昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

駐日大使はワンワン吠えるか

2005年11月30日 | Weblog
首相「靖国は外交カードにならない」…中韓をけん制 (読売新聞) - goo ニュース

 この小泉首相が登場してからようやく国民の声を中国や韓国に明確に発信してくれるようになったのは実に喜ばしいことである。

 日本人である以上日本国内にある一神社を参拝して良いだの悪いだのと、憲法裁判まで起こして大騒ぎしているような国柄に成り下がってしまったからこそ中国だの韓国に付け込まれるのである。

 「中国さま」や「韓国さま」に逆らってはならぬなどという馬鹿げた刷り込みに翻弄され、自分達が「日本人ではない」と貶められていると思わずに、むしろ「自分たちを自ら貶める誇り」に酔っ払っているいるのが媚中派(和製中国人ともいう)馬鹿どもであるこのような政治家は日本国と日本人を一体何処へ導こうとしているのか?脳味噌の構造が理解しかねるのである。

 ワンワン吠えるのは、言わずと知れた駐日中国人大使であるが、この方は国際基準たる大使という職責さえも心得てはいない。この方以外の国の大使は少なからず「対日友好」を志しておられる方ばかりであるが、この方たるや日本人を脅迫する為に本国から派遣されたのが見え見えである。

 日本人はこういう人の排斥運動でも起こして早く「本国へ返品」すべきであると思います。皆の衆の意見は如何なものか。

Cuando Caliente SHIZUOKA#5

2005年11月29日 | Weblog
 副題:いつも狂った発言をしていたい 。

 この題名を使うときは静岡県の話題に限ろうと思っていたのであるが、今日は静岡新聞の記事を話題としたい。

 私は麻生外務大臣の対中、韓へのスタンスが大好きである。
 
 韓国外交通商省は二十八日、麻生太郎外相が小泉純一郎首相の靖国神社参拝問題に関して「靖国の話をするのは中国と韓国だけ、気にしなくていい」などと述べたことについて「強い遺憾の意を表明する」と非難する論票を発表した。
 外相就任後の麻生氏の発言を韓国政府が公式に非難したのは初めて。冷却状態が続く日韓関係の改善に向けた調整役が求められる外相自身の発言が問題化したことで、関係改善への道は更に遠のきそうだ。

 また、中国各誌は、二十八日、小泉純一郎首相の靖国神社参拝に対する中について「どうでも良いことは気にしなくていい」と述べた麻生太郎外相の発言を「日本国外相がまたも狂った発言」などの見出しで大きく報じた。
 北京晩報は「麻生外相が首相の靖国参拝に対する中韓両国の批判を顧みる必要はないとわめきたてている」と反発。

 この国々を日本人は「オウム」と「九官鳥」の国と呼ぼうではないか。韓国など中国の出先機関に過ぎないことがこの報道の内に証明されている。
 何度言っても言語咀嚼能力(言葉で言っても理解する能力)が無い民族であるからして処置無しなのであるが、少なくとも日本は韓国と戦争をしていないし、中国が朝鮮戦争において60万とも100万とも言われているような「韓国人」を機関銃の的にしたことも、銃剣で刺し殺したことも無い。
 植民地時代などと「自虐的」な表現を好んで使う国柄には同情するものであるが、日本の植民地時代には日本が韓国から得たものより、韓国が日本から受け取ったものの方が多かったはずである。
  
 そして、言語咀嚼能力の無い韓国人は6万人を越える同胞を北朝鮮に拉致されたと世界の人々が周知するところとなっている。こういうお人よしな国民性であるから、北に拉致されたなどとは、「言うことができず」移住したとでも表現して、世界に諂い同胞を北朝鮮の餌食にされても、何とも思わないのであろう。
 韓国などという国名は十年もしない内に消滅し、「金南北統一国家」と名を変えていることであろう。所詮、中国と北朝鮮に略奪されて終わる運命なのである。

 日本は中国などという共産崩れの国家に、こちらから頭を下げてお付き合い願う立場には無い。用があれば中国側から日本にお願いに来ればよいだけである。日本のスタンスは「去るものは負わず来るものはこ拒まず」であろう。
 麻生外務大臣の対中韓外交姿勢こそ有史以来の中国や朝鮮半島に対する外交スタンスなのである。現在、中国や韓国から学ぶべきものは何もないのである。

 この「靖国」という言葉誠に「神聖な言葉」である。有り難い事に、この呪文を唱えている限り、日本人の血を吸う蚊どもは寄ってこない。

 毎日、「靖国、靖国」と唱えていようではないか。

屋山節は今日も高らかに

2005年11月28日 | Weblog
 此処で言う「屋山節」とは、政治評論家の屋山太郎先生のお書きになる個性的な文章を言う。
 いつも「静岡新聞」の論壇で拝見させていただいている。歯に衣を着せない表現と独特な言い回しでとても切れ味の良い文章をお書きになる方である。(今日は先生の話を援用させていただく)

 今日の先生の論題は「ロシアとの付き合い方」ということである。

 先般、ロシアのプーチン大統領が訪日し小泉首相との間で日露首脳会談がもたれ、日本懸案の領土問題には何の進展もなかったのであるが、屋山先生の教えるところによれば、プーチン大統領は百人ものロシアの財界人を同行させ日本の財界人との交流を深めたのだという。

 私などは戦後に生まれ育った人間であるが、戦中に生を受けた人たちはロシアのことを「恐ロシア」といって、殊更嫌っていたことを思い出す。これは中国語の発音で「オーロスー」と言うからそこからきたと思っていたが、列強が1945年7月17日からポツダム会議(日本の敗戦後の処理を協議した)そして、8月15日終戦となるのだが、卑劣にもロシアは8月8日に、1946年4月まで効力のある中立条約を破って、やれ満州、北方四島へと侵攻し占領してしまった。特に満州にいた日本人居留民150万人は筆舌に尽くし難い残酷な目にあったということである。そして、60万人もの軍属が捕らえられシベリアの極寒の地に連れて行かれ、食うものもろくに与えられず強制労働させられ、飢えと寒さと病気で死んだ人は6万人に及んだと言う。
 日本人たる者、こういう悲惨な「民族の屈辱」をしっかりと心に刻み込んでから、外国との友好などというものがどうあるべきか再考すべきである。
 前進するときには、後退する時のことも考えておかなければなりません。憲法で軍隊の定義もできない国の人間が外国に生産拠点をもつなどということは、その時点で袋の鼠となっていることを自覚すべきである。

 先生が教える北方領土交渉の変遷とは次のようなものである。

 1956年鳩山首相がソビエトを訪問し、日ソ共同宣言に署名した。内容は、平和条約締結後に色丹、歯舞群島の返還を記載。

 1973年の共同声明では、田中首相が日ソ間の未解決の問題としての北方領土問題は二島ではなく四島のことであるとソ連に認めさせた。

 1993年には細川首相とエリツィン大統領との間で東京宣言を行い「四島とは択捉、国後、色丹、歯舞と具体的に特定し、これら四島の帰属問題を解決した後平和条約を結ぶ」ことを確認した。

 ところが、橋本首相(この方が思いの外小心者でポマードでキッチリ頭髪を決めることと女性票の行方を気にすることしか頭に無かったかのようである)が国境線画定確定方式なる妙案を持ち出すや日本はなめられ、「領土問題など無し」などと言い出す始末である。

 一国のリーダーに値しない政治家に国を委ねてはならないという忌忌しき前例である。迂闊であったとは取り返しのつかないことである。再認識しよう。

蒙古相撲界に君臨

2005年11月27日 | Weblog
 流石に鎌倉時代日本征服を企んだチンギスハン、クビライハンの血を受け継ぐ者は本当に強い。まんまと日本相撲界界の土俵に君臨してしまった。その人の名は朝青龍である。さほど体格に恵まれているいるわけではないが、抜群の運動神経の持ち主であり、稽古熱心であり、類稀なガッツ精神の持ち主なのであろう。

 全盛期の大鵬、北の海、千代の富士のようにあれよあれよという間に勝ち抜いてしまい終わってみれば、また優勝ということになる。前人未踏の七連覇と年六場所完全制覇、北の海の持つ年間最多勝記録をも更新したという。そして、優勝十五回は輪島を抜いて通算十五回を達成した。もはや、歴代日本人大横綱と比較しても見劣りはしない。後三年もこの調子で現役でいるなら、それこそ前人未踏の戦績を残すであろう。今後に期待したい。
 
 随分以前の話であるが、初代若乃花(双子山親方)が相撲のルーツを辿る旅に出られモンゴルの相撲を紹介されたテレビ番組を見た記憶があるが、やはり、日本の相撲と相通じるものがあったのだとしみじみ感じ入るものである。

 よく旅行家の方が、世界を旅していて、モンゴル人の旅行者を見ると妙に気が落ち着くなどと書かれていたことを思い出す。そういえば、日本人の母体となっているのは縄文人であり、そのルーツは第三氷河期にバイカル湖あたりからシベリアを経由して北海道に渡ってきたのだという。その血が日本人の50%程度をしめているということである。人種的血縁関係においてもそんなに遠くない間柄なのであろう。

 また、東関脇琴欧州(22歳)ブルガリア出身も、十一勝を記録し、大関昇進を決めたという。彼も二昔前の物珍しさだけの力士の域をとうに通り越している本格的な関取である。2002年九州場所の初土俵から十九場所での大関昇進は、年六場所制となってから、現横綱朝青龍をしのぐ一位のスピード出世であるという素質と根性の持ち主である。

 また、韓国人力士も日本のまわしを絞めて頑張っているという。今だ中国人が相撲界に入門したとは聞き及んでいないが、日本の相撲界も随分と国際的になったものである。

 しかし、日本人として望むことはこれらの外国人力士に伍して行ける日本人横綱の誕生である。早く日本人の横綱が誕生してもらいたいものである。

 

日台ごうつく婆婆連

2005年11月27日 | Weblog
 WiLLという月刊誌があって、この雑誌はいつも嫌中朝韓で貫かれていてどちらかといえば、右側寄りの編集内容である。

 日中友好や日韓友好を始めようとする者にどのような心構えが必要かを教える最適な指南書の一つである。(一部抜粋させていただき話題としよう)

 今回、東條由紀子、金美麗両氏が「敗戦の悲劇から日本人は何を学んだか」という題で、ご両人の対談を記事にしたものを掲載している。
 このご両人は生れ落ちる時、何を間違ったか「シンボル」を母の胎内に忘れてきたのだろう。男もたじろぐほどの筋金入りの気丈夫さである。

 金美麗氏が語る先の大戦の戦争責任は国民全体にあったということをみんなが本当の意味で反省し、学ばなければいけない。ただ、中でもリーダーだった人には、重い責任がある。これは決して否定してはいけない。物事を決める権利を持っていた人間には大きな責任がある。不祥事を起こしたときに会社の社長が辞任して責任を取るのとおなじこと。
 当時要職にいた東條さんには大きな責任があったのは間違いない。

 『ですから、祖父達は絞首刑で責任を取ったのです』

 当時それが本当にみんなのためになると信じてやたことでも、結果的にその判断が間違っていた。これは客観的な事実として認めるべきだと思う。
 負ける戦争は、やっちゃいけない。それに対する責任と受け入れる、という気持ちが無ければ前には進めない。
 大きな犠牲を払ったら得るものがなければならない。日本の一番悪いところは、なにか悲劇が起きたときに、足を引っ張るか、センチメンタルにかわいそう、かわいそうと言うかどちらかしかない。
 ある大きな悲劇から何を学ぶかということを真剣に考えることが何より大切です。

 まことにもって、ごもっともなお話であるが、当時日本国民には戦意が漲っていた東條英機が止めようにも軍部が先走りしてしまって、どうしようもなかったという一面も忘れてはならないだろう。血気にはやる国民を止めることの責任までリーダーには委ねられているのであろうか。お察し申し上げる。

 このご両人の語る「靖国の代替施設」とは、以前から出足り消えたりしている問題であるが、いずれにしても馬鹿馬鹿しいのは、中韓から代替施設に予算をつけろなどと内政干渉され山崎拓など「お召使い」精神で聞いて帰ってくるのであるから呆れたものであるが、どうして言われた時に、一言「これは内政問題だ」とビシッと言えないのか。(中韓に養ってもらっているのか?)
 靖国問題にしても、教科書問題にしても、なぜ外国の外国の許可が必要か?まずそこからまちがっている。
 魂も入っていない代替施設を外国の要請で建設して一体何を拝めというのか。外国(中韓)の元首に来てもらうただそれだけのために馬鹿馬鹿しい金を使うのか。

 代替の追悼施設を作ろうという人たちの言い分であるが、A級戦犯が合祀されていると中韓から脅され怖くてしようがないからという。この者達は、政治カードとして相手が使っていることも分らない政治家度である。
 国際法上、国と国が平和条約を結んだということは、もう戦犯などというものはないのだと、なぜ日本ははっきり言わないのか。それが不思議である。
 更に、呆れるのは、日本人までが彼らの尻馬に乗って、「A級戦犯の合祀は問題」などといっているのが情けない。

 中国や韓国が靖国問題や歴史教科書問題を外交カードとして使ってくるのは、それが何より有効であるからであり、国益に適っていることをしているだけのことであって、当然のことである。
 それに対して、問題なのは日本がそのように愚にもつかない問題を相手の外交カードにさせてしまっていることである。(無能なることこの上なしである)。
 特に、そのカードが場に出されるたびに後退する日本の政治家が情けない。更に、それに便乗して、輪をかけて焚きつける日本メディア。彼らこそ外交戦上の戦犯である。

 政教分離についても傾聴に値することを言っておられるので抜粋しておこう。
 政教分離についても報道の仕方が本当にご都合主義である。
 元来、政教分離とは、政治は宗教を弾圧したり干渉したりしない。また宗教は政治に影響を与えない。決定的な作用を与えないということである。かつてのバチカンのように各国の政治に介入してはいけないというのが政教分離の意味である。
 政治家が宗教心を持ってはいけないとか、宗教を信じてはいけないなどということではありません。首相が自分の信じるものに敬意を表することと政教分離はまったく矛盾しないということをもっと徹底させなければなない。

 大体、公明党が「政教分離」などと言うのなど、チャンチャラおかしい。
 公明党こそ「政教分離」に反しているとしか思えないのに、なんでそこをいえないのであろう。

 日中、日韓友好を志す者は一旦は嫌中、嫌韓に苛まれない限り、日本人たるスタンスを見失ってしまうであろう。
 簡単な例で表現すれば、野球をやって、バッタボックスに立ち相手がボール玉を投げたら気を使ってバッタボックスを離れてストライクであるなどという気遣いをすることが「友好」などと思い違いをしていたのでは将来は即ち「暗い」のである。

 

天皇の神髄を犯すべからず

2005年11月26日 | Weblog
皇位継承の伝統危機 学者や地方議員 有識者会議に反発 (産経新聞) - goo ニュース 

 皇室典範に関する有識者会議の面々とは実にユニークな人格者の集まりであるらしい。この面々を招集した方のお顔を拝ませていただきたいものである。

 皇室典範に関する有識者会議の座長であらせられる元東大総長の吉川弘之先生はロボット工学が専門であるとか、きっと稀代の名作漫画「鉄腕アトム」などを考案なさった方なのであろうか。いや、それとも「鉄人28号」であったか。

 まさに日本国の天皇の運命もこの万能の「天才工学者」の操縦かんに委ねられているといってよい。ところで、先生、わが日本国天皇が行き着く先の「海図」はお持ちなのであろうか?まさか「おぱん亭」氏の地図ではあるまいの。

 とにかく、この先生の主張とは、幼稚園生でも理解できる「制度の分りやすさや安定性」を重視することであるそうな。現職時代の安定した「作品」を我々素人にも披露願いたいものである。この方にとって、伝統は邪悪なものであるらしい。しかるに、日本国天皇とは大和民族が、辛い時も、楽しい時も共に歩んだ伝統そのものである。それを蔑ろにするお方とお見受けする。

 というのは、先般、三笠宮寛仁親王が、安直な発想による女系天皇容認に対して意義を唱えられた私的発言に対して「どうということは無い」と足蹴ざまに一蹴されたという。流石に学識経験者は大変な権威をお持ちのものと敬服するものである。

 そして、座長代理の園部逸夫先生は、元最高裁判所の裁判官であられたとか。在任中には、最近大阪高裁で本論と明らかに矛盾する自己偏見を傍論で述べて日本国首相をあたかも有罪の如く扱い中韓に媚を売った某裁判官の如く、同じく傍論で、空想の産物である「朝鮮人強制連行を」念頭に、謝罪の意味を込めて、外国人の地方参政権を容認したお方と聞く。

 もう一人の中心人物とは前内閣官房副長官古川貞次郎先生である。このお方は、村山首相談話を「日本政府の基調を明確にしたもので、高い歴史的価値がある」と評価し『負け犬日本』を世界に向けて発信したお方である。また先生は公明党に同調して「新たな戦没者追悼施設」建設にもご熱心であるという。

 ところで皆の衆、この「皇室典範に関する有識者」会議の構成員の中枢部に陣取っておられる方々たるや、穿った見方をすれば「中、朝、韓」から推薦状を頂いたような方々で占められているのではないか?これでは、天皇の尊厳が損なわれるではないか。

 『これで良いのか日本人!』(同紙正論を参考にした)
  

Cuando Caliente SHIZUOKA#4

2005年11月25日 | Weblog
 クアンド カリエンテ シズオカとはスペイン語である。スペインという呼称は英語圏の言い方であって、本国人は我国は「エスパーニャ」であるという。このエスパーニャ語の発音体系が偶然にも日本語ととても良く似ている。ア・エ・イ・オ・ウという母音しかないのである。世界広しと雖も日本語の仮名文字でエスパニョール(スペイン語)を書いて、読んで通じるのであるから、親近感を持たない方が不思議である。

 エスパーニャといえばギター音楽であるが、ギターという楽器に少なくとも三倍程度の「音量」があれば、ピアノと互角の勝負が出来たであろう。
 私は、とてもありきたりであるが、フェルナンド・ソルの作曲した「モーツアルトの魔笛の主題による変奏曲」が大好きである。ギターがかもし出す和音の響きがとても心地よい。クラッシック・ギター古典曲の珠玉の作品である。

 ところで、わが「静岡新聞」も至れり尽くせりである。今日の話題は『エスパーニャでも女帝論議』だとさ。

 男子と女子の王位継承権を平等にすべきだという声が高まっているのは、フェリペ皇太子の第一子としてこのほど女児が誕生したスペインだ。昨年四月に発足した社会労働党のサパテロ政権は、男女平等な王位継承実現を優先課題の一つに掲げており、国民の多くもこれを支持している。
 昨年五月に結婚した皇太子と元ニュースキャスター、レティシア妃の間に生まれたレオノールちゃんは、現在の憲法の下でも王位継承権は皇太子に次ぐ第二位だが、これは暫定的。現憲法は男子の王位継承が優先すると規定しており、レオノールちゃんが王位に就くのは、今後、弟ができない場合に限られる。ただ、国民はレオノールちゃんを女帝候補として歓迎している。レオノールちゃん誕生直後の十一月三日に行われた世論調査によると、王位継承の男子優先規定を削除する憲法改正に賛成すると答えた人は84%に上った。・・・・・よりによってスペインを参考にせよということか。

 そして、「女系天皇賛否をめぐって国論二分なら陛下ご心痛」であらせられるということであれば、「下々が物申すこと相成らぬ」ということなのであろうか。

Cuando Caliente SHIZUOKA#3

2005年11月24日 | Weblog
 最初にお断りすべきであったが、本来エスパニョールの文法で表現すれば、Cuando SHIZUOKA esta caliente(caliendo)とか表現すべきなのであろうが、Suda Americaの有名な歌に「燃える太陽」というのがあって、その歌は原語で確か「Cuando Caliente el Sol」と歌われていたと思う。実は、それにあやかったのである。日本人のいささかの「ハイカラ志向」に免じてお許し願いたい。

 男女参画社会を夢見る「お嬢ちゃん」、「おばちゃん」、「お婆ちゃん」に至るまで、その自己の教養を磨かずしてかような自己主張をすべきでない。性差を越えた女権らしきものがはじめて日本史に登場したのは「鎌倉時代」であったと認識すべきである。

 初代「男女参画社会人」とは畏れ多くもかの有名な「尼将軍北条政子」氏にあらせられる。男女同権を声高に叫ぶ女性軍よ、先ず「政子女史」の伝記でも読んでから物申されるが宜しかろう。質実剛健をもって胸といたせ!。

 今日は「静岡新聞」より『富士川の合戦』の史跡めぐりを紹介する。

 「富士川の合戦古戦場と町の駅を訪ねる秋のウォーキング」が二十三日、富士市内でで行われた。市内外から参加した三十人が、富士川の合戦にちなんだ史跡七ヶ所と、まちの駅六ヶ所を巡り、約7.5キロの散策を楽しんだ。
 富士川の合戦は1180年、平家軍と源頼朝軍が戦い、水鳥の羽音に驚いて平家軍が敗走したと伝えられる戦い。市内には各武将が陣所に使った神社や戦跡などが数多く残っているが、あまり知られていないという。
 観光情報の発信拠点や観光客の休息所として、市内二十二ヶ所で開設された「まちの駅」の駅長有志が、同駅とこれらの史跡を結びつけて双方の認知度向上を図ろうと企画した。
 参加者は秋晴れの下、頼朝が戦勝祈願した滝川神社や主戦場とされる平家越などを、観光ボランティアガイドの説明を受けながら回った。(全文記載)

 このような企画を前もって知っていれば、私もふるって参加したのにと悔やまれる。


Cuando Caliente SHIZUOKA #2

2005年11月23日 | Weblog
 このあたりで、私としても所謂「皇位継承問題」に積極的に参戦してみようと思う。というのは、この静岡県において最初に口火を切られたのは他ならぬ「石川嘉延」静岡県知事であるし、三笠宮寛仁殿下の内輪の同好会の「論文」に賛同した意見を述べられていた。

 その後、静岡新聞の投稿欄には「袋井」であったか「磐田」であったか記憶にないのであるが、現在代議士をしておられる方が東京大学在学中に「皇室典範に関する有識者会議」の座長、吉川弘之元東大学長は現役であったが、彼は専門が「ロボット工学」であるから、日本歴史における「天皇」を考えるうえで「適切な人材」であるかということに疑問を投げかけておられた。
 敗戦後の合理精神で日本精神を「破壊」し、スクラップ・アンド・ビルドすればよいなどと、日本史における「天皇」の評価について、そのような合理精神をもってするのは、はなはだ場違いではないか。「皇位継承伝統切捨て反対」と意見を述べられていたのに対し、藤枝市の五十五歳の主婦の方が、真っ向から異論を唱えている。

 耳を傾けてみよう: この投稿をされたM氏は吉川弘之先生のいう「内なる敵」を伝統を非合理なものとして切り捨てる心」と捉えております。しかし、私はこの「内なる敵」とは「伝統という名に縛られる非合理性」なのではないかと捉えました。芳川先生は伝統に縛られている男系男子による皇位継承を固守するという非合理を打破することが、内なる敵を克服することと考えているのではないかと思うのです。
 日本の伝統だと思われている家父長制度は、明治憲法を制定する際、前時代の武士階級でおこなわれていた「家」を民法という形で法律的につくったものだというはなしを聞いたことがあります。それまでの時代には女性も経済活動を行ったり、財産分与もあり、夫婦も別姓であったりしていたというのです。残していきたい伝統もたくさんあるとはあるとは思いますが、男性と女性が人格として同等でないという非合理に基づいた伝統は、もう一度考えてみる必要があるのではないでしょうか。

 論戦を仕掛けられたM氏は、はてはて、どのようにお答えになるのであろうか。「敵様」は「生粋の日教組一味」で御座るよ。

 凝り固まった思考の持ち主は男女不平等国アジア大陸へでも行って、体験学習でもしてもらわなければ「躾」は身につくまい。
 伝統が、不合理に基づくものであるゆえ、スクラップ・アンド・ビルドしなければならないなどと、恐ろしく馬鹿げた理論である。今の合理はおそらく将来の不合理でとなるであろう。
 こと天皇制に関する限り、男系の血筋であったればこそ、日本国二千年の風雪に耐えたのである。
 ことは、今後の議論の進展に委ねられているのだから、なんとも言えないのであるが、女系を万が一にも容認した皇室典範ができあがったら、皇室の「権威」は庶民の「血統」と何ら変わる所ではなくなる。
 というのは、民間から皇室に嫁がせた実家が我々とて皇室の端くれであるという主張をし出すこと請け合いである。
 この問題に関する限り「男女同権」などという「負け犬の理論」を持ち出すべきではない。
 何故、男系でなければならないかといえば、天皇の系図に女系を容認する価値観を持ち込めば、雑種ばかりになってしまい、香しき日本民族の誇りさえ喪失してしまうであろう。

 平安時代、あれ程権勢を欲しいままにした「藤原一族」でさえ、娘を皇后の位置ににつけ、外戚として政治基盤を確立したにすぎない。この時代から既に、皇后の親は「天皇」にはなれないという「掟」が厳然と存在したのである。その理由は、男系による皇位継承が正当なものとして確立していたからである。

 事此処に及んで、得体の知れない「専門家が何を血迷ったか分けも分らぬ結論」を出したというのであるが、この者たちにこそ、皇統ニ千年の呪いがかかるであろう。
 この際、元皇族方も言論自由の世の中であるから、粛々とお考えを述べられたらと思うのであるが。

日露首脳会談に思う

2005年11月23日 | Weblog
 日本はただ一度戦争に負けただけであるが、敗戦の傷の後遺症とは書くも重いものであるのか。

 静岡新聞より抜粋:北方領土問題進展せず。交渉継続では一致

 小泉純一郎首相は二十一日午後、ロシアのプーチン大統領と首相官邸で約二時間半会談した。日ロ間の最大の懸案である北方領土問題では両国の間で立場の隔たりが大きく、具体的進展はなかった。共同声明の作成も見送られ、今後も粘り強く交渉を続けることで一致するにとどまった。日ロ首脳が相手国を公式訪問した際に、政治文書の署名が見送られるのは異例で、領土問題の打開は当面困難な情勢となった。

 とはいえ、目立たない成果というものもあった:
 
 1、両首脳は東アジア情勢など安全保障問題に関する閣僚級の「戦略的対話」設置で合意。
 2、プーチン大統領は小泉首相が来年、ロシア公式訪問することを招請し、首相は同意。
 3、首相は領土問題に関し、1956年の日ソ共同宣言、1993年の東京宣言などに基づく協議継続を要請。「双方が受け入れられる解決を見い出す努力を続けたい」と強い意志を伝えた。これに対し大統領は「このもんだいを解決するかどうかは我々の責務だが、背景には第二次大戦の結果があり、一つ見直せば他にも波及する連鎖という難しい側面がある」と述べた。
 4、東シベリアから極東への石油パイプライン建設は日本と協力してやって行きたいが、中国にも供給すると表明。

 およそ領土などというものは、武力で奪い取るものであるというのが、人類の歴史が証明するところであろう。このロシアにしても、日ロ不可侵条約が結ばれていたにも拘らず日本の敗戦が決定的になってから進軍し占領したものであって、非合法であることには違いないのであるが、少し穿った歴史解説書などでは、敗戦当時アメリカは日本とソ連が北方四島問題で仲たがいをし続けるように北方四島の帰属を明確にしなかった。ソ連の共産主義拡張政策への一石であったと言うようなものもある。

 小泉首相が「骨太の外交方針」を採るようになってから、日本のミーハー・メディアも流石に足元が見えるようになってきたらしい。誠に結構なことである。国を代表する政治家たる者、領土問題で譲歩したなどと国民に思われたら即その立場を追われるのである。特に一国のリーダーたる者に領土問題はタブー中のタブーである。
 この日本において、いやしくも国会議員となったものが「竹島」が日韓どちらに帰属すべきであるとか馬鹿馬鹿しいことを発言したりするのであるが。このような代議士諸氏は例の宗派の「念仏」さえ唱えていれば国の領土と安全は保障されるとでも思っているのであろうか。ならば、国会議事堂とは「礼拝堂」という意味なのか?。
 
 大いに領土問題を語り、日本の根本的な問題点は何かを「究明」すべきなのである。しかる後出てくる結論は「我々日本人は一旦事あれば、最後の手段としていつでも戦う用意がある」というメッセージを世界に発信することに尽きるのだと思う。そして、国民は軍隊があるということと、戦争することはまったく同義ではないと理解することである。
 
 私は以前、「ご老公の如き発言の数々」でカルタゴに関する先輩の意見を紹介したことがあるが、「国防意識のない人材を国政に送り出してはならない」とつくづく思う。

ならば国防省と改称すべし

2005年11月22日 | Weblog
防衛庁、「省」昇格へ 自民、次期国会成立目指す (産経新聞) - goo ニュース

 私も一日本人であるが、こうも自己卑下を国是とするような国柄というものは地球広しと雖も世界で唯一の贖罪国家の真骨頂である。防衛省に昇格すると「口を開ける」ことができるようになったことだけは、いささかの進歩である。
 しかし、謙遜して防衛などと、一体何を防衛するというのであろう。こういう目的語を含まない表現は「百害あって一利もない」愚行であると、いい加減に悟ったら如何なものか。日本人が日本国民として守らなければならないものは、日本国以外の何ものでもないはずである。
 そういう見地で物申すべき国会議員は「一体何を憚って」防衛省などと主体性のない表現をするのであろう。日本国民が真っ先に守らねばならないのは「日本国」そのものであるはずである。
 元来、防衛などという単語は疫病から国を守るとか、鳥インフルエンザから国を守るとかとの程度のインパクトしかない。その程度の問題は厚生労働省にでも任せておけばよい。
 外国の侵略、軍事的挑発から国家を守る任を負う省は「国防省」と改名してしかるべきである。そういう表現をすることが愛国の情をはぐくみ国民として、他人を思いやる精神を醸成して行くのである。

 話は変わるが、以前この「産経新聞」の青少年の投稿の中に外国の教育を受けて帰国した所謂帰国子女の文章を見かけたことがあったが、その青年(男子)は、自分が滞在した外国では『愛国教育』というものをしていた。国を愛するという教育は、ひいては他人を思いやるという精神を育むのだという。
 だから、適切な愛国教育の行われている彼の滞在した国では、今日日本で頻発しているような「凶悪少年犯罪」が少ないという趣旨の発言をしていたのが今でも頭に残っている。傾聴に値する意見であったことを記憶している。

対中韓骨太外交の神髄

2005年11月20日 | Weblog
 今日は「静岡新聞」の拾い読みをしよう。

 韓国釜山での内外記者会見: 小泉純一郎首相は十九日夕、韓国釜山で内外記者会見を行い、首相の靖国神社参拝で悪化している中韓両国との関係について「たとえ一つの問題で意見の相違があっても全体の友好関係を損なわないことが必要だ。中長期的に関係を悪化させない努力をしなければならない」と大局的見地に立って関係修復に取り組む重要性を強調した。
 その上で、中韓両国と日本は貿易、文化芸術などの面でかつてないほど交流が拡大している」とも指摘。「時間がたてば理解されると思う」と述べた。
  
 靖国参拝については「総理大臣である小泉純一郎が一人の国民として参拝している。二度と戦争を起こさず、戦没者への哀悼の誠を捧げるためだ」と私的参拝を強調。
 靖国神社が先の戦争を正当化しているとの指摘に対し、「その見解は支持しない」と述べた。

 また、麻生外務大臣も大分県別府市で記者会見し、韓国釜山で十八日に行われた日韓首脳会談でノムヒョン大統領の年内訪日が確定できなかったことに関連して、小泉純一郎首相の靖国神社参拝問題で譲歩してまで実現を図る必要は無いとの考えを示した。
 麻生氏は「来てもらうために日本は何を譲るかという話になり、それが靖国の話になるのは果たして正しいか」と強調した。
 ただ、「日本は通常通り声はかける」と述べ、今後も大統領来日の要請は続ける意向を表明。

 私など、ただの「無芸大食」だけを取り柄とするしがない一日本人であるが、この対外国へのスタンスこそ「本来望まれていたものである」と感銘するのである。 相手にこちらの価値観なりものの考え方を理解させない限り、まともにイーブンな付き合いなど成り立つ訳はないのである。

 小泉純一郎首相には所謂日本人としての「土くれの苔の一念」を感じる。外交とはこの方が標榜されるように、先ず「日本と日本人の魂」を外国に遠慮なく発信し共感を得ることから始めるべきなのである。
 そういう立場で得られた成果こそ「真の国益」に適うべきものである。麻生外務大臣も国民は「小手先の戦利品」などには興味をもってはいない。腰を据えて事にあたって頂きたい。

 日本国首相が日本国内に在る神社に参拝すれば外交の障害になるなどとは一部の大陸、半島系報道機関が善良な日本人に植えつけた「妄信」である。そして、それに迎合する無国籍宗教団体の扇動に耳を傾けるべきではない。彼らこそ大陸に亡命すべき運命にあるのだ。
  

是不是美女?没女?

2005年11月19日 | Weblog
 美女かブスか?
 
 今日の日記は中国の青年との雑談をテーマとしたい。
  
 中国語の特徴は、狭い音域の中に数多くの漢字があって、漢字自体が「単音節」であるからして、いつまでたっても聞いて分らず珍紛漢紛(チンプンカンプン)なのである。実に識別困難な言語である。

 中国人と話をする時は、紙を持参し鉛筆で字を書くことである。これが意外に通じるのであるから、漢字=表意文字の持つ威力なのだ。

 彼らは、「私は美人よ」と自信満々の女性を前にしたら、「あなたは本当に美女(メイ・ニュイ)です」とこのように言って賞賛することに余念が無い。褒められた「女性」の方は、当然自分が「美人」だから評価されたと思って意気揚々とする。
 しかし、そこはそれ、中国人である。彼女が通り過ぎれば、あれは「本当の没女(メイ・ニュイ)さ」と言って屁馬鹿にして笑いこけるのである。

 このように、「美女」と「没女」(何も無い女、ブス、ペチャパイ)は同じ発音を使った正反対表現である。

 日本でも、例えば、どうしようもない馬鹿な子供がいて、誰にも一見して分る時、言うに言われず「お前は本当にお利口だ」などと、正反対のことを言って誤魔化すことはある。

 しかし、中国人のこの種の表現には、歴史的に長い間、悪政に苦しめられてきた民衆の知恵が込められているようです。
 例えば、「あのお代官様は本当に人徳のある人です」と言って、本当は「どうしようもない悪代官」を意味するといった類の表現方法です。(本当のことをそのまま言えばお仕置きが待っていた)。

 そういえば、私が先日書いた「大芝居(第三十一幕)」で「ハルサメ」という訳語がありましたが、最近中国の若者達が加えた新しい意味が込められていて、中国人が読むと、「ハルサメ」から小泉首相の髪のイメージを連想し、同時に「ファン」であるという意味を兼ねるのだということです。中国人の書く文章には奥が有る。
 中国語で「フェン・スー」=「ハルサメ」=「英語のfun」こういう連想ゲームだそうで、中国人が読むと結構楽しめるらしい。


楊貴妃

2005年11月18日 | Weblog
 唐(618~907)の時代、第六代玄宗皇帝の御世にたいそう時めいた女人がいた。そのお方の名は言わずと知れた楊貴妃である。

 玄宗皇帝の18番目の王子寿王瑁のもとに、楊貴妃は嫁いだのであった。時に十七歳である。
 英雄色を好むと言われるとおり、玄宗皇帝も非情な方で、自分が寵愛していた武恵妃が病死すると、事もあろうに、実の息子から「技芸に優れる美女」という理由で、嫁を取り上げてしまいました。

 この時、玄宗皇帝56歳、楊貴妃22歳であった。皇帝もこの年齢で、うら若き美形の妃のご機嫌を取ろうというのだから、身も心も並大抵のことではなかった。
 妃が茘枝を食したいと言えば、遥か広東殻取り寄せたという。茘枝というのは、鮮度が命の果物であるゆえ、その任務にあたる者は、それこそ命懸けであったという。昼夜休むことなく馬を走らせ、山あり谷ありの原野で穴に躓いて落馬し失命する者あり、或いは夜道で谷に落ちて失命する者ありだたと伝えられているのである。女狂いと化した皇帝に仕えるのは命がけだったという。
 
 彼女の衣装を造るために、宮廷には七百人もの織子や縫子を侍らせていたほどである。

 彼女は皇帝の政治には口を出さなかったようであるが、その寵愛振りをいいことに、自分の身内をことごとく国の要職に就けるという我田引水ぶりであった。

 747年のこと、彼女の前に安禄山という「いい男」が現れます。この時楊貴妃29歳、安禄山44歳であった。彼は武勇の誉れ高きアラブ系の勇者であった上になかなかの役者で、皇帝の前では辺境の地の粗忽者という出で立ちで皇帝に取り入りました。
 そして、事もあろうに、楊貴妃は彼を自分の養子にしてしまいました。彼女は、まんまと皇帝と安禄山を手玉にとってしまったのです。台湾のテレビドラマに「花より男子」というのがあったが、まさに「両手に男子」である。

 しかし、「好事魔多し」というように、好い事は長続きしません。この関係を快く思わなかったのは、彼女の従兄、楊忠国でした。彼にしても楊貴妃のおかげで、今風にいえば、財務大臣に就任したのであるが、安禄山の出現に危機感を募らせ、皇帝に対し、安禄山には「謀反の疑いがある」と再三、再四密告し、彼を執拗に挑発したので、安禄山はやむを得ず楊忠国に対して討って出ました。

 安禄山の乱:755年11月9日。
 初め、安禄山にとって形勢は不利であるかに思えましたが、彼とて天下無双の武者である。
 玄宗皇帝たちは長安を捨て蜀へ逃れる途中、減陽にて、陽忠国をはじめ楊一統はことごとく殺戮されてしまいました。
 皇帝は楊貴妃だけは助けようと腐心したが民衆の反発に抗し難く、彼女を最初に皇帝に紹介した宦官、高力士の手で絞殺されました。時に756年6月13日、楊貴妃38歳であった、やはり「美人薄命」なのである。『この無芸大食漢を見よ!』

 成都で難を逃れた玄宗皇帝は、一年後に長安に戻り、隠密裏に楊貴妃に遺骨を改葬させたと伝えられているのだが、その墓が何処に有るのか無いのかも現在に至るまで分らないのである。

 「楊貴妃の墓は何処に?」・・・・分らなくて当然である。・・・想像力を少し働かせば、「きっと、お食べになってしまわれたのでは」という邪推が頭から離れないのである。

 以上が大体の史実であろう。しかし中国人青年の見解というのも有る。聞いて見ようではないか。

 実は、宦官、高力士はこの時、楊貴妃を殺してはいない。隠密裏に命を助け、日本に亡命させたというのである。
 先日の「徐福伝説」に関する話では、多少の理が無い訳ではないだろうが、「この楊貴妃日本亡命論については、まったくの作り話であろう」と反論すれば、「そんなことは無い、史実だ」と言い返して来るのである。

 私の体験している「日中友好」とはこのようなものである。

  

韓国ももはやこれまで

2005年11月17日 | Weblog
 中韓首脳会談に思う:

 大変に残念なことであるが、この中韓首脳会談をもって、もはや韓国の命運は尽きたものといえる。
 
 日本の小泉首相が日本国内にある靖国神社に参拝しようとしまいと。中、朝、韓愚連隊国家に対して、どれ程のインパクトがある問題か?
 脳味噌が少しでもある日本人なら、「まったくどうでも良い問題であろうと即座に理解できよう」。
 日本国の首相であれ、天皇であれ自国内の如何なる場所に脚を運ぼうと『食人国家群』に属する者達から、とやかく言われる筋合いはまったく無い。

 こういういう発想は日本の特殊宗教信仰者の間にもある。何度でもいうが、このような者達の主張とは「俺らは糞をする、しかし、お前達が糞をたれること相成らん」こういう主張を平気でして、その罪の大きさに決して気付かない低能さである。
 人口即ち人の頭数さえいればそれが正義などとほざいているのだが、この者達は地球上で最も硬直した言語をあやつる地球上の「三大奇民族国家群」である。

 一番軽蔑すべきものは、韓国の「風見鶏」ぶりであろう。このような国はただ単に日本に災いをもたらした取るに足らない国柄であることは、それこそ近代史が証明するところである。
 日清、日露戦争が勃発させざるを得なかったのは、謂わば当世風に表現するなら、「鳥インフルエンザ」の病原体の恐ろしさに気付かず、発症を隠蔽し犠牲者が出ても尚、事の重大さに気付かない厚顔無恥な民族性に起因するのである。

 もはや日本もこのような主体性にかける南北朝鮮などに思いを寄せることは百害あって一利もないと悟るべきである。自らが望んでいることでもあるのだから、即刻中国の植民地として、中共の餌食となさしめるがよかろう。
 所詮南北朝鮮などサド国中国のマゾ国たる事を心の拠りどころとする民族である。
 聖徳太子の御世よりこのような国には「関わらず」というのが、我が大和の「国是」である。
 彼らは、日本が自分達を「価値あるもの」と認識しているという「とるに足らない思い上がり価値観」に酔いしれている浅はかな者達である。

 そして、世界中から「韓国ほど愚かしい国は無い、おのずから自国の意志で中共の奴隷となることを名誉とした、取るに足らない民族がたむろする国である」と末代の笑われものとなるのがよかろう。