の二十行の偈にある三類の強敵、刀杖の難等を身読したのは、大聖人お一人であると断言します。ここが、今回の拝読の範囲です。
 続いて、従地涌出品第15に記された地涌の菩薩の先駆けとして、末法の妙法弘通を託されて出現したのが、大聖人であるとの確信を述べます。
 さらに「とにかくに法華経に身をまかせ信ぜさせ給へ」と、時光に一層の強盛な信心を促し、大聖人と同じ覚悟、同じ心で戦うよう励まされ、本抄を結ばれています。
 
 
 「法華経の第五の巻」は、法華経の「まき

 「法華経の第五の巻」には、即身成仏現証を説いた提婆達多品第12、三類の強敵による迫害を予言した勧持品第13、滅後の弘通を勧める安楽行品第14、地涌の菩薩の出現を明かした従地涌出品第15の4品が収められています。どれも末法の弘教にとって重要な巻です。
 特に勧持品の二十行の偈は、菩薩たちが釈尊滅後、法華経の弘通を誓っている箇所になります。
 そこには、「諸の無智の人の 悪口罵詈等し」(法華経418ページ)、「悪世の中の比丘は 邪智にして心諂曲に」(同ページ)等と、三類の強敵が示されています。
 さらに、「刀杖を加うる者有らん」(同ページ)、「誹謗して我が悪を説いて」(同419ページ)、「我を罵詈毀辱せん」(同ページ)、「数数擯出せられ」(同420ページ)等々、さまざまな迫害があることも記されています。
 本抄で大聖人は、「二十行の偈は日蓮一人よめり」(御書1557ページ)と、「勧持品二十行の偈」の経文通りに難を受けたのは、御自身一人であると仰せです。法華経の証明者としての誇りと喜びが示されています。
 

 

参考2 2度の刀の難

 本抄で大聖人は、御自身が遭った「刀の難」を二つ挙げます。
 一つは、「東条の松原」つまり「小松原の法難」です。東条景信の軍勢に襲撃され、門下が亡くなり、大聖人も額に傷を負い、左手を折られました。もう一つは「竜の口の法難」です。平左衛門尉が率いた兵士たちに捕らえられ、処刑されそうになりました。
 このような難に遭った人は、他にいないことを示すために、法華経の文に照らしてつづられます。
 まず、不軽品に記される不軽菩薩は、杖の難に遭ったが、刀の難に遭ったとは、書かれていない。天台や妙楽、伝教は、「刀杖も加えず」との安楽行品の文のごとく、“刀杖の難には遭っていない”と述べます。あえて経文を確認することで、難の意味を転換されているのです。
 難を受けているだけでは、単なる苦しみでしかありません。しかし、法華経の行者として捉え直すならば、地涌の菩薩として滅後の弘通を実践している確かな証明となるのです。それは取りも直さず、一生成仏の軌道を歩んでいることの確信と喜びでもあるのです。
 
  

  

参考3 未来記を実現

 少輔房に、「刀杖の難」が説かれる「法華経の第五の巻」で打たれたことをもって、「不思議なる未来記の経文なり」と仰せです。
 法華経は、釈尊滅後の広宣流布の未来記といえます。その未来記を現実のものとするために、戦い抜かれたのが大聖人です。
 末法の御本仏である大聖人は、「諸天善神並びに地涌千界等の菩薩・法華の行者を守護せん此の人は守護の力を得て本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布せしめんか」(御書507ページ)等、世界広宣流布について断言されています。この大聖人の「未来記」を実現するために「創価学会」は立ち上がりました。
 学会こそ、仏の大願たる広宣流布に連なる仏意仏勅の団体です。学会員一人一人が大聖人に連なる地涌の菩薩なのです。なかんずく、創価三代の師弟によって、世界広布は現実のものとなりました。
 大聖人が時光に、“私と同じように法華経に身を任せ、強盛な信心を貫くのだ”と励まされたように、私たちも創価の師弟に連なり、いよいよ強盛な信心に励んでいきましょう。
 
  

池田先生の指針から
 
1、青年への本格的な鍛錬

 少輔房が大聖人を打ち据えた「法華経第五の巻」は、法華経8巻の中でも、極めて重要な巻であると強調されています。「第五の巻」には、提婆達多品第12から従地涌出品第15までの4品が収められています。この「第五の巻」は、即身成仏の現証、滅後弘通の大難、妙法五字を弘める地涌の菩薩の出現など、末法弘通の方軌を示す「不思議なる未来記の経文」(御書1557ページ)なのです。
 法華経ゆえの大難は、この「第五の巻」の身読となるのであり、「仏果を得る」道である。ゆえに法華経に身を任せて、法華経を信じ抜き、法華経の題目を弘めていくのだ――これから起こり得る大難を乗り越えるためにこそ、時光に信仰の精髄を教えておきたい、真実の地涌の使命に生き抜き、三世にわたって師弟共戦の誓願の道を貫き通してほしい、との御真情が伝わってきます。
 この師匠の期待に応え、時光は熱原の法難の中で門下を護り、正義の旗を掲げ抜きました。後に、この若き後継の友を大聖人は「上野賢人」と賞讃されます。
 本物の信仰を教えたい、師匠と共に大願に生きる人生の価値を教えたい、との青年への限りない期待と鍛錬とも拝されます。そして、それに応える青年門下の誓願と奮闘――この師弟の中にこそ、広宣流布の脈動があるのです。
    
 

2、純真な求道心こそ勝利の源泉

 追伸には、「かつへて食をねがひ・渇して水をしたうがごとく・恋いて人を見たきがごとく・病にくすりをたのむがごとく、みめかたちよき人・べにしろいものをつくるがごとく・法華経には信心をいたさせ給へ、さなくしては後悔あるべし」とあります。
 法華経如来寿量品第16の自我偈にも、「咸皆く恋慕を懐いて 渇仰の心を生ず 衆生既に信伏し 質直にして意柔軟に 一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜しまざれば」(法華経490ページ)とあります。
 御本尊を信じ、妙法を求める心は、どこまでも強盛にして一筋で、また素直であることです。
 自身の宿命転換を願い、広宣流布の実現を祈って、身命を惜しまず戦うところに、必ず幸福勝利の人生を開くことができる。生涯、素直に信心を貫き通した人が勝利の人です。最後に勝つ人です。ここに信心の極意があります。
 苦闘の中でこそ、真の人間が鍛え上げられます。
 苦闘の中でこそ、強靱な鋼の意志が育つのです。
 苦闘の中でこそ、人生の真実の涙を知ることができます。
 そして、苦闘の中にこそ、偉大な人間革命があるのです。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第14巻)

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マイ・ヒューマン・レボリューション--小説「新・人間革命」学習のために 第4巻 2020年4月3日

2020年04月04日 | 妙法

マイ・ヒューマン・レボリューション--小説「新・人間革命」学習のために 第4巻 2020年4月3日

 小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを、巻ごとに紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は第4巻を掲載する。次回の第5巻は10日付2面の予定。挿絵は内田健一郎。

 小説『新・人間革命』の山本伸一のげきれい・指導などを、巻ごとに紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は第4巻をけいさいする。次回の第5巻は10日付2面の予定。挿絵は内田健一郎。

我々は戦おうじゃないか!
われわれは戦おうじゃないか!

 <1961年(昭和36年)3月16日、山本伸一は青年部の音楽祭で、3年前の同日に行われた広宣流布の記念式典での恩師・戸田城聖との思い出を振り返り、指導> 
 
 「(戸田)先生は、その式典が終わって、帰られる直前に、一言、こう言われました。
 『我々は、戦おうじゃないか!』
 その意味は、限りなく深いと思います。
 不幸な民衆を救っていく戦い、誤った宗教との戦い、不当な権力との戦い、自己自身との戦いなど、いっさいを含んだうえでの、戸田先生のお言葉であったにちがいありません。
 ともあれ、衰弱しきったお体でありながら、眼光鋭く、毅然として言われた、『我々は、戦おうじゃないか!』との先生のお言葉を、私は、電撃に打たれた思いで、聞いておりました。
 そして、何ものをも恐れず、広宣流布に向かって戦うことを、私は、その時、再び決意いたしました。
 これは、先生の魂の叫びであります。命の言葉であります。私たちは、このお言葉を深く胸に刻み、広宣流布の日まで、断固、戦い抜こうではありませんか」
 伸一のこの日のあいさつは、聖教新聞に掲載され、これを目にした全国の会員は、決然と奮い立った。
 「我々は、戦おうじゃないか!」との言葉は、同志の合言葉ともなった。
 (「春嵐」の章、46~47ページ)

 <1961年(昭和36年)3月16日、山本伸一は青年部の音楽祭で、3年前の同日に行われた広宣流布の記念式典での恩師・戸田城聖との思い出をかえり、指導> 
 
 「(戸田)先生は、その式典が終わって、帰られる直前に、ひとこと、こう言われました。
 『われわれは、戦おうじゃないか!』
 その意味は、限りなく深いと思います。
 不幸なみんしゅうを救っていく戦い、あやまったしゅうきょうとの戦い、不当なけんりょくとの戦い、自身との戦いなど、いっさいをふくんだうえでの、戸田先生のお言葉であったにちがいありません。
 ともあれ、すいじゃくしきったお体でありながら、がんこうするどく、ぜんとして言われた、『我々は、戦おうじゃないか!』との先生のお言葉を、私は、でんげきに打たれた思いで、聞いておりました。
 そして、何ものをもおそれず、広宣流布に向かって戦うことを、私は、その時、再び決意いたしました。
 これは、先生のたましいさけびであります。命の言葉であります。私たちは、このお言葉を深くむねきざみ、広宣流布の日まで、断固、戦いこうではありませんか」
 伸一のこの日のあいさつは、聖教新聞にけいさいされ、これを目にした全国の会員は、決然とふるった。
 「我々は、戦おうじゃないか!」との言葉は、同志の合言葉ともなった。
 (「しゅんらん」の章、46~47ページ)

信心と真心の一念の声を
信心と真心の一念の声を

 <支部長に就任したものの、口べたなことに不安を抱く浜田厳介に、伸一は御書を通して励ましを送る>
 
 伸一は、浜田に尋ねた。
 「あなたは今、何を悩んでいますか」
 「はい。私は、みんなを納得させられるような話もできません。
 どうやって活動を進めればよいのかと思うと……」
 すると伸一は、同行した幹部に紙と墨を用意するように頼んだ。
 そして、筆を手にして、「声仏事」と認め、浜田に贈った。
 「御書には『声仏事を為す』(七〇八ページ)とあります。語ることが仏法です。お題目を唱えて、ともかく、人を励まし続けていくことです。そうすれば、ちゃんと話せるようになります。しかし、長い話をすることはない。一言でもよい。信心と真心の一念の声を発することです」
 この山本会長の言葉を、浜田は、決して、忘れることはなかった。
 彼が支部長として活動を始めると、方針の打ち出しや説明は、彼を補佐する、ほかの幹部がしてくれた。浜田の人徳でもある。
 そして、彼は一言、全精魂を込めて、こう呼びかけるのであった。
 「やらこいな!」(やろうじゃないか)
 しかし、その浜田のたった一言が、いつも皆の胸に響いた。その言葉で、同志は奮い立ち、島根の広布の大発展をもたらしていくことになるのである。
 (「凱旋」の章、117~118ページ)

 <支部長にしゅうにんしたものの、くちべたなことに不安をいだく浜田厳介に、伸一は御書を通してはげましを送る>
 
 伸一は、浜田にたずねた。
 「あなたは今、何をなやんでいますか」
 「はい。私は、みんなをなっとくさせられるような話もできません。
 どうやって活動を進めればよいのかと思うと……」
 すると伸一は、同行した幹部に紙とすみを用意するようにたのんだ。
 そして、ふでを手にして、「こえぶつ」としたため、浜田におくった。
 「御書には『声仏事をす』(七〇八ページ)とあります。語ることが仏法です。お題目をとなえて、ともかく、人を励まし続けていくことです。そうすれば、ちゃんと話せるようになります。しかし、長い話をすることはない。ひとことでもよい。信心と真心の一念の声を発することです」
 この山本会長の言葉を、浜田は、決して、わすれることはなかった。
 彼が支部長として活動を始めると、ほうしんの打ち出しや説明は、彼をする、ほかの幹部がしてくれた。浜田のじんとくでもある。
 そして、彼は一言、ぜんせいこんめて、こうびかけるのであった。
 「やらこいな!」(やろうじゃないか)
 しかし、その浜田のたった一言が、いつもみなむねひびいた。その言葉で、同志はふるち、島根の広布のだいはってんをもたらしていくことになるのである。
 (「がいせん」の章、117~118ページ)

青年部が全責任を担い立て
青年部が全責任をにない立て

 <5月、伸一は青年部のリーダーとの懇談で、学会を担い立つ自覚について訴える>
 
 「戸田先生の時代、青年部は学会の全責任を担い、常に学会の発展の原動力になっていた。戸田先生の言われた七十五万世帯は、誰がやらなくとも、青年部の手で成就しようという気概があった。そして、各支部や地区にあっても、青年が布教の先頭に立ってきた。また、何か問題が生じた時に、真っ先に飛んで行き、対処してきたのも青年部であった。すべてを青年部の手で担ってきました。
 だから、戸田先生も、『青年部は私の直系だ』と言われ、その成長に、最大の期待を寄せてくださっていたのです。しかし、学会が大きくなり、組織が整ってくるにつれて、青年が壮年や婦人の陰に隠れ、十分に力が発揮されなくなってきているように思えてならない。端的にいえば、自分たちだけで小さくまとまっていく傾向にあることが、私は心配なんです。青年部に、学会の全責任を担うという自覚がなければ、いつまでたっても、後継者として育つことなどできません」(中略)
 彼は、一部員であったころから、戸田の広宣流布の構想を実現するために、学会の全責任をもとうとしてきた。その自覚は班長の時代も、青年部の室長の時代も、常に変わらなかった。もちろん、立場、役職によって、責任の分野や役割は異なっていた。しかし、内面の自覚においては、戸田の弟子として、師の心をわが心とし、学会のいっさいを自己の責任として考えてきた。
 (「青葉」の章、155~156ページ)

 <5月、伸一は青年部のリーダーとのこんだんで、学会をにない立つ自覚についてうったえる>
 
 「戸田先生の時代、青年部は学会の全責任を担い、常に学会のはってんげんどうりょくになっていた。戸田先生の言われた七十五万世帯は、だれがやらなくとも、青年部の手でじょうじゅしようというがいがあった。そして、各支部や地区にあっても、青年がきょうの先頭に立ってきた。また、何か問題が生じた時に、真っ先に飛んで行き、たいしょしてきたのも青年部であった。すべてを青年部の手で担ってきました。
 だから、戸田先生も、『青年部は私のちょっけいだ』と言われ、その成長に、最大の期待を寄せてくださっていたのです。しかし、学会が大きくなり、組織がととのってくるにつれて、青年が壮年や婦人のかげかくれ、十分にちからはっされなくなってきているように思えてならない。たんてきにいえば、自分たちだけで小さくまとまっていくけいこうにあることが、私は心配なんです。青年部に、学会の全責任を担うという自覚がなければ、いつまでたっても、こうけいしゃとして育つことなどできません」(中略)
 彼は、一部員であったころから、戸田の広宣流布の構想を実現するために、学会の全責任をもとうとしてきた。その自覚ははんちょうの時代も、青年部の室長の時代も、常に変わらなかった。もちろん、立場、役職によって、責任の分野ややくわりことなっていた。しかし、内面の自覚においては、戸田の弟子として、師の心をわが心とし、学会のいっさいをの責任として考えてきた。
 (「あお」の章、155~156ページ)

人生の根本目的は広宣流布
人生の根本目的は広宣流布

 <水滸会の友との質問会で、伸一は「仏法への帰命」について語る>

 「帰命という問題ですが、現代の状況のなかでは、自分の人生の根本の目的は広宣流布であると決めて、生きて、生きて、生き抜くことが、仏法に身命を奉ることになるといえるでしょう。
 広宣流布を自分の人生の根本目的とするならば、学会員として、職場にあっても第一人者にならざるを得ない。自分が職場の敗北者となってしまえば、仏法のすばらしさなど証明できないし、誰も信心など、するわけがないからです。また、家庭にしても、和楽の家庭をつくらなければならないし、健康にも留意することになる。
 ゆえに、広宣流布を根本にした人生を歩むということは、社会の勝利者となって、幸福になっていくということなんです。したがって、それは、決して、悲壮感が漂うような生き方とはなりません」
 いつの間にか、屋外の雨の音も消えていた。
 伸一は、「帰命」ということについて、さらに別の角度から語っていった。
 「見方を変えて語るならば、たとえば、広宣流布のために活動する時間をどれだけもつか、ということにもなってきます。
 これは、極めて計量的な言い方だが、仮に一日二時間の学会活動を、六十年間にわたってすれば、計算上は五年間の命を仏法に捧げたことになる。
 ともあれ、広宣流布こそわが生涯と決めて、自らの使命を果たそうとしていく生き方自体が、仏法に帰命していることに等しいといえます」
 (「立正安国」の章、255~256ページ)

 <すいかいの友との質問会で、伸一は「仏法へのみょう」について語る>

 「帰命という問題ですが、現代のじょうきょうのなかでは、自分の人生の根本の目的は広宣流布であると決めて、生きて、生きて、生きくことが、仏法に身命をたてまつることになるといえるでしょう。
 広宣流布を自分の人生の根本目的とするならば、学会員として、職場にあっても第一人者にならざるを得ない。自分が職場の敗北者となってしまえば、仏法のすばらしさなど証明できないし、だれも信心など、するわけがないからです。また、家庭にしても、らくの家庭をつくらなければならないし、健康にもりゅうすることになる。
 ゆえに、広宣流布を根本にした人生を歩むということは、社会の勝利者となって、幸福になっていくということなんです。したがって、それは、決して、そうかんただようような生き方とはなりません」
 いつの間にか、おくがいの雨の音も消えていた。
 伸一は、「帰命」ということについて、さらに別の角度から語っていった。
 「見方を変えて語るならば、たとえば、広宣流布のために活動する時間をどれだけもつか、ということにもなってきます。
 これは、きわめて計量的な言い方だが、仮に一日二時間の学会活動を、六十年間にわたってすれば、計算上は五年間の命を仏法にささげたことになる。
 ともあれ、広宣流布こそわがしょうがいと決めて、みずからの使命をたそうとしていく生き方自体が、仏法に帰命していることに等しいといえます」
 (「りっしょうあんこく」の章、255~256ページ)

未来へ、大飛躍の時は「今」
未来へ、だいやくの時は「今」

 <伸一は、10月の欧州訪問でデンマークのコペンハーゲンを訪れた際、仕事が多忙で思うように学会活動に参加できずにいた男子部員の塩田啓造を激励する>

 「いいんだよ。仕事が大変なことはわかっている。ただ、心は、一歩たりとも信心から離れないことだ。
 また、こうして、少しでも時間があれば、私にぶつかって来る、あるいは、先輩にぶつかっていくということが大事なんだよ。
 私も、なすべき課題は山ほどあるが、時間は限られている。そこで、心がけていることは、一瞬たりとも時間を無駄にしないということだ。さっきも、日本の同志に、手紙を書いていたんだよ」
 見ると、机の上には、既に書き上げられた、二十通ほどの封書や絵葉書があった。
 それは、塩田の胸に、勇気の炎を燃え上がらせた。
 “忙しいのは、自分だけじゃないんだ。先生は、もっと忙しいなか、こうして戦われているんだ。ぼくも挑戦を忘れてはいけないんだ!”(中略)
 伸一は、さらに、言葉をついだ。
 「塩田君。人生は長いようで短い。ましてや、青年時代は、あっという間に過ぎていってしまう。今、学会は、未来に向かって、大飛躍をしようとしている。広宣流布の大闘争の『時』が来ているんだ。時は『今』だよ」
 (「大光」の章、315~316ページ)

 <伸一は、10月のおうしゅうほうもんでデンマークのコペンハーゲンをおとずれた際、仕事がぼうで思うように学会活動に参加できずにいた男子部員の塩田啓造をげきれいする>

 「いいんだよ。仕事が大変なことはわかっている。ただ、心は、一歩たりとも信心からはなれないことだ。
 また、こうして、少しでも時間があれば、私にぶつかって来る、あるいは、せんぱいにぶつかっていくということが大事なんだよ。
 私も、なすべき課題は山ほどあるが、時間は限られている。そこで、心がけていることは、いっしゅんたりとも時間をにしないということだ。さっきも、日本の同志に、手紙を書いていたんだよ」
 見ると、つくえの上には、すでに書き上げられた、二十通ほどのふうしょがきがあった。
 それは、塩田のむねに、勇気のほのおを燃え上がらせた。
 “いそがしいのは、自分だけじゃないんだ。先生は、もっと忙しいなか、こうして戦われているんだ。ぼくもちょうせんわすれてはいけないんだ!”(中略)
 伸一は、さらに、言葉をついだ。
 「塩田君。人生は長いようで短い。ましてや、青年時代は、あっという間に過ぎていってしまう。今、学会は、未来に向かって、だいやくをしようとしている。広宣流布のだいとうそうの『時』が来ているんだ。時は『今』だよ」
 (「たいこう」の章、315~316ページ)

山本伸一の「立正安国論」講義
山本伸一の「立正安国論」講義

 <第4巻で描かれる1961年(昭和36年)は、自然災害や疫病が猛威をふるい、国際情勢も不安定だった。
 この年の8月、山本伸一は夏季講習会で「立正安国論」を講義した。
 ここでは、「立正安国」の章から、その講義の一部を紹介する>

 <第4巻でえがかれる1961年(昭和36年)は、自然災害やえきびょうもうをふるい、国際情勢も不安定だった。
 この年の8月、山本伸一は夏季講習会で「りっしょうあんこくろん」を講義した。
 ここでは、「立正安国」の章から、その講義の一部をしょうかいする>

夏季講習会で「立正安国論」を講義する池田先生(1961年8月、静岡で)
夏季講習会で「立正安国論」を講義する池田先生(1961年8月、静岡で)
夏季講習会で「立正安国論」を講義する池田先生(1961年8月、静岡で)

 伸一は、「須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か」(御書三一ページ)の御文では、仏法者の社会的使命について論じていった。(中略)
 「この意味は、『当然のこととして、一身の安堵、つまり、個人の安泰を願うならば、まず、四表、すなわち、社会の安定、世界の平和を祈るべきである』ということです。
 ここには、仏法者の姿勢が明確に示されている。
 自分の安らぎのみを願って、自己の世界にこもるのではなく、人びとの苦悩を解決し、社会の繁栄と平和を築くことを祈っていってこそ、人間の道であり、真の宗教者といえます」
 (287~288ページ)

  ◇

 「世の中の繁栄と平和を築いていく要諦は、ここに示されているように、社会の安穏を祈る人間の心であり、一人ひとりの生命の変革による“個”の確立にあります。
 そして、社会の安穏を願い、周囲の人びとを思いやる心は、必然的に、社会建設への自覚を促し、行動となっていかざるを得ない。
 創価学会の目的は、この『立正安国論』に示されているように、平和な社会の実現にあります」
 (288ページ) 

 伸一は、「すべからいっしんあんを思わばひょうせいひついのらん者か」(御書三一ページ)のもんでは、仏法者の社会的使命についてろんじていった。(中略)
 「この意味は、『当然のこととして、一身の安堵、つまり、個人のあんたいを願うならば、まず、四表、すなわち、社会の安定、世界の平和を祈るべきである』ということです。
 ここには、仏法者の姿せいが明確に示されている。
 自分の安らぎのみを願って、の世界にこもるのではなく、人びとののうを解決し、社会のはんえいと平和をきずくことを祈っていってこそ、人間の道であり、真のしゅうきょうしゃといえます」
 (287~288ページ)

  ◇

 「世の中の繁栄と平和を築いていくようていは、ここに示されているように、社会のあんのんを祈る人間の心であり、一人ひとりの生命のへんかくによる“”のかくりつにあります。
 そして、社会の安穏を願い、周囲の人びとを思いやる心は、必然的に、社会建設への自覚をうながし、行動となっていかざるを得ない。
 創価学会の目的は、この『立正安国論』に示されているように、平和な社会の実現にあります」
 (288ページ) 

  ◇
 <新型コロナウイルスの感染が広がり、世界中が不安に覆われる今、真の仏法者として「利他」の精神を輝かせ、「四表の静謐」を強く祈り抜いていきたい>

  ◇
 <新型コロナウイルスのかんせんが広がり、世界中が不安におおわれる今、真の仏法者として「利他」の精神をかがやかせ、「四表の静謐」を強く祈りいていきたい>

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 聖教電子版では「研さんに当たって」、「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」第4巻「解説編」の池田博正主任副会長の紙上講座を閲覧できます。

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