昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

靖国に参ずること勝手たるべし

2005年04月29日 | Weblog
 首相と都知事の靖国参拝訴訟。「原告の権利侵害なし」「憲法判断示さず」東京地裁。
 日本国民たる者一様に、公的であろうが私的であろうが、勝手に参拝すればいいのであるし、憲法で断ずるに値する案件ではない。そんなところでしょう。
 まあ、原告の方々、早く控訴するが宜しかろう。戦後60年の決着を大至急つけるべき懸案の一つでありますから。
 良からぬ者達は、こういう隙間から侵入し、国を揺さぶってきますから、きっぱりと「国家の意志としての判決」を下すべきです。
 小泉首相、石原都知事コンビというのは、中国でも実に有名らしい、極右首相と中国を攻撃し続ける極右政党を率いる東京市長兼東京県知事とまあこんな風に,中国版悪のワンツートップといったところでしょうか。大げさですね。
その東京市長がはたまた、過激な提言をなさっておる。「いまこそ尖閣諸島に自衛隊を派兵せよ」
ですと。
 本当に、一辺やってみたらいいと思います。そうすれば、世界に向かって、日本国家の意思と我領土であることを表明できるのですから。
 我経済界も反省すべきです。中国一辺倒でいいのか?
 インド、インドネシア、タイ、ベトナム、スリランカ等々進出する国は、いくらでも有るではありませんか。
 アメリカのインテルなどは、早々本拠地をインドに移転ですと、中国人もこれについては、妙にしおらしく、自責の念にかられて、一番主なものに逃げられたと表現していました。


無愛国有罪

2005年04月29日 | Weblog
 題名が中国のパクリであっても、今日は中国を話題としない。
 どこで読んだ記事であったか、或いは書物で読んだものであったか忘れたのであるが。
 アメリカ合衆国では、その国民は国家に対して、忠誠を誓うという、忠誠を誓いアメリカ市民となった者に対して、国家は何をしてくれるのか。
 例えばこうである、合衆国市民がどこかの国で非法に捕らえられたとする。すると国家はその威信を懸けて救出にむかうのである、コストがかかろうがリスクを負をうが全く問題としない。
 国民に対して、これが国家の存在意義だということを、ここぞとばかりに示すのである。そして、国民はその魂にこれが私たちの誇り高き国だと刻み込み、更なる忠誠を誓い、アメリカ合衆国市民であることの喜びを感じる。
 この例がいいか悪いか別にして、こういう種類の国家観というか国家への想いは、必要なものと感じませんか? 私などはとても羨ましいと思います。
 然るに、我日本では、君が代斉唱命令は合憲、福岡地裁。当たり前のことだと思います。
 ところで、教育基本法は日本国を前提にしていないのですか、そこには、国歌という概念もないのですか。
 教職員という方々、どういう立場の人なのか、日本国へのスネモノですか。
 式典で、着席したまま、国歌を歌わないという意志をもって、歌わないとは。
 こんなことを国家として放置しておいて良いものであろうか。
 こんな者どもに、将来を担う国民の教育をやらせておいて良いのか。どのような心根を教育することができるのか。
 教育の場で、兵庫県で起きたJRの事故と同じことが起こりますよ。
 大至急、教員の教員たる資質の審査、審査。
 文部省もこういう事態を重くうけとめたほうがよい。というのも、今後アジアの時代というべきものが展開されて行くと思います。近隣諸国はそれぞれに、強い民族意識をもって、私たちに対峙してくること必定です。ですから、こちらも対抗できるだけの力を育むべきです。
 それには教員の高い資質、心根が要求され、なによりも、国を愛している人物でなければならないと思います。

出戻り日中友好(多感人的故事)

2005年04月27日 | Weblog
 何々、楽天 兄 俺だと、昔やってた日中友好を思い出すではないか。
 ヤカラじゃと、まったくもう人からパクリおって、ええかげんにせい!漢字で輩であったかの。
 それにの、日本の首相が謝罪という言葉を知るわけないやろ、中国人じゃないのだから。
 冗談はさておき、突然あの場所から消えてしまって、ごめんよ、私の原意ではなかったのだが、
なにせ、言論自由の国から制限された国へ発信するものである故、こちらも気を使うし、そんなものがもとで、相手に迷惑がかかることがあっては、友好などと言っていれまい。そういう配慮でやめたのであります。
 でも、いい人々もいるぞ、中国には、私の書くあの程度の中国語を読んでくれた上で、こういう表現にしたほうがいいとか、この字は現在では使わないとか、50過ぎの手習いで中国語を始めた老いぼれだからと言えば、つまらぬことを言うものではない、そんなことは杖をついて歩くようになってから言う言葉で、死にそうになってから言えなどと言ってくれたり、3000字にも及ぶ返信をくれたりしました。本当に嬉しかったです。
 世界中の国、世界中の人々が望んでいることは、早く国民個人個人が各々の価値観をもち行動できる国になってくれることです。そうなってくれないと世界にとっても、貴方方自身にとっても、危険です。
 今回の一連のデモ騒動の中で、投石する輩を止めにはいった人々もいたとか、そういう芽を早く大きく育てていってください。
 今後、私たちは何かにつけて対峙していかねばならないと思います。しかし、知恵を持って乗り切っていけるそういう民族どうしでありたいですね。
 中国内陸の貧しい農村に行き、そこに150人ほど収容できる小学校を自費で建て、子供達の栄養状態が余りにも良くないといってミルクを贈り、貧しくて学校に行けない子供達もせめて小学校ぐらいは出させてあげたいと頑張っている日本人もいることを知りたまえ。君たちは。
 日本の大使館に、大挙して押しかけ石を投げる暇があるのだったら、是非そういう方面に目を向けていただきたい。
 
 

執拗なしつこさに乾杯

2005年04月23日 | Weblog
 私は、いい加減に、中国から離れて、他の国へでも宇宙へでも、行きたいですよ。
 いいですか、よく聞いてくださいよ。我首相は、貴方方への親愛の情を込めて、表明しました。1995年8月、これは、我国が敗戦50年の節目に当たり、当時の社会党村山内閣が、閣議決定した談話を引用して、今回のアジア アフリカ会議の席上で、痛切なる民意としての反省と、今後そのようなことは二度と繰り返すことは無いという決意を申し述べたのであります。
 我国民も、総じてそのような意識でいると思います。現在我国の根本法である憲法においても戦争は初めから放棄しております。
 従って、貴方方が過去の謝罪だの日帝だのと、硬直した中国語で叫んでおられる。これは私たちが、戦時中に鬼畜米英と言って、国威を発揚したのと同じことをなさっているのではないですか?
 貴方方の人民に”小鬼子 小日本”と言わせて。
 もう一つ面白い話題があります。
 週間新潮4月28日号の記事です。”朝日が立派に育てた中国反日暴徒”まあ読ませていただいたわけでありますが、以前から我日本国首長の靖国神社参拝問題を中国共産党の対日いびり作戦の主題に据えさせたのも、或いは、日本国教科書に対して理不尽な抗議をさせているのも、貴方方の思惑によるものだったのですか?
 失望させられる事態です。いっそ、中国へ本社を移されたらいかがでしょうか。”人民朝日“とでも名のればいいや。
 いずれにしましても、万年一日が如き執拗なしつこさに完敗。
 

日本人の行儀

2005年04月21日 | Weblog
 昨日今日明日の主題どおり、私は明日への想いを熱く語らねばならない、と思ったのですが。
 でも、その前にもうひとつ書いておくべきことを思い出しました。
 それは、日本人の行儀に関することです。
 どういゆことかといいますと、特に中国の方々が、私たちが日本語の中で、漢字を使用しているため、何かしら私たちが、彼の国の属国ではないかという幻想を持たれていることに対しまして、
一言苦言を申し述べたいのであります。
 確かに、私たち日本人は、この地において、有り難く漢字を使用させていただいております。
 しかし、私たちは、私たち日本語のほんの枝葉の部分で使用させていただいているに過ぎ無いと思っております。
 何故なら、私たちの祖先は、漢字なるものが伝来する遥か昔にすでに日本語の骨格を完成していたのです。
 従いまして、貴方方が持っているような文字、漢字に対して、崇拝の念など初めからもっておりません。たんに日本語の音さえ記録できれば良かったのです。
 なんといいましても、私たちの言語はオリエンタルスタンダードでありますから、当初は、小難しい漢字を日本語の発音に当てて使っておりましたが、漢字伝来後650-700年程たった頃にかな文字を考案しました、これは、偉大な発明というべきものです。
 以後、私たち日本人は、中国から伝来した概念は、失礼の無いように漢字で表記し、外来語として取り扱うこととしました。
 私たちは、貴方方のように文字に手を合わせて神意を感じ触れられない、そんな民族では有りません。
 私たちは、漢字に触れたその瞬間から、これは、便利な道具になるかもしれないと予感し、人類史上稀に見るような、独自の文字を作りあげることができました、まことに有難うございました。
 日本人の行儀とはこのようなものです。
 悪しからず。

いとやむごとなききはのおかた

2005年04月20日 | Weblog
 いずれの おおんときにか いとやむごとなききはにはあらねど きはめて ときめきたまふありけり。
 これは、有名な源氏物語の書き出しの部分だね。
 この酔っ払いの爺さんもね、さっき何をしたかなかなか思い出せないのだけれど、若い頃習った事は、不思議と良く覚えているんだよね。
 それでは、我孫達、耳を澄ませてごらん、遥か遠い私達祖先の声が聞こえるよ。
 今日の話題は、私達の始めの始めから、至上のお立場で時を刻んで来られた方のお話をしよう。
 私達の住んでいるこの地が文字を知らなかった頃、彼の中国大陸では、すでに文字が存在し、公文書という形で、私達のことも書き残してくれてあった、本当にありがたいことです。
 中国は魏の国の史書魏志東夷の条に記載されている文章です。いわゆる魏志倭人伝だね。
 その中で特に印象に残る単語が二つあります。邪馬台国と倭という単語だね。邪馬台国をヤマタイコクなどと発音してはいけません、ヤマト国と言うべきです。
 次に倭という文字ですが、当時魏の国からみて、遥か僻地にある小人の国倭国という表現だったのですが、中国語を学んだ結果として、私達は自らを和と称することにしました。
 話が横道に反れてしまいましたが、ヤマトを代表していたのは、鬼道をよくする人卑弥呼であり、実際の政治をおこなっていたのは、男弟であったと記されています。
 卑弥呼はヒミコと読み、日巫女であると説明される方々がいらっしゃいますが、本筋を言いえていると思います。
 クニを代表する神聖なヒミコと実際の政治を行なう汚れ役の男弟がいたということです。
 これは、期限2世紀から3世紀初めの日本の姿であったのですが、このようなクニの有りかたが
実は、連綿と21世紀を迎える今日まで、形のうえで残っているのですから、私達ほど伝統といいますか歴史を大切にしてきた民族もいないと思います。
 ヒミコの地位を天皇に、男弟の地位を時の政府に、置き換えてみてくれるかな。
 不思議と納得できる図式ではないのかな?
天皇というお立場で親政を行なおうとなさっても、不思議と長続きせず、また天皇になろうとした輩がいたとしても、その野望が実現されたことは有りませんでした。
 時の政権は、太政官、摂政、関白、征夷大将軍などと呼ばれました、そしてそれらの政権は、天皇の委任を受けて、天皇のご名代として政治を司るという形をとって来ました。
 当然にして、天皇は、血の正統さが要求されました、従って、そのお血筋は極めて純粋なものであります。
 私達庶民も、天皇の血の純粋さに憧れました。そのうちに自分達も何かしら由緒ある血統があればと願うようになりました。
 そのように心理の変化する過程で開放的だった性格が閉鎖的に変わっていきました。よそ者を排除するような力が働くのもそのためです。
 我々は純血でなければならないという固定観念が私達は何者なのかという研究を一種のタブーとしてしまったのでしょう。
 そう考えると、日本語の構造がこんなにも外を向いているのに、私達が閉鎖的なのか理解できるような気がします。
 天皇は神聖にして犯すべからず。以外にも国民的なセンチメントなのかもしれない。
 ごめんよ、爺さん耄碌してしまって、明治憲法までもちだしてしまった。悪しからず。

ありがたい場所

2005年04月17日 | Weblog
 此処は本当にありがたい場所だね、ボタンを押せば世界と繋がるし、知りたいことは何んでも
引き出せる。昨日今日明日の世界だね。どうして、もっと早く訪れなかったんだろう。
 日記帳に日記を書けと言われてもなかなか出来ないけれども、不思議とタイピングはできるものだね。自分の書いた下手で取り留めの無い文章が人様の目に触れる機会もあるのだと思うと気恥ずかしくもあり、ドキドキもする。
 
 中国の反日デモも勢いを増すいっぽうで、困ったものですね。現在どれくらいの在留邦人が居られるのか知りませんが、これ以上事態が泥沼化して来ると、本当に心配になりますね。
 そんな中で、事態の改善にむけて、懸命に尽力されておられる町村外務大臣、動きがとても早いですし、国民に対するスタンスと言うかパーホマンスがとてもいいですね。
 そのお陰で私達のフラストレーションが多分に抑えられていると思います。
 たいへんな時です、頑張ってください。 

魂の場所

2005年04月15日 | Weblog
 貴方の魂が宿る場所は何処ですか?貴方自身の心の中ですか?貴方の家族、家庭の中ですか? そして、貴方の魂の宿る場所は、未来永劫続くと思っていますか?貴方の血を分けた子供たちは、その場所で、貴方の意を継ぎ、貴方の理想を実現してくれると思っていますか?
 本当は、できるだけ純粋な日本語を使い、魂に響く文章で日記を書こうとしていたのですが、今日の夕刊に、憲法に関わる、衆議院調査会最終報告書の概要が掲載されていたので、ついついそちらに、目がいってしまいました。
 共産党さんと社民党さんのご両人は、憲法改正反対なのですね。
 今までと同じように何でも反対の反対ですか。
 ところで、日章旗は日本の国旗ですか?もし違うなら我々に国旗は有るのですか無いのですか? 君が代は、わが国の国歌ですか国歌では無いのですか?
 もし、国旗も国歌も無いとしたら、日本は、国家なんですか国家では無いのですか?
 念のために、お聞きしたいのですが、ご両人は、中国共産党と昵懇或いは何らかゆかりのある方々だとお聞きしたことが有るのですが、本当にそうなんですか違うのですか?
 ご昵懇であるのなら、自ら彼の国へ出向いてこの事態を何とかしてください。
 それと、もう一つお教へ願えますか?中国共産党は、日本にとって安全ですか危険ですか?
 危険だったら、どうすれば良いのですか?教えてください。
 以前、よく耳に致しましたが、日米安保反対、非武装中立ということでしたね。現在もその方針に変わりは無いですか?(ご両人ともそう表明していたか忘れましたが)
 未だもって、その路線に変わり無いなら、説明して下さい。どのようにして、国が守れ、国民の命が守れ、財産が守れるのか。
 仮に、こちらに武器も無く戦う気が無ければ、それは確かに戦争にはなりません、女子供は犯され、財産は略奪され多くの国民が殺戮されるであろう。侵略しようとする意思、或いは戦争を仕掛けようという意思は、こちらの意志とは無関係に存在するのではないですか。
 こんな子供にでも分かるようなことを、大の大人の国会議員が議論していた、馬鹿にされて当然である。
 世界中の笑いものになった時期であった。
 非武装中立というお題目を、もう一度国民の前で唱えるが良い、我々は笑って相手にもしない。
 まさか、中国がこんなにも早いスピードで、経済発展してこようとは、思いもよりませんでした。
 この調査結果が、過去五年間の結果の集計だという事でありますので、現在なら、国防意識という点では、もう少し違ったデータが出ていたと思います。
 憲法九条について、私のような、自称改憲論者にとりましては、こういう表現が望ましいと思います。
およそ敗戦を経験した国家といえども基本的人権と同じように自己防衛する権利を有する、従って、いままで、自衛隊と称してきた中途端な呼称を改め、日本国国防軍とする。
 また、わが国の隣に、我々が戦時体制下において経験したような国家が形成された以上、集団的自衛権は認めるべきである。
 私は、純粋な日本人として自負していることが一つあります、私達の唯一の欠点だと自覚もしているのですが、宗教の経典と憲法とを区別する能力が無いのではないかと思います。
 仏教の経典ならば、百年一日のごとく寸分も違えることなく唱え続ければ良いのですが、相手のある世界、しかもよくみれば恐るべき武器をも携えている。それを、目の当たりにして、こちらに武器もなく、戦いませんと宣言すれば、安全などと考えていたら、我々日本人の魂の宿る場所はないと思います。
 敗戦後六十年も経ち十分反省もしたことですし、速やかに行動に移しましょう、元来私達は温和で争いを好まない民族ですし、やったことで間違ったことは仕方ないとしても、やらないことで更に間違うのは、絶対に避けなければならないと思います。
  
 

オリエンタル スタンダード(東方標準)

2005年04月10日 | Weblog
 日本人の美意識ってどういうものなんだろう。
 絵画でいうなら、ほらあの絵葛飾北斎の、真ん中に富士山があって、前面に今にも落ちそう
と言うか、とぐろを巻いた大波があって、その中に五、六人で舟を漕いでいるあの絵、一番好
きだね。それと、建築物でいうなら、姫路城、桂離宮それといわゆる和服、あ、それに、もう
一つ有ったっけ、日本刀。どれもこれも、シルエットがとても美しい、究極の単純美だね。
 美しさを、シルエットという形にして、心に描き、究極まで追究する、或いは、物の持つべ
き機能をやはりシルエットとして、とことん追究する、実に美しい。
 ところが、実に不幸なことに、当の日本人自身がその素晴らしさに気が付かないことだ。
 最初に、日本文化に触れた西洋人は、さぞ驚いたことであろう。
 この地の果てに、こんなにも精緻で美しく磨き上げられた文化があって良いものかと。
今日は、飲んべい父さん飲みすぎちゃったよー本論に行く前に、ダウンだー。
ところで、何を言いたかったんだっけ、いやだよね年をとると、物忘れが激しくって。
 私達は、何かというと、好きだよね、剣術を剣道、柔術を柔道、弓術を弓道、その他、華道
、書道果ては人生道、等等、道という言葉を使うのが。
 道という言葉を使えば生涯を懸けても探求し、奥義を極める価値を生じさせうるのである。
 こういう心情を、持ち、実は釘一本打つのにも、どうして打ったらいいのかと、自己研鑽し
てきたのが、私達日本人だね。
 こういう類の特質を自ら自覚し誇りに思うべきだね。
 自分が納得しない限りとても、人前には出せないというとても純真で真摯な感性、大切にし、
よう。
 ここからが、実は本題である。
 或る地域から、市町村議員候補者を選出する時のシステムが実に面白い。
 市町村議員に成りたかったら、まず、地域の有力者のもとに行き、それとなく議員を、やっ
てみたいと言う話をそれとなくするのである。すると、有力者は、まあいいんじゃないの、と
言うぐらいの返事をする。そして、選挙が近くなると、末端では、あの人にぜひ選挙に立って
頂かなくては、と言う話になっている。まさしく、根回しと持ち上げの世界である。めでたく
当選したら、何もできないかもしれませんが、一生懸命頑張りますと礼を述べるのである。
 本当に、何も能が無い人材であるから、何もできないのである、しかし、それで良いのであ
る。選ぶほうも何も期待していないのであるから。
 こういう風潮は地方のリーダー選出はいうに及ばず、一国の元首を選出する際にももちいら
れる、平和時に於いては、それでもまあ仕方無いのであろうが、国民の意思をもって、変えて
いかねばなるまい。
 一国のリーダーがだらしが無いとか、無能などと不平不満ばかりを言って嘆いていてはいけ
ない。彼に我日本国の代表として、踏ん張れるだけの力を与えなければならない、それを考え
もせずに,ただ文句だけをたれるべきではない。そうさせているのは、実は、我々国民自身な
のだから。気づけ日本人。
 この続きは、また明日にしよう。
 ようやく一日が過ぎたか、忘れないうちに書いてしまおう。
 この国に、まだ文字の無かった時代、私達の祖先は、どんな風にこの地にやって来たのだろ
う。
 この件に関しては、確か半年程前にNHKが番組を組んでいた。其れによると、私達の母体
は、ロシアのバイカル湖の近辺に住んでいた人々が、第四氷河期に、カムチャッカ半島を渡っ
て、この日本列島に移り住んだものであるとか。結構説得力の有る番組でした。
 その下地の上に、かなりの時間を経て、朝鮮半島或いは中国南部の人々が、黒潮に乗って渡
来し、我が日本人を形成したとの話である。
 此処からが、実は重要なのであるが。
 それでは、この日本列島において、言語も文化も違う集団の人々はお互いに、遭遇しあった
時どうしたのでしょう。
西洋にしろ中国にしろ大陸では、強者が弱者を従属させる或いは滅ぼしてしまう、そして強者
の言語を強要する、そのようなことがなされたと思います。
 ところが、この日本列島では、各々の集団が融和しあって、共通の言語を生み出したのだと
思います。およそ、他国の言語においては、主語、動詞、目的語の並び順が重要な要素でしょ
うが、我日本語に於いては全くといえるほど関係有りません。主語を導く助詞、目的語を導
く助詞、結果を導く助詞、或いは方向を助詞が極度に発達していますから、どのように並べて
も意を通じることができます。観念さえあれば動詞さえ作れます。
 最近、私は中国語を学んでおりますが、(50過ぎの手習いです)全くといえるほど、影響
受けていないことに驚きました。
 強く感じます、日本語と言うのは我々の祖先がお互いに融和しながら創り上げていった言語
構造そのものを言うのではないかと。OS言語日本語だ。
 これぞオリエンタル スタンダード!

化石国指南

2005年04月09日 | Weblog
 海の向こうに化石国という国があって、十三億もの人が住んでいるとか、いやいやその他に、
まだ一、二億はいるぞ、などと言う人もいて、なんだか良く分かりません。
 彼の国の人びとは、日帝、日帝と甲高く叫ぶのがとても好きです。
 歴史認識の無さには、呆れるというか、返って関心してしまう。第二次世界大戦終結をもっ
て、全体主義、軍国主義或るいは日帝なるものは消滅したのである、それを、まるで亡霊にで
も語るかのように、日帝、日帝と叫んでいる、彼の国の言語は過去、現在、未来の区別も無い
ようなものなのであろう。
 当時、世界中が覇権を争う中、軍事独裁政権が誕生せざるを得なかったのでは無かったか。
然るに、化石国は、見事にその跡目を継いだ、一党独裁軍事政権と呼ばずして、何と呼ぶべき
か?
 また、彼の国は、2050年には世界一の軍事経済大国になると言ってはばからない。
 更に危惧されるのは、反日教育がどのように行われているかであろう。外務省は情報を公開
すべきであろう。
 近い将来、核弾頭付のミサイルが飛んで来るような事態もあり得るかもしれない。北朝鮮ど
ころの騒ぎではない、心して懸からねばなるまいて。