昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

海行かば

2005年10月29日 | Weblog
 国の行く末を案じる武士(もののふ)の一人として、若者にお願いするのであるが「うみゆかば」と読んでもらいたいものである。

 海行かば水漬(みづ)く屍(かばね)山行かば草生(くさむ)す屍

 大君(おおきみ)の辺(へ)にこそ死なめ 顧(かえり)みはせじ

 この詩は、万葉集巻十八の大伴家持の長歌の中の一句である。
 通常、「海行かば」といえば、この詩に曲をつけたものをいう。作曲者は信時清(のぶとききよし)であり。1937年(昭和11)に作曲したものです。
 奇しくもこの年に日中戦争が始まって、戦争映画等で戦死者を前にしてこの歌が歌われるシーンが殊更強調されたりするから、「日本軍国主義」を強調する歌として、左翼陣営即ち「売国奴」達が盛んに攻撃するのである。

 しかし、「中共」などに恋焦がれて一生懸命に媚を売っている「和製中国人」の主張などに惑わされることなく、この詩を「文学作品」として味わうのも一興である。

 壬申の乱あたりの戦闘の状況が題材となっているのであろうか?

 海に行き戦いに臨めば水に漬かる屍となるかもしれない
 山に行き戦いに臨めば草が生える屍となるかもしれない
 いずれにしても、大君(天皇)の傍で戦い命尽きよう、そうすることに、私はまったく悔いは無い 

 海行かば水漬く屍 山行かば草生す屍 この対句を海行かば水漬く屍となろう、山行かば草生す屍となろう。このように意志を込めた解釈をする向きの方が多いのかもしれないが、私としては、過去の経験からの冷静な予想的判断と解釈したい。
 大君の辺にこそ死なめ顧みはせじ この一人称(私)の決意と対を成しているのである。

 大伴家持(おおとものやかもち):(717~785年)奈良時代の歌人。越中守をはじめ、中央・地方官を歴任、783年中納言となる。万葉集中歌数が最も多く、編纂者の主要人物とされている。

 万葉集:現存する日本最古の歌集。前二十巻。編者、成立年代とも不明であるが、全巻の完成は8世紀末。大伴家持が編纂に関係したことは確実。
 総歌数4500首に及び、身分の高い者から庶民に至るまで、様々な歌が収められている。国民的な歌集である。