昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

歴史再認識(第八話)

2005年10月02日 | Weblog
 朝鮮を開国させたのは1876年(明治9年)日朝修好条規によってであるがそこでうたわれていたことは「朝鮮国は自主の国」である。即ち独立国であるということを確認し、清朝の影響を絶つことを目論むものであった。

 それからというもの日本は朝鮮に対し、軍隊の改革に力を貸したのであるが、1882年改革に取り残され、冷遇された事に不満を持った一部軍人が暴動を起こしたのを機に、清は軍隊を派遣して暴動を鎮圧して、日本の影響力を弱めた。
 更に、1884年(明治17)には、明治維新にならって近代化を推し進めようとした親日派である金玉均らがクーデターを起こしたのであるが、清の軍隊がまたしても弾圧、鎮圧してしまった。

 当時、朝鮮の人々がどう思って思っていたは別として、日本人は隣国同士手を取り合い協力して、西洋人の侵略から国を守り抜くしか手段はないと信じたのである。
 
 朝鮮側にも革命を志す若き志士はいました。それは金玉均です。彼が16歳の時、朝鮮沿岸に現れたアメリカの海賊船ジェネラルシャーマン号が朝鮮側の退去要求を無視し、大砲を撃って住民を殺戮、略奪、暴行し朝鮮側と戦闘することがありました。これを機に、西洋列強は朝鮮を植民地化しようと侵略の矛先を向けるようになりました。
 この光景を目の当たりにした彼は、朝鮮の近代化は必要欠くべからざるものであると認識しました。
 そして、いち早く近代国家への道を踏み出して成果をあげていた日本に学ぶべく、この金玉均は1880年(明治13)頃から、何回か来日し、福沢諭吉と親交を深め「独立の気力亡き者は国を思うこと深切ならず」(独立するという気概のない国民は真剣に国を思っていない者である)というような教示を受け、また福沢諭吉も彼を「一身独立した気力あふるる志士」と評価し、後に暗殺されるまで、支援し続けたそうである。
 1884年金玉均は日本に留学していた学生や仲間と甲申政変を起こします。これは、現封建的王政を倒して、別の国王を立てて、近代的で開化的な新政権を打ち立てようとしたクーデターでした。最初成功したものの、清軍に弾圧され、三日天下に終わってしまいました。
 彼は、命からがら日本の福沢諭吉の元へ亡命するのであるが、その時の話がまことに美談である。
 金玉均が、朝鮮に使わされていた竹添公使と共に、日本遊船の千歳丸で日本に向おうとしたとき、朝鮮側から金玉均らの引渡し要求を受けた竹添公使は、日本政府が不利になることを恐れ、引渡しに応じようとしました。ところが、福沢諭吉の引き受けの意志を伝え聞いていた船長は「私はたとえ公使が引渡しを命ぜられるとも、人道上断じて下船させることはできない」と言って、彼らの命を救ったのである。
 この時代の日本人にはこれくらいの「正義と思えば何事にも動じない気骨」があったことをこの史実から学ぶべきである。この話を聞いた日本人は深い同情の念を起こしたといいます。
 福沢諭吉は日本に亡命した彼を十年間支援し続けたのでしたが、上海で暗殺されたという報を聞き「朝鮮のためにふこうである」と嘆きました。

 話が脇道にそれてしまいましたが、金玉均の甲申事変後1885年(明治18)日清両国は朝鮮に出兵する際は、事前に通知しあうという条約を結びました。
 朝鮮における、清との勢力争いで二度後れを取った日本は、将来の戦争に備えて急速に軍備を拡張し、対等な軍事力を持つに至りました。
 
 1894年(明治27)、朝鮮南部に甲午農民戦争という暴動が起こり、農民軍は、外国人と腐敗した役人を追放しようとし、一時は朝鮮半島の一部を制圧するほどであった。僅かな兵力しか持たない朝鮮王朝が、清に出兵を求めたのに呼応して日本も清との条約を口実にして、軍隊を派遣し、日清戦争が始まりました。
 戦場は、朝鮮のほか、満州南部などに広がり、日本は、陸、海戦において清を圧倒し清に勝利した。
 新兵器の装備が充実していた事、軍隊の訓練、規律に勝っていた事、日本国民全体が国を挙げて勝利するという意志でまとまっていた事が勝因であった。

 この戦争は1895年(明治28)下関条約によって終結するのである。
 この条約により日本は、清朝に「朝鮮国は独立国」であると認めさせたのである。まさに日本人の血をもって朝鮮に「朝鮮人のための独立国」をプレゼントしてあげたのである。ところが韓国ではこの史実を国民に教えないのである。これは韓国人の日本に対する「歴史教育歪曲」以外の何ものでもない事を教えてあげなければなりません。
 同時に、清は日本に三億円と遼東半島、台湾を譲り渡しました。
 (新しい歴史教科書と山川洋一氏の文章を参考にしました。いつになったら現代にに辿り着くのやら。長い道程である)

大芝居(第二十七幕)

2005年10月02日 | Weblog
小泉首相、ワーグナーに酔う 総選挙後初の鑑賞 (朝日新聞) - goo ニュース

 なるほど、「ワーグナー」に御座りまするか。大掛かりな楽曲の多い作曲家でありまするな。
 重厚で独特な和音を重ねる作風は、何とも聞く者の情念を揺さぶるといいますか、官能に訴える響きに御座りまするな。
 酔い知れるなどというより、ドップリと浸かって耽溺させる魔性を秘めた楽曲の数々であります「ワーグナーは麻薬である」といわれる所以でありましょう。
 「ワーグナー」ドイツ人(1813~1833年)いささか、民族主義的傾向があって、いわゆる反ユダヤ主義者であったとか。その縁で、後に、世界史上最も有名人の一人「アドルフ君」とその一門に、こよなく愛された作曲家であったと、知る人ぞ知るところであります。
 大陸と半島の圧力団体もこういうことにはトンと無関心らしい、標的は靖国の一点張りであります。
 反対に、国内では「血の純化」を連想して、心穏やかでなくなる団体が有るかも知れないというのは、実にアイロニカルで御座ります。

 貴公よ!、わしはの、純粋なる音楽的嗜好に基づき、堪能しているのである。他意は無い。
 よって、はなはだ軽率なことを弄して、衆を惑わしてはならぬ。
 くれぐれも、心いたせ!

 御前よ!、うっかり、口が滑ってしまったとは、これはしたり。お許しくだされ。
 ところで、拙者、三島由紀夫の作品を読み終えたとき、不思議と「ワーグナー」を鑑賞したときと同じような情念が湧き出るので御座るが、偶然で御座りましょうか?

 そうじゃのう、どちらも、情念というか、観念美の世界に誘う芸術作品であろうのう。