とんびの視点

まとはづれなことばかり

方丈記、チェルノブイリ、国会議事堂前

2012年11月12日 | 雑文
『方丈記』を久しぶりに読み直したら、大地震について書いてあった。その記述は東日本大震災を思い出させた。その段の最後には「すなはちは、人みなあぢきなきことを述べて、いささか心の濁りもうすらぐと見えしかど、月日かさなり、年経にしのちは、ことばにかけて言ひ出づる人だになし」とあった。

地震があった時に、人々はこの世界が無常だと嘆いていた。それを見て少しは(人々の)煩悩が薄らいでいくかと思っていたが、月日を重ね、年を経るにしたがって、地震のことを言葉にする人はいなくなってしまった、というような意味だ。

近代文明が発達し、自然をコントロール可能な開発の対象として考えるようになったことと、物事の終わりを人間が恣意的に決められると思うようになったことには関係があるに違いない。中世では、月日が過ぎれば人々は地震のことを忘れた。現代ではどうだろう。月日とともに忘れたというよりも、事故はすでに終わった、あるいは、事故以後大した問題は存在していない、そんなことになっていないだろうか。

先日、テレビでチェルノブイリ事故の番組を見た。すでに25年以上たったが、チェルノブイリ事故は終わっていない。たんに過去の出来事が終わっていないだけでない。新しい問題も生じている。たとえば、ウクライナでは原発事故の後、血液や心臓などの循環器系の病気、白内障、大人の甲状腺ガンなどが増えている。また、汚染区域で事故後に生まれた子どもの78%は慢性疾患を抱えているという。これらは国中の医師やウクライナ政府が調べた結果だ。

しかし、この報告は国際的には認められていない。原発事故が原因だという科学的な根拠がないからだそうだ。(おそらく科学的な根拠というのは疫学的なデータ収集においての条件を満たしていないということだろう)。現象的には事故後に病気の人間が増えているのに、それを認めない。つまりは、チェルノブイリ事故は既に終わったものであり、新しい問題も存在しないのだ。

チェルノブイリの現地を調査した日本人科学者の木村真三さん(原発事故後、いち早く個人で現地入りして放射線量を測った人)は、福島原発事故後にそのようなウクライナの状況を有識者会議のような場で報告している。彼がチェルノブイリの現状を説明すると、「客観的に、客観的に」との批判(ヤジ?)が飛ぶ。当然のことだが、木村さんの意見は、福島原発事故後の日本での健康対策にほとんど反映されていない。(ということは、25年もたてば日本でもチェルノブイリと似た状況が生まれるかもしれない)。

昨日の日曜日、夕方から家族で国会議事堂前に行った。昼過ぎから科学技術館で遊び、その脚で抗議行動に参加した。夕方からは雨が降り出し、気温も低かった。子どもたちには雨合羽を着せて、永田町駅から議事堂に向かった。雨にもかかわらず、多くの人が出ていた。

夏に比べて毎週金曜日の参加者は減っていたし(僕も月に2回行ければいい方だ)、日比谷公園が使えず昼間のデモは中止になったし、雨も降っていたので、今日の人出はどうかと思った。傘を差した人、雨具の人、立ち止まっている人、歩きながら声を出している人、思ったよりも多くの人たちがいた。自転車隊は雨に打たれながらも、レインウェア姿でなんども何度も国会の周りを回っていた。

福島の女性がスピーチをしていた。「福島のことを忘れないで。私たちの声を聞いて。まだ、2年、3年、10年と私たちの状況は続くのだ」と。何も終わっていないし、新しい問題が生じているのだ。(そして残念なことにこれから先、まだまだ新たな問題が生じるだろう。)

事故が起きたときには、人々は絆などと言っていた。それを見て、少しは自分以外の人を本気で考えられるような社会になったのかと思っていたが、月日を重ね、年を経るにしたがって、福島のことを口にする人はいなくなってしまった、などということにならない社会にしよう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

11月11日(日)のつぶやき

2012年11月12日 | 雑文

国会議事堂前、雨にもかかわらずすごい人、


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする