今日は次男と一緒に土手にランニングに行った。昨日に続き15kmのランニングだ。もちろん次男は自転車で並走だ。話しをしながら走るので練習の質は落ちる。しかし時間の使い方としてはそれほど悪くはない。小学2年のころの長男もよく自転車でランニングにつき合ったものだ。そのころ次男はまだ小さかったので、一緒に行きたがっても留守番をさせていた。
「だからやっと一緒に土手に来れたわけだ、嬉しいでしょ」と次男に声をかける。北風に向かって自転車を漕ぎはじめ、すぐにいやになり始めていた。体をぐにゃぐにゃさせ、苦い笑顔で「うー」と言っている。(もともと主張の強い男だが、ロジカルに詰められると弱いところがある)。
たしかに15kmはまだまだ長い。土手に来たと思ったら北風だ。先を思うと嫌になるのも仕方がない。気を紛らわせるために何か話をしながら走ろう。そういえばそろそろ学校で分数を習う。分数でいこう。「今日は全部で15km走るよね。もうすぐ3kmだ。15kmのうち3km走ったことになるよね。こういうのを分数では『15分の3』という言い方をするんだ」。走りながらゆっくり区切りながら説明する。
言っていることは理解できるが、今ひとつピンと来ない顔をしている。もう一度、同じ話をして、「15kmのうち3km走ったことになる。こういうのを分数では何て言うんだろう?」とたずねる。自信なさそうにして、答えない。「『15分の3』というんだよ。15kmのうち3kmだ、分数で何て言う?」再びたずねる。「15分の3」今度は即答だ。
そんなやり取りを1kmごとに繰り返す。「15分の4」「15分の5」「15分の6」と。どうやら分数の考え方は分かったようだ。もう少し内容を深める。「15km走るうちの4kmで15分の4だよね。じゃあ13km走るときの4kmは13分の4になるね」。自転車を立ち漕ぎしながらうんうんと頷いている。「どうだろう。同じ4でも『15分の4』と『13分の4』の4は違う感じがしないかな」。「うん、ちがう」。はっきりした顔で答える。「そうだね。5個しかないお菓子の3つをちょうだいと言われるのと、10個のお菓子の3つをちょうだいと言われるのは違うよね」。
それでも並走することに飽きてくる。折り返しまでもう少しだ。それを意識させようと、「全部で15kmでしょ。半分は何kmだか分かる」とたずねる。「7……、70……、?」。そうか少数を習っていないのか。7と8の間だということは分かっているようなので、「そういうのは『7.5』と言うのだ」と教える。そして全部で15kmで半分が7.5km。半分というのは、1つのものを2つに分けたうちの1つだ。これを「2分の1」と言うのだと教える。
そんな話しをしながら折り返す。折り返すと北風が背中からゆるい追い風になる。日差しが暖かく感じられるようになり、自転車で走るのも楽になる。「15分の8」「15分の9」と進む。疲れてはいるようだが、自転車で土手を走ることを自然なこととして受け入れているようだ。立ち止まって道端のカマキリを茂みに帰したり、川の水の色を観察したり、土手に住む猫の話をしたり、土手にいることを楽しんでいる。
おかげで15km走るのに2時間近くかかった。そういえば長男と土手に来たときもよく寄り道をしていた。自分の練習としては今ひとつかもしれないが、週末の時間の過ごし方としては悪くない。昼ご飯の時には「土手に行ったあとはご飯がおいしい。疲れたけど楽しかった」と、きつかったことはもう遠くになっている。
10年もたち彼が大人になったときに、父親のランニングに付き合って土手を自転車で走ったことがよい思い出として思い出されることを想像すると、少し嬉しくなる。