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第3代会長就任60周年記念「師弟凱歌の記憶」 第2回「御書全集の発刊」 2020年4月22日

2020年04月22日 | 妙法

第3代会長就任60周年記念「師弟凱歌の記憶」 第2回「御書全集の発刊」 2020年4月22日

御書の発刊後、幸福の哲学を求める声はさらに広がり、戸田先生は1953年11月に再版を決定した。教学部の代表として校正に当たる池田先生㊨
御書の発刊後、幸福の哲学を求める声はさらに広がり、戸田先生は1953年11月に再版を決定した。教学部の代表として校正に当たる池田先生㊨
御書の発刊後、幸福の哲学を求める声はさらに広がり、戸田先生は1953年11月に再版を決定した。教学部の代表として校正に当たる池田先生㊨

 「御書根本」こそ、難を乗り越え、勝利の道を開く、学会の永遠の魂である。
 
 1951年(昭和26年)5月3日に第2代会長となった戸田城聖先生は、翌6月、早くも『御書全集』の発刊を発表する。
 
 “戦時中の弾圧で幹部が退転したのは、教学がなかったからだ。
広布を進めるためには一人一人が御書を心肝に染め、揺るがぬ信心を築く以外にない”――これが、戸田先生の結論であった。
 
 池田先生は、依然厳しい状態にあった師の事業の一切の責任を担いつつ、御書発刊を黙々と支えた。連日連夜にわたる校正作業を経て、52年(同27年)4月28日、立宗700年の日に御書全集は発刊。発願から、わずか10カ月の短時日で、約1700ページに及ぶ「希望の経典」が完成し、同志の手に届くことになった。

 戸田先生が池田先生に贈った御書。「山を抜く 力はみちたり 若き身に 励み闘へ 妙法の途に」との和歌が力強い筆でつづられている

 
戸田先生が池田先生に贈った御書。「山を抜く 力はみちたり 若き身に 励み闘へ 妙法の途に」との和歌が力強い筆でつづられている

 発刊からまもなく、師は弟子に御書を贈った。その見返しには、戸田先生が書いた一首が残る。
 
 「山を抜く 力はみちたり 若き身に 励み闘へ 妙法の途に」
 
 「山を抜く」とは、山を抜き取るほど力が強大であるとの意味。“ますます行学を深めて、広布の実現へと勇み戦え”との、最大の期待と激励だったと拝せよう。
 御書の「発刊の辞」に、戸田先生は「剣豪の修行を思わせるが如きその厳格なる鍛錬は、学会の伝統・名誉ある特徴となっている」と。その言葉通り、厳しき教学研さんの薫陶を受け切ってきたのが、若き日の池田先生だった。
 
 当時の日記には、「御義口伝」「立正安国論」「観心本尊抄」「生死一大事血脈抄」など、恩師から教授された御書の数々が記録されている。師の自宅や就業前の職場、また、移動中の列車の中でも日蓮仏法の深義が伝えられた。
 
 「ある日、先生は、横になってお休みであったにもかかわらず、『よし、やろう!』と言われて、快く教えてくださったこともある。しかし、私に少しでも真剣さが欠けた時には、先生は言下に叱咤された。『やめた! 私は機械じゃないんだ』」――池田先生は、こう回想する。「火花が散るごとく、全精魂を傾けて、師から弟子へ、生命から生命へ、日蓮仏法の真髄を伝授してくださったのである。有り難い師匠であった」
 
 池田先生は、師から打ち込まれた「御書根本」の精神で勇戦の指揮を執り、広布開拓を続けた。
 
 御書は今、英・仏・西・中など10言語以上に翻訳され、人々に希望を送る。「この貴重なる大経典が全東洋へ、全世界へ、と流布して行く事をひたすら祈念して止まぬものである」(戸田先生の「発刊の辞」)との念願は、余すことなく実現したのである。

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