昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

論功交渉とは売国か

2005年10月25日 | Weblog
国立の戦没者追悼施設の建設議連、自公民3党が合意 (読売新聞) - goo ニュース
 
 最近頓に思うことは、国政選挙の際、立候補する者は、対中朝韓に対するスタンスについて、「護国」の立場を取るのか「売国」の立場を取るのか、はっきりと意思表示してもらわないと、国民が祖国防衛の立場で投票したつもりでも、いつの間にか国家が中国などに「売国」されていたなどと判明するような事態に貶められたのでは、たまったものではない。

 反中朝韓が全てではないにしても、気骨ある日本人がどのように国を思っているか考えてもらいたいものである。

 静岡新聞の投書から抜粋引用させて頂くことにする。
 「靖国参拝非難策略に乗るな」(森町在住、団体職員80歳の方)
  
 A級戦犯の合祀を理由に、十七日小泉首相の靖国参拝に対し、中国が猛反発している。この件に関して、考えを述べたい。
 東条英機大将をはじめ、日本のために極東軍事裁判で死刑を宣告され、絞首刑となった七人の方の遺骨は、愛知県の三ヶ根山頂に祀られている。素晴らしい崇高な施設である。
 私もその「殉国七士墓碑」こそ、七士の安住の地であると、先日参拝した。そこには、七士を敬慕する全国各地の戦死者の碑が建立され、この七士の碑を取り囲んでいる。
 現在、中、韓のみが外交カードに、首相の靖国参拝を、鬼の首を取ったように利用していることは明確である。その術策に嵌まってはならない。
 三十年前、日中国交回復の時、中国は靖国神社のことには一言も触れていない。
 最近になって、中国の国内問題の処理の為に利用されている。
 「無宗教の追悼施設」などという、利用価値の無い施設建設に貴重な国税を使うことなどもってのほかである。・・・とこのように仰せである。

 山崎拓などという方、当選の経緯からして、公明党の出店が如き存在である。大体、創価学会などが所有政党たる公明党に無宗教の宗教施設建設などと戯けたことをいわせること自体、臍が茶を沸かすというものである。彼らが目指すものはそれこそ「政教一致」即ち憲法違反である。
 頭隠して尻隠さずが如き浅はかさである。もっと簡単に言えば「俺等は糞をたれる、しかしお前達は糞をたれてはならない」と主張しているのである。

 

春望(songzhao漢詩を学ぶ)

2005年10月25日 | Weblog
 春望 (杜甫作)    

 国破山河在 城春草木深   国破れて山河あり 城春にして草木深し

 感時花濺涙 恨別鳥驚心   時に感じては花にも涙をそそぎ 別れを恨みては鳥にも心を驚かす

 烽火連三月 家書抵万金   ほうか三月に連なり 家書万金にあたる

 白頭掻更短 渾欲不勝簪   白頭掻けば更に短く すべてしんにたえざらんと欲す


 ある春の日の眺望

 故国の長安の都は破壊され、その城下は春を迎え草木は深々と生い茂っている
 今に至っての感傷であるが、花を観るにつけても、はらはらと涙をこぼし、家族との別れを惜しんでは、鳥が飛び立つ音にさえ怯えるありさまである
 戦火の狼煙はこの三月になってもなお続いており、家族からの手紙はそれこそ万金に値するものである
 白髪頭を梳かしてみれば、髪は更に抜け落ち短くなってしまい、冠を止めるヘヤピンも掛りそうも無い有様である

 お世辞にもよい訳とはいえないののであるが、中国版西行法師といったところであろうか。杜甫とは「漂泊の詩人」である。
 今は昔、唐の時代、時の玄宗皇帝が稀代の美女「楊貴妃」に現を抜かしていた頃の出来事である。