市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

さよなら「セントラル会館」

2005-05-02 | Weblog
 昨日5月1日、当市の映画館{宮崎セントラル会館}がイオン宮崎SCのシネマコンプレックスへ移転のため閉館した。長い間、ご苦労さんでした。老体に鞭打っての斜陽産業映画興行にがんばりつづけたが、最近の評判は、以下のようであった。
ありえないです。 投稿者:rinrin_kenken630さん 2004年7月14日
- 汚くて暗くて、ホントに最悪なのは ほかの映画の音響がもれるところ・・。 ここではホント見たくないです。

同感!! 投稿者:usakochan1919さん 2004年7月5日
- 九州各地の映画館行ったけど、あんなボロくて原始的なトコ初めて!!日本最古って感じ!?ちょっと映画行くのが億劫になる・・

セントラル 投稿者:kenichi413さん 2004年6月4日
- なんか暗いし汚いね。素晴らしいとこは、いつでもガラガラで良い気分!!!


 たまらん批評だなあ!でも若者にとっては実感。ヒロさん(20代)も2年前大阪近郊から当市に移住して、映画を見たのがこの会館の地下劇場。この薄汚い、箱の中がなんで映画館やと、カルチャーショックを受け泣きたくなったようだ。
昔、映画劇場といえば小便くさい小屋、辺りはどぶの匂いのするいかがわしい歓楽街であった。昭和50年初頭にはすでにそんな映画劇場は市内から、すべて消滅した。だからセントラル会館は、ぼくにとってはいつまでもゴージャスであった。今でもね。しかし豊かな日本に育った若い世代は、こんな映画館は「ありえない」のだと、ああ、俺はミイラか。

もともとセントラル会館は、ホテルだったのだ。横にまわると窓が、ホテルらしく屋上に並んでるのが見える。ここは昭和37年8月に完工した「橘国際観光ホテル」であった。地上9階,地下2階の当時、最大のホテルだったのを記憶している人も少なくなった。宮崎市青島,日南海岸の観光が、脚光を浴び始め、全国の新婚さんのハニームーンメッカとして沸き返る40年代の開始寸前の時だった。同月に宮崎空港ビルの起工式もあり、7月には、宮崎交通本社の新社屋が完成した。そして年末に当市を代表する宮崎観光ホテル新館(現在の旧館部分)が開館したのだ。すべては、うはうはの観光時代の受け入れがととのったすばらしい時代であったのだ。

宮崎セントラル会館は、43年をもちこたえた事業ビルであった。観光ブームは10年足らずで終わった。昭和52年に映画館に改装、7つの劇場を集めて今日まで映画を市民に提供してきた。そしてついに、老いて臭くて、ボロで、汚くて、日本最古ということになったのだ。たしかにそうだけど・・。でも、やはり違うんだ。このことは、明日続きに書いてみよう。別の視線でみると、こうなると「ありえない」話をね。



コメント
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