昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

適切な質疑応答

2006年10月31日 | Weblog
国歌斉唱は職務上の義務 教基法特別委で伊吹文科相(共同通信) - goo ニュース

 さすがに、『正論を語る才媛』は的をはずさない国会質疑をするものである。私などが声援を送ればかえって迷惑であるかもしれないのだが、この伊吹文明文部科学大臣も実に肝っ玉が据わった人物である。流石に『コンダクター・安倍』の独特なハーモニーを奏でる名器の真骨頂といったところか!。

 我が才媛はおそらく国際的国家感に鑑みて、当然過ぎるほどの質問を、歴代文部科学大臣がもじもじとして答えることが出来なかった質問を、日本人として当然のこととして、浴びせたのであるが、答弁に立った伊吹大臣は何と適切な答えを発したことか。・・・・卑しくも公僕たる公務員には、『職務上君が代斉唱』の義務があると答えたという。・・・・朝鮮人に君が代を歌えといえば、それは大変な抵抗があろうが、教職員が卑しくも日本人である以上当たり前の要求である。
 ここに文部科学省の立場=『国家の立場を明確に示す答弁』を誘発させるだけの誘導尋問を、国会議員就任一年生が行ったことは、大いに評価されてしかるべきである。

 彼女はまた、民主党の『日本国教育基本法』を提出した藤井修氏からも教職員は国家君が代を受け入れて当然という言葉質を取ったという。・・・・このような稲田朋美氏の武勲を大いに讃えたい。いっそのこと、創価学会の代表にも感想を求めたら、尚一層有意義であったろうと少しだけ悔やまれる。

 何はともあれ、一年生議員としては上出来であったと我が感想を書き記しておこう。

民主の生命線とは

2006年10月31日 | Weblog
衆院教育基本法特別委 公立未履修4万7000人に 既卒者の卒業資格も検討(産経新聞) - goo ニュース

 民主党諸君!君たちの無能ぶりが実にこの『衆院教育基本法特別委員会』において暴露された。政府与党の蹴られたくないスネにどうして蹴りこまないのであろう。

 巷では、政府自民党などと称されているのであるが、実は『政府創禍愕界』ではないかとこの政権を疑問視する声なき声もあるのだ。日本国民が99.9%の確立をもって危惧している実態を把握できていないから、次の政権を目指す野党の迫力に欠けるのである。
 政府創禍愕界は現行の日本国憲法の政教分離の原則を踏みにじらない限り存在し得ないのであるから、遠く江戸幕府のやった『踏み絵』政策でも提唱してみたらいかがなものか。彼らのアキレス腱は日本人に愛国心を決して持たせずろくでもない国の人権を日本本土に具現することにあるのだ。

 だから、ここは『日本人の愛国心』の一点張りで政府創禍愕界を攻め立てるべきである。民主党員が愛国心をどんなに叫ぼうと、民主党を破門されることはないであろうから、諸君は叫べ、与党創禍愕界の教育基本法は挑戦人の立場を尊重するあまり、純粋なる日本人の立場を無視するするものである。
 ところが、こういう点を目くらましするのは敵さんも実に巧妙であって、地球人を養成するとか外国の立場を尊重するとか聞こえの良いことを言うのである。

 しかし、周知のように、ロシア人は無防備な日本の漁民を的としたし、中国は年端もないチベット人の少年、少女を射撃訓練の標的としている。こういう周辺世界の実相も教育することが肝要であろう。
 日本国民たる『アイデンティティー』を無視した形で成立させようとしている無国籍の教育基本法に対して、『自民は、もはや創禍の犬か?』と叫べよ叫べ!。

 季節はずれの童謡であるが、「春の小川はサラサラ流る岸のスミレやレンゲの花に姿優しく色美しく咲けよ咲けよと囁きながら」と純粋な日本人の心根を歌った歌詞を政府『創禍愕界』の連中に思い起こさせてあげるのも、純粋な日本国民であるところの『民主党』の構成員の重要なお仕事である。

 おそらく、トリオ・ロスAANも民主党から現政権のタブーに関わる主張が出てくることを期待する向きも有りや無しやでるが、民主のトン・チン・カン執行部は野生的な政治臭を嗅ぎ取るだけの政治家としての素質にまるで欠けているようである。

 ここは、日本人の日本人のための教育基本法を創るべきであり得体の知れない地球人の要請に応えるべきではない。

まともな社説

2006年10月29日 | Weblog
10月29日付・読売社説(1)(読売新聞) - goo ニュース

 まあ、ここらあたりが日本のメディアとして、まともな社説といったところか。

 核兵器保有国は、自国のエゴで核拡散防止条約(NPT)構想なるものをでっち上げ、非核保有国に何時までも「非核保有国として、虐げられた国であり続けよ」などと叫んだところで、所詮絵空事である。何故なら、持たざる国から見れば、彼らは核保有国たる特権を貪っているいるのだから。

 この呈で事が運んだ場合、恐らく国際社会は北朝鮮の核保有にストップをかけることは出来まい。・・・・核保有国自身が、核など世渡りの方便に過ぎないことをとてもよく認識しているのだ。世界に冠たる被爆国の核アレルギーなど持ち合わせてはいまい。

 ここは、日本も『NPT体制は既に崩壊した』という前提で、国を守る方策を練り直すべきである。更にいただけないことは北朝鮮の仮想敵国は間違いなく日本である。

 米国の政権も、日本が毎年国連に提出している核軍縮決議案に反対票を投じ続けているという。・・・・本来なら、日本のマスコミはその辺のところを日本国民につまびらかにし、国際政治などというもの建前の理論とは裏腹に、「地獄の沙汰も金次第」などという処世術の真理をも理解させる責任があると思う。・・・・アメリカなど核軍縮決議案を可決すれば、他の核保有国が自国にとって代わるだけだと認識しているから、反対以外の選択はあり得ないのだろう。

 ところで、我が祖父たちは、日本人をはじめとする有色人種が白人から虐げられることに敢然と立ち向かって行った結末が、先の大戦で惨憺たる敗北を期し、戦後60年経った今、日本固有の社会道徳はなくしてしまうは教育は崩壊してしまうは敗戦の生き地獄に悶々とした日々をを味わっているのだが、日本人が他国の人を差別する(現実にはさほどのことでもない)ことには必要以上にナーバスに調教されてしまっているのだが、当の日本人が外国からどれ度『差別=虐げられている』かということには、とても『鈍感』である。何時までも地上のお目出度い民族であれば良いということでもないだろう。

 ここは、我が父祖の正義感と勇気を再認識し、学ぶべきところは謙虚に学ばなければなるまい。

現実からの逃避団体

2006年10月28日 | Weblog
核兵器と人類の共存なし 地球市民集会が開幕 長崎アピール23日採択(西日本新聞) - goo ニュース

 こういっては何だが、この地球市民集会というのも一種の宗教団体の会合なんだろう。
 現実を直視できない連中のお題目というのが、日本は世界唯一の被爆国云々ということらしいが、『核兵器と人類の共存なし』など、北朝鮮の仮想敵国たる日本人が、なんと不甲斐ない声明を発することやら。こんな日本の危機的状況においてさえ、このようなアホらしい白昼夢のごときたわごとを言っているから、三度目の北朝鮮による核の人体実験すら呼び込みかねない。まさにこれは、馬鹿げた核アレルギーによる核実験奨励宣言である。長崎は再度北朝鮮や中国による人体核実験を容認したいのか。

 世界の現実というのは、核兵器という凶器の恐怖(使用するブレーキ)の上にバランスした不正義状態を言うのであって、これが平和の根源であるという認識を持つことも、これまた大切なことである。

 核兵器があるがゆえに、平和でありたいという願望が生まれてくるという現実にも気づかなければならない。核廃絶などという現実離れした主張をして、自己満足するより、日本もいかにして『核保有国』となり、核の脅威を前面に出した核の脅威にすがる『世界平和』への貢献をすることのほうが、余程現実的な貢献のあり方ではないのか。

 戦争をしないということが平和(不戦)であるというなら、核を持って自らも使わないし、他国他国にも使わせないと誓うのが国際政治における国家の有り様だと私は思って止まない。

 我が日本国は、現時点においてすら、北朝鮮の知恵に負けているのだ。・・・早く日本も不戦の誓いを込めるべき核を持とう!。

自主性尊重=サボタージュ奨励の公理に気づけ

2006年10月26日 | Weblog
「必修」逃れ18道県98高校に拡大、成績表改ざんも(読売新聞) - goo ニュース

 これはもう日々に記録更新である。つい最近までは11都道府県66校だったはずが、今日はもう18都道府県98校だとさ、明日は如何ばかりの都道府県の何校が履修必須科目を排除していたことやら、教育現場の自主性を尊重するとは、結果として言えることは、サボタージュの奨励策に過ぎないということが、白日のもとにつまびらかとなったのである。

 ところで、高校教育の目的が何時から大学受験のための予備校化してしまったのだろう。仮に私が受験生であったとして、受験する大学に高校で履修すべき科目が免除されているとしたら、やはり志望校の受験科目にない学科をどうして学習しなければならないのかという疑問を持ち、出来ることなら、そんな自分の受験に関係ない科目の履修を免除してもらいたいと願うのは人の常である。

 したがって、高校の履修科目の学習成果を大学側は何らかの形で、受験生に問うべきであろうと思う。高校で履修すべき全教科を何らかの形で出題すべきではないのか?。

 それにしても、これほどまでに文部科学省は、教育現場から屁馬鹿にされ無視され続けてきたというこの実績に対して、事の重大性、自分たちの不甲斐なさ、そして、その不甲斐なさのためにはかならずも命までも自ら絶たざるを得なかった幼い命に報いるため自ら首を括るつもりで謙虚にならなければならないと思う。(高校の履修科目委棄問題とは別の話題であるが、心根においては同根であろう)

 とにかく、教育界はやれ公営だの私営だのという枠を乗り越えて、まともな日本人を育てあげる教育ノウ・ハウを構築してもらいたい。・・・・これが日本の善良な国民の願いである。


Cuando Caliente SHIZUOKA#56

2006年10月25日 | Weblog
 何でも、スズキ自動車の四輪生産が最高を記録しているという。・・・・どちらかといえば、さほどうだつの上がらない産業に属している身からすれば、なんとも羨ましい限りである。

 ここは、静岡新聞の記事を写し取っておくだけの価値もありそうである。

 スズキは24日、2006年度上半期の四輪車生産実績が国内、海外ともに過去最高を記録したと発表した。
 国内生産が前年比10.6%増の59万2千七百25台、海外生産が4.2%増の53万5千177台、トータルの世界生産は7.5%増だった。販売では登録車の国内販売が過去最高を記録したほか、輸出も高水準を維持している。
 国内生産は国内向け、輸出向けともに増加し、海外生産では主にインド、パキスタンが増加している。(静岡新聞より)

 このスズキ自動車に関する限り、いまだに創業者たる『鈴木会長』の元、いかなる身の振り方も出来る数少ない優良日本企業の一つであろうと私は注目している。この鈴木会長の持論というのが実に振るっていて、今や日本を代表する大企業になりあがったにも拘わらず、『中小企業の心意気で行け!』と社員を鼓舞し続けておられるという。実に、日本の物づくり精神の本質を説かれてやまないお方なのである。この物作り精神を叩き込まれた『スズキ人たるアンタ』は日本国広しと言えども、宝くじに当たったくらいの幸運だと思うべきである。

 さて、この酔っ払いめのsongzhao が何を言いたいのかと言えば、実は私スズキの相良工場に頻繁に出入りさせていただく都合により、今までのトヨタ車を捨ててスズキ車に乗り換えたのである。いささか抵抗があったのであるが、SWIFTに乗せていただくことになり申した。初めの印象として、これはもはや軽自動車かと思ったのであったが、わが社からあてがわれて愛用してみるに付け、「これは、何とも素晴らしい足であることか!と感服すること仕切りである」。

 初め、これはいささかチンケではないかというデザインも、見れば見るほど実は、洗練されたフォルムなんだという認識を新たにすること仕切りである。・・・・要は、この上なくヨーロッピアンなのである。ローバー・ミニの風格がある。特に、日本のお嬢チャンたちに認識してもらいたいことは、このスイフトのヒップ周りの好ましいフォルムである。少し滑稽で微笑ましい。なんともいえないアンバランスがこのオジサンはとても好きである。日本の女性もこのように印象的なヒップの持主であって欲しいと願わずににはいられない。

 ところで、この車一旦高速道路で苛めようものなら、こっちがまいってしまうくらいの実力がある。100キロ走行時のエンジン回転数は2500回転、3000回転回せば、なんと120キロに達するのである。たかだか1.5リットルのエンジンのなせる業である。

 そして、この車には、DUAL燃費計なるものが付いていて、リッターあたりの走行距離が表示される、その位置は、安全運転じょうもう少し改良されてしかるべきであるが、道路の傾斜を感じながら、あるいはこの車に当たる風を感じながらドライブ心を満足させてくれる嗜好は、やはりヨーロピアン・テイストなんだろう。自転車に乗って、風や道路の勾配を楽しむロード・ファンのセンチメンタリズムの要請にも応えてくれるのである。

 因みに、スズキの『スイフト』は2006年RJCカー・オブ・ザ・イヤーならびに日本カー・オブ・ザ・イヤー特別賞「Most Fun」受賞作品だとさ。

 もう一度、声を大にして叫ぼう「日本女性よSWIFTのヒップ美を参考にいたせ!」。

これでもお中国さまかい?

2006年10月22日 | Weblog
中国の人権蹂躙映像、世界へ チベット亡命少年僧ら銃殺 (産経新聞) - goo ニュース

 なんともひどい話である。普通なら百年の恋も一瞬で冷めるのであるが、日本の屈中派連中の思い上がりも極致にた達しているのであろう。事の悲惨さを語るものとていない。
 日頃『人道』だの『人権』だの『人間愛』だのと、けたたましく扇動活動を続けている某朝鮮系の宗教集団にコメントの一つも発してもらいたいものだが、こういう肝心なときはだんまりを決め込む臆病者の権化でもあるのだ。

 年端もない少年少女、それも僧職にあるものを後ろから、まるで犬を撃つように射撃したという。きっと所持する鉄砲の試し撃ちをせよと、国境警備隊の兵士は命令されたのであろう。無防備なら攻撃されないなどという憲法を戴いている日本人は、中国人の野蛮さに背筋も凍る思いがする。

 中国とはこういう国柄である。・・・・日本人だけは別であろうなどと愚にも付かない思い上がりが屈中派の心の拠り所とするなら、この惨劇・・・恐らく日常茶飯時の出来事の一端を偶然撮影したこのフィルムを見て、どのように解説するつもりか?聞きたいものだ。屈中派人士よ!これでもお中国さまか?。

 ところで、19日に中国の唐カセン国務委員という御仁が金正日と会談し、北朝鮮は南北非核化宣言を順守するという言葉質と申し訳ないと侘びたという情報が、21日中国政府から日本に説明されたという。しかし、鳴り物入りでピョンヤン入りした唐氏が中国に帰還したのもつかの間、北朝鮮はピョンヤンにいる米ABCテレビ記者に『再核実験否定せず』と真相をリークしたという。これでは、中国共産党ナンバー2などというふれ込みで北を訪問した唐カセン氏は本当に中国の実力者か?と世界中の笑い者である。

 このとき、訪中していたライス国務長官もこの話を聞いて、「あんたは、子供の使いにもならないではないか」と深く絶望感を心に刻んだに違いない。・・・最近では、時代も変わって、『朝貢』という意味が中国要人が『朝鮮詣で』をするという意味になったのである。・・・・しかし、中国も北朝鮮も負けず劣らず「蛙の面にしょんべん国家」であるのだよ。時間稼ぎの達人である。

本質を語る人

2006年10月21日 | Weblog
 中川昭一政調会長の例の『核議論はすべき』という主張は矛を収めたかに見えたが、実は余程の信念で発言していたようである。

 20日、浜松市内で開かれた自民党静岡県連西部地区党員・党友の集いで公演し、北朝鮮による核実験発表に関して「憲法を守り、非核三原則を前提に核の議論はすべき」と述べた。氏は15日のテレビ番組で、核に関する議論の必要性を訴えていて、改めて持論を強調した。

 「私の発言に厳しい批判もあるが、皆さん真剣に考えているということ。対話と圧力も大切だが、相手が核となれば、核の議論ぐらいはすべき」と語った。

 北朝鮮による日本への核攻撃については「普通はやらないが、あの国の指導者は糖尿病ですから、考えてしまうかもしれない。広島、長崎に続く第三のどこかが被爆地とならないようにしなければならないとも述べた。

 民主党の鳩山由紀夫幹事長が「議論自体をすべきでない」と批判したことには、1999年10月に鳩山氏が「議論すらいけないとという発想はいかがか」などと述べていたことをあげ、「責任ある立場の人が百八十度変わっていいのか」と反論した。(静岡新聞より)

 中川氏の核保有議論の真相とはこのようなものであるらしい。しかし、共同通信などでは、糖尿病患者の団体がこれに抗議したなどという筋違いも甚だしい記事を掲載していた。中川氏とて、糖尿病患者の人権を念頭において、金正日氏の気違い沙汰を例えたわけでもあるまいにである。誠に中狂の御用聞きメディアの臆病さには呆れたものがある。

 ところで、麻生外務大臣もこの中川氏と同じスタンスだと察せられるのであるが、日本政府の要人が「非核三原則を見直す」とか「核に対する議論を深めよう」などと発言するだけで、中国はおろか米国までが日本をそれなりに評価するようになるという現実に、日本国民おのおのが目覚めることがとても肝要であると思う。

 この際、民主党の前原前代表などは、核武装による福祉国家建設論でもぶって、将来の日本国首相の座に挑戦してもらいたいものだ。野党人たるものコンサーバティブであってはならない。

 日本の奇妙なところは、野党が革新勢力ではなくて発展を阻害するブレーキであることが大問題なのである。野党勢力が何時までも過去に固執していては、到底天下を取ることは夢のまた夢である。・・・・どうして、太宰治あたりの『斜陽』性向に憧れるのか、さっぱり理解できない。『日本も核を持って超福祉国家を建設しよう!』・・・・このぐらい建設的な発想がなくては、民主も所詮第二の社会党予備軍というだけである。今やノーパンフリチンのみずほちゃんに同情することより別の道を選択すべきだと思います。・・・・そうで御座ろう『前原殿!』。

songzhaoのボケ封じ数学講座第19講

2006年10月21日 | Weblog
 songzhaoのボケ封じ数学講座第18講の一部訂正とお詫び

 先般の18講において、私の不注意によるミステイクがあったので、該当箇所を訂正しておきましたので、参照、訂正していただきたい。

 600番台の『時代数の係数R』を算出するサブルーチンが正常に機能しなかったため、西暦でデータを入力したとき、天皇の年代が正しく出力できませんでした。・・・誠にもってお恥ずかしい次第である。

 この際であるから、このプログラムの補足的な説明をしておきたいと思います。

 最近では、外国人も私のプログラムに興味を持ってくれる人がいると思うので、日本文化を紹介する意味合いで書いておきます。

 日本では、伝統的に、天皇が新しく代わるごとに新しく年号を定めます。特に、明治(meiji)時代以降、天皇は一旦即位すると存命される限り、天皇であり続けなければなりません。途中で退位することはありません。
 明治以来、大正(taishou)、昭和(shouwa)、平成(heisei)と天皇の死亡による新天皇の即位により新しい天皇の年号が定められてきました。今年は平成18年ですから、平成天皇が即位なさってから、18年目ということになります。

 日本人は、時代を表すときもっぱら天皇の年号を持って表現することをとても好みます。・・・・しかし、何百年も昔の歴史を特定するには西暦のスケールを使います。

 特に、自分の誕生日を記憶するには、昭和何年生まれとか、平成何年生まれとかもっぱら、天皇の年号を使うので、それが西暦何年と聞かれると、即座に答えることが出来ない人のほうが多いと思います。

 私としては、そんな日本人のウイークポイントをカバーするためにこのプログラムを作ってみました。

 明治時代とは、1868年9月8日~1912年7月30日
 大正時代とは、1912年7月30日~1926年12月25日
 昭和時代とは、1926年12月25日~1989年1月7日
 平成時代とは、1989年1月8日~現在に至る。

 ここで、お気づきのように、明治時代から昭和時代までは、年号の終わりの日と始めの日が重複しているのですが、昭和の終わりの日と平成の始めの日は重なっていません。これは、戦後天皇の即位に関して法律が変わったからだと思います。

 また、このプログラムでは、天皇の年号によるデータに対しては、正確に西暦のスケールにプロットできますが、西暦によるデータに対しては、正確に天皇の年号にプロットできない場合がありますので、承知してください。

 例えば、1912年は明治45年でもあるし、大正元年でもあるのですが、このプログラムでは一様に大正1年という表示になります。
 同様に1926年も大正15年と表示されずに昭和1年と表示されます。1989年もまた昭和64年と表示されずに平成1年となりますので、承知願います。
 

ニートよ奈良市の職員となれ!

2006年10月19日 | Weblog
5年間で出勤わずか8日 奈良市、給与満額(共同通信) - goo ニュース

 まあ、日本国という世の中がこれほど呆れたものかと、世間知らずなオジサンはもはや失禁しそうである。一体公務員の職場というか勤労意識というのはどうなっているのか?。(私とて、休まず遅れず働かずという極意は承知している)

 卑しくも公僕とは、公衆にご奉仕する人材ではなかったのか?。・・・・これではまるで、納税者による『ろくでもないニート療養施設』ではないか。こんな人材を抱えた地方公共団体の納税者の顔が見たいものである。そのお人よし住民の顔には『慈善団体』たる張り紙が貼ってあることであろう。

 最近の蚊は、地球温暖化の恩恵で、血を吸う技術も大胆になったのであろう。それにしても、この職員の周りには同僚もいたことであろうが、どうして、このような不正受給を看過したのかまったく理解に苦しむ。・・・・ひょっとして、次は俺の番などという談合が行われていたのではないかと勘ぐりたくもなる。・・・・しかし、我が静岡県にもこのような美談が無いか、他山の石としなければなるまい。

 これと同じような話は、何も奈良市だけのものではない。巷でロイヤル・ニートなどと評されているお方も、この事例と同じようなものと察せられる。
 このままのご容態であらせられるなら、もはや日々にご自分に厳しく、持病を押してご公務を御遂行なさる天皇陛下と陛下をお支えなさる皇后陛下のご心中を慮り何らかの結論を自らお下しになったらいかがかと、つまらぬことを連想した、奇想天外なニュースであったことか。・・・・まあ、この奈良市の職員にも事情というものがあったかも知れないのだから、その辺も知った上で無いと感情的な決めつけも憚られるということであろうが。・・・・

教育ヤクザの仕業をつまびらかにいたせ!

2006年10月18日 | Weblog
文科省「からかいあった」 中2いじめ自殺調査で(共同通信) - goo ニュース

 私はこのちっぽけなサイトを通して、教祖狂の親玉たるマキエダとか言う人物がこともあろうに北朝鮮の「キム・ジョンイル」とかいう御仁と入魂であることをアピールしたことがあった。
 聞くところによれば彼は、内部組織の会合で、それを高らかと自慢し、日本に北のユートピアを実現することが生涯の夢であると、謳いあげることにとても熱心であったと人づてに聞き及んでいるのである。

 おそらく現在そのキチガイの配下の教師どもによって、馬鹿げた夢は実現されつつあるのだろう。うかうかしているとあんたの息子や娘が第二第三の犠牲者になること必定である。子を思う親は、あなた方が予想も付かない卑劣なやり方で、あなた方が手塩にかけて来た子どもの命さえ、いかがわしい教育者の毒牙にかかって首吊り台に押しやられるかも知れないのである。

 ここは、愛するわが子と愛情を持ってコミニュケーションをとって、いかがわしき教師を文部科学大臣に直接告訴すべきである。(とにかく、今は非常事態である・・行儀作法などといっている時ではない)

 この種の事件の一連の経過を観察する限り、教育者組合に籍を置く教師や教育委員会のメンバーなど、口では、子供の人権などと尤もらしい能書きを垂れているのだが、実は子供の人権などどうでも良いのである。義務教育の期間中、学校という折の中に入れておき、教師自ら子供をいたぶって遊びほうけた挙句、時が来れば自動的に子供たちは、まともに字も書けず算数も出来ぬまま卒業していくのであるから、だだ自分たちの『その場の飯だね』にさえなれば良いのだ。せいぜいいたぶってやればよい。・・・・こういう人材が、校長先生の賞賛する『模範的教師像』である。(彼らは事件を起こした不良教員に対し版で押したように彼はまじめな教師であった、どうしてこのような事件を起こしたかまったく分からないと弁明してあげること必定である)・・・何のことは無い校長センセ自身もかくして、現在の地位を獲得したのである。(かくして事なかれ主義の極意は継承されるのだ)

 更に悪いことに、教育委員会の構成委員など、模範的退職教頭や校長の天下り先である。・・・これでは教育再生などと、なんぼ叫んでみても、とてもおぼつくまい。・・・・教育者の教育知らずの愚図がここに厳然と存在するのだ!。・・・・で、どうする『安倍首相』!。

鳩ぽっぽ

2006年10月18日 | Weblog
中川氏の「核保有論」、民主・鳩山氏「あるまじき発言」(朝日新聞) - goo ニュース

 ポッ・ポッ・ポッ 鳩ポッポ お豆が 欲しけりゃ それやるぞ みんなで 並んで 食べに来い!。

 ポッ・ポッ・ポッ 鳩ポッポ 票が 欲しくても やらないぞ 言論封印 は中国の 通行手形 だ よ~ん。

 何時から頓珍漢・民主は言論封印を奨励するようになったのか。『あるまじき発言』だの『言論封印』などとおよそ民主主義国家では禁句となっている言葉を巧みに使って、もはや日本国における政党であることを放棄したようである。 

 これでは、北の将軍様の脳構造となんら代わりが無い・・・・お互いに人類であるから、当たり前という理屈も正しいが、我々日本人が主張しようとするところのものは、思考方法や価値観が瓜二つであることを危惧しているのである。・・・・おいでませ!・・・北の楽園へなどと言い出す直前の事態と見えたり。・・・・北朝鮮・ロシア・中国連合をユナイテッド・ドリームダムと言うそうな。

 気をつけないと、丸腰の日本人が威嚇射撃の的となり、蜂の巣にされるんだぜ。銃弾を日本人の体に五発も撃ち込んでおきながら威嚇射撃などとシラヲ切る連中にあこがれる馬鹿もいないってことさ。・・・・世間知らずの鳩ポッポチャンそんなにお人よしでは明日は無いんだぜ!。

 日本国のみんな!・・・次の選挙ではレッド・パージ(頓珍漢・パージ)しようぜ!

願わくば馬鹿は早く死んでくれ!

2006年10月17日 | Weblog
他国の実験、有事と呼ばぬ…周辺事態認定に山崎氏反対(読売新聞) - goo ニュース

 他国の実験を有事とは呼ばぬですと、まるで国際的感覚の無い政治家の弁とは、もはや南無妙法蓮華経族の危機管理よりその質が格段に落ちるといわざるを得ない。

 確かに他国というのは日本国以外の国を指す=外国の総称である。そのような外国(他国)は、東西南北いろいろな国がさまざまあって、距離的に遠い国のならず者が、核爆弾を製造しようが中東の砂漠で核実験しようが、輸入した原油にどれほどの死の灰が含まれていようが、日本人の生命に直接的影響を及ぼすような深刻な事態に及ぶ恐れありということは、今の今まで、想定できる状況にまでたち至るものは無かったといえる。

 戦後60年に及ぶ日本周辺のぬるま湯的平和状況というのは実に恵まれすぎていたのも事実であるが、同時に日本人自身が、率先して『ノーパン・フリチン的平和主義』に傾注したことは、大変に不幸なことであった。(アホ・ヤマザキの配下のなんと多いことやら)。

 ところでセンセ今夜の貴女のいでたちはトランス・アピアレントTバックにディオールの香水に御座ろうか?。

 不幸の第一とはこのような日本国最低の国会議員がゴールデンバット=(昔は下層階級しか吸えないタバコであった)のごとく市民権を得ようと必死になっていることである。

 この山崎氏というのは九州を票田とする国会議員であると人づてに聞いたことがある。彼の故郷では山崎当選の合言葉は南無妙法蓮華経と唱えることであるらしい。無愛国愛朝よ永遠たれ!。

 朝鮮人に迫害される日本人の嘆きが聞こえて来そうである。南無妙法蓮華経!。

 まあ、山崎氏の信奉する宗教的立場から、憎むべき日本人には餌も摂らせないよう犬が金網で出来た轡を装着され、土佐犬を引き回す太いロープで首を括り街道を引き回すことがチョンコロの日本人に対する願望なのだ。

 そして、そのチョンコロどもの渇望を果たさしめるのがこの山崎拓である。奴は朝鮮人の権化である。キム・ジョンイルの分身なるぞ!。・・・・まあ少し酔っ払った連中は、キム・ジョンイルに寄せる憎しみを山崎先生にぶつけて憂さ晴らしをするに違いない。・・・・・この山崎氏に明日はあるのであろうか?。・・・・

 まことにどうでも良い話題であったことか。

シュミレーションとリハーサルの時

2006年10月16日 | Weblog
麻生外相「船舶検査開始まで最低半月かかる」(読売新聞) - goo ニュース

 まあ何だな、この麻生外務大臣がその持てるインパクトにおいて、安倍内閣のスポークスマンとなった感がある。安倍内閣においては、右一点、実に頼もしい人材である。 

 今、北朝鮮というならず者のおかげで、日本の弱点が白日のもとに曝け出されているのであるが、こういう国難一歩手前のときにこそ、政治家は国民に独立国家としての日本国のあるべき姿を『つまびらか』にし、せめて日本円が国力に見合うだけの地位を獲得していれば問題は無いではないかと思いをいたし、かくも不甲斐ないのはいかなる理由によるものか?といった類の銭金(ぜにかね)の値打ちの担保について厳かなる議論の一つもぶち上げてもらいたいものである。

 今までの所謂『ノーパン・フリチン政策』により、国を守るという意思が国際的に認識されることが無いばかりに、我が知恵と汗の結晶である日本円がいかに安く評価され続けて来たことか。・・・
 純真無垢な日本人の手を取り足をとって、その魂に咀嚼せしめてもらいたいのであるが、その役目を負うのはやはり『麻生太郎氏』の他には無いのであろう。

 わが国の通貨『円』が国際的に正当な評価を受ければ、それは現在の対外為替レートの二倍は下らないだろうということである。

 日本円の価値を二倍の価値にすることなどとても簡単なことである。先ず、「我が日本国は、通貨円の価値を国際的に保障する責務があるのだから、わが国の主権をも侵害しかねない北朝鮮の核に対抗するため、本日を限りに憲法でさえ担保していない非核三原則を廃棄し、米国の日本本土への核持込を容認する」・・・とこのように宣言するだけで、世界中の投資家は日本円買いに殺到するのである。
 こういう場合には、悪評の誉れ高き某日銀総裁は、動物的相場観を遺憾なく発揮し、日本円を増刷し、買い向かう外国に供給するのだ。かくして、我々の老後はどのように細々と生計を立てて行ってよいものか思いあぐねる熟年の悩みなど、吹っ飛んでしまうのである。

 小沢民主党、福島社民党、小池哺乳瓶共産党、それに南無妙法蓮華経のみんな、我が日本国がおそらく出来もしない『核武装』を世界に叫べば、日本円の価値と相殺して尚有り余る福祉社会が実現するのだ!。

 ここは、原則を捨てて、『老人福祉』のために叫べ・・・・「日本は核武装すべし!日本は核武装すべし」と・・・・・いかに世界の三流政治家であっても、このぐらいの現実を見る目は必要であるし、理念を超越した処世術をもって政治ということに気付け!。我々の老後をばら色にするも地獄にするも野党議員の甲斐性にかかっているのだ!。・・・・・お分かりであろうか皆の衆!。
 

世界悪文大賞No.1作品?

2006年10月15日 | Weblog
少年の「親殺し」急増 格差社会のひずみか(朝日新聞) - goo ニュース

 世界に名だたる日本マスコミの記事も、ここまで来ると、中学生の『つづり方』=作文と比較して、優劣を競うべき段階にあるといえる。このようなメディアの記事が大学受験の試験問題に取り入れられているという話を随分昔に聞いたことがあるのだが、この記事を読ませていただくに付け、これしきの文章をお受験のテキストに取り入れられたのでは、それはもはや受験生に精神錯乱をきたせと強要しているに等しい。

 経済的に恵まれた世帯の男子の(刑法)犯罪が目立つのだという。調査の結果そういう傾向があったとしてもなんら不思議ではないと理解させられたとしても、それがこの新聞が言う『格差』といかなる相関関係があるのかまったくチンプンカンプンなのである。
 おそらく格差社会とは、社会的な貧富の差によって人為的に創られた貧富の差を言うのであろうが、こともあろうに恵まれた境遇で何不自由なく親から小遣いを貰い、塾へも通い抜群の恵まれた勉学環境にある子供たちの凶悪犯罪を持って、それが格差による必然的な犯罪であったなどと、・・・・覚醒剤で幻覚でも見ている者の作文か?・・これは。・・・・ならば、格差にあえいでいる貧乏人の子息の立場は、一体どうなるというのか?・・・愚か者め!。

 大体が、能力も人間性もない人間に、その自主性を慮って自由にものを書かせれば、宇宙の常識をも無視したような作品が出来上がるのである。・・・これでは銭を出して購読している善意の第三者は馬鹿だという宣告を受けたに等しい。まことに御愁傷さまとエールを送ろう。

 親の子に対する期待が、いかなる根拠で格差と関係するのか、子に期待できる資格は、所謂社会の底辺に住まう『貧乏人』にはないとでも言いたいのか?。・・・これほどまでに貧乏人を屁馬鹿にした新聞記事というのも世界を見渡しても探すのはたいへんであろう。

 親が、わが子に「まともになれ」と世話をやくのが格差か?・・・ならば、朝日新聞が日本人のお行儀を教えに来てくれるのか?

 短絡的で幼稚な犯罪は全て、格差に起因するのか?

 個の主張が家族という最も身近な人間関係より価値あるものなのか、そしてそれが格差とどのような因果関係を持つのか?

 勝ち組と慢心している親の希望で更に勝ち組にさせたいという金持ちの利己主義が、貧乏人の格差とどういう因果関係を持つのか?

 次元の違う話を我々貧乏人たる庶民にあてつけられては、途轍もなく迷惑千番である。・・・・やっぱり朝日は貧乏人の読者を相手にはしていないのだ。