とんびの視点

まとはづれなことばかり

安倍首相の談話、心静かに振り返るのは何?

2015年08月17日 | 雑文
安倍首相の談話、まだ読み込んでいないが、冒頭の部分からもその意図がうかがえそうな気がする。「戦後七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます」とある。

「戦後七十年を迎えるにあたり」の部分は、この談話のモチーフを述べている部分だ。すなわち戦争が終わり七十年がたったまさにこの時期だからこそ談話を出す意味があるよね、ということだ。

では、続きの部分をちっょと分解してみる。まずこの文の主述を抑えよう。主語は「私たちは」である。つまり、私たち日本人が主語である。述語は「学ばなければならない」である。「学ぶ」というのは他動詞なので目的語を取る。目的語は「未来への知恵」である。

私たちは未来への知恵を学ばなければならない、というのがこの文の骨格だ。(英語なら第3文型である)。では「未来への知恵」はどこから学ぶのかというと、「その歴史の教訓の中から」である。

「その歴史の教訓」はどのようにして手に入れるのか。それは「心静かに振り返る」ことによってだ。いったい何を「心静かに何を振り返る」のか。それは「先の大戦への道のり」「戦後の歩み」そして「二十世紀という時代」という三つだ。

戦後七十年を機に、私たちは歴史の教訓から未来への知恵を学ばなければならない。そのためには私たちは心静かに「先の大戦への道のり」「戦後の歩み」「二十世紀という時代」を振り返らねばならない。

なんか違和感。戦後七十年というからには、そのコアには「戦争」がある。戦争を時系列に振り返るのであれば、「戦前」「戦中」「戦後」となるはずだ。なのに「戦中」がない。なぜだろう。「戦中」には歴史の教訓も、学ぶべき未来への知恵もないというのか。あるいは「心静かに」振り返ることができないのか。

もちろん「二十世紀という時代」と書いてあるので、戦中を丸ごと無視したわけではない。しかし戦後七十年を機に歴史を振り返るのであれば、「先の大戦への道のり」「戦後の歩み」「二十世紀という時代」というよりも、「戦前」「戦中」「戦後」としたほうがすっきりしているし、わかりやすい。おそらく文章教室などであれば、添削されるだろう。

この原稿を書いたのは安倍首相本人ではなく、おそらく官僚であろう。官僚ともあろうものがそんな初歩的な技術を知らないわけはない。あえてこのように書いているのだ。そこには当然、意図があるはずだ。そのあたりに注意しながら談話全体を読み込んでみるのもよい。わかりにくさも含めて、けっこう作り込まれた文章になっている。

作り込まれた文章を読み込むのは、他者理解のための知的トレーニングにもなる。賛成するにしろ、反対するにしろ、まずは他者の理路を理解するように努めよう。もちろん、言葉は理路が通っていればよいというわけではない。行動や実態と整合性がなければ、言葉は信用されない。

コメント
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