昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

負け犬の美辞麗句

2006年06月30日 | Weblog
 負け犬の美辞麗句とは些かパロディックに過ぎるかもしれないが、この際である。歴史に白黒をつけるつもりで、国士たる『我』を通そう。

 今日は、毎日新聞の記事を引用させて頂く。

 6月6日、私立W小学校(東京都町田市)の会議室で、60人以上の父母がI校長(58)の公演を聞いていた。「教育基本法がなければ私はここにいなかった」I校長は47年、新潟の農家に生まれた。5人姉弟の末っ子で、大学に進学したのは自分だけ。「経済的な問題もあったし、高等教育を受けるという発想がなかった」と振り返りつつ、「基本法があり、戦後日本は誰もが高等教育を受けられる国になった」と続けた。
 W小の姉妹校、WK小学校(世田谷区)の校長を務めたMさん(81)には忘れられない体験がある。
 教育基本法が交付された47年Mさんは熊本師範付属中学の教師だった。校長が基本法を解説していた時、突然涙を落とした。「昭和18年・・・・ペンを銃に替えて戦場に駆けつける時ではないかと学生に檄を飛ばしました・・・・戦場に散った若者達に何とお詫びしたらよいか。私は戦争犯罪者です。そんな人間がどうして民主主義だの平和主義だの言えるでしょうか・・・・」
 戦後の教育は、46年の米教育使節団の訪日から始まる。その報告書を受け、「二度と戦争をしない」との反省の下に、個人の尊厳を大切にする教育改革が始まった。その中心にあるのが教育基本法だ。誰もが等しく教育を受けられるようになり、高い教育水準を維持するのに役立った。
 しかし、50年代から基本法の空洞化が始まり、現在の改正の動きに連なる。Mさんは「政府は『教育は重要だ』と戦後の出発をした。しかし、「教育は民族、国家を前提にしないと成り立たない」という保守的な考えになった」という。
 現在は学力低下や不登校、ニートの問題など教育現場は問題が山積している。「こんな時代だから、現行教育基本法は必要です。ここに書かれている理念を生かさないと子供たちは不幸になる」。Mさんは10条の「教育は、不当な支配に服することなく・・・・」の部分を繰り返し読み、「絶対に手をつけるべきではない」と結んだ。(東京社会部、小野博宣氏の署名記事)

 何と感動的な名文であろうや!と拍手喝采を求めたいのであろうが、なんとも女々しい文章であることか。誠に情けなく不甲斐なきことこの上なしである。
 体制を批判するMさんは自己の直接体験に基づいた感情で物を言っているのではない。当時の先輩だった校長の演技にかこつけて自己逃避しているに過ぎない。この当時、強制されて戦場に赴いたふとどき者は一人もいない。戦争に行って死にたくないなどと思っていたのはMさんなどの一部の非愛国の士だけである。当時、若者に檄を飛ばしたという校長は、日露、支那事変などを身をもって体験したに違いない。しかし、このMさんは同年輩のものが必至で国を守ろうとしていたときにベロでも出していたかもしれない。戦争は国家、国民を揚げての国家事業である。時の卑怯者が国益に準じた同胞に対し、『犬死などと罵倒する』こと断じて許さぬ。

 現業の基本法をそれ程こよなく愛するなら、何故教育の現場で破綻させたのか?甲斐性もなく破綻させた挙げ句に10条の「教育は、不当な支配に服することなく・・・・」の項を読んで感涙するのだと。もはや呆れて物が言えない。

 日本政府が言う教育に対する不当な支配とは、無国籍の立場に立ち、国家、国旗国歌を蔑ろにするアホ集団が癌細胞が如くに増殖したことをいうのである。この事態を憂慮した政府は、そういう「不順分子=癌細胞」を一刻も早く北朝鮮や中国に追い払おうとするスキームを立ち上げたのであって、それが今回の教育基本法改正法案の提起なのである。

 このM氏などは、素性は、カクマルの人士か?

地方から愛国を喚起すべし!

2006年06月29日 | Weblog
「愛国心」盛った子ども条例、長崎・佐世保市で可決 (読売新聞) - goo ニュース

 同じ記事であるが、産経新聞はどのように告げたか書き記しておこう。

 長崎県佐世保市議会は28日、「国を愛する心を養う」との基本理念を盛り込んだ「子供育成条例」を賛成多数で可決した。佐世保市によると、子供の育成に関する条例に愛国心についての文言が明記されたのは全国初という。30日にも施行される。
 条例は、15歳未満の子供の育成に地域社会や学校などが果たすべき努力目標を示した。
 基本理念の項で「人を愛し、郷土や国を愛し、世界の平和を願い自然を大切にする心を養うことができるよう」支援するなどとしている。
 当初、学識者らでつくる検討会議では、「郷土愛や愛国心など、個人の価値観を字句として入れるべきではない」との意見があり、同市は「平和を愛し、自然を大切にする心」などと記した条例案を提出していた。しかし、議会では、「郷土や国を愛し」などの表現に修正。賛成26反対8で可決された。
 委員会で修正を提案した自民党議員は「郷土や国を愛する子に育って欲しいとの願い」と説明した。

 このような条例が長崎県佐世保市ちというような『基地』の町で産声を上げ国に先駆け、愛国心の必要性を堂々と謳いあげるとは、頭の下がる思いがする。
 教育を日本人として、そのアイデンティティーに鑑み正常化することは、外交的に日本国を認識しなくてはならない必要性に駆られていることはもとより、最近の若年層の凶悪犯罪を見るにつけ、内部の守りを固めることがより一層叫ばれているのであるが、戦後60年の恵まれた温室生活を貪らしてもらった付けを支払っているに過ぎないとはいえ、日本人の心の荒廃ぶりには目を覆いたくなること仕切りである。

 愛国心を教育すれば、問題が解決するともm思ってはいないのであるが、自分が現在立っている場所を認識させる上で、この佐世保市の愛国心教育の指針は、日本全国の自治体に範を示す好ましい前例となることだろう。

 日本人は、生かされている日本国という前提があって初めて、自己完結させるには如何がすべきかなどといった贅沢な人間性の追及に邁進できるのである。日本人が日本人でいられる我が国土=日本国をいつまでも搾取の対象などと蔑ろにしていてはばちがあたること必定である。

 ところで、数学的センスを身につける機会はどこにでもあるから、おさらいの意味でクイズを出そう。この文章中に賛成、反対の比率が26:8という記述があるが、賛成は何パーセントで反対は何パーセントか?

 答え:賛成 26/(26+8)*100=76.47%, 反対 23.53%である。

 進歩的文化人以外の国民を良識的日本人と称するのであるが、23.53%の進歩的文化人の偏向した価値観で、76.47%の国民性が蔑ろにされた事実を、我々良識的日本人は認識し、彼らに毅然とした日本人ぶりを示さねばならない。

不純血日本人

2006年06月29日 | Weblog
首相の靖国参拝に反対 弁護士ら8月にデモ計画 (共同通信) - goo ニュース 

 最近では、『売国放送局』から民族不自決の可能性が大いに高まったとして、株主総会の議決権を無償で得たとは地球市民(この表現には公暗性大)な、どこぞの私設宗教家の野望も含む。・・・・今まで領主様は一般人から『昇格』すると信じられて『忠誠』を誓ってきた善良な日本人にとって、大作一家(彼らは日本人か?)のならず者ぶりは耐えがたきものであろう『善良な日本人信者』にとって公私混同の権化に映るに違いない。後継者は、日本国憲法(無国籍無愛国)に準じて公選によらなければならない。組織乗っ取りを画策する第三世界の住人よ、『創禍の御世』はさように甘くはないのだよ!。歯医者の治療を怠ったために人相さえ歪んだ方は当然のこととして、『心根』も歪んでいるのだよ!。

 それにしても、非国民弁護士どもの痴(恥)戯にも程があろうというべきである。このような不良外国人は、中国共産党の『ポメラニアン=ワンワン大使』の黄門様でも舐めてから、物申せ、そしてペキニーズ(赤組の皇帝)の黄門様を舐めさせて頂くまでに無体な要求をすべて受け入れ日本人を懐柔しなければならない。結果として、弓折れ矢尽きたという情況に立ち至るのであるが、痛い目に会う前に悟りを得るのが古今東西知恵者の本質であるということに気付かぬ空しさよ。

 ところで、我が日本国亜流政党『トン・チン・カン』集団が『スピッツ』の誘惑に乗り、中国行脚に出かけるそうな。
 彼らこそ本当に中国共産党の犠牲者となるべき浅はかトライアングル上のアリアを歌おうとしている犠牲者予備軍であるが、スギ花粉症の重症患者の如き無防備ぶりに呆れよう。
 しかし、草の根の国民(私のような一般人)は『日中友好』などと称して血税を搾り取らせる予備軍であることは想像に難くない、我が老後を危うくするアホ政党の取るに足らない政策など望んではおらんのじゃ。

 やはり、我等老人が望みを託した『小泉の倅は気骨があった』。みんなで、「トン・チン・カントリオ」に中国の垢を背負ってもらい三途の川を渡って貰おうではないか。全国熟年同盟諸氏よ!、分っておろうの。わしらは残りの人生において、余命のある限り、主張せねばなるまい。中国に踊らされて、現在の悲惨さを舐めさせられている現実を正常化するのが日本人政治家に課せられた責務であることを認識せねばなるまい。

 そして、「日本人の類稀な血筋を呪って、中国や韓国果ては北朝鮮などの日本国征服に加担する北朝鮮弁護士ども、貴様らは日本国に身を置いているという事実を認識いたせ。しかし、いつ北朝鮮の被拉致者となっても我々は、全く苦しゅうない。早く拉致被害者と一対一の身柄交換に応ずると、金正日に申し出でよ。

 しかし、善良な酔っ払いとはかくの如しである。

金正日よ売国奴を見受けせよ!

2006年06月29日 | Weblog
首相の靖国参拝に反対 弁護士ら8月にデモ計画 (共同通信) - goo ニュース 

 最近では、『売国放送局』から民族不自決の可能性が大いに高まったとして、株主総会の議決権を無償で得たとは地球市民(この表現には公暗性大)な、どこぞの私設宗教家の野望も含む。・・・・今まで領主様は一般人から『昇格』すると信じられて『忠誠』を誓ってきた善良な日本人にとって、大作一家(彼らは日本人か?)のならず者ぶりは耐えがたきものであろう『善良な日本人信者』にとって公私混同の権化に映るに違いない。後継者は、日本国憲法(無国籍無愛国)に準じて公選によらなければならない。組織乗っ取りを画策する第三世界の住人よ、『創禍の御世』はさように甘くはないのだよ!。歯医者の治療を怠ったために人相さえ歪んだ方は当然のこととして、『心根』も歪んでいるのだよ!。

 それにしても、非国民弁護士どもの痴(恥)戯にも程があろうというべきである。このような不良外国人は、中国共産党の『ポメラニアン=ワンワン大使』の黄門様でも舐めてから、物申せ、そしてペキニーズ(赤組の皇帝)の黄門様を舐めさせて頂くまでに無体な要求をすべて受け入れ日本人を懐柔しなければならない。結果として、弓折れ矢尽きたという情況に立ち至るのであるが、痛い目に会う前に悟りを得るのが古今東西知恵者の本質であるということに気付かぬ空しさよ。

 ところで、我が日本国亜流政党『トン・チン・カン』集団が『スピッツ』の誘惑に乗り、中国行脚に出かけるそうな。
 彼らこそ本当に中国共産党の犠牲者となるべき浅はかトライアングル上のアリアを歌おうとしている犠牲者予備軍であるが、スギ花粉症の重症患者の如き無防備ぶりに呆れよう。
 しかし、草の根の国民(私のような一般人)は『日中友好』などと称して血税を搾り取らせる予備軍であることは想像に難くない、我が老後を危うくするアホ政党の取るに足らない政策など望んではおらんのじゃ。

 やはり、我等老人が望みを託した『小泉の倅は気骨があった』。みんなで、「トン・チン・カントリオ」に中国の垢を背負ってもらい三途の川を渡って貰おうではないか。全国熟年同盟諸氏よ!、分っておろうの。わしらは残りの人生において、余命のある限り、主張せねばなるまい。中国に踊らされて、現在の悲惨さを舐めさせられている現実を正常化するのが日本人政治家に課せられた責務であることを認識せねばなるまい。

 そして、「日本人の類稀な血筋を呪って、中国や韓国果ては北朝鮮などの日本国征服に加担する北朝鮮弁護士ども、貴様らは日本国に身を置いているという事実を認識いたせ。しかし、いつ北朝鮮の被拉致者となっても我々は、全く苦しゅうない。早く拉致被害者と一対一の身柄交換に応ずると、金正日に申し出でよ。

 しかし、善良な酔っ払いとはかくの如しである。

日本国ゆえ日本人の立場で物申せ!

2006年06月28日 | Weblog
先行の安倍氏に逆風も 首相参拝、総裁選に影響 (共同通信) - goo ニュース

 全く『ミスター・レッド』というは、この通信社と売国新聞と名高いメディアとそうそう日本国民から高い視聴料を搾取して人民中国のプロパガンダを垂れ流し続ける公共放送を言うのであったか。

 敗戦記念日が近づくと日本国民にとってとても耐え難い日々が続くのは恒例である。売国公営放送局は、無国籍ノーアイデンティティの就業規則に乗っ取り、延々と、幾ばくか加害者であった(現実にはアジアの水戸黄門であったに過ぎなかった。イスラム教徒などは先の大東亜戦争を聖戦と呼んで憚らないであろうが)被害者意識を日本人に煽り煽って、日本人骨抜き総作戦を延々と繰り広げるであろう。そして、いい加減にしてもらいたいと懇願する善良なる日本人たちは、されば視聴料を払うのを止めようと毎年の如く決心するのだ。

 せいぜい、女々しい無国籍反戦売国キャンペーンを張りたまえ。そして、視聴料収入が減った分だけ中国の要望に近づくのだ。

 なんとも、中国のご指示をそのまま活字にする愚かな通信社よ。こんな軽薄な報道をする前に、『あんたは、日本国民が、どれ程中国が嫌いかと国民に問え!』。 今では中国が好きなどといういう方が余程酔狂なのだ!。日本国民を惑わせてはいかん。(日本国民は、当の昔に中国イリュージョンからお目覚めである)。

金で心が買えるのか

2006年06月28日 | Weblog
地方自治体も財政協力を 猪口氏、少子化対策で (共同通信) - goo ニュース

 この方もまた別の意味で時代の寵児であるのだろう。日本人の心など金で解決が着くという短絡的な考えである。日本人の出生率の低下に拍車をかけたのは先のバブルの敗戦処理すなわち軟着陸に失敗したからだとでも言いたいのであろう(不動産業界では、当時官製ヒステリー不況と呼んでいた)。老人福祉にかける金額に比べて、何と子育ての為の資金の貧弱なことか。従って、老人から子育て資金を奪って新しい命のための投資を行なえ!こう仰せになりたいのだろう。この直情短絡的発言により、自民党自体がどえらい老人票をゴミ箱に捨ててしまった。所詮女子供の発想とは、かくも短絡的で無思慮なのだ。

 政治家たるもの、この方とて初老の身、なんぼ派手ないでたちをしようとも女も50歳過ぎれば婆族である。
 小泉公がこよなく愛する『敦盛』の謡では人間五十年この世に身を置いた後は付録の人生なのである。そういう身である者がたかだか10年ないし20年先輩を捕まえて、老いたるが故に不浄などと言っているようにしか、田舎の老人には咀嚼できないのである。下々の上に立つものは、言葉遣いに気をつけた上、厳かに囁くがよかろう、「大きなるシェルターがあるものは、大人数をもって暮らすも一興なり」と、そして三世代四世代で生活を営む者は税制においても優遇されるべきであると!。

 こんなアホ女は9月限りにしてもらいたい。日切地蔵尊大臣と呼んであげよう。地方行政官は「我々の所に銭はないから、他の知恵を出せ!」と言い返してやりんしゃい。

Cuando Caliente SHIZUOKA#47

2006年06月28日 | Weblog
 今日は静岡新聞の特集記事『教師たちの性犯罪』をネタ元としよう

 県内の公立中学で数年前、男性教師が出会い系サイトに自分の写真を貼り付けたところ、自校の女子生徒が発見、学校に発覚し、同僚等にサイトを通じた児童買春も認めていたことが26日、明らかになった。
 教師は発覚後、間もなく依願退職し、情報は今も校内に隠匿されたままになっている。
 教員間で「学校の傷になるから」という判断が働いたという。「事件を隠したことへの罪悪感はあったが、本人の人生にはまだ先がある、との思いもあった」と振り返る元同僚いるという。当時貼り付けられた男性教諭の画像はメールで多くの生徒や保護者の間に出回った。
 このように出会い系サイトやテレクラを通じた教員の児童買春が周囲に発覚するのはまれだ。最近、県内で懲戒処分につながったのは刑事処分となって表面化した場合のみで、氷山の一角との指摘もある。
 サイトの利用そのものは問題なく、私事の範囲という見方もある。県教委の山本健二教育総務課長は「教員は出会い系サイトの危険性を子供に説く立場。利用自体すべきではないと大多数が思っているだろうが、組織として明確に打ち出すかどうかは健闘が必要」と、この問題の難しさを口にした。
 出会い系サイトで知り合った女子高生を買春し、撮影した画像を有料アダルトサイトに掲載して収入を得ていた元藤枝市立中教諭(41)。三月に逮捕され、公判では知人の借金返済のために犯行を繰り返し、千枚を超える画像を提供していたことも分った。
 勤務校から聞かれる元教諭の姿は前向きで快活だ。逮捕時、志村益司校長は「一人一人の子供に熱心に対応し、不登校の生徒宅にも何度も足を運んでいた。悪い噂もなく晴天の霹靂と驚いた。
 五月に児童買春容疑で逮捕された西部教育事務所指導主事(42)はテレクラを通じて知り合った中学生とみだらな行為をしていた。
 指導主事は先生の先生。山下峰雄所長は「本人から『休日も楽しんでテニスを教えている』と聞き、心配していなかった。異変は感じなかったし、同僚も同じだったようだ」と語る。
 教諭や指導主事らは裏の顔を隠し、人の道を説き続けていた。(静岡新聞記事)

 これが今時の教師気質の『悪の一面』というべきものなのだ。「反面教師としてのアイデンティティーをもって、我々は仕事をしておる」とでも主張したのであろう。彼らには教育者の集団として、『徳を積もう或いは教師は倫理的でなければならない』などというモラルは持ち合わせていないようである。同類哀れみ、有事の際はせいぜい美辞麗句を送りあおうではないかというのがモットーなのだ。
 仲間内で問題ある教師が警察などのご厄介になり、世間の目に晒されたときには、決まってこのようにコメントする「彼はこれまでまじめに教員としてやってきた、こんなことになって、何か魔がさしたのではないですか」・・・・・人を思いやる究極のお作法であることは間違いない。確かに葬儀においては、甚だ悪人であっても何と善人であったことかという類の弔辞を承りあの世に旅立つのである。これを『日本人の死生観』というのであるが、これが靖国問題ともなると、中国、韓国から許されないといって右往左往するのだから、誠にナイーブな国民性に貶められたものである。(それも、自らを貶めるのが美徳ぐらいのことを純心無垢な将来を担う子供たちに教えるものだから、その効果は覿面でオリンピックでもワールドカップサッカーでも、惨憺たる結果しか出せないのである。それでもお人好しな国民は、やれ監督が悪いでござれ練習方法が悪いでござれ、敗因を考えること仕切りであり、一部は当たっている面はあるとは思う。しかし、いつまでも、『日本国憲法=敗者の聖典』をGKQ様からのこの上ない金科極上としていては、日本人は戦争もできないほどの腰抜けになることは紛れもない事実であるが、すべてにおいて負け犬になるということも必然であることに気付かないといけない。)
 

町村信孝考

2006年06月27日 | Weblog
福田氏は出馬に意欲 森派の町村事務総長 (共同通信) - goo ニュース

 人それぞれ偏向というものがあって、私など了見の狭い人間は殊更、あの政治家は好きだのこの政治家は嫌いなどど勝手気ままに騒ぎ立てる取るに足らない野次馬がごときものであろう。しかし、なんぼ野次馬とはいえ、一寸の虫にも五分の魂ぐらいの価値観は持ちたいものだと日々新聞に目を向け悪い頭をいかに活性させようかと努力しているのである。

 実は私、この町村氏のファンなのである。先の小泉内閣では、外務大臣を勤められ、結構タフで有能な方であるし、愛国の士だと記憶している。折りしも昨年4月の反日デモに際しては、遺憾なく日本人としての存在感を示してくれたと思う。

 むしろこの町村氏などに総裁選に立候補してもらいのであるが、天は機会とニ物を与えないのであろうか(女性の場合二物とは才色兼備であることを言う)、しかし男性にあっては、見てくれの風采と野人且つ愉快さを兼ね備えていることを言う。頭が良くてかっこよいことは前提条件であるが、野人味と愉快さがご夫人方の意を決する最重要素であることにお気付き願いたいものである。

 理解に苦しむ役職名であるが、事務総長とは森爺の後継者という意味なのであろうか。兎に角政治家のポストというは曖昧で深遠である。素人にはサッパリ分らぬ。

極刑をもって処すべし

2006年06月25日 | Weblog
「極刑以外受け入れない」 殺害女児の父 (中国新聞) - goo ニュース

 この種のいかがわしく残虐な事件に思いもよらず巻き込まれ被害者の親族の犯人を憎む気持ちは察するにあまりある。なんとも申し上げる術もない。

 仇討ちが認められない世なればこそ、裁判官は毅然として極刑もって被害者の魂に応えるべきである。このような純心無垢な少女を狙った性犯罪の加害者(殺人犯)に対して、断固極刑を言い渡し、この種の性犯罪予備軍に次に追随するものあらば、その罪は死刑を持って断ずるという強いメッセージを送るべきである。

 ところで、杉浦現法務大臣は就任早々の記者会見で、「私は在任中には死刑執行の書類に印を押さない」と仲間内の支持団体(人権弁護士団体)向けににとてつもなく軽いメッセージを送って世間の顰蹙を買っていたが、法の番人たる法務大臣の立場で発した言葉として、『勇み足』などといって、かたずけられる問題ではないだろう。この軽い発言の後どれ程悲惨な子供を狙った犯罪が起こったか彼は認識しているのだろうか。

 愛娘が野獣の餌食となった木村さんの気持ちも良く分る。これ程理不尽かつ残忍極まりない殺人者に極刑以外の刑が言い渡されるようなら自分で報復してやる、そう思うのも自然な親心だと思う。したがって、この種の殺人者には死刑を持って報いさせるという鉄則を確立すべきだし、被害者の親族に遺恨を残すような判決を下すべきではない。

靖国ニ参ズルヲ阻ム事能ハズ

2006年06月24日 | Weblog
靖国参拝訴訟 原告の敗訴確定 最高裁初判決 (産経新聞) - goo ニュース

 外国人ならいざ知らず、日本国籍を有するものが、その領土にある靖国神社に参じて、何を念じようが法律をもってとやかく言う問題ではない。こんな当たり前の理論も分らず売国奴たちは国民の代表たる内閣総理大臣=日本国首相の英霊に対する感謝の念を捧げる行動(参拝)にさえその売国精神をもって阻もうとしてきたのである。
 施政者側の控訴が封じられた環境下での勝訴であるゆえ、甚だ『消極的』文言による勝訴(原告側の上告をすべて退けた二審、大阪高裁の判決が確定した)ではあるが、これこそ小泉純一郎首相が五年に及ぶ安定政権で勝ち取った『輝かしい勲章』の最たるものである。(近い将来、彼には天皇陛下より大勲位なる称号が与えられるであろう)
 
 馬鹿な売国奴ども!憲法といえども信条の自由には踏み込めないのであるし、個人が何を考えても自由である。まして、大砲でも持参して参拝を挙行しない限り、また、日本国民であることを担保して参拝する限り、公私を問わず参拝は自由である。

 それなら、韓国人や中国人の参拝は制限されるのかといえば、決してそんなことはない。靖国の英霊は『来るものは拒まず、去るものは追わずである』。祖国統一を目指す韓国人や朝鮮人は日本国靖国の英霊に『祖国統一』を祈念いたせ!。靖国の英霊は広い心をお持ちであり、民族分断など決してお好みにはならないのだ。
 

Cuando Caliente SHIZUOKA#46

2006年06月24日 | Weblog
元静岡大生の無期判決に検察が控訴…2女性強盗殺人 (読売新聞) - goo ニュース

 敗戦還暦における敗戦の自覚とはこんなにも悲惨である:

 もはや、この日本国敗戦の毒牙に犯され、骨の髄まで癌細胞が蔓延しまったらしい 。

 早い話が、犯罪者の年齢によって、被害者この場合は殺されてしまっている人の生命の価値まで軽くなったり重くなったりするのであろうか。全く世人を説得するに甚だしく見識を欠く判決と言うべきであろう。裁判官は加害者の年齢や社会的な地位を大いに斟酌して、命を奪われた人のその命の価値を推し量ると言うのであろうか。若者に殺されれば、殺された命の価値は紙屑がごときものであろうか。こんな判決を下して正義などと言う裁判官が闊歩する世の中を闇というのではないか。

 検察は、二人の罪無き人の命を、利害関係もなく奪った悪人に死刑判決を出さしめるべく頑張ってほしい。

 困った世の中になったものであるがここで、静岡新聞の記事を拾ってみよう。

 「父に成績知られるの嫌」奈良の放火殺人 逮捕の長男共術

 母子三人が死亡した奈良県田原本町の医師宅火災で、放火と殺人の疑いで逮捕された高校一年の長男(16)が「母親が保護者会に出て、父親に試験結果が知られるのが嫌だった」と供述していることが二十三日、田原本署捜査本部の調べで分った。
 火災当日は、長男が通う高校で保護者会があり、中間試験の結果が報告される予定だった。長男は「成績のことで父にいわれた」とも供述しており、捜査本部は成績の悩みと父からのプレッシャーが犯行の引き金になった可能性があるとみて調べている。
 また、犯行当日、京都に移動し野宿していたことも判明した。
 同署は二十三日午後、長男の身柄を奈良地検へ送った。
 調べでは、長男は医師の父が勤務で不在だった二十日午前五時十五分ごろ、自宅に放火、母子三人を焼死させた。同日中に電車で京都駅へ向かい、市営地下鉄国際会館駅周辺でしばらく時間をつぶし、野宿した。翌二十一日に京都市北区内で自転車を盗み、左京区へ移動。公園の滑り台で眠った後、二十二日未明、公園に隣接する女性(60)宅に侵入した。(全文)

 こういう痛ましいと言うか、以前では考えられなかった事件が頻繁に起こる社会の病理とは一体何なのか。この少年の心の中は推し量るべくのないが、とにかく殺人(まだよく判明してはいないようだが)放火事件に至るプロセスが、母親、弟、妹を殺してしまえばそれで事足りるという発想がいとも簡単に思い浮かぶおぞましさであるが、こういう短絡的な発想がいとも簡単に出て来て、躊躇うこともなく犯行に及ぶ。そして、捉えられた後は、学業について母親から父親に告げられ、父親にとやかく言われる恐れがあるから、予防手段として弟達を巻き添えにし母親を殺したというのである。また、そのような犯罪を犯した後、自分はどうなるのかということを前もって考えた様子もない。「殺してしまって申し訳ない」ともいう、しかし、奪われた命は戻らないという切実さは感じられない。

 日が替わって、今日の報道では、英語の成績が悪いのに良いと嘘ついたことが母親から父親に告げ口されるのではないかという恐れで犯行に及んだとか、十日ぐらい前に父親を殺そうとしたとかいろいろなことが言われているが、それにしても何ら罪もない弟、妹までまき添いにするとは、尋常なことではない。この家庭にはこの家庭の事情があったかもしれないが、日本社会で人命尊重だの子供の自主性だのと金科極上の如く『子供は性善』と主張してきた教育界の重鎮たちはこの種の『少年犯罪』を目の当たりにしてどのような感想を持つのであろうか。

 私も子を持つ身であり、子育てに成功したとも思ってはいないが、根本的に間違ったと思い反省していることは、「自分の生まれ育った境遇が大して恵まれたものでもなかったから、我子にはできるだけ快適な勉強環境を与えれば、自分よりマシな成績なり、人格が育つだろう」と思って、我子を育てたのであるがそんな親の欲目は、見事裏切られたと言ってよい。(死んだ親も私をそう見ていたことだろう) 
 後から思えば、子は親のそういった思いを決して承継しない。時間という『ゆとり』を与えれば、益々横着な怠け者になるだけだし、『金銭』を与えれば無駄ずかいの仕方を工夫するだけである。このように道徳観念というような範疇の特質は決して相続されるものではない。
 道徳、家族愛、愛国心などは子供と情感を交歓するなかで繰り返し教え込まなければならないことだと思う。したがって、義務教育を行なう教師は道徳的でなければならないし愛国心にも満ち溢れていなければならない。

 教育が個の主張だけに偏り集団の中の私という観点を欠くと、このような「精神的に欠陥を持ったモンスター」が育ってしまうのではなかろうか。
  

どうしても福田という君達へ

2006年06月23日 | Weblog
企業首脳、福田氏支持が上回る 本紙アンケート (朝日新聞) - goo ニュース

 巷で「売国新聞」などと評価されるメディアはその自己主張を貫徹する為のハウツーぐらいは知るべきなのだ。

 福田氏の心の叫びというのは、察するところ、「山崎、加藤、朝日連盟から推薦されたという印象を『ならず者国家群』に対して、つまびらかにすれば、中国、北朝鮮、韓国に対する、外交上の自由度は100%剥奪されてしまうだから、この場は葉隠れの術を決め込むしかない」と随分歯がゆい思いをされていることだろう。 福田氏は、政治家として、『センサティブ』な逸材であるだけに、神輿の担ぎ手の下品さの犠牲になっているのは、なんともお気の毒である。

 この所謂『売国新聞』に本懐を遂げるべき『義侠心』があるなら、山崎、加藤グループと政策会議を開き、加藤氏或いは山崎氏が総裁選に立候補すると宣言させることである、そうすれば、ならず者国家群に対するフリーハンド=靖国において屈服させられることはないという担保を得るのである。この保障さえあれば、彼は必ず出馬の意思表示をすると思う。
 売国メディアよ勝利のKnow Howを持て!余談ではあるが、こういうやり方を『捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ!』と言うそうな。

当落線上のアリアを歌う人士

2006年06月22日 | Weblog
山崎派、新追悼施設を提言 総裁選へ向け (朝日新聞) - goo ニュース

 卑しくも、このアホども(本人達は天才であると主張したい連中)は、どこの国に住んでいて、どこの国民のミステイカブルな純朴な一票の積み重ねによって、名誉ある国会議員の立場に甘んじているのかという実相をわきまえたらどうかと思う。

 地方区で選ばれた国会議員諸君は『私は和製中国人或いは和製朝鮮人である』と地元民に公言して日本国の国会議員にさせて頂いたのではあるまい。信認を得た善良なる日本人を『中国人並みの文盲』とでも思っているのか。恐るべき不謹慎さである。

 国民の皆さまに申し上げたいことは、「ならず者国家群の脅迫に進んで白旗を掲げて投降し我が皇国を開城する者はもはや日本人にあらず」次の選挙では落選の赤紙を申し渡すべく心の準備をなされよということに尽きる。

 この、呆れた亡国集団の首謀者は、首尾よく次期総理総裁候補をお乗せする神輿を準備したのであるが、お待ちした御神体は早々とズッコケの構えである。それも、御神体の気持ちを慮れば、同情に値するのである。
 首謀者が担ぐ神輿とは、その旗印が無国籍無アイデンティティーであり、一雨降ればペンキが流れ落ち、創価学会が透けて見えるのである。隠れ名誉学会員のスパイ作戦なのだ。こんな神輿にはダイサク様でも乗せてやれ、しかし待てよ、彼らは鳥居も潜れないほど神社アレルギーであったか、されば民主党のイチロウちゃんが適任かもしれない。船頭も烏合の泥船の頭では、身動きも取れまい。彼こそ政界算数にかけては天才の誉れが高いのだ、一声掛けられることを心待ちにしているであろう。打診する価値はある。

songzhaoのボケ封じ数学講座第17講

2006年06月21日 | Weblog
 ダークダックスが歌った有名なロシア民謡に『一週間』という題名の曲がある。
 内容はこんなふうであった。
 
 日曜日に市場へ出かけ糸と麻を買ってきた
 月曜日にお風呂をたいて、火曜日にお風呂にはいり
 水曜日にあなたと会って、木曜日に送っていった
 金曜日は糸巻きもせず、土曜日はおしゃべりばかり
 恋人よこれが私の一週間の仕事です

 これでは、ロシアの女性は一週間を通して、全然仕事をしないではないかとロシア人の国民性を疑う人も出てきたりするのももっともなことである。

 私などロシア語などまったく嗜んだこともないのだから、この翻訳が妥当なものか知る由もない。ただ、子供たちに一週間という観念を教える歌としては、嫁入り前の娘を主人公としていて、彼女はいやしくも決して勤勉ではないという所が、いかにもロシア的なのだろう。ひょっとしたらその昔、ロシアでは女性が働かないことが美徳であったのかもしれない。

 そういった理屈はさておき、感心させられるのは、一週間は7日であり、各曜日ごとの仕事内容を一対一に対応させて印象的に記憶させる構成となっているのは、いかにも数学的である(私たちの世代では数学的一対一の対応という観念を学んだのは、高校生になってからであった)。
 それにしても、こういう観念を子供のうちから認識させていたロシアにおいて、メンデレーエフなる天才が出現したこは無縁ではないのであろうと思う。
 子供のうちから、カレンダーという周期表がイメージできることは数学的頭脳を育む必要条件の一つであったろう。

 私などは、かつての帝政ロシア皇帝の西欧の文化に遅れをとってはならじという心意気に感じいる一人である。

 ここで、2006年のカレンダーを眺めてみよう。

 春分の日は3月21日である。私はクリスチャンではないので、つまびらかではないのであるが、クリスチャンにとって、春分の日が3月21日という宗教的意義は殊更重要らしい。
 夏至は、6月21日、秋分の日は9月23日、冬至は12月22日となっている。

 2005年の冬至・・(89日後)・・春分の日・・(90日後)・・夏至・・(94日後)・・冬至・・・・・これで、前年の冬至から今年の冬至まで一年すなわち365日が経過したことになる。

 それでは、夏至(184日)冬至(181日)夏至までの一年間(計365日)と、春分(186日)秋分(179日)春分(179日)の一年間(計365日)の仔細について考察したい。

 太陽を回る地球の軌道は、楕円軌道だといわれている。素人の恐ろしさは、たった一年の事象を考察して、鬼の首を取ったが如き暴言を吐くことであるが、それでも主張は主張だと思う。所詮「おいらも」ナルシストである。拙速な意見とはこのようなものだ。

 夏至から冬至へ向かう時の方が、冬至から夏至に向かう時に比べて、184日ー181日=3日長いのである。
 北半球においては、夏至とは太陽と地球が最長距離に達する点であり、冬至とは最短距離に達する点である。私は天文学者ではないので、全く理解できないのだが、この自然現象を説明するするのは、専門家でもははなはだ説明に窮するのではないかと思う。何故かといえば、夏至点、太陽、冬至点が一直線上にないのではないかと思うからである(その場合楕円軌道は正確な楕円ではなく歪んでいる)、或いは、宇宙にはジェト気流のような気流があって、夏至から冬至へ向うときの方が、冬至から夏至へ向かう時に比べスピードが遅れてしまうのではないか?などと邪推するのである。とにかく、単純素朴な謎である。

 この種の宇宙の風が存在するなら、コマを廻した時、左回りに廻した時場合と右回りに廻した場合に重さ(質量)に差が出てしかるべきだと確信するのであるが、未だそんな話は聴いたことがない。

 また、春分から夏を経験して秋分に至る日数の方が、秋分から冬を経験して春分に至る日数に比べて(186日ー179日=7日)長いのである。この事象なら、私のような素人にも、地球の軌道が楕円形である以上必然であると理解できる。

 春分点、秋分点というのは、太陽の中心から北極点、南極点が等距離になったときを言う、すなわち太陽と地球の地軸が平行となる時をいうのである。これは、地球が軌道面から23度30分ほど傾いて太陽の周り公転をしていることから派生する自然現象である。
 とても納得し難いことであるが、北半球においては、冬季の方が夏季より太陽との距離は短いのだから、不思議といえば不思議なことである。

 折りしも今日は、一年で昼が最も長い夏至、6月21日水曜日である。
 
 それでは、今年の1月1日は何曜日であったのか?。因みに今日は元旦から数えて、172日目の水曜日であるから、172日ー(7日*24週)=4日、そして、4日目を水曜日と数えると、3日目=火曜日、2日目=月曜日、1日目=日曜日ということになり、2006年元旦は日曜日であった。されば、2006年大晦日は何曜日か?。

 元旦は、日曜日であったのだ。365日ー(7日*52週)=1という計算が成り立つ。1を日曜日と数えればよいのであるから、大晦日は日曜日である。

 誰が知恵を絞ったか知る由もないのであるが、平年においては、年初の曜日と年末の曜日は同じとなり、次の年は、前年の元旦だった次の曜日から始まる。閏年の場合は、次の年の最初の曜日は前の年の年初の曜日の次の次となるのである。このように、人類の知恵はそこはかとなく深いのである。

 人類同士の絆を感じあいたいものである。今日の僕は些か「コスモポリタン」なのだ!。


共同君も日本国籍保持者か

2006年06月20日 | Weblog
不起立に「煮えくり返る」 君が代斉唱で戸田市教育長 (共同通信) - goo ニュース

 つい最近まで「共同君」は何処かの売国メディア(旭日戦艦大和旗艦新聞と極左日本国無国籍公営放送)と同列のものと早トチリしていたのであるが、流石に、最近になって、天下の「共同君」は中立宣言致したかという感想を抱くのである?。
 あまり期待してはおらんが、夏目漱石君の『我輩は「ニャゴ」である』のスタンスの取れる人材が喩え化石の如くでも残っていたとは、感涙に耐えないのである。

 このたびの、教育基本法改正をめぐって、愛国心が主題とされているのであるが、愛国心とはとは日章旗を見て、燃えたぎるる「ワールドサッカー日本国勝て勝て!」の魂を言う。
 今回ワールドカップに出場した選手達は余程「国旗国歌」に対する尊敬の念を教育されることが阻害されていたのであろう。この日本を憎む日本国教職員組合の神髄に害されていた為、本来の実力さえ発揮できない不発のパイナップル爆弾であた。残る一試合においても期待せよと言う方に無理がある。
 
 きっと彼らは、「日の丸」を見、「君が代」を聞いた途端、力も発揮できなくなったのであろう。馬鹿な教育者の精華とはこのような所に現れる(日教祖諸君などは夢が実現してさぞ満足であろう、この実績をもって、更なる骨抜き日本人の育成に励む弾みがついたことであろう健闘を祈る)。
 
 青年よ!君等から覇気を奪った組合教師の組織を壊滅したまえ、国旗、国歌を尊重しない人材を徹底的に教檀から追放すべし。
 このような馬鹿げた事態は今始まった事ではないが、そういう、『朝鮮学校や中国学校』で起こるような事態が日本国の義務教育の現場で堂々と罷り通っているという事実を重く受けとめ、国家責務として、直ちに改善しなければならない。
 
 こんな『イカレポンチキ』どもがどのくらい頭が悪いかといえば、こんなふうである、「わしはこの社の社長である、民間企業の常として、到底我が社は中国の安物攻勢に太刀打ちできなくなること必定という断を下さざるを得ない状況に立ち至ってしまった。誠に残念である。従って、労働組合の諸君もこの現状をよくよく咀嚼し、我が社を清算することに同意願いたい」と社長は組合員に廃業の了解を得ようとした。

 しかし、労働組合はかように反発したという。

 「社長が説明する廃業は、我々に乞食になれと言っているに等しい、我々は乞食になりたくはない。従って断固工場の操業継続を要求するものである」と労働組合の代表は抗議した。

 そして、この会社の社長は更に説明したという。

 「我が社には、貴殿らとの雇用契約の取り決めがあり、貴殿ら一人一人の退職金支払いが保障できる分岐点が今である。従って、諸君に契約上の迷惑を掛けないように我が社を清算するという我々の方針を承諾してもらいたい」。

 「それでは、我々組合員の生活の保障が立たないではないか、ここは事業を継続し今迄通りの賃金の支給とボーナスを支給する責任が経営者にはある。従って、会社を清算することは『断固反対である』」と労働組合代表は主張し譲らないのである。(この馬鹿どもは退職金を放棄したことに気が付かない)

 これ程、馬鹿なことを主張しているのが、『国旗掲揚、君が代斉唱妨害』を試みる連中の精神異常者ぶりである。
 全国の若き『父親、母親』はこの馬鹿どもから我子の精神を守るべく立ち上がれ!この馬鹿どもを教職から追放すれば、税金の無駄ずかいをなくす活動の成果も大いに上がる。

 純真な子供たちが『無国籍無愛国者の毒牙』から守れた上に、親が感謝される子供に変身するのだ。

 くれぐれも愛国心とは教師が子供に強制するものではない。教師が子供たちから評価され、親を通して教育委員会に密告させられるべきものである。以後生徒は、教師がどれ程日本国を愛しているか見守り親に『愛国教師』かどうか告げるが良い。