23日月曜午後7時から第2回どくんご上演実行委員会をウイングで開いた。2001年8月上演のときの実行委員会がそのまま残るものと、ぼくは気軽に実行委員長を引き受けたところ、2日の弟1回の委員会には、おれはダメあたしはダメと出席を断られ、そりゃ無いだろうが!!と仰天したのであった。その間、ラッキーなことに、雑誌SoRaのライターの喜多田 里央さんの紹介で鬼束君が委員に加わった。また4月、崩壊都市・宮崎市街・観光案内というぼくのスライドトーク(電灯紙芝居)を観て、飯島未来君と大学生の後藤真未さんが加わってくれた。捨てる神もあれば拾う神もありであった。
ところが、2回目にはなんとぼくを捨てた神のエダリンもミキもまた戻ってきてくれた。新しい職場での仕事にいちおう一団楽つけそうになったためらしい。これは幸運だった。あの時、文句を言わないでよかった。やっとンジンがかかりだした。あと一ヶ月に迫ったが、チケットの目標値を達成できそうなこともだが、なによりもよかったのは、この宮崎市や近郊に住んでいる「どくんごファン」に来演情報を知らせることが可能になったことだ。市の管轄するポスター掲示版にも30カ所くらいポスターが貼れる。6月始めに新聞社巡りの目途も出来た。
前回は「踊ろうぜ」というのだったが、今回は「ベビーフードの日々」というタイトルのテンと芝居だ。なんか、赤ちゃんが初めてフードを口にする幸せな気分なのか、いい大人がベイビーに退化した気分でもある。毎日が一喜一憂である。
ところが、2回目にはなんとぼくを捨てた神のエダリンもミキもまた戻ってきてくれた。新しい職場での仕事にいちおう一団楽つけそうになったためらしい。これは幸運だった。あの時、文句を言わないでよかった。やっとンジンがかかりだした。あと一ヶ月に迫ったが、チケットの目標値を達成できそうなこともだが、なによりもよかったのは、この宮崎市や近郊に住んでいる「どくんごファン」に来演情報を知らせることが可能になったことだ。市の管轄するポスター掲示版にも30カ所くらいポスターが貼れる。6月始めに新聞社巡りの目途も出来た。
前回は「踊ろうぜ」というのだったが、今回は「ベビーフードの日々」というタイトルのテンと芝居だ。なんか、赤ちゃんが初めてフードを口にする幸せな気分なのか、いい大人がベイビーに退化した気分でもある。毎日が一喜一憂である。