昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

「恨」の彷徨先

2005年10月05日 | Weblog
 「恨」とは、生きることそのもの感じる「欠如の感覚」だという。そして「恨」は時空を超越するものという。時には、未来のとてつもない飛躍の原動力にもなるが、過去のある一点において生じた「恨」は現在をそして未来にも「半島の人々」の心の中に生き続けるものであると、呉善花女史が言っておったのを思い出す。

 今後も、折にふれ、心の奥底から発する言葉をもって、日韓の相互理解のため、話をしたいと思う。

 今、朝日新聞が非難を浴びているのであるが、この新聞が、日韓両国にとって有益な新聞であったかを検証したいのである。

 昭和三十五年二月の朝日新聞が行った報道に「北朝鮮礼賛報道」なるものがある。内容とはこんなものである。

 金日成北朝鮮主席が、朝鮮戦争で失った労働力を補充するため、在日朝鮮人を瞞着して「帰国」を扇動した「事業」の片棒を担いで「北朝鮮天国説」を鼓吹し続けた。はじめ帰国に懐疑的だった在日朝鮮人も、日本の有力メディアが言うなら天国に違いないと信じて「帰国」に踏み切った。(「正論」11月号)

 この北朝鮮天国報道に扇動されて帰国した在日朝鮮人達がどれ程ひどい目にあったかは、我々日本人より在日の半島人のほうがより切実な問題として、捉えていることであろうが、とても「天国」などではない、殆ど「地獄」であったと伝えられている。
 帰国した人々は、北朝鮮では当時、日本からの引揚者だと言って「差別」され「重労働を強制」され「劣悪な生活」を余儀なくさせられたと聞いている。「命の保証」さえないところへこの「朝日」のプロパガンダによって帰国する気にさせられたのである。
 こういう無責任な記事を書くことが「人道的な行為」と言えるのであろうか。「恨」の価値観をもって判断されるが宜しかろう。
 この新聞には愛国心と言うものが無い。愛国心の無いものは人を愛する事、思いやる心が無いことと同義である。
 当時ただ、時の金日成に尻尾を振り、ロビーの立場で善良なる在日朝鮮人を欺いた、そういう疑いが大いにもたれるのです。

 この検証は「在日の半島人」の手でなされるべき課題である。

 

至極当然のこと

2005年10月05日 | Weblog
憲法判断踏み込まず 靖国参拝訴訟で高松高裁 (朝日新聞) - goo ニュース
 
 この訴訟を起こした坊主共の見識は大いに疑問を持たれるところである。この文面ではその宗派は記載されていないので、残念なのであるが、話を簡潔化して、喩えればこんなことになろう。

 仏教にもいろいろな宗派があって、例えば曹洞宗の信者の親戚で葬式があったとして、ある親戚が真言宗に所属していたとする。
 そして、曹洞宗の檀家での葬儀が催されたとしよう、曹洞宗の寺院は真言宗に帰属する被葬者の葬儀に当たり、異教徒である事を理由に「争議に参拝する事適わず」といって、親戚を追い返すのであろうか?
 この坊主共は、そのくらい馬鹿げた訴訟を起こしているのである。
 人が何を考え、どのように感じるかまで干渉することが日本国憲法で制約されているなどと真昼に寝ぼけて夢でも見ているのであろう。

 こんな、馬鹿なことを考える暇があるなら、創価学会が公明党の支持母体であって、その支持母体の思想を持って政治に介入している事自体日本国憲法が禁止する政教分離の精神に著しく抵触しているのではないか。この問題意識をもつ事こそ望まれる宗教家像ではないのか。
 この宗教人が政治に介入しているという嘆かわしい現実を目を見開いて事態を認識し、憲法判断を裁判所に仰いで見れば、貴殿らの功徳は後の世まで讃えられるであろう。

 首相が靖国神社に参拝する事が良いだの悪いだのという、こういう行為こそ筋違い坊主共の愚行の極みである。