市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

森山大道 講演会

2006-02-05 | Weblog

 森山大道「Buenos Aires(ブエノスアイレス)」第6回「ドキュメンタリーフォトフェスティバル宮崎」招待企画会場:宮崎県立美術館県民ギャラリー2 

  会期:2006年1月31日(火)→2月12日(日) 10:00~18:00(最終日は16:30まで)入場料:500円(高校生以下無料)

 作家講演会 2月1日(水)) 宮崎県立芸術劇場イベントホール

 森山大道という写真家を僕はまったく知らなかった。ただ、ドキュメント展のチラシを見て、街を撮るという作品活動に関心を覚えて講演会にやってきた。その写真からみて、強い存在感をもつた強烈な個性の芸術家を想像したが、ステージに現れた森山氏は、控えめで、礼儀正しく、けれんみのまったくない人柄を感じさせた。写真部だとう女子高校生の質問にも、同じ目線で懇切丁寧に、街で人物をスナップするコツを説明しつづけるのをみていると、なんともいえない素朴さ、率直な、どこかユーモアをただよわせる人柄に引き付けられた。

 会場で投影されたスライドの写真を見ると、路地、横町、提灯、アスファルトの水溜り、影の街角などの情景が多く、失われた懐かしい風景を感じさせるのであった。自分は街が好きで、それも日本の街が好きで、飽くことなく40年近く撮ってきている、犬が街を彷徨うというか、そんなものですかねと、街とのかかわりを話された。話はごく短く、質問に答える形で展開したいということになった。質問がでるだろうかと思ったところ、若い人たち、とくに女性が、つぎつぎと質問にマイクをとりだしたのに驚いた。森山さんには若いフアンがかくもいたのである。ぼくも臆する心を抑えて、質問した。

 「宮崎市は40年間で、まったく変わりました。その結果は、のっぺらぼうの均質な

市街です。今、市内で写真撮ると、秋田市とも高崎市ともかわらぬ風景に見えます。路地も界隈もなくなり、個性も消えてきました。そうした変化は、日本のどこでも生じていますが、あなたは、このことで焦りと焦燥感はありませんか?」

 つまり郷愁も哀愁も街で撮影することが、できなくなるんじゃないかと。これは、残酷な質問ではなかったのかと、ふと質問しながら不安でもあったが・・。

 ところが、質問を受けた彼が、とつとつとしゃべりだしたことは、予想もしなかった内容であったのだ。そうなのか、そうだったのかと、ぼくはうろたえたのである。やはり、人は見かけによらぬ、つまり森山さんの強烈な内面を知ることになったのである。

 それはなんだったのか、明日以降に書きます。 

 

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