昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

日本国裁判官も実地検分いたせ

2006年08月31日 | Weblog
海南島慰安婦訴訟、中国人8人の請求棄却 東京地裁 (朝日新聞) - goo ニュース

 馬鹿馬鹿しいことを絶えず発言し続けるのが私の使命でもあるのだが、この際日本国裁判官も大デレゲーションを組んで中国や韓国の観光旅行とやらを挙行してみたらどうであろうか。

 さすれば、以外にもこれが『中韓の実体』であるかと否応無しに認識させられることは勿論であるが、併せて「性的鬱憤」は晴れるは、その実態を認識できるはで一石三丁の効用がある。
 しかし、その前に最小限の中国語だけはマスターしてもらわないと困るのである。
 
 ホテルの一室で中国の『売春アマゾネス』の電話攻撃を受けたときは「不要、不要=プーヤオ、プーヤオ」とひたすら言い続けなければならない。かの国々に於いては売春など女の権利以外の何ものでもない。しかし、中国当局は中国以外の国では買春が道徳に反することを百も承知である。

 現在でもこんな状況であることに鑑み、古(いにしえ)に思いをいたさば、買ってくれとせがまれ同情して事をいたした旧日本兵に対して、『従軍慰安婦』はないであろう。むしろ日本軍と関係して受けた利益の方が遥かに大きかったに違いない。

 従軍慰安婦などという造語を敢えて提唱した傀儡議長の心中を察するに、中国観光旅行が過ぎ、自己の悪行を清廉潔白な旧日本軍兵士に投影(アイデンティファイ)したのであろう。
 傀儡議長の巻き添えを喰った靖国の英霊にとって身に覚えもない随分迷惑な話である。
 従軍慰安婦などと声高に叫び続ける『自称大国の誇り』も今ではカビが生えてしまって、世界の笑いものであるが、「是非我が身をお買いくだされ」と押しかけた売春権利者の身の安全を守って上げた事が、中韓の言う従軍慰安婦問題なのである。何という筋違いな権利の主張ではないか。

 この際、戦時中の『売春押し売り団』が俗に言う『従軍慰安婦』の実態であると世界に発信しよう。戦後60年経過した現在でも、中韓における女性の売春権利は、外貨獲得の主要な国家的手段であるのだ。中韓に異議あるなら反論いたせ!。

 我々日本人もインド人もヨーロッパ人もアメリカ人もアフリカ人もロシア人も受けて立とうではないか。

総裁選終結宣言

2006年08月29日 | Weblog
総裁選で投票する候補、首相が明言しない可能性 (朝日新聞) - goo ニュース

 安倍官房長官など未だ総裁選出馬宣言をしないうちに、小泉首相はこの発言をすることにより、既に『総裁選終結』を宣言したに等しい。首相の意中の人が誰であるか言わずに事足りれば、渾身の演技で意中の候補者を暗示してきた(熱演もあったし猿芝居もあった)小泉首相にとって、誰にも怨まれず『シャン・シャン・シャン』の三本締めを持って、勇退していける誠に目出度い段取りとなったのである。やはり彼は幸運、不運の境界線上に絶えず身を置き幸運の方に転がり込む不思議な運を持っている人物なのである。5年5ヶ月にわたる長き在任期間中、五分五分の勝負を挑んだ場合には悉く勝ちを手にした。

 対中韓外交においても、反日マスコミなどは「失敗だ、失敗だ」と声高々に叫ぶのであるが、そんなことはない「返って、不幸中の幸いであった」と大方の国民は思っているだろうし、小泉首相の戦果は反日メディアの不買・ボイコット現象として実を結ぶと思う。なんぼ日本人がお人好しでも、「嘘つきメディア」の反日扇動には辟易としたことだろう。

 もし、彼のような所謂「変人首相」が現れることなく、このままずるずると媚中派政治家どもにいいように中国の鴨にされていたら被害は甚大であったろうと感謝こそすれ悪く思う者はごく少数であろう。

 また、戦後60年に及ぶ無国籍を至上のこととする教育がはびこり、家庭すら家族の絆とならないような土壇場に日本国民は追い詰められてしまった。日本人の精神の喪失である。
 今、日本中の教育現場で心の拠りどころを奪われた少年たちが荒んだ犯罪を起こしている。教育者達は、あまりに頻繁に起こる残虐な少年犯罪になす術も持たないようであるが、民族のまとまりとして国家があり、そこに住む国民はより良い国家の建設に向けて、より良い家庭を築き、好ましい構成員になる誇りを持たせることが教育であると早く悟るべきである。

 小泉首相は、性格がむしろ破天荒だったために、戦後60年の日本の綻びをつまびらかに国民に示したと思う。
 彼の後を継ぐ人材は、前任者がつまびらかにした綻びを正常化するため勇猛果敢に挑戦する人物であって欲しいと思う。先ず、日本人の精神的崩壊をくい止め正常化するために、教育改革にいの一番に取り組んでもらいたいし、国防(真の独立)なくして日本人の自由も幸福もないのだから、日本国存続の前提条件を認識しないで60年間も漫然と過ごしてきたために国の綻びが出て来ていると堂々と国民を諭す人であって欲しい。・・・ここの部分に甲斐性があることが、中国が台頭してきたアジアを乗り切るのに絶対必要なリーダーシップである。

 ところで、敵対する民主党は、小沢氏が出馬表明し対抗馬さえないのだという。何という『どっシラケ』なことか。党首選をやるエネルギーもないのである。こんな政党が自民党を批判した所で殆ど『蛙の面にしょんべん』ほどのものである。(烏合同舟の知恵とは独裁者に従うもやむなしということなんだろう)
 因みに、小沢、鳩山、菅でトロイカ体制と言うらしいのだが、静岡には登呂遺跡という有名な弥生時代の田圃の遺跡がある。我々が学生の頃は社会科の必須事項であったのだが。静岡ではトロイというと、利口でないことを意味し、トロイカなどと言えば馬鹿か?になってしまう。・・・・誠に余計な詮索ではある。

中国は金正日に征服されたのか

2006年08月29日 | Weblog
拉致被害者組織と研究者 意見交換会 中国側が突然拒否  (産経新聞) - goo ニュース

 今迄、北朝鮮は中国の属国なんだろうとばかり思っていたが、これでは中国が北朝鮮に支配されているに等しい。
 今では、北朝鮮は世界の十数カ国の人々を拉致したと世界が周知しているにも拘らず、民間レベルの意見交換さえドタキャンするとは中国とは、とんでもない国である。

 もっとも、民間レベルの意見交換という認識を持った我々も甘いといわざる得ないかも知れない。見識のある人は早くから『中国の世論調査』によると9割がた日本を嫌いなどと報道された時に、反日教育で言論統制された国民に『反日』以外の回答はないのであり、100%の国民が『反日』と答えなければ、教育関係当局の責任が問われるのであると鋭い指摘をしていた人もいたが、誠に卓見であった。

 某売国メディアなどこの中国の実体を、本当のところ「どのように捉えているのだろう」。小泉首相の首相の靖国参拝では、中国の立場を主張することしきりであったが拉致被害者、これは日本人や韓国人だけではなく広くアジアからヨーロッパに及ぶ被害者に対して、13億の巨人が、たかだか3千万人の北朝鮮に歯がたたないと臆面もなく言うのである。中国に大国家たるプライドはないのか!?。

 こんな国が、国連においては常任理事国として肩で風をきって歩き、分担金もろくに払いもしない。また六ヵ国協議の主催国などと恰好をつけているけれど、金正日の前では怖くて震え上がっているだけではないか。・・・・韓国経由で、北朝鮮が近々地下核実験を挙行するのではないかというニュースが流れてきているのだが、こういう情報に中国はすこぶる弱いのだ。この辺の所を煎じ詰めれば『日本の活路』もあろうと反面教師は教えている。

 とは言え、やはり中国は北朝鮮の仲間なのだ、何一つ手を下すことなど出来はしまい。(将軍は脅迫することには長けているのだから、過去の朝鮮戦争では200万もの朝鮮人の命を中国軍が奪った責任を取れぐらいのことは言っているのかもしれない)北朝鮮に手も足もでないとは世界中が呆れかえる顛末であるが、それにしても我々は拉致被害者を救出しなければならないという重い現実をどうして打開していくのか・・・・手詰まりである。

 そういえば、日本の親北朝鮮政治家である山崎拓氏に北朝鮮から「将軍が会いたい」とのニュースが流れたことがあった。事の真意は知る由もないが、こういう手詰まりな事態を打開するために、大役を買ってみたら、国民的英雄になれるかも知れない。彼の勇断に期待したい。

歯に衣を着せたままの日韓友好

2006年08月28日 | Weblog
韓国女子大生 暴行事件 両親「人生が狂った」 友好の祭典衝撃 対馬市幹部が謝罪 (西日本新聞) - goo ニュース

 よく某売国新聞がこの事件に対して騒ぎ立てないのも不思議であるが、歯に衣を着せたままで迂闊に日韓友好イベントなど企画すべきではない。

 しかし、被害者となった善意の韓国人女子大生には実に申し訳のないことを我が日本人同胞がしでかしたものである。この善意の女学生のご両親の怒りを我々は真摯に受けとめるべきである。

 しかし、日本人と韓国人がどれ程人種的に近くてもやはり異民族である。最近では『摂理』という韓国産のカルト教団が日本人の女子大生を言葉巧みに扇動し、韓国人教祖の性の愛玩動物化していたなどという事件も報道されている。

 知能犯的性犯罪がよくて、直情的な性犯罪が悪などという気は毛頭ないのであるが、こういう不幸な事件を目の当たりにして、先ず日本人の側からこの事件の裏にある偏向したこの種の犯罪に結びつくようなナショナリズムが如何にして醸成されるかを考えてみる必要がある。

 このような惨事を生む原因を作っているのは反日メディアの貢献に資するところ大である。
 これは、韓国のメディアのことを言っているのではなくて、日本国内の無国籍反日メディアのことをいっている。
 韓国人でも現在日本で所謂『売国新聞』と称されるメディアが何を指すかよくご存知であろうと思う。その種の日本のメディアが、調子付いて韓国や中国の立場で日本人を貶めるような報道をすればするほど、ごく一部の反日日本人(某ノーベル小作家も含まれる)は例外として、大部分の日本人は韓国人を日本人の敵だと本能的に感じ取るようになってしまう。こういう現象は日本人固有のものではなくて、韓国人とて同じであろう。

 もし、韓国で韓国のメディアが日本人に媚を売るために韓国人は馬鹿だ馬鹿などと書き続ければ、韓国人とて本気で日本など消えてなくなればよいと思うであろう。
 それと同じ理由で、日本の売国新聞の日本人を貶める記事に辟易とした日本人は『本気』で韓国人を憎み出している。これは全て、「韓国のため」と韓国に忠節を誓った「某売国メディア」の偉大な功績なのである。

 韓国も日本の某売国メディア(一社とは限らない)などの報道に期待を寄せてはならない。そんなことより日本も韓国もお互いに誇りある国民同士がお互いの誇りを担保に友好を構築するという本来あるべきスタンスを再認識すべきなのだ。

 今回、心ない青年が純真無垢な韓国人女子大生に対し犯した犯罪については一日本人として心よりお詫びしたい。(私は朝鮮語で書けないことを残念に思う)

小野田寛郎氏の話は重い

2006年08月27日 | Weblog
 WILL10月号も反中に燃えていて、たいへん結構なことである。
 今月の特集は「靖国問題に白黒をつける!」である。
 
 小野田寛郎氏は大東亜戦争時に陸軍中野学校からフィリピン戦線へ派遣され、以後30年間終戦を信じることなく任務を遂行し、1974年上官の任務解除命令が言い渡されるまで、ルパング島で作戦を遂行した方である。その後ブラジルに移住し、立派に成功され、現在では小野田自然塾をも経営なされている。いつも凛としているお姿に敬服している。

 小野田さんが今般の「富田メモ」に対して感じる所は、「こんなに信憑性のないものに、腹の減った魚が餌に食いつくみたいに食いついて馬鹿らしいな」ということらしい。大体このような文章を出す際には、徹底的な検証をすべきである。
 彼のように陸軍中野学校で情報を専門に教育されてきた人からすれば、「こんなものは偽情報決まっている」ということだ。

 それでは、誰が何のためにこのような偽情報を出したか、諜報という観点でいうと、敵方(中国、中国に進出した経済人、その小間使いたる反日政治家やメディア)どもは大方小泉首相は8月15日に靖国参拝を決行すると予想し何とか首相参拝を阻もうと画策している最中にこの富田メモは開帳されたのである。小野田氏がことさら疑問を持つのは、このスクープが朝日新聞ではなくて日経新聞から出て来たことだ。日経新聞などが皇室にさしたるコネもないのにスクープできたのは、中国の人民日報とも親しいし、日本株式会社の広報紙だから、財界の意向を受けてやったのではないか」とさえ考えられると氏は言うのだ。「これは、民主党の偽メールの二番煎じではないか」

 当然のことであるが、天皇陛下も開戦から敗戦という修羅場をくぐって来られたのであり、敗戦という痛ましい現実に対して、「相手から見れば戦犯であっても、私にとっては忠臣だ」と仰せになり、陛下にあらせられても責任は痛感なされていたはずであり、忠臣たちが処刑されることは忍びがたきことであらせられたと思う。陛下のご身分は、「天皇は神聖にして侵すべからず」の憲法によって、結果として守られ、また東条英機氏などは天皇のお命だけはお守りしなければならないという意志をもって極東軍事裁判の判決を受け入れ戦犯として絞首刑に処されたのではなかったか。勿論負ける戦争をした責任も死をもって同時に果たしたのである。

 極東軍事裁判を主催した連合国とて、それなりに日本の本質を研究して裁判に臨んだのであり、闇雲に天皇の戦争責任を問わなかったというものではあるまい。彼らの研究成果として、日本国の天皇は元来司祭であって、為政者ではないという暗黙の前提条件があったのだ。日本史の中で、君主に替わって家臣が腹を切って、ことをおさめた事例はいくらでもあろう。現在でも任侠道に生きるものには馴染み深い日本的手法である。

 こういう日本的な価値観(センチメンタリズム)に照らし合わせてみても、「富田メモ」には大きな矛盾があると、小野田氏は指摘する。(陛下がそのようなことを仰せになることは日本の作法に鑑みてもありえない)

 A級戦犯と戦争責任とは

 何度も言い古されたことであるが、戦犯は日本の国内法で裁かれたのではなくて、連合国側の「日本人の足腰が二度と立たないようにしてくれるという悪意に満ちた意志によって裁かれた」事実を認識すべきである。
 サンフランシスコ条約で日本は独立国家となり、翌昭和28年、国会で「遺族援護法」の改正が決議され、日本には戦犯はいないということになった。満場一致の決議であったという。
 小野田氏が言うように、戦争責任は第一に時の流れであったのだ。時代の流れの中で、日本は追い詰められて行き、アメリカは日本制圧のための「オレンジ計画」を立てたという。この内容は、「米国と日本は歴史的に友好関係を保っているが、何時の日か他国の支援なしの二国間戦争が勃発する。日本は国益を賭した戦争ために国力を総動員する。そして準備が整った時点で突如攻撃を開始する。南太平洋上の目標地点を簡単に攻撃するが、戦域を米本土沿岸まで拡大することはできない」といったものだという。どっちにしても、日本も対米戦争を視野に入れていただろうし、アメリカも対日戦争は想定内のことであった。これは、アメリカが中国を侵略する上で日本が邪魔であったため、兵糧攻めという形で日本を干しにかかったため、『窮鼠猫を噛む』の諺どおり、ハワイの真珠湾奇襲に打って出たのであるが、戦闘の前に宣戦布告しなかったことが、日本人は卑怯者という謗りを今でも受けている所以である。今では、官僚の職務怠慢により布告できなかったということも分っている。

 当時、アメリカもヨーロッパの列強もソ連も日本もみんな侵略者であり、帝国主義国家であって、それが当時一流国家のステータスであったのだから、負けた日本やドイツが全て一方的に悪いということでもあるまい。それどころか、彼ら勝ち組の罪まで背負わされ、未だに負け国勘定を負わされている。こんな不平等があってよいはずがない。彼らとて、負け組み以上に人を殺戮し、挙げ句に原爆で人体実験したのだ。これをもって、戦争責任は相殺されているという強いメッセージを世界に発信しよう。

 (WILL10月号の小野田寛郎氏の記事を一部使わせていただきました。悪しからずや) 

教師ども蛙の面にしょんべんはなかろう

2006年08月25日 | Weblog
長男、両親に不満「宿題しろとうるさい」 埼玉の放火 (朝日新聞) - goo ニュース

 同じ事件を静岡新聞はどのように伝えているか書き取っておこう。

 埼玉、小六焼死 「家なくなれば親困る」放火の中1宿題とがめられ

 埼玉県吉川市で住宅が全焼し小学六年の二男(12)が死亡、長男の中学一年生(13)が放火の非行事実で児童相談所に通告された事件で、長男が吉川署の調べに「家がなくなれば親が一番困る」と話していることが25日、分った。
 長男は「弟が死ぬとは思わなかった。かわいそうなことをした」と話す一方、捜査員の「火をつけて両親が死んだらどうするのか」との問い掛けには「しょうがない」と答えたという。
 直前に長男が会社員の父親(35)から夏休みの宿題の出来をとがめられていたことも判明。父親は日頃からしつけに厳しく、同署は長男が両親への不満を募らせていたとみている。同署は「児童自立支援施設への入所が相当」との意見書を付けて児童相談所に通告している。
 調べでは、長男は23日午後4時ごろ、自宅で父親から「宿題をやれ」と言われ、部屋で新聞などを参考にスポーツをテーマに自由課題に取り組んだ。しかし、父親に「駄目だ。もっと社会的なことを書け」と言われ、何を書いていいか分らなくなり腹を立てた。
 長男は「午後10時ごろに両親が寝るので、寝静まるのを待っていた」と供述。小学校の授業で見たビデオを参考に、電気式蚊取り器の加熱部分にマッチ棒を突っ込むなどして発火させたという。(全文)

 この事件を目の当たりにして、卑しくも校長だの担当教師などが、普段この子がいい子であったとか、事前に相談してくれていたらとか弁明したと言うが、事態はそんなことで片付けられる問題ではないだろう。

 所謂左翼教育者のユートピアがこの事件に凝縮されていると見るべきである。階級闘争の原理である。この家庭にはこの家庭の事情と言うものがあったにせよ、この少年は親を親などと思ってはいない。単に自分を阻害する邪魔者でしかない。支配するものからの束縛から自己解放するには、殺してしまうしかないそういう脅迫観念を植え付けられているのだ。これは、左翼ゲリラどもが崇拝して止まない彼の国の毛主席が人民7000万人を殺戮したやり方と同じ手法である。

 検察は、この少年のこれまでの教育に携わった教師を悉くピックアップし、偏向した思想を植えつけた組合系の教師が存在したか否かを徹底的に洗い出すべきである。さもないとこの種の確信犯的な青少年の犯罪は絶えないであろう。

 のんきに「遺憾で御座る」などとのたまっている校長先生など「思想的に偏向しているのではあるまいの」。

 こういう事件の時こそ『文部科学大臣』が自ら陣頭指揮に立ち、事件の裏に何があるか率先して究明すべきだと私は思う。『文部科学大臣よ出番で御座ろう!』。

被害者に落ち度はなかったか

2006年08月24日 | Weblog

 何はともあれ、静岡新聞の記事を写し取っておこう。

 「うるさいと」高校生殺傷: 刃物で襲う20歳男、重要参考人
 
 24日午前0時45分頃、宮崎県延岡市昭和町一丁目の五ヶ瀬川堤防上で、高校生の男女5人の輪に男が刃物で襲いかかり、近くに住む県立延岡西朋高校一年森重和之さん(16)と、別の高校の二年生の女子生徒(16)の背中をそれぞれ刺して逃げた。
 宮崎県警によると、森重さんは搬送先の病院で死亡。死因は失血死とみられる。女子生徒は重症だが意識があり、命に別状はないという。
 宮崎県警は近くに住む20歳の男を重要参考人と発表。男は自宅で大量の睡眠薬を飲み、24日朝、意識不明で病院に搬送された。男の倒れていた部屋から血の付いた包丁が見つかった。県警は延岡署に捜査本部を設置。男の意識回復には数日かかるとみられ、回復を待って事情を聞く。
 調べでは、堤防上で森重さんと負傷した女子生徒ら女子高生4人が話しこんでいたところ、近づいてきた男が「おまえたち、うるさい。静かにしろ」と怒鳴った。
 男は一旦その場を立ち去った後、一、ニ分で戻ってきて、いきなり二人の背中を刺した。ほかの女子生徒三人に怪我はなく、通り掛った男性(31)に助けを求め、男性が延岡署に通報した。
 男は紺色の丸首パジャマのようなものを着て、黒っぽいジャージーのズボンを穿いていた。重要参考人の男も似た服装だった。怪我をしなかった女子生徒は男について「知らない人」と話しているという。
 女子生徒4人は同じ高校の二年生で、森重さんと友人だった。現場の堤防では深夜に若者が花火や飲酒をして騒ぐ問題視されていたが、延岡署によると、5人が花火をしたり、飲酒をしたりしていた情況はなかったという。(静岡新聞より)

 何とも痛ましい事件であるが、全く訳が分らないのはどうして、深夜1時頃までこの5人の高校生グループが住宅地とはいえ、人通りの少ない溜まり場にいる必要性があったかということである。男子1人が不審者に刃物で刺され死亡し、4人の女子高生のうち、1人が犠牲者となったが命に別状はなかったというのであるが、被害を免れた3人の女子生徒は、仲間2人が犠牲者となったにも拘わらずどうして、事件発生と同時に警察なり、消防署なりに連絡して仲間の生命を救けるという行動に出なかったのか、まったく彼らの気が知れない。今時、の高校生が5人も集まれば、1人くらいは携帯電話は持っていただろうと思う。
 彼らが、同類相憐れむという心理情況で群れていたか或るいはほかの動機で群れていたか知る由はないが、それにしてもこのようなニュースを目にするのはとても情けなく感じる。
 同業他社の記事によれば、この事件が発覚したのは被害にあった女子生徒が通りかかった車の運転手に助けを求めて救急車の出動となったらしい。
 今時の若者は、確かに群れるのであるが、有事の際に何ら対処できないことこそ重大な社会問題である。
 仲間が殺されようが刺されようが、自分が傷付けられさえしなかったなら、そんなことはどうでも良いというなら、本当に嘆かわしい事態である。
 
 おそらく、この若者達は親に隠れて深夜まで人目に付かない所で群れていたのだろう。お互いに友達が欲しいという連帯感はあるのだが、深夜にそんなことをしていればそれだけで危険なことであるという自覚もないし、彼らの親は親でいつものことと思っていたのかも知れない。しかし、一旦災難が身に降りかかったとき、先ず人命救助に当たらなければならないという基本中の基本が全く分らないないのである。これでは、万一国民の生命にかかわるような国難に遭遇すれば、親は子を捨て、子は年老いた親を捨て正義も信義もなく自分の命だけは助かりたいと我も我もと逃げ惑うだけの国民性である。どっちにしても中国人や朝鮮人に背中から撃たれて日本人の命はきれいサッパリと絶たれることとなる。

 話が横道に反れるのはいつもの倣いであるが、この被害に遭わなかった善良な3人の女子高生が、2人の負傷した仲間(1人は敢え無く死亡している)を見て第一に考えたことは、こんなことをしている自分が世間に対してあからさまになったら困るという切実な思いであったろう。ばれたら私は困るという恐怖の前には、仲間の命などどうでも良いのである。これが如何に軽率な考えか仲間が死んで初めて判ったであろう。(個人のプライバシーは仲間の命より重いと洗脳されている)

 この痛ましい事件を日本人は日本国にとっての『他山の石』としなければならない。いい忘れたが、この事件で一番悪いのは当然加害者である。

Cuando Caliente SHIZUOKA#53

2006年08月24日 | Weblog
 今日は静岡県の盛りだくさんの話題の中から、意欲的な教育に関する試みを書き記しておこう。

 県教委が来年度新制度 校外の学習機会活用でポイント
 一定数達成なら認定証/児童・生徒に動機付け

 静岡県教委は子供たちが学校休業日や放課後に校外で「生きる力」「確かな学力」を養う機会を充実させるため、平成19年度から「授業外学習ポイント制度」を導入する。NPOや企業、大学など地域のさまざまな機関が提供している公開講座などを生涯学習の機会と捉え、受講した児童、生徒に単位(ポイント)を与える仕組み。実社会の中での学びや地域の人材とのかかわりを通して、学習意欲の向上や新たな学習欲求の掘り起こしを狙う。
 事業を受託した県生涯学習振興財団によると「少年期の生涯学習を全県レベルで総合的に支援する全国初の手法」という。
 同制度では県教委が認証した団体が提供する学習機会の中から、子供や保護者が自分に合った内容を選択する。外国語・国語、情報、スポーツ、科学、自然体験、芸術文化、福祉、産業など11分野を設定。ポイント制にすることで子供の学習参加の動機付けを高め、一定ポイントに達した子供には認定証を発行する。認定証は進学や就職時の自己アピールにも使うことができる。
 制度導入に伴い、インターネットを通じて地域の学習資源や講座情報を収集・提供するデータベース構築。データベースは学校教育の現場でも活用し、総合学習や各教科の充実に役立てる。
 同制度は「創知協働人づくり推進県民会議」の提言を受けて、本年度からスタートした「子供の学びの場充実事業」の一環。(平成18年8月23日静岡新聞より)
 
 このように、進んで何かに取り組もうとする人を創造するために何かしなければならないという気持ちはひしひしと伝わって来るし、実際に手をこまねいてはいられない現実がある。
 どうしてこのような無感動、無気力な社会になってしまったのだろうと今更のように思うのである。民間企業などでは探究心のある積極的人材を求めているのは、今も昔も変わらないというのに、どうして魂を抜かれたような子供たちばかりになってしまったのだろう。
 彼らは魚の腐ったような目をして、だらだらと歩き何に興味があるというでもなく、頼まれもしないのによく産んでくれたと不平を言うのである。

 このような雰囲気を醸成したのはマスメディアにも大いに責任がある。特にNHKや売国新聞など日本人は生まれながらの罪人なのだから、物心ついたら世界中にごめんなさい、ごめんなさいと言い続けなさいと自国民に『お前らは人間以下』だというお題目を唱え続けてきた。
 彼らは中国人に良い子と頭をなでてもらうとすこぶる元気が出て、積極的に江沢民の反日政策の片棒を担いできたが、これは確かに絶大な効果があって、その罪を背負った子供たちは、もはや生きて行く気力さえ萎えてしまったのだ。

 しかし、奢れる者も久しからずである。今度は骨抜きにされた国民の側から攻勢に出て、国有化運動なり不買運動を展開すればよいのだ。マスメディアが国民に犯した罪はとてつもなく重い。猛省すべし。
 

お客様は金様であるが神ではない

2006年08月22日 | Weblog
 今後マスコミに話題としてもらいたい社会問題があるとすれば第一にオン・ステージしてもらいたいのがこの問題である。安直さをもって是(保護者の教師に対する評価だけが絶対条件であって、親の目は教師を睨む蛇の蛙を睨む目と同一視して来たこと)としてきたことによる児童の精神教育放棄の咎が高等教育をも阻んでいる実態が浮かび上がっている。
 この記事は、マスメディアとしてとても良い切り口であると思う。この問題は今後の教育改革の最重要ポイントの一つであると思う。

 今日は、SANKEI新聞記事に注目する。

 『大学生による事件、稚拙さを増す 教育機関の悩み深く』

 大学への進学希望者と合格者が同じになる「大学全入時代」を来春に控える中、万引きや婦女暴行、殺人など大学生の犯罪が相次いでいる。「幼稚」「自立心が弱い」など、今時の大学生の心の問題が根底にある。事件を起こした大学では、本来なら小中学生に行なうような倫理道徳教育を実施した。教育の最高機関が抱える悩みは深い。

 『稚拙な動機』

 「彼女にプレゼントを贈るためにやった」。駒沢や帝京などの私大3人らが昨年10月頃から半年間で家電量販店などからDVDなど計700点(約350万円相当)を万引きし、警視庁に逮捕された。
 捜査本部は、「大学生にもなって万引きとは。幼稚の一言に尽きる」と嘆いた。大学生とは思えない稚拙な動機や短絡的な犯行は全国で相次いでいる。
 母親(58)殺害で7月に逮捕された大阪大工学部4年の男(24)は、母親の「24歳にもなって仕事もしないで」の言葉にかっとなり、金槌を振り下ろした。大学3年の頃から学校に行かなくなり、4年に進級後も2年留年。「大学へ行く」と言って外出してはパチスロ店に入り浸り、両親からもらった小遣いも注ぎ込んでいた。

 『凶悪犯罪』

 今年6月、大阪府立大の学生ら9人が女性をめぐるトラブルの報復として、男子大学生ら2人を岡山県内で生き埋めにして殺害した事件では、リーダー格の府立大農学部3年の男(21)らがゴルフクラブや金槌でめった打ちにした。事件発覚後仲間の部屋で、「死体を掘り起こし焼いてしまえば、警察に捕まっても大丈夫だ」と、平然と話し合っていた。
 アメリカンフットボールの名門、京大の元部員3人は昨年暮れ、女子大生3人と「鍋パーティー」。瓶を回して飲み口の向いた人に一気飲みさせる「焼酎ルーレット」で泥酔させ、2人集団婦女暴行した。わいせつな行為をしているところを他の2人が冷やかす無軌道ぶりだった。
 大学生らのイベントサークル「スーパーフリー」による女子大生集団暴行事件(平成15年)では、東大生も逮捕された。捜査関係者は「一流大と呼ばれる学生もそうでない大学生も徒党を組み、一昔前の素行不良の中高生並みの犯罪に手を染めている」と指摘する。
 法政大学教授で教育評論家の尾木直樹さんは、「今に大学生は未発達で自立心が弱く、群れを成して行動する。常に友達に依存しないと生きて生けない」と感じている。

 『学力低下が原因?』

 広辞苑によると、大学は『学術の研究および教育の最高機関」。にも拘らず、学生が事件を起こした大学では、規範意識の徹底など、本来なら小中学生に行なうような倫理道徳教育を実施している。
 京大は事件後、在学生や新入生に「人権を考えるために」と題したパンフレットを配布した。この中で、『性暴力:本学の学生による事件について考えてみましょう」と事件を取り上げた。学内からは「大学生にもなってこんなことを教えなければいけないのか」との声も上がったという。
 東大阪大では来年度から道徳を学ぶための教養科目に「人を学ぶ」(仮題)を設け、全学生必修にする方針という。
 尾木さんはリポートに名前を平仮名で書くなど、大学生の稚拙犯罪と学力低下との関係に注目している。「今の大学生には向上心が全くない。教育現場に係わって来て、こんなことは初めて、中高生レベルの生徒が入学するようになって、私自身、中学校の教師になったようだ」と、大学生の稚拙な犯罪が今後も相次ぐことを危惧している。(全文)

 あまりにお粗末且つ凶悪な大学生による犯罪を検証した結果、この種の社会問題にようやく目が向いて来たのは当然であるが、甚だ遅すぎた感も否めない。少年非行であるとか親の子殺し、子の親殺し、常識人と見なされる人の知能犯罪など、このまま放置しておけば、日本は内部から崩壊するのではないかという恐怖心に苛まれつつある。・・・・これこそ進歩的文化人が夢見たユートピアなのだろう。今後進歩的文化人どもはその罪を持って己が暗殺されるのではないかという妄想に浸ると良い。しかし、歯車は既に狂ってしまっているのだから、言葉の遊びでは済まされまい。

 この社会現象をミクロな視点で見るべきであるという視野の狭い見解が主流であることにも怒りを覚える。進歩的文化人などこの痛ましい社会現象を、家庭の崩壊などということでお茶を濁そうとするのだが、問題の根は、事はそんな小さな所にはないだろう。家庭の延長線上に大して価値のない国家があるなどという理論は、国際基準からすれば、臍で茶を沸かすほど他愛もないことだ。
 国家の有り様をこそ教育の前提条件に据えるべきである。そして、より良い国家を支えるために家庭や国民は如何にあるべきかを教育の指針とすべきだと思う。

Cuando Caliente SHIZUOKA#52

2006年08月20日 | Weblog
 静岡新聞報告下月李前総統訪日本

 多日本人等等他早早来

 台湾の李登輝前総統(83)の事務所は19日、前総統が「純粋に観光、文化交流を目的」として9月12日から17日まで訪日すると発表した。李氏を「台湾独立勢力の代表的な人物」とみる中国政府の反発は必至だ。
 日本の外交筋は李氏訪日について「政治目的はなく反対する理由はない」としており、一般の台湾人観光客と同様に査証なしの渡航を認めるとみられる。
 李氏は今年5月、日光や松島など松尾芭蕉の「奥の細道」ゆかりの地を約二週間訪問する計画だったが、3月と4月に肺結核で入院し、訪問を延期していた。
 「身体的にきつい」として日程は6日間に短縮。李氏の事務所は「詳細な日程は調整中」としている。
 李氏はこのほど、一部日本メディアの取材に対し「訪日中に機会があれば『日本の教育と私』をテーマに講演したい」と述べ、日本での初の講演に意欲を示した。
 李氏は戦前、京都帝大(現京大)で学んだ親日家で、日本語が堪能。2001年4月、心臓病治療のため約16年ぶりに訪日。04年末に再び日本を訪れ、名古屋、金沢、京都などを観光した。(平成18年8月19日、静岡新聞夕刊)

 『歳月は人を待たず』とは生きとし生ける者に神から与えられた宿命である。李登輝先生も83歳になられたという。今年5月日本の桜の咲く季節に松尾芭蕉の奥の細道縁の地を辿られるという観光日程が、肺結核のため延期になったと報じられたとき、先生の年齢を考えればもう日本を訪れる機会はないのかと心配したのだが、何はともあれ健康を回復なされたご様子、心よりお喜び申し上げたい。

 昨年の中国の反日デモの際、台湾という遠い地から「日本人よ、しっかりいたせ!日本精神を思い起こせ!」と熱いメッセージを送ってくれたことは記憶に新しい。ここは、日本としても毅然とした立場で粛々と『台湾からの一老観光客を篤くお迎えしなければなるまい!』。

 一日本人として、先生には『日本観光』を満喫して頂きたいと思う。

 

命まで獲られた訳でもあるまい

2006年08月19日 | Weblog
政治家へのテロ憂える声 加藤氏の実家全焼事件 (朝日新聞) - goo ニュース

 言わでも良いことを敢えて発言するとすれば、加藤氏や山崎氏、河野氏それに小沢代表など大方の日本人は彼らを、もはや『日本人』とも思っていないのではないかと思う。しかし、右翼による政治家へのテロという見出しも些かオーバーな表現である。

 所謂右翼団体も、批判の表現方法を転換し、次の選挙においては、『少なくとも日本人を日本の政界に送り込むべく、言論による和製中国人排除の論陣を張るべきである』。

 大体、日本の最高権威たる衆議院議長のポストが土井氏から河野氏に継承されたのであるがこのような流れは『支那や朝鮮の傀儡』を想起させるものがある。次期総選挙においては、日本精神を国会議員選出の寄る辺として忌忌しき事態を改善しなければならないことが喫緊の命題であると思う。

 さて、今日のメインディッシュは素晴らしい社説を味わうこととしよう。

 『広島の校長自殺: 組合に改めて猛省求める』

 七年前、国旗・国歌問題をめぐり広島県の校長が自殺したケースが公務災害と認定された。「校長が学校運営上の課題で苦悩していた」と判断されたためだ。当然の決定である。
 この事件は広島県立世羅高校の卒業式の前日に起き、校長は「何が正しいのか分らない。自分の選ぶ道がどこにもない」との遺書を残した。同県教委の調査や国会での参考人質疑によれば、校長は連日連夜、国家斉唱の中止を求める日教組傘下の同県高教祖や開放同盟同県連合会などとの交渉に追われていた。校長がこれらの執拗な抵抗に悩んでいたことは明らかだ。
 今回の公務災害認定について、同県高教祖委員長は「遺族の悲しみは何年経っても癒えることはないと思うが、一つの救いになればと思う」と人ごとのように話している。自ら厳しく反省してもらわなければ困る。
 広島県では3年前にも、尾道市の小学校の民間人校長が自殺した。この民間人校長も国旗・国歌問題で日教組傘下の同県教職員組合(広教祖)に所属する教職員の非協力な態度に悩んでいた。このような悲劇を二度と繰り返してはならない。
 校長が教職員組合の抵抗に悩むケースは、広島県に限らない。埼玉県立所沢高校で八年前、日教組とは別組織の組合に所属する教師や生徒会が校長主催の卒業式をボイコットした。六年前には、東京都国立市の小学校で、過激な教師の影響を受けた児童が、卒業式に国旗を揚げた校長に土下座謝罪を求める事件が起きた。
 こうした教育現場における多くの不適切な事例を受け、文部科学省や各自治体の教育委員会が是正指導を行なった結果、現在は曲がりなりにも学校教育が正常化に向っている。国旗・国歌法は七年前の広島県の校長自殺をきっかけに制定されたものだ。
 校長の権限が強化され、職員会議が最高意志決定機関でないことも徹底されつつある。この流れを大切にしたい。
 単に、教育現場の混乱を回避するためだけなら、校長が組合に歩み寄るという姑息な方法もあるかも知れない。だが、そうした組合主導の教育の犠牲になるのは子供たちだ。組合の理不尽な要求には屈しないという校長の強い意志と指導力が求められる。(平成18年8月9日SANKEI新聞社説)

 この社説を読んで一般国民とすれば、ここ十年ほどの間に日本の教育現場は『かくも教組という左翼テロリストたちの食いものにされてきた来たという現実に驚かされる。日本の教育問題はこのような左翼テロリスト集団から愛息子や愛娘を如何に守るかということに尽きる。このいかがわしい勢力を教育の現場から追放することが、今日叫ばれる教育問題の核心であることを知らしめるこの社説はとても価値あるものだ』。

この男女出生率 が恐ろしい

2006年08月18日 | Weblog
中国で出生児の男女比さらに拡大 背景に一人っ子政策 (朝日新聞) - goo ニュース

 小泉首相の靖国参拝に燃えている内に、数学的思考もどこへやらというところであるが、今日は初等算数で脳味噌を覚醒しようではないか。

 先ず、2003年の中国(支那=China=Qinの国、紀元前3世紀頃所謂視皇帝が『秦』国を打ち立てた。彼が漢民族であったかどうかは小生不勉強である故知らない。しかし、漢民族は北方民族に支配されつつ現在に至っているのも歴史的事実であろう。だから、朝鮮族あたりがその昔、中国は我々の領土であったと主張しても、それはそれで一分の理はある。ところで、この始皇帝はすこぶる勇猛で、当時のヨーロッパまで名を馳せた大英雄であった。だから、今でもヨーロッパでは中国のことをQin=Chin-naというのである。その意味はチンの国という意味合いなのだ。蛇足ながらnがダブルと発音しにくくなるのでnを一つにまとめたのである。従って当の中国人が日本人がシナと呼ぶことに不快感を表明するなど、誠にもって筋違いなのだ)の新生児出生数は1600万人という。そして、2003年の新生児の比率は女子100に対して、男子121という。

 それでは、2004年においても新生児出生数が1600万人であるとするなら、何人の女子と何人の男子が誕生したのか?・・・・これが今日の問題である。

 回答:女子と男子の比率は100:121である。これは221人の新生児がいるとき、その内の100人が女子、121人が男子であるとイメージできることが問題解決基本となる。・・・・数学的頭脳とは全体を見極める能力をいう。

 そして、全体を把握できれば、思考を割合という観念に発展させることが出来る。・・・・後は百分率の問題である。・・・・女子は全体の何パーセントを占めるのか或いは男子は全体の何パーセントを占めるのか?。話はとても簡単である。

 1600万人中の女子の数=1600万人*100/221=723万9819人である。
 1600万人中の男子の数=1600万人*121/221=876万181人である。

 その差たるや、8760181-7239819=1520362という恐るべき男女差が生ずる。もしこのままこの男女の出生差が続けば十年で1520万人の女性が不足することになる。この数は3000万人の人口を抱える国の女性の人口に匹敵するのである。

 この配偶者のない中国人男性の欲求不満は一体何処に向けられるかということに思いを致さば、近隣諸国として、背筋も凍ろうというものである。十数年後の中国がどのような発展を遂げているか或いは滅亡しているか全く予想は出来ないにしても、この配偶者(妻)不足を彼らがどのような手段で解決するか。・・・・想像すれば、酔いも醒めようというものである。一番安易で短絡的な方法は、近隣諸国からうら若い女性を略奪することである。

 ひょっとしたら、すでにそのような兆候は出ているのかも知れないが。

『金』 『金』 『金 』 (Money! Money! Money!)

2006年08月17日 | Weblog
外国人実習生、低賃金で酷使 雇用側の不正増加 (朝日新聞) - goo ニュース

 政府間交渉による外国人実習生なるものが、中国以外にもあるのかどうか私は知らないが、日本人が搾取しているというより、中国人のほうが一刻も無駄にしたくないから兎に角働かせてくれと要求すると言うのも厳然たる現実であると思う。従って、現実に即した取材が求められる。中国人だけが一方的に犠牲者などと言うことはありえない(そういう事情に同情して、能無し労働者を無理して使ってやっている現実もあるのだ)。よく調査した上で報道してもらいたいものである。

 ところで、今日の話題は私たちの曽祖父の時代に目を向けたいと思う。

 題名:『金』『金』『金』・・・(カネ カネ カネと読んでください)

 金の忙しいこと昔に二十倍(明治四年十一月二日新聞雑誌より、因みに西暦1871年、皇紀2531年)

 或夜行路人の咄(しかり)しに、当時総ての商(あきない)儲け薄く骨が折る。
 故、商人は褌(ふんどし)をしめてかかると云う。町人は金を上げろと云う。士族は金を下げろと云う。芸子、娼婦は金を遣はせんと云う。坊主は金が納まらぬと云う。爾宜、山伏は金が出来ぬと云う。比丘尼は金がないと云う。札(さつ)の勢い能(ことごとく)金がダレたと云い、金の急がしき昔に十倍せり。ブラブラとしては居れぬ。金玉を握って暮らす人もなき世や。

 それでは、この記事に対して善意の解釈を試みよう。

 と、ある夜に行き会った行商人が話した小咄(こばなし)であるが、最近全ての商いというのは、儲けが薄くしかも骨が折れるもので御座るよ。
 だから、商人(あきんど)は褌を締めて商いにいそしんでいるので御座る。
 町人(雇い人)は賃金を上げろと言う。士族(公務員)は収入は決まっているので、代金を下げろと言う。芸者や売春婦は何とかして金を貢がせてやろうと言う。坊主(僧)はお布施が集まらないと言う。時節柄、山伏(金鉱従事者)は生産量が限られていて、金(きん)の増産など出来ないと云う。善男善女であるはずの小うるさい女房は金がないと騒ぎ立てる。
 こんなご時世であるから、紙幣を印刷することしきりである。だから、金(かね)の価値が落ちたと言う。

 金のお足ぶりは昔の十倍にもなる。こんな世の中であるから、ブラブラしてはいられない。如何に日本男児と雖も、昔のように自分の金玉(きんたま)さえ握っていれば生活が成り立つというようなご時世ではない。

 古来日本人に金銭的『ゆとり』は許されていないのかと思うと『物言えば唇寒し秋の夕暮れ』の心境に思いを致すのである。

火事場の野次馬新聞には適切

2006年08月16日 | Weblog
戦後 本社取材、靖国神社が拒否 地図掲載巡り - goo ニュース

 結論としては、この火事場の野次馬新聞には適切な処置といえる。

 些か靖国神社側の処置も大人気ない気もするのだが、靖国神社の懐ぐあいにまで言及するのはそれこそプライバシーの侵害(無礼極まりない余計なお世話ということ)であろう。しかし、能天気新聞の感性の悪さにもあきれ返るものがある。自分の非礼には全く触れず「地図を掲載したから取材拒否にあった」などと子供じみた解説をしている。このくらいの品格しか持ち合わせていないから、中国の御用達新聞との評価を欲しい儘にしているのだろう。

 ところで、この新聞の社長の息子は麻薬であったか覚醒剤であったか覚えはないのであるが、いずれにしても向精神薬の常習犯として服役しているのではなかったか。他人のプライバシーを云々し、純潔さを要求できるほど潔癖な報道機関ではなかろう。他人の懐を心配するより、自紙の読者に飽きられないか心配する方が先ではないのか。このメディアは行く先々で靖国神社の前例に倣った取材拒否という洗礼を受けることであろう。・・・・・愛読者でもない者の余計な心配ではある。

この調査に信憑性は あるのか

2006年08月15日 | Weblog
戦争起きたら「率先して戦う」 日本41% 中国14% 韓国10% (西日本新聞) - goo ニュース

 この記事は韓国紙中央日報でも報じられていた。この調査主体である韓国青少年開発院というのがどのような組織なのか知る由はないが、調査対象たる日韓中の3000人の抽出をどのように行なったのか全然報じられていないので、評価しようもないのであるが、なんとも信じられない調査結果である。
 
 日本の青少年が、万一戦争が起きたら、「率先して戦う」というパーセンテージが41%もあるのなら、それはそれで日本国にとって実に喜ばしいことだと思う。

 しかし、日本の青少年は軍事教練も受けたこともないばかりか、戦争を放棄した憲法下で生きているのであるから、戦争はあり得ないという前提で回答したバーチャルな回答、すなわちそんな質問自体が殆どフィクションであるという前提にたかを括った勇ましい回答でもあるのだ。