市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

テント劇の楽しさ

2005-05-13 | Weblog
 宮崎の今が見える!宮崎本音マガジン「SoRa」のライター喜多田理央さんに「どくんご」公演を説明した。「ベビーフードの日々」というテント劇をやっきになって解説するのを、クールな表情で聞きつつ、つぶやくような質問や、そうですねと、共感とも、反論ともとれるような言葉を返したりしながら、ノートを綺麗に埋めていくのだった。彼女は外語大で{スワヒリ語}を専攻したと聞いた。就職に何の役にも立たなさそうなスワヒリ語を選んだというだけで、ぼくは彼女に好感をもって、以前,一度取材に応じたことがあった。結果も新聞取材よりも好かった。というわけで、今日、どくんごの話を持ち込んだわけであった。 

 タイタニックの沈没を眺めているだけで、救助には行かず、自らのあかりは消して沈没する様を眺めていた船が舞台だとうんだよね、なんかいまの日本人だよねとうと、彼女はそこは、はっきりと肯定してくれた。その船は幽霊船で、乗員は亡霊だ。タイタニックから人形が流れ着く。この人形をめぐって亡霊たちは前世の生と、黄泉の生とをまたいで、自らの記憶や身体を語り始めるとうもののようだ。ようだとうのは、見たわけではないからだ。

 なんやら象徴的、哲学的めいてみえるが、そんなことは一切ない。「はっきりいうと、なにがなんやらわからんのですよ」 「でも、一度見たらほとんどの人がはまってしまった。これまで、ほんとに」 それにはテントの特殊な空間感覚もある。なんといっても,テントは気楽な自分遊びの場であり、大劇場で料金別の座席で、食鳥が給餌される感覚とは別だね。ニューヨークの大道パーフォマンスをみている自分だし、その参加感がいい。テント内の劇と自分の共振がいやがうえに高まっていく。一夜のわすれられぬ興奮の夢となって残る。それが内容ともいえる。彼女との話はすすんでいった。

 5月に浦和をスタート、6月宮崎、8月北海道、8月30日仙台で旅公演が終わる。テントのキャパは50席、前売り2000円で7人の旅、赤字になるのは避けられない。まして儲かることはほぼ不可能だね。

なんのためにそんなことをと言うのだけど、さっきも言ったように内容はほどんど何が何やら分からない。社会や世界情勢と直接関係ない。恨みつらみも、説教も、教訓もない、そんなテント上演を引き受けて10年経った。このごろやっとわかったのは、かれらは、旅公演を心から楽しんでいるということだ。なぜだと、問われてもぼくは万人納得の行く答えに行き着けないけど、こっちだって元気がでるし、生きられるという可能性の楽しさかもね。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする