市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

宮崎本音マガジンSoRa

2005-05-14 | Weblog
  SoRaは、タウン誌にしては理屈っぽいねというと,喜多田 理央は、多すぎますと笑った。手渡された2005年4月号特集「ロックは死んだのか!?」はもちろん、5月号特集宮崎人にアンケート「恋に効く!?男と女の行動学」にしても読んでいて骨っぽい理屈があり、おもしろい。めくっていくと、今月の『コラム』が目に止まり「メディア・リテラシー」と題されていた。これがじつに良かった。先の中国の反日デモの最中に、北京在住8年の友人に連絡してみると、昨日と変わらぬ平穏な日常を伝えてきたとうのだ。「日本人が極度の危機状態に晒されているようなイメージ」の報道とは対極の事実も知りえた。メディアの情報が何を目的にしているかを読み取り、それに踊らされない注意を述べていく。

 体温がつたわるような文体が心地良い。Linda-Rとは外国人か、うまいなあというと、彼女は、これはTさんよと告げた。へえ、彼女!とぼくはびっくりした。10年ほど前、Tのいる編集部に、チケット販売に行くたびに「映画女優になりたい、女優になりたい」とぼくに言うのだった。そのジョーダンをどう受け答えすべきか、とまどうぼくを見透かすように、それからも執拗に女優になりたいといって回答を意地悪く強制した。知性、感性が鋭いだけに、返答するに始末が悪かった。あれから10年ぶりに彼女のコラムを初めてよんだのだが、女優にならずとも表現の手段は見出したではないかと、よろこんだのである。さらに先月号のコラムを読んだ。すると・・・・・。

 タイトルは「まるで映画のような一日」 その一日とは,Tが東京出張した日の出来事である。その日、彼女はある男性とデートすることになっていた。別の男友だち二人は、さっそくブティックにTを連れ込むと、次から次へと試着させて、選び始め、さらにアクセサリーから靴までと全部買意与え、それからネイルサロンのオマケつきとなった。二人は彼女のデートのために投資したのだ。それから食事のあと、デートに遅れるという男性を待つために3人で六本木のバーに繰り出し待つ。さらにはしごしながらひたすら彼を待つのだが、テキーラをあおりつづけて午前一時半、ついに彼からは連絡の途絶えてしまった。翌朝、腫れまくりの顔をみせたTに二人は、「まるでアリーマクビールみたいだね」と言う。「30半ば・仕事アリ・男にフラれマクリ」と言ったというのである。こんなうそを平然と書き、それが真実にしか読めない文体である。女性のうそは絶対男には見抜けないという感じの凄さがある。
 
 いやコラムでは真実の話としか思えない。だが、うそと解釈しなければ、どこもかしこも論理的につながらない。いや、ホントの話かも、今も変わらす、あの女優になりたいのTがあった。

コメント
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