とんびの視点

まとはづれなことばかり

ランナー降格

2011年06月06日 | 雑文
先週の木曜日の夜から土曜日まで仕事でキャンプに行き、日曜日にはフルマラソンを走った。体力的に消耗した日々だった。キャンプは仕事で行なっている研修の野外番。最低限の文明の利器しか持たない状況で、メンバー同士が協力して作業を行なうというもの。具体的には、テントを立てたり、かまどを作り、薪を拾い、火の管理をしたり、料理を作ったりする。僕は管理側なのでそれほどではないが、それでもマラソン直前の2泊をキャンプで過ごすというのは理想的とは言えない。

そういうわけで、疲れの残ったままのフルマラソンとなる。最高気温も25℃は超えていたと思う。おまけに左足の中指の捻挫は、キャンプ場の荒れた道を歩いているうちにいつの間にか悪化していた。何より、走り込みが足りない。練習不足、疲労蓄積、怪我、暑さ、これだけ揃えばきついランニングになるのは火を見るより明らかだ。

それでもスタートラインに並んだ時には、自分がマラソンを好きなのだと改めて感じさせられた。周りのざわざわした感じや、自分の中で徐々に高まっていく緊張感。スタートともに起こる拍手。ストップウォッチのボタンを押しながら、ゆっくりとラインを跨ぐ。どの大会でも同じことが繰り返される。その繰り返しにより今までのランニングが1つに積み重なり、時間と世界が少し厚みを増す。

いろいろな条件(とくに足のケガを考えると)まずは完走が目標だが、それでも心の中では4時間を切ることは狙っていた。まずは最初の5kmがどう走れるかだ。いつものように最初の5kmは時計を見ないで体にまかせる。息が上がらないで楽に走る。27分程度だ。1km5分20秒くらいだ。とっさに4時間切りの計画を立てる。前半を1時間55分、後半を2時間5分。もともと僕はイーブンペースで走る方だし、今までの経験からしても無理ではない。

2kmごとの距離表示の度に時計を見て状況を確認しながら走る。それにしても暑い。薄く雲がかかっているが、それでも空は青く太陽の熱が厳しい。汗が流れては乾き、流れては乾く。給水所では頭から水を被る。一瞬、ひやっとするが、すぐに生暖かく塩辛い水が口に流れる。10kmで52分、20kmで1時間47分、前半を1時間53分で走り切る。まあ悪くない。ケガをかばっているのか多少、脚全体に負担が掛かっているようだが、まだ大丈夫そうだ。それよりも暑さで体がバテ始めている。

25km過ぎで後からランナーが僕を追い越す。明らかに僕を意識した走りだ。別にそれは構わない。僕はわざわざフルマラソンで人と競争しようとは思わないからだ。(自分自身と競争するので精一杯だ)。だが何故か、僕を抜いた後、僕の正面にわざわざ入ってくる。そしてスピードを落す。ブロックをしているつもりなのだろうか。抜くのも正面に入るのも気にならないけど、わざわざスピードを落すのは止めて欲しい。

仕方がないので僕がコースを変える。相手のスピードが落ちているので当然、抜き返すことになる。すると相手はスピードを上げてまた僕を抜き、前に入り、スピードを落す。仕方がないのでまた抜き返す。案の定、またスピードを少しだけ上げ始める。やれやれ、面倒くさいヤツだ。僕も相手に合わせて少しだけスピードを上げる。相手は無理やり前に入り込もうとする。普通ならスピードを少し下げて相手を入れさせるのだが、そのまま前に進む。相手の肘が僕の肘に当たる。

僕によける気がないと分かると、さらにスピードを上げて前に出ようとする。ほんのちょっとだけ相手を前にするように着いて行く。ギリギリで前に出られない程度に距離を調整する。相手はむきになりスピードを上げる。そのうち、相手の息が荒くなりスピードががくんと落ちる。僕はそのままのスピードでしばらく走り続け、一挙に距離を広げる。

そんな無駄なことをしたのがいけなかったのだろう。30kmくらいのところで突然、両足が痙攣する。そのまま走り続けたら肉離れになりそうだ。まずは立ち止まり痙攣をおさえる。そしてストレッチをしてゆっくりと走り始める。ここからは再び痙攣が来ないスピードで行けるところまでいくしかない。少しずつ貯金を取り崩していく。残り10kmで63分。1km6分30秒。普段なら楽に走れるペースだ。でも今回はギリギリのスピードだ。このスピードで走り切れれば良いが、途中で痙攣が起きたら終わり。粛々と走ることにする。

34km、36km、良い感じだ。このまま行けそうだ。いつの間にか空も曇り、風も心なしか涼しい。このまま6kmほどいけば4時間を切れる。38km、少しずつ両脚に違和感が出る。だましながら走る。ペースが落ちそうになるがそのまま走る。そして40km。ついに両脚が痙攣し、その場で立ち止まる。これで終わりだ。慌てても仕方がないので、ゆっくりとストレッチをして脚の痙攣が収まるのをまって走り出す。家族に出迎えられ、4時間3分でゴール。ゴールした瞬間、両脚が痙攣して歩けなくなる。まあ、厳しいレースだった。

練習不足、疲労蓄積、ケガ、暑さなどいろいろな条件を考えるとそれほど悪くない結果と言えるかもしれない。でも、40km立ち止まり再び走り出してから、すごく自分に腹立たしくなってきた。これは満足してはいけないことなのだ。あまりにも自分も他人も説得できる材料が揃いすぎているからだ。

今年に入ってから家を建てたり、引っ越しをしたり、本当に忙しくて走る時間が取れなかった。前日までキャンプで疲労がたまっていた、全治2週間のケガが完治していないのに走った、とても暑い日だった。だから3分ほどオーバーしてしまった。そう言えば、僕も納得できるし、周りの人間も納得するだろう。それは仕方がないよ、3分しかオーバーしなかったんだから良い方だよ。そう言ってくれるかもしれない。

でも、誰もが納得できる説明を用意して本来望んでいない結果を正当化することは、結局のところ自分にはそれしか出来なかったということを認めてしまうことになるのではないだろうか。結局のところ、お前はそれだけの結果しか出せない人間なのだ、と。そしてこういう考え方を一度許してしまうと、どんな時でも自分が望んでいない結果を正当化するようになってしまうのではないか。世界とそういう関係を作ってしまうと、そういうやり取りばかりをするようになってしまうのではないか。

僕にとって大切なのは、4時間を走れないようならお金を出して走る資格はないと言いながら、結果として4時間を切れなかった。それだけである。失敗した原因は分析するが(といっても大したことはない。練習不足である)、理由にはしない。失敗にきちんとした理由がついたら、そこで物事は止まってしまう。端的に言って、お金を出してマラソンを走る資格をなくしたのだ。1つ格が下がったのだ。

次はいきなりの本戦出場とはいかない。出直しである。マラソン大会を目指して予選リーグのスタートである。相手はやっぱり月々の走行距離になるのだろう。筋肉痛(とてもひどい)が抜けたら、さっそく走り始めよう。