昨日は荒川土手で開催された『タートルマラソン』に参加した。親子マラソンに出るためだ。昨年に続き、2年連続での参加だ。昨年は長男と一緒に走ったが、今年は家族全員での参加になった。長男は相方と、僕は次男と走った。参加資格は小学生以上なのだが、次男はわが家の中では唯一、走る能力が高い人間なので参加させることにした。
親子マラソンのスタートは午後1時半。僕らは12時頃に会場に着くように家を出た。自転車で土手まで出て、土手の堤の上を4kmほど下流に向かった。土手の下ではハーフマラソンのランナー達がたくさん走っている。沿道では太鼓の演奏をしたり、ランニング同好会がそれぞれ旗を立てて応援をしている。大会の賑わいに誘われるようにして出てきた近所の人たちが芝生に座って眺めたり、大会を知らずに土手に来た人が戸惑ったりしていた。
そんな風景や音をちょっと強過ぎる秋の光が包み込んでいた。そこを走るランナーを見ているとすごくレースに参加したくなった。血が騒ぐ。いま目の前のレースを走っていないことが何か損をしているかのように感じられた。こういうとき、自分が本当に走ることを好きなのだと実感させられる。自分にとって最も苦手で大嫌いだったランニング。少しずつ走っているうちに、他人が走っているのを見て血が騒ぐほどになったのだ。
親子マラソンはたったの2kmだ。僕にとっては「走る」という言葉が当てはまらない程度の距離だ。だからスタート前に長男が緊張しているのを見て、へーっ、と思った。僕もフルマラソンを走り始めた頃にはスタート前には緊張したものだ。果たしたこのレースを走り切れるのだろうか。これから続く何時間かの苦しさを思うとエントリーしたことを後悔することもしばしばだった。
親子マラソンはタイムも取らないし順位もない。それぞれの親子が好きに走れば良い。唯一のルールはゴールする時に親子で手を繋ぐことだ。(レース前の挨拶で主催者が、「ゴールのときは仲良く手を繋いでください。仲が良いのはレースのときだけかもしれませんから」となかなか思い切った発言をしていた。)
可能なら家族4人で手を繋いでゴールしようと約束してスタートを切った。長男が小学4年生、次男が保育園の年長といえば、ふつうは長男の走力が圧倒的に上のはずである。しかし長男は子ども時代の私と同じで走ることが大の苦手。それに比べて次男はどこから遺伝子を引っ張ってきたのか走ることが大の得意。そんなわけで本番前の練習でも長男と互角に渡り合っていたのだ。
スタート直後の混雑は大人のレースも親子マラソンも変わらない。前に人が詰まっているのでゆっくりしか走れない。速く走ろうとすれば人混みを縫うことになりペースを乱してしまう。結局、次男は自分のペースで走れない。おまけに初めてのレースなので変に興奮して走りながら飛び跳ねたりしている。やめたほうがいいと何度もアドバイスするのだが、アドバイスに反応して飛び跳ねる始末だ。さすがに長男は落ち着いて走っている。少しずつ差が開く。
次男の走りが落ち着いたのは折り返し地点が見えてきたころだろうか。落ち着いたというより少しバテているようだ。息が上がりかけているし、走りに力がない。とりあえず歩かないでゴールまで引っ張ろうと思った。折り返してしばらく行くと、ペースの落ちてくる親子が少しずつ出てくる。母親だけが先を走り、子どもが泣きながら追いかけている親子もいた。(かなり長い距離そうしていた。子どもは母親を追いかけて一生懸命走っているが、子どもは走ることが嫌いにならないのだろうか?)
苦しいか、と何度も声をかける。だいじょうぶ、としっかりした声で答える。少しだけ苦しそうだが息も整ってきたし、走りも安定してきた。子どもながらに真剣な表情をしている。苦しい時に意識を集められるのが次男の強みだ。
ゴールまで300メートルくらいになる。少しだけスピードを上げられるか、と尋ねる。うん、と小さく頷く。「いち、に、いち、に」と声をかけピッチを上げさせる。周りの親子より少しスピードが速くなり、1組、また1組と抜いて行く。よし、いい感じだ。もう少し行ったら、もっとスピードを上げよう。一緒によーいドンで競争をしよう。そう言うと、うん、としっかり頷く。
残り100m。「よーし、よーいドンだ。いち、に、いち、に、いち、に……」少しずつスピードを上げさせる。次男はほとんど全速力だ。周りの親子をどんどん抜いて行く。短距離走のレースをしているような走りだ。ゴールの先では長男と相方が待っている。ゴール手前で慌てて次男の手をつかみ、手を繋いでゴール。タイムは14分57秒くらい。1度も歩かず、最後にスパートまでした。5歳の子どもにしては悪くない。
ゴールするとすぐに肩車をして、景品と飲み物を貰いに行く。たった2kmだったが、僕にとっても中身の濃い2kmだった。自分一人で2km走ってもこんなことにはならない。ランニングを始めた時、誰とも関わらず1人でできるのがとてもよいと思っていた。でも、こうして2人で走るのも悪くない。レース後の土手に漂う祭りの後の空気の中、自転車を漕いで家まで帰った。
親子マラソンのスタートは午後1時半。僕らは12時頃に会場に着くように家を出た。自転車で土手まで出て、土手の堤の上を4kmほど下流に向かった。土手の下ではハーフマラソンのランナー達がたくさん走っている。沿道では太鼓の演奏をしたり、ランニング同好会がそれぞれ旗を立てて応援をしている。大会の賑わいに誘われるようにして出てきた近所の人たちが芝生に座って眺めたり、大会を知らずに土手に来た人が戸惑ったりしていた。
そんな風景や音をちょっと強過ぎる秋の光が包み込んでいた。そこを走るランナーを見ているとすごくレースに参加したくなった。血が騒ぐ。いま目の前のレースを走っていないことが何か損をしているかのように感じられた。こういうとき、自分が本当に走ることを好きなのだと実感させられる。自分にとって最も苦手で大嫌いだったランニング。少しずつ走っているうちに、他人が走っているのを見て血が騒ぐほどになったのだ。
親子マラソンはたったの2kmだ。僕にとっては「走る」という言葉が当てはまらない程度の距離だ。だからスタート前に長男が緊張しているのを見て、へーっ、と思った。僕もフルマラソンを走り始めた頃にはスタート前には緊張したものだ。果たしたこのレースを走り切れるのだろうか。これから続く何時間かの苦しさを思うとエントリーしたことを後悔することもしばしばだった。
親子マラソンはタイムも取らないし順位もない。それぞれの親子が好きに走れば良い。唯一のルールはゴールする時に親子で手を繋ぐことだ。(レース前の挨拶で主催者が、「ゴールのときは仲良く手を繋いでください。仲が良いのはレースのときだけかもしれませんから」となかなか思い切った発言をしていた。)
可能なら家族4人で手を繋いでゴールしようと約束してスタートを切った。長男が小学4年生、次男が保育園の年長といえば、ふつうは長男の走力が圧倒的に上のはずである。しかし長男は子ども時代の私と同じで走ることが大の苦手。それに比べて次男はどこから遺伝子を引っ張ってきたのか走ることが大の得意。そんなわけで本番前の練習でも長男と互角に渡り合っていたのだ。
スタート直後の混雑は大人のレースも親子マラソンも変わらない。前に人が詰まっているのでゆっくりしか走れない。速く走ろうとすれば人混みを縫うことになりペースを乱してしまう。結局、次男は自分のペースで走れない。おまけに初めてのレースなので変に興奮して走りながら飛び跳ねたりしている。やめたほうがいいと何度もアドバイスするのだが、アドバイスに反応して飛び跳ねる始末だ。さすがに長男は落ち着いて走っている。少しずつ差が開く。
次男の走りが落ち着いたのは折り返し地点が見えてきたころだろうか。落ち着いたというより少しバテているようだ。息が上がりかけているし、走りに力がない。とりあえず歩かないでゴールまで引っ張ろうと思った。折り返してしばらく行くと、ペースの落ちてくる親子が少しずつ出てくる。母親だけが先を走り、子どもが泣きながら追いかけている親子もいた。(かなり長い距離そうしていた。子どもは母親を追いかけて一生懸命走っているが、子どもは走ることが嫌いにならないのだろうか?)
苦しいか、と何度も声をかける。だいじょうぶ、としっかりした声で答える。少しだけ苦しそうだが息も整ってきたし、走りも安定してきた。子どもながらに真剣な表情をしている。苦しい時に意識を集められるのが次男の強みだ。
ゴールまで300メートルくらいになる。少しだけスピードを上げられるか、と尋ねる。うん、と小さく頷く。「いち、に、いち、に」と声をかけピッチを上げさせる。周りの親子より少しスピードが速くなり、1組、また1組と抜いて行く。よし、いい感じだ。もう少し行ったら、もっとスピードを上げよう。一緒によーいドンで競争をしよう。そう言うと、うん、としっかり頷く。
残り100m。「よーし、よーいドンだ。いち、に、いち、に、いち、に……」少しずつスピードを上げさせる。次男はほとんど全速力だ。周りの親子をどんどん抜いて行く。短距離走のレースをしているような走りだ。ゴールの先では長男と相方が待っている。ゴール手前で慌てて次男の手をつかみ、手を繋いでゴール。タイムは14分57秒くらい。1度も歩かず、最後にスパートまでした。5歳の子どもにしては悪くない。
ゴールするとすぐに肩車をして、景品と飲み物を貰いに行く。たった2kmだったが、僕にとっても中身の濃い2kmだった。自分一人で2km走ってもこんなことにはならない。ランニングを始めた時、誰とも関わらず1人でできるのがとてもよいと思っていた。でも、こうして2人で走るのも悪くない。レース後の土手に漂う祭りの後の空気の中、自転車を漕いで家まで帰った。