昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

ご年輩パワー全開

2005年05月31日 | Weblog
 私は、最近非常に喜ばしい動きが出てきたと内心ほくそ笑んでおります。
 と申しますのは、私たちより先輩、年齢にして、80~90歳の方々がその知力体力も今なおご健在との認識を新たにすることができたからであります。
 私の愛読している静岡県のある地方新聞の発言欄を看ますと、その投稿者の歳量は、余程年齢の離れた兄弟から親子、子供程のへだたりのある方々の論評でいっぱいです。
 そのお使いになる日本語は実に美しい。
 我が先輩達よ、貴方方は家族の余計者として、毎日朝から晩までゲートボールだのグランドゴルフだけをしていれば良いという訳ではありますまい。
 早くそのような投げやりな生活から自己を開放すべきです。
 私が思いますには、貴方方は戦前を経験し、戦後をも経験した大切な大切な日本国の宝だと言うことに気づいて下さい。戦前の不合理と戦後の行き過ぎた自由、平等という名の退廃そしてそこに生ずる矛盾について、命の限り各人各様のやり方によって、この現在に、この日本に訴えてください、この日本がどの様にあるべきかを。
 貴方方の経験に基づいた叫びは必ず、戦後に育った、政治家、実業家、教師は言うに及ばず、戦争を知らない世代が、その生き方、国の有り方などについて再度熟考する良い機会を与えるでありましょう。
 大和魂に基づく国の有り方、家族としての最小集団の真のあるべき姿、子供の育て方のあり洋、何を持って人生の目的或いは生きがいとすべきか等々。
 何をもって、善とすべきかを貴方方の立場で示して下さい。
 

説一説好想李登輝先生似的

2005年05月30日 | Weblog
 これは、私の尊敬致しますところの李登輝先生の話法の物まねですので、台湾迷の方々気を悪くしないでください。

 我が親愛なる日本国民とその首相は一体何を考えておるのか?何を恐れているのか?
私が何度も言うように、サンフランシスコ条約によって、日本は既に独立国としての地位を得ているのである。
 しかるに、最近の日本人の弱腰ぶりは何なのか。
 私は青年時代日本の京都帝国大学において教育を受けた者として実に嘆かわしい事態であると感ずる。もし、君たちが私に向かって貴方は何人であるかと問うなら、私は誇りをもって、元日本人であったし、その心根は今も寸分も変わってはおらぬと答えよう。台湾では、第二次大戦までの50年間に日本による純粋なる日本精神に基づく教育を受け現在においても日本語を使用しているこの世代を日本語族と称しそれを自ら誇りとしておる。
 ちなみに、五千円札でおなじみの新渡戸稲造たる人も日本統治下の台湾総督の一人であった。
 彼は札幌農学校時代、かの(Boys Be Ambitious)で有名なクラーク博士の教え子であられた方である。そのような崇高な日本精神をもった方々を総督に戴き、台湾は現在の発展の礎を築くことができたのである。これは、我が台湾が日本に感謝して、しきれることではない。日本人よ、その誇りと自信を取り戻しなさい。
 現在、日本の小泉首相が靖国神社に公式参拝するとかしないとかいうて国中が右往左往している、情けない事態である、考えても見ればよい靖国神社は日本国内にあるのである、それを日本国総理が中国などの命令で参拝して良いだの悪いだのと、こんな事は世界常識にがんがみても、問題外のことである。
 中国などと言う国はいったん譲歩すればことに乗じてとことん付け入るのである。威風堂々と参拝されるがよい。
 きっとこのように、言われるに違いない。
 悪しからず。

中国消息

2005年05月29日 | Weblog
 今日はインターネットで中国のニュースでも看ましょうか。
 まあ例によって、下手な訳ではありますが。

 外交部 日本は第二次大戦戦犯の罪を擁護していると論評
 2005年5月27日
 中新ネット5月27日発:中国外交部スポークスマン孔泉は今日、まさに日本政府は第二次大戦の戦犯を擁護していると指摘、中国政府と人民はこれに対し、強烈に憤慨し、厳しく非難する。

 ある記者の質問:5月26,27日、日本の厚生労働省政務官森岡正宏と自民党総務会長久間章生は相次いで談話を発表し公然と極東国際軍事法廷の審判結果を否定し、2名のA級戦犯に罪無しと擁護した。 この件について、中国側には何か批評は無いのか?

 孔泉の発言:日本政府はまさに出鱈目な言論を弄している、これは国際正義と人類の良知に対する公然たる挑発であり、また、日本軍国主義の野蛮にも深重な侵略という災難を被った国の人民感情に厳重な傷を与えるものである。中国政府と人民は、これに対し強烈に憤慨し、厳しく非難する。

 孔泉の指摘:東条英機が主犯格のA級戦犯だというのは、その両手をアジアの国の人民と世界の鮮血をもって染めた、これはまさに世界平和と人道に対して天にまではびこる罪を犯した歴史的罪人である。極東国際軍事法廷の審判の結果が戦後国際政治の枠組みを構成した重要要素であり、如何なる意図をもっても、この審判結果の成す所を覆すことなどできない。

 また、日本政府が今回発表した出鱈目は、個別的なものでも偶発的なものでもない。これは、ある疑問を生じさせずにはおかない、と言うのは、まさに日本が国際社会において責任ある役割を果たすに足るか否かということであり、我々は強烈に、日本が実際の行動をもって、侵略の歴史反省を受け入れ、真に、国際社会とりわけアジアの隣国人民の信を取り戻すことである。

 コメント:ある記者の質問とあるがこれは一体誰なのか?ひょっとして「人民朝日」の記者なのか? 人を脅してみたり泣いてみたり忙しい人々であるが、これはだね、ただただ人民に破廉恥極まりない「反日教育」を施して来た自分自身の成果なんだよ。いい加減に理解できるに足る脳みそを持たなければいけないよ。そうでもしないと君たち自分の国の人民に食べられちゃうよ。


 

 

大芝居(第三幕)

2005年05月28日 | Weblog
 貴公、今朝はその具合が悪そうじゃの、またあの恐妻のいじめにあったものと心得るが如何なものかの?

 いやはや御前、その様な事、心配御無用に願いたい。拙者ただただ飲み過ぎたのでござる。
 
 それにしても、その顔色なんとも言えず怪しげじゃのう、まさか貴公、よそにいい女でも出来たのではあるまいの。

 なにを仰せられる、我輩などは恐妻度120パーセントの家庭に縛られている身で御座りまするぞ、それを、フリーの身の御前などにとやかく言われる筋合いは一点の曇りも無く御座いませぬ。

 では、二日酔い回復薬をしんぜよう、朦朧とした脳みそでは、わしの難しいロジックなど解るべくもないであろう、この薬を飲んでまいれ。

 ところで、御前今の薬は一体どの様なものでありまするか、急に、は、腹が痛み出しましたぞ。

 ははあ、やはりそうか、それはの、かの有名な天天素じゃよ、やはり効果抜群であるか。

 なんと仰せられた、私が新聞も読んでいないとでもお思いか、私を人体実験なさる気か。

 そうか、貴公にかような即効が現れようとはの、日本国中で一番の犬腹の貴公に、これは、実に劇薬であるな、即刻販売停止を指示するといたそう。ご苦労であった。

 ご、御前、天天素のおかげで、胃から小腸、大腸に至るまで、綺麗に排出できました。いっそ、便秘薬として認可なさったらいかがなものですかな。

 馬鹿を申せ、厚生省がヒステリーになるではないか。

 ところで、御前、例のMS君の処遇は如何なもので?

 誠に、良い質問である、あの御仁は先を看る目がある、わしの真意を確かめたのじゃよ?

 御前、拙者、本日は二日酔いであるゆえに頭がボーとしてよく判らないのでありまするが。

 では、良いかよーく聞くのじゃぞ、今わしが求めて居るのは、大和を心根にもつ人材じゃ、従って今回この郵政法案がいずれの決着が着くか未だ判らぬ。無論わしは、本懐を遂げることが出来るという信念でやっておるが、結果を出してなんぼのものであるゆえ、終わってみなければ何ともいえぬ。
 あの御仁はの、まあ中央突破できるものだとは信じて居ると思う、しかしだ万一ズッコケた場合には、解散総選挙となる。
 その場合、争点をわしが何に置こうとしているかを本能的に理解しておるのじゃよ。
 あの御仁の、失言を追究して、我が内閣を解散に追い込めば、その追い込んだ連中は、その心根が日本人ではない即ち(こきんとう)と(のむひょん)の代弁者であると我が国民に印象付けることができる。
 だから、あの御仁は、国民に私は日本人であるという強いアピールを勇気をもっていたしたのである。
 本来ならば、褒めて遣わさねばならぬところであるが、今は立場上できぬ。お分かりか。

 御前、今日の話は心に浸みましたぞ。
 

 

Las Amazones を撃て

2005年05月27日 | Weblog
 我国、事ここに至り誠に深刻なる悪の悪循環に苛まれり。
 敗戦後の最初の総理大臣といえば吉田茂であったか。
 この方はそう、敗戦の焼け野原から立ち上がり国民をギリギリの飢えから守ってくれた、そういう偉大な人であったことは私たちが此処にこうして生きながらえていることに鑑み、感謝の意を表しなければならない。
 それが我々子孫の礼儀である。
 しかし、取りあえずとして行なったその場の戦後処理のその後に行なうべき日本国を本来有るべき姿に戻すという本来の使命を、日本国がその場、経済復興すればそれで良しとし、本来あるべき日本精神については、想いを馳せてくださらなかった、事ここに至り誠に残念であります。
 その負の遺産の第一が日本国憲法です。
 これは、またの名平和憲法という名称で呼ばれ、不戦の誓いをし世界に向けて平和を願えば、外国のそれに呼応するご慈悲により平和が保障されるのであるから、それを誇りにして生きよお前たち日本人よ。
 それを、いつまでも頑なに、護憲護憲といって、護憲狂信教であってよいよいものであろうか。 隣の中国をよくよく看て、その思考停止した脳を覚醒するがよい、彼の国に我々が抱くメルヘンチックなご慈悲なるものは微塵もないであろう、隙あらば我が日本国征服を企むであろう。
 平和を唱えておれば外国は侵略して来ないという方程式などこの世に存在しないということに気づくべきです。そして、対策を練れ。
 私がとても不思議に思のはJR西日本の尼崎事故であれほどに日本中がパニックになるほど興奮しその責任について追及の手を緩めようともしないのに、この理不尽な日本国憲法についかくも寛容でいられるのか。
 その素性は、戦勝国が敗戦国に二度と立ち上がれないようにと怨念をもって与えた亡国憲法ですぞ。
 それとセットにして与えられたのが、平等と称する観念に基づいて与えられた民法による相続法。
 これが平和憲法に輪をかけて日本精神を破壊せしめた元凶中の元凶である。
 それまで、その家系の団結および誇りの縁(よすが)であった家の神聖なる観念を完全に破壊してしまいました。
 どういうことかといいますと、遺産相続という観念を持ち込み、家を貨幣価値としての財産であるという定義にしてしまいました。その結果必然的に起こることは、その家の財産価値の分捕り合戦です。
 事此処に至り、それまで日本文化を醸成してきた土壌を失わせしめました。なんというアングロサクソンの謀略でありましたことか。それに引き換え日本人が何と無防備であったことか。
 これは、我国が国家としての最終外交手段における戦争に負けたという以上に、その魂までも略奪されたということです。
 その結果、現在起こっている狂騒というのはこのようなことです。
 子供に人権があるとみなし、大人と同等に敬意を払いゆとり教育を行なう。  
 そのゆとり教育を行なうことが何をもたらしたか。 いわずと知れた学力低下と無気力の醸成これが現在問題となっているミートを生み出す元凶であろう、子供にとって、ゆとりとは何もしなくてもよいという代名詞なのだから。
 こんなことも判らずにゆとり教育などと言い出した連中、恥ずかしげもなく我が国民の前にその顔を晒せ!
 男女共同参画社会。
 その目的たるところは一体何なのであろう、私の目に映るのは男性の女性化及び女性の男性化であるのか。
 そして、性転換の奨励、離婚の推進それも良かろうしかしだな、薄っぺらにその子宮でしかものを考えられぬ者ども、両親揃っていても生まれ出る子をまともに育てるのはたいへんなのである、生れ落ちて初めから片親などという状況は、その子にとってどれ程の心の負担と傷というハンデをおわすことであろうか。そんなことは何処かの無人島に行ってやれば良い。
 心ある淑女はそのような異型の子宮人のたわ言に耳を貸してはいけません。
 くたばれ、Las Amazones!

ニート憲法違反法案

2005年05月26日 | Weblog
 私は東京大学という仮称日本国最高学府の軟弱な思想が蕁麻疹が出そうなほど嫌いである。
 そんな学府の社会科学研究所の玄田某とかいう助教授、貴殿のこの「若者の人間力を高めるための国民会議」上でのその発言は一体何なのであろうか、我が新聞に記載された貴殿のコメントをそのまま記載しよう、こうである「若者にもプライドがあり、大人が働く意欲を高めてやろうという姿勢では失敗する。目標が必要」そのような発言をするほとんどメルヘンの世界に生きる「ア、ナ、タ」次のどうしたらよいかを発言してごらん。
 日本国民が貴殿のその有るのか無いのかわからぬようなその意見を聞いてあげる。早く次の貴殿の構想を国民の前に明らしめたまえ。
 我々は、あなたのその意見が大いなる傾聴に値するかどうか判断しなければならないという意志を持って貴殿の解釈を迎える準備ができておる。
 貴殿本当はニートという我が国の若者の現場の状況を知らぬのではないか?卑しくもその若者と接したことは有るのか無いのか。
 この種の席において、その実績を公表せずに机上の空論を弄されては日本国国民は大いに迷惑である。
 貴殿の実績に基づいた所信を述べたまえ。
 事此処に至り現在の状況が出現しているのは、まさに貴殿のその発想、「年少者のその年少者たる資質に付託すればニートたる現象は起こり得べくもない」これは、日本国憲法にもうたっていることであるので、静かに座して待っておれば、事態は速やかに改善されるであろう。
 従って、それについてとやかく言う、所謂、常識人たるオトナの意見などもってのほかである。
 議長たる奥田会長はよくもこの御仁を招聘したものである。
 京都大学に、声を掛け給え、かかる御仁よりも遥かに崇高な人材がなんぼでもおられる。

未知なる方へ

2005年05月25日 | Weblog
 私はあなたの今居る立場に向かって、発すべき言葉をもっておりません。従って何も触れないのがマナーかとも思いましたが、これが当て外れのことであっても、一応書いてみようと思います。
 期待しないでください。
 小、中学生の頃、読んだことがありますが、おそらく芥川龍之介の作品であったと思うのですが、「河童」を題材とした作品があったと思います。
 その作品の中に、河童の誕生の話がありまして、新生児誕生の際にはその生まれてくる本人に、生まれたいかどうかお伺いするのである。
 そして、生まれたいという意思表示をした時のみ、この世の人となるのである。
 私など、鈍い感性しか持ち合わせていないためこの意味を理解できたのは、思春期に至り自分の限界を恐る恐る自覚せざるを得なくなり、同時に自己嫌悪に苛まれるようになった時、初めてこの「河童」の話を思い出しました。
 このような心理状態のとき、「お前は生まれたいか?」と問われれば果たしてYESと言えたかどうか自信はありません。
 しかし、人は「河童」のようには生まれて来ません。
 何かしら、この世に縁あって生まれ落ちた身でありますから、時としてやり切れないような気持ちに襲われても、その都度何とか乗り越えていくのもまた人生なのだと思います。
 もう一つ、あなたの置かれている立場にとって、逆風として立ちはだかる社会構造があると思います。
 それは、血筋にもとずく平等を根拠に置く相続法です。これが弱い立場にある者を徹底的に排除するように働きます。
 私に言わせて貰えば、戦後日本が受け入れざるを得なかったのかも知れませんが、我が大和民族がその道徳、倫理、価値観を喪失してしまったのも、この現民法の相続法によるところです。
 敗戦以前は、家という固定観念があって、その家という観念の中に、その家系の財産、家風、対面、正負の資産、或いは誇り、先祖をお祭りする責任と義務を含め、一族の魂の場所として、継承するにふさわしい代表者が代々引き継いで行くこういうシステムが構築されていました。
 それを家督と呼び、その相続方法を家督相続といいました。この相続方法の優れたところは、現在金銭的価値で見ている財産を一種の最小単位(家)のシンボルと観ていたことです、従って、現在のように相続とは財産の分割を意味することではなく、不分割なるなるものとして、後の代に送り伝えるものだったのです。
 このような、社会構造ならば、異質の者或いは立場の弱い者でも当然のこととして仲間に迎え入れられる素地があります。このような構造の社会においては、自分の子供がその後を継ぐに相応しくないと判断すれば、外から養子を迎え入れてもその家の存続を図ったということです。その家系として無縁仏にはなりたくなかったのでしょう。
 いっぽう、家督を相続しなかった者には、その代償として、当然のこととしての自由がありました。そのような社会の土壌に於いてのみ立身出世をもって人生の目的となすというような風潮が発現するものと私は思います。
 今、この日本において「立身出世」などという言葉はすでに、死語です。
 実に、残念です。
 しかし、現在の社会構造のなかでそのルーツを究明することが幸せかどうか私には判りませんし、ドナーとなって、生まれた子にその権利を持って対抗されたときどのような責任が有るのか見当もつきません。安易に運用してはならぬものであろう。
 また、人生などというもの自分の価値観を何処におくかということに尽きるのだと思います。

小泉の影に怯える大華国

2005年05月23日 | Weblog
 我が夕刊の見出しはこうである。
 「小泉首相、呉副首相会談 中国申し入れで中止」
 しかし、まあ、日本国首相の靖国神社公式参拝カードが対中国政策上こんなにも有効に働くものとは、今の今まで、思いもよりませんでした。
 何とまあ軽薄にも、この事実を彼の国が我が日本国に対して、かの国にとってみれば、その流儀で厳かに訴えたつもりであろうが、その意志に反して、幼稚にもその馬鹿さ加減が露呈したことは、未だかつて無かったと思います。
 今回も、我が腰抜け日本が、靖国カードを持ち出されるだけでヨレヨレになるだろうと言う目算で、甘い蜜の味をもう一度と、信じて疑わなかったことでありましょう。
 ところが、サボテンの棘に毒を塗ったような、リーダーが出現していようとは夢、夢、思いもしなかったのでしょう。
 元寇、神風に遭って全滅敗退、まあ異色のリーダーに対して敬意を表しましょう。
 化石国よ、次に来る時は、心して参れ。


大芝居(第二幕)

2005年05月23日 | Weblog
 どうじゃの、干された気分は、少しは言葉を慎む気になったかの? 浪人暮らしの辛さというものも少しは体験しないとの、人生の糧にならんのじゃよ。 で、最近の浪人暮らしの暮らし向きはどうじゃ、え?。
 
 全くもう、私は寂しい、だから自尊心を捨ててまで電話いたすぐらいのことは、言われるがよい、ここは、韓国でもなければ中国でもありますまい、言論自由の国日本ではありますまいか。
 それに、人を勝手に首だと申されて、私は、もはや御前(ごぜんと読む)の茶坊主ではござりませぬ。なんぼ以前私が御前の茶坊主だったとは言え、私を首になされた方に、そのように、茶坊主扱いされる謂れはございませぬ。人が安眠している最中に、このような電話は誠に迷惑でござりまする。
 
 そうか、でもの、わしもいささかプライドがあっての、本心が表現できんのじゃ、我が朋友よ、許されよ許されよ、しかしの、貴公のその言っては悪いが、外国人のような名は一体何なのじゃ。おぬし、本当に日本人なのか?
 
 当たり前でござろう、我輩は正真正銘の日本人でござる。songzhaoたる姓名は我が親愛なる中国人から、命名していただいたものでござる。かような、呼び名をもって、人を区別なさろうなど、誠にもって言語道断ござる、人権侵害でありますぞ。
 
 よくよく、納得致した、で、わしも自分でいろいろと考えてはおるのじゃが、おぬしの、その、夢の続きを話してはもらえぬかの。

 大体、睡眠時にみた夢などというものはその日のうちに忘れるものでございますゆえ、もう覚えてはおりませぬが、たとえ、御前(ごぜん)に申し上げたところで、私にとって、何の得るところがございましょう、くわばらくわばら。ご遠慮申し上げたいと存じまする。

 だから、わしは先ほどから、詫びておるではないか、我が参謀に加えるつもりでおるゆえに、申してみよ。

 そこまでの、おっしゃり様、誠に感じ入りたる故、続きをお話し申そう。
 宜しいか御前、およそ一国のリーダーたる者、最小のコストで最大の効果を導き出す才覚が無ければそのリーダーたる名に値いたしませぬ。songzhaoはそこのところを申しあげたいのであります。
 いままでの、ふがいなきリーダーたちが、我が同胞の血のにじむような3兆円にものぼる勤勉に勤勉を重ねて積み立てた努力の結晶を湯水のごとく使い、その結果は、益々もっての反日しかもたらさなかったという現実だけを我が国民に見せしめることしかできなかった、何と言う能無しどもか。
それでいてまだ国会議員として君臨している、全くもっておかしな現実でござろう。
 まあ、わき道の話はそれくらいにして、現在、アメリカは反中国に傾きつつあります。もし、御前(ごぜん)が機を観るに敏ならばこの機を逃してよいはずはありますまい。
 一石三鳥いやいや一石五鳥の効果を狙える時でありましょう。中国に有無をいわせず牽制でき、アメリカには感謝され、日本の戦後処理をも完了させ、同時に、世界に向かって日本の存在をもアピールできる。
 それに、何よりも増して、銭がかからない、これは、一種の国家機密に匹敵する知恵ですぞ。よくよく、噛みしめられるがよろしかろう。
 安全面で、心配があるのでしたら、石原都知事を見習うがよろしかろう。我が自衛隊の持てるべき軍事設備をところ狭しとならべおけば問題など起こるべくも無いでありましょう。
 
 貴公、はなはだ軽率ではあるが、悪知恵が働くのう。

 はは、誠にもって、有り難き幸せに御座りまする。

大芝居

2005年05月21日 | Weblog
 最近、パッとせんのうパッと。縮んでいくような話ばっかしじゃのー。
 なにか その 攻めて行くような話しは無いのか?
 
 されば、昨夜見た夢の話でもして差し上げようと存じまするが。

 わしはの、将来の夢を申せというておるのじゃ、それを、昨夜見た夢じゃと まあ ええわい言うてみいや。
 
 およそ、大芝居などというからには、盛大に挙行しなければなりますまい。
 当然、一世一代、還暦の大芝居ということとなります。
 銘打って、「日本国不戦60周年祈念祭」。
 何を催すにも大儀名文がいりますが、こうしたら如何でしょうか「世界に向けて日本が戦後60年間不戦であったことを讃えるとともに地球上から戦争が無くなることを祈念する」

 ほう、なるほど、還暦の祝いか。ロシアもそんな催しをやったし。 あちらは戦勝国であるが、こちらは敗戦国であるから、どうしたものかの。
 で、いつやれというのじゃ。

 ズバリ、8月15日でございます、敗戦記念日だといって、異論も出ましょうが、そこはそれ、英語でDepartureといえば、別れをもって出発とする、故に敗戦をもって国の再出発とするといって、押し切られたら宜しいかと存じます。それに、敗戦国だの戦勝国だのといった拘りを持たれてはなりません、我々は世界平和を希求するのですぞ。

 よし、では、誰をご招待せよと申すのか。

 できることなら、世界中の人々をお招きしたい、しかしそれは叶いますまい。まあ、強制することはできませんので、任意に要人の方を送っていただけば宜しいかと。
 とはいえ、必ずお越しくださらねばならぬ方がおられます、それは、ブッシュ様です。ライス女子もご同行くださればこの上ないことです。

 もし催すとしてだな、まあ規模にもよろうが、式典の場所はどうするのじゃ。

 日本武道館を使用すれば宜しいかと、女子12楽坊も大々的に演奏会を開いたこともございます。
 また、各国の要人の方々には、心のこもった贈り物を贈呈しなければなりません。季節柄小千谷縮の浴衣一式としていただきたい、素晴らしい麻織物ですが彼の地は激震に遭い伝統織物の存続が窮地に立たされております。
 ライス女史がお召しになればきっと粋な装いになられることでありましょう。
 つい話が、反れてしまいましたが、厳かに式典を執り行い平和の祈りと誓いをした後で、ブッシュ様とご一緒に、近くの神社そう靖国見学でもなされたら宜しいかと。
 さすれば、平和のシンボルとしての資格を得ると存じまするが。

 さ、さようなことは、先送り先送り、次のA君にでも申せ。全くもう、しょんべんをちびるではないか。

 あーそうですか、何という金玉の小ささで有られまするか。そういうのを縮志向と申すのであります。

 なにを、この小生意気な、お、己など即刻首じゃ!

 とまあこんな風に床屋談議は続くのでありました。

 
 
  

致命的な狂気

2005年05月20日 | Weblog
 最近多いよね、新聞の投書欄などを読むと、こういった論調の投稿が。
 憲法9条は、絶対守らなくてはならないとか、或いは平和憲法(日本国憲法のことなんだろうけど)さえ戴いておれば、絶対安全は保証されるのだというようなのが。
 ほかに、聞く耳は持っておらぬと言わんばかりである。完全に思考回路がストップしているのだから、何をか言はんやであるが、まさにこれこそが日本人の心の奥底に潜む致命的な狂気であると、私は嘆き悲しんでおります。
 貴方方は明治維新から太平洋戦争までの日本人の心の有り様が、いわゆる帝国主義であって、まことに持って自虐に値する狂気であったという戦後の歴史教育を受けたのだから、日本人として、とても恥ずかしいと心底感じているだろうし、過去は否定されなければならないという自責の念に駆られている。
 しかし、今も、これから先も、一種の固定観念といいますか脅迫観念で、ただただ、平和憲法を戴き第九条さえ頑なに守っていれば我が生命、財産、国家の安全が図れると絶対的に信じておられる。
 といいますか、信じなければならないという義務感に苛まれておられる。
 これもまた致命的な狂気であると私は思うのですが、ちがいますかね。
 私たちの先輩が体現した富国強兵、欧米先進国に追いつけ追い越せ、領土拡張そして向う所敵なしと信じ続けた狂気と全く同じものと感じませんか。
 少し冷静になれば、世界を相手に戦争して勝てるはずはないくらいのことは分かっていたでしょう、しかし自制することができなかった。
 その時代と今とでは、戦争と平和というように対比する概念、事情は全く異なりますが、日本人としての民族の性根は全く同じものではないでしょうか、何ら変わってておりません。
 平和憲法安全保証病にかかってしまっていて、その病根は戦前と同じ致命的な狂気に由来します。
 ここで、私たち日本人の一人一人が私たちの血に流れる「致命的な狂気」に気づかなければならないと思います。何も精神異常だと申しておりませんので、お間違えのなきよう。
 ある時は非常な進歩をもたらすが、間違うと致命的な破壊をもたらす血だといっておるのです。

我が愛する現政権へ

2005年05月19日 | Weblog
 「プログで思いのままに情報発信」 まあ思いつくままに日記でも書くつもりでやればよいという気持ちで始めたことであります。
 ところが、成績表なるものがあって、今日何人の方に看ていただけたなどというデータが出るものだから、ついついはまり込んでいる今日この頃です。
 私などの雑念を読んでいただき誠に恐悦至極に存ずる次第であります。
 現在、郵便局所謂、郵政省に、私たち日本国民が買いたいものも、食べたいものも節約して預けたお金が、340兆円程あるということです、大変な額です。これをみた外国或いは有志ある運用業者はどう思うでしょうか。
 今の段階では、善意に思っていることでしょうが、それを市場に出してくれれば、何倍にもしてあげましょう、下心なしとは言い切れませんが、そう信じているのだと思います。
 しかし、物事には全てリスクが付きまといます、100パーセント安全などということはありません。
 それでは、今のままで良いのかというと、そうとも言い切れません、日米の国債を買うとか、どのようにしても利を生まない公共事業の財源に当ててもその元金の保証はありません。
 現在政府保証していますが将来に亘ってそのような保証をする国力は無いということです。
 例えば、アメリカの国債を買ったとしましょう、例によって、最大の財政赤字国です。償還する段になって、財源が確保できないとしたら、彼らはどうするかといえば、おそらく国内をインフレさせてしまって、ドルを多量に印刷することでしょう、そして、数分の一となったドル紙幣で償還するでしょう、そうした時に受け取る元利も数分の一となっていることになります。日本政府は、そんなことの保証までできないということです。
 従って、民間の知恵で運用して、民間にリスクを負担してくれということです。しかし、我が日本人がそういうことに長けた民族ではないところが心配の種ですね。
 我が愛する現政権よ国民に誠実であれ!
 

スノー長官吠えられる

2005年05月18日 | Weblog
 これで、やっと理解できた、何ゆえに法外な価格でアイビーエムを売りつけ、インテルを撤退させたかが。
 スノー米財務長官のご尊顔を看たであろうか、まさにシェパードのご面相である。我が秋田犬など、とても、適わぬ、適わぬ。
 彼が言っておられることは、中国は今年秋までに人民元改革をせよということで、なんでも事実上の最後通告なそうな。
 中国の苦悩というのも、分からぬではないぞ、同じ東洋人として、でもな貴方方は本当に井の中の蛙じゃ。真にもって、この世界が、地球が、分かっておらんの。
 もはや、この地球というのはの、なんぼ14億だの15億だのの人民をかかえておっても、多数決ではどうにも立ち行かんのじゃよ。
 世の中には、原理原則というものがあっての、貴方方が我が日本に要求するような原理原則が世界に通用すると思ったら、それこそ現政権の破滅崩壊につながりますぞ。
 まあ、執行部は大変であろう。貴方方の国のいつでも反政府暴動をもいとわないという人民意識に対して、「我が共産党は、いかなる外圧にも屈しない」と宣言されたのですから。
 そのことを踏まえた上で、よく聞きたまえ、我が小泉首相は、自分自身の本意であろうが、アメリカの意も汲み靖国神社への参拝を決行するといっておられるのである。
 以前彼は貴方方に配慮し、ブッシュ大統領の靖国神社参拝を断ったこともあるひとですぞ。
 今年について言えば、彼はおそらく貴方方の今後を配慮し、我国が、爾後の不戦の誓いをした、八月十五日になされるであろう。
 従って、貴方方の人民によくよく伝えるが宜しかろう、我が日本国は八月十五日は日本人にとって特別な節日であり、もしも我が日本人が不戦の誓いをするならば、この日をもってする以外、他の日はないということを。

2008北京に向けて

2005年05月17日 | Weblog
 中国は、北朝鮮を制裁する或いは説得する気など初めから全くなかった。 
 彼の国の国家主席は北朝鮮こそ、お手本にすべき国と賞賛されていた、何をおっしゃりたかったと言えば、腐っても鯛だと言いたかったのでありましょう。
 何と言っても超本人独裁のお国柄であります、彼の国においても、そこに自分自身の身を置ける国そういう国であって欲しいという切なる希望があったのでしょう。
 北朝鮮を語る時、本当に心が痛みます、本当にこの国が軍隊という観念を持ち、我々は日本人であるという自覚を持って心のメッセイジを世界に向かって、発信しているだけの甲斐性をもっていたなら、日本人拉致などという我が日本の国辱ともいえるような現実は起こら無かったと思います、北朝鮮などという卑劣な国にも我が日本の魂を蔑まれているこの事実を我が大和の心根にしっかりと刻みこまねばなりません。
 我が明治の先人ならこのような屈辱を、彼の理不尽な独裁専制属州に許そうはずはない。促成敗である。
 しかし、考えてもみたまえ我が国民よ、この国の自由民主党の三分の二以外は韓国人或いは中語国人そうは言わずとも、国会質問をよく聞いてみればよく理解していただけることであろう、早く日本人を国会議員にして、まず我が日本国の国会を我が日本人の手に取り戻さなくてはなりません。
 あんなにも多くの韓国人、中国人相手に我が日本国総理に防戦させてはいけません。国民が候補者を選挙の段階で、立候補者がその心根が日本人か外国人かを予め認識してあげなければなりません。
 従って、現総理は早く国会を解散して、議員のその心根の国籍を日本国国民に問うべきです。
 現首相は、今までの意気地なしに比べれば、たいしたものだと思います、今まで諂うことだけが政治だと思ってきた心根が中国や韓国に対してスタンスを本来のところに置かれておる、誠に平伏いたしております。
 日本人としての誠、道理を通さねばならない。それは、経済的打算以前の日本人が立つべき立場に立っての判断基準でなければならないと思います。
 これは、東京都知事の受け売りになるのでしょうが、彼の国がガタガタ言うようでしたら、脅してやってくださいな、「そう言えば、オリンピックをボイコットされた政権はつぶれたことがありましたなあ、まさか、中国が、まさか二度目のジンクスはないでしょう。」と。
 

素晴らしき地方紙

2005年05月16日 | Weblog
 私は、日本の一地方に住んでいます。従ってある地方のいわゆる地方紙を愛読しています。
 その地方紙のなかに、論壇という特集が組まれています。
 実は、この前にも実に感銘を受けるものが有ったのですが、今朝のは特に良かったのでそれについて僭越ではありますが、言及したいと思います。
 それは、屋山太郎という方が寄稿されたものです。
 その文章の中で紹介されていることは、JR東海の会長が、周囲の経済人の期待に反して、中国大陸には、新幹線の輸出はしないと表明されたとのことです、何ゆえに、と言えば、彼の地では、本来契約などという概念は持ち合わせておらず、たとえ国家主席と約束したところで、こちらの技術をコピーしてしまうのが民族性であって、新幹線の技術を輸出するなどとんでもない話である、わざわざ技術を盗んでくれというようなものである。
 実に、身につまされる話である。
 筆者の言われるとうり、日本固有の、敵に塩を贈るような美談は、彼の地では通用しないのでありましょう。
 本質的に彼らは、借りたものと貰ったものの区別がつかない、そういう民族性をよくよく理解してから、事を起こすべきだということです。
 更に言えば、教えてもらって復習して、自分で出来るようになれば、お前達が俺の真似をしているぐらいのことは、平気で言う民族である、くれぐれも注意すべきである。
 こちらの立場として、自覚しておかねばならぬことは、ポチに餌を与える時はしっかりお座りをさせ、お手をさせ、行儀をおしえてから、与えなければならない、これが鉄則です。