昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

Cuando Caliente SHIZUOKA#72

2007年05月31日 | Weblog
 『いつまでたっても中世の馬鹿殿気分では進歩もなかろう』というのが私の今日のお小言である。この話題に関する記事は、全国紙の静岡版でも取り上げられていて比較対照すると、各社の『性根』を伺い知ることができて面白いのであるが、こっちもそんな暇はないので、静岡新聞の記事だけを引用しておこうと思います。

 教職員制度の導入に3団体反対

 県高校障害児学校教職員組合と全静岡教職員組合、県教育文化研究所の3団体は30日、県庁で会見し、県教委が本年度から全校試行を始めた教職員評価制度について「学校間競争の激化」「教職員の一層の多忙化」「父母・生徒との信頼関係を崩す」などを理由に導入反対の考えを表明した。

 各団体が前年度試行校の職員に実施したアンケート結果を公表した。県高教組が9校249人の教職員に行った調査(配布数約500人)では、県教委導入目的に掲げる「教職員の資質向上」について「役立つ」と答えた人は13%にとどまったとしている。中川千文副執行委員長は「実質的には教職員の管理統制と人件費削減が狙い」と強調した。

 県教委の教職員評価制度は現行の勤務評定に代わる新たな制度で、将来的には評価を給与に反映する方向で研究中。二種類の評価書類を使用し、本人と管理職による年3回の面談を通して双方が目標達成度を5段階で評価する。前年は21校で試行した。(以上)

 一般の民間企業の従業員統制に比べれば何と甘い統制であることか。・・・・これくらいの『統制』で音を上げるようでは、今まで無政府状態で出来損ない教員の横暴を放置していたことを自ら証明しているようなものである。その野放図な教育の結果『ろくでもない教え子』が量産された不作為の悪に目を向けるべきときが今なんだろうと思います。

 教職員組合は、教え子と平等の立場に立って、お友達の関係を築くべく日々研鑽したのであるから、自らも管理者側から『通信簿』としての『5段階評価』を受け入れて当然であるし義務さえあると思う。・・・・それでこそ自らが評価を下す子供たちの心情を慮ることができるのだ。・・・・言っては何だが、これからは、まあ~、せいぜい管理者たる校長をたらし込んでミコを良くして頂くことに神経を使うことが教員の渡世となるんだろう。渡る世間は鬼ばかりといったところか。・・・私らと同じあんた方の身の上に心より同情するものである。

 しかし、このアンケートの回答率はすこぶる低く3割程度か?・・・・こういう場合、抵抗勢力の意見のみが必要以上に増幅される危険性がある。

両陛下お帰りなさいませ、和熱烈歓迎李登輝先生家属

2007年05月30日 | Weblog
 やはり戦前に築いた大日本帝国の威光というものに真摯に頭を垂れるべきであると思う。バルト三国とは旧ソ連から最近独立したばかりの国であるにも拘らず、我が日本国元首(天皇)の受けた屈託のないかの国々の歓迎ぶりを素直に評価すべきだと思います。これは日本の歴史に何らやましいところがなかったという証明でもあるのだ。見知らぬ国の国民が日本の旗を振って天皇皇后両陛下の来訪を心から歓迎してくれた現実はとても重い。

 こういう機会があったからこそ、日本海海戦で連合艦隊が撃破したバルチック艦隊がバルト海に常駐した艦隊であると初めて知ることができたのである。

 今回の両陛下の欧州歴訪の旅は生物学者リンネ生誕300周年の記念行事を主催するスウェーデンとイギリスの招きでご訪欧の運びとなったようでありますが、リトアニアにおいては先の大戦でヒットラーのユダヤ民族に対するジェノサイドからユダヤ人を守るため6000人のユダヤ人に『自己責任』で日本のビザを発給して命を救った杉原千畝(すぎはらちうね)の記念碑に立ち寄られたり、英国のオックスホード大学においては、天皇陛下自らが『英語』で40分にも及ぶ講義をなさったと報道されたりしている。・・・・なんというアップ・ツー・デイトな陛下であらせられることやら。・・・・まさか日本の天皇が『英語』でなどとは・・・これで、今上天皇株もうなぎ上りとなること必定である。最近の両陛下には気品にあふれた余裕を感じ取る国民も多かろうと思います。

 
 時を同じくして台湾からやって来られたのが『李登輝先生御家族』です。心より歓迎の意を表したいと思います。
 戦後の激動の台湾にあって、いつも温かい心で日本に熱い眼差しを送ってくれたことに心から感謝したいと思います。今回三度目の来日との事、松尾バナナの奥の細道をご家族で堪能されることを願って止みません。先生は、開口一番、日本軍人として戦死したお兄さんの霊が祀られる靖国神社へも出向きたいとの意を述べられたと報道されていましたが、やっぱり『世界の政治史』に名を残すような人物とは蛮勇を奮って、時を得た『発言』と『行動』をする実行力を兼ね備えた人をいうのであろう。・・・・ご家族ともども、是非日本を満喫していただきたいと思います。

安易な動機と重大な結末の乖離は自殺で埋める

2007年05月29日 | Weblog
「緑機構」前身の山崎元理事 「談合」絡み相次ぐ自殺 (産経新聞) - goo ニュース

 故松岡農林水産大臣が自分に堪えられなくて自ら命を絶ったか或いは詰め腹を切らされたのか知らないが、ご冥福をお祈りしたいと思う。ここに来て、はたまた森林開発公団の山崎進一元理事が故松岡大臣に連れションする形で飛び降り自殺(殉死)を遂げたとは、いよいよもって『官製談合は実在した』とすべての国民が確信したに違いないと思う。

 察するところ、すべての省庁で天下りに絡めたこの種の官製談合は行われているに違いないと連想する向きも多かろう。・・・こういう甘い汁を吸うためにこそ高級官僚になる価値があるのだろう。この事件では、既に二人の命が失われているのであるが、今まで、公共事業を常習的に食い物にして来た先輩官僚を見習えという罪の意識のなさが安易な動機を生み、刑事事件として立件されるに及んでようやくとんでもないことをしてしまったと思い知らされる役人根性(政治家も含む)の浅はかさである。

 罪の意識が不在の犯罪(官製談合=贈収賄=天下り)を官僚特権と何ら恥じない体質が、覚悟のない犯罪を横行させるのである。甘ちゃん感覚で犯した罪の代償は、動機とは天国と地獄ほど乖離した『自殺』で購われるのである。

 官僚や政治家の各々方、バレたら自殺を強いられることを最初に想定してから悪さをしましょうね~。・・・

songzhaoのボケ封じ数学講座第36講

2007年05月27日 | Weblog
 今回は、『偏差値への偏見を捨て偏差値を復権させよう』をテーマにしたいと思います。

 ・・・で、一体偏差値って何なんだい?と聞かれただけで、それは悪魔の数字などという先入観が先に立ってしまって、思考停止すなわちパニックである。・・・学生に序列を付け、『差別』を誘発する『数字』となってしまった感がある。これはもう何が何でも平和憲法9条改正反対と叫ぶのに似ていて、それで安全か?という議論さえ封じ込めるようとする理論とそっくりである。

 そもそも、偏差値とは(個人の得点-集団の平均値)/標準偏差 を意味しています。(個人の得点から集団の平均値を引いた数を母集団の標準偏差で割ったものをいう)

 これが、どういうことを意味しているかというと、標準偏差を基準として個人の得点と集団の平均点との隔たりをはかった場合、どれくらい平均(中心)からずれているかを見る指標ということになります。この数式のままだと平均以下の得点の人はマイナスになるし、計算の結果出てくる数が小さいうえ、狭い範囲に集中してしまうということで、この数式の答えを10倍に拡大し、更に平均点を50という指標であらわそうと考案されたのが、現在使われている『偏差値』の計算式である。

 偏差値=10*(個人の得点-集団の平均値)/標準偏差+50

 何とも美しいこの数式は、戦後間もない頃、実は日本の中学校の先生が創作したとのことです。団塊の世代とともに産声を上げたこの数式は私たちを競争という試練の場に誘い大いに勉学への励みと喜びとついでに挫折をも与えてくれました。受験地獄を勝ち抜くためのスケールであったことは間違いありません。

 団塊の世代は、まさしくこの数式によって鍛えられました。・・・・本来なら、日本人が創作した傑作として、世界に誇るべき数式であったはずです。今からでも遅くはないのだから、世界遺産にでも登録する運動でも起こしたらいいのにと思わずにはいられない。ただし、世界遺産にそうしたカテゴリーがあればの話である。しかし、憲法9条を世界遺産にしようというより、余程普遍性と可能性はあると思います。

 例えば、10万人が受けた数学のテストの平均点が47.8点、標準偏差が6.95だとします。このとき59点を取ったあなたの娘の偏差値はどうなるでしょうか?

 ・・・・偏差値=10*(59-47.8)/6.95+50=66.1・・となります。

 偏差値はどのように使われるかというと、英語の試験で50点、数学の試験で60点とったとき英語の平均点が35点数学の平均点が43点という場合、どちらの点数のほうが価値があると評価すべきか判断もつきません。こういうとき、『偏差値』という物差しを導入することによって、明瞭な判断が下せるのです。・・・・

 こういう点において偏差値は合理的且つ平等な評価のための判断基準を提供するものであることが再認識される必要があります。

 一生懸命努力し成果を上げた生徒には「よく頑張ったね!」と心からの声援を偏差値は送るのである。反対に怠けていた生徒には「もう少しまじめに勉強しなさいと!」冷静に励ましの言葉を発するのである。

 しかし、能力のない教師にとって、この偏差値ほど邪魔なものはなかった、自分の担任するクラスの偏差値が低いと『無能なことがばれる』のではないかと不安で仕方がなかった『無能教師』どもが右往左往して考えついたことは、「え~い、この際偏差値を悪者にしちまえ~」ということだったのです。大体その種の『無能教師』は日教組などという「何とかして子供に教育をしないで済まそう」とする組織に属し、馬鹿なプロ市民=浅はかなヒステリー母親どもを扇動して、本来大切に育てなければならない教育の芽を跡形もなく摘んでしまいました。

 教育を堕落させた舞台裏が一点の曇りもなく認識できるようになった今、日本の公教育は即刻是正されるべきだと願って止みません。

世界上、従人民到産品『称中国』都不要

2007年05月27日 | Weblog
 最近では中国のダメぶり(有害性)が頻繁に発信されるようになって、誠に結構なことである。

 その悪行ぶりは、注射用リンゲルに名を借りた死刑執行薬。アンコウは実は毒フグ、中国産アンキモなんぞ食おうものならそのまま昇天。鉛、カドミウムが浸み出る土鍋、たちまち重金属中毒となる。医薬原料という名の工業用劇薬で製造の風邪薬で300人の児童が死亡。メラニンでコーティングされた小麦で製造したペットフードにより多くの犬猫が死亡。高濃度残留農薬野菜の輸出、日本人への健康被害ははかり知れない。ノンビザ観光という名の犯罪人輸出、日本の治安維持への深刻な脅威。記者交換協定と称する対外工作メディアの育成、日本の侮日メディアの闊歩ぶりを見るべし。産業スパイがただで盗み取った設計図で作った工業製品、真っ赤な中国製ニセモノ純正部品の横行。海賊版DVDの氾濫等々・・・・これでは、北朝鮮すら可愛く見える。

 2008年北京五輪をボイコットするもしないもアメリカ合衆国の意志で決まるのだろうが、最近の中国関連の悪材料の出方は、尋常ではないと思う。・・・どういうタイミングで北京五輪ボイコットと言ってみるか様子見の段階にあるのだろう。

 中国はこんな国であるから、自国の選手にメダルを独占させようとするあまり、言っては何だが、外国人選手に不当な工作を仕掛けないとも限らない。自由主義陣営は天津沖に軍艦でも配備して、自国の選手をバックアップしないことには、安心して選手の派遣はできないのではないかな。・・・・

songzhaoのボケ封じ数学講座第35講

2007年05月26日 | Weblog
 ゆっくりと絶え間なく、一歩づつ話を前に進めて行きたいと思います。

 分散という統計用語について:算術平均からの差(偏差)を二乗した値を分散といいます。

 標準偏差とは:n箇の分散値を足し合わせた値をnで割り開平(平方根を求める)した数値のうち正の値を『標準偏差』といいます。SQR(個々の偏差の二乗の総和/度数)ということになります。

 この標準偏差の特性を頭に叩き込むために、たいへんシンプルなモデルを想起したいと思います。

 仮に、学力試験の結果、Aという算術平均値が求められ、偏差が次のようなものであったとします。

 例1:平均値Aに対する偏差が -2,+2,-2,+2,-2,+2であったとします。このときの分散値とは各々4,4,4,4,4,4となり、これらの数の総和は24となります。標準偏差とは、n個の分散値の総和を度数nで割って得られた開平値(平方根)となります。したがって、この場合の標準偏差は、SQR(24/6)=2となります。また、参考までに、各々の偏差の絶対値をとり足し合わせて、算術平均を求めてみると、(2+2+2+2+2+2)/6=2となって、標準偏差と同じ値となります。

 例2:平均値Aに対する偏差が -1,+1,-2,+2,-3,+3であるとき、標準偏差はSQR(28/6)=2.160となり、絶対値の平均は、12/6=2となります。

 例3:平均値Aに対する偏差が 0,0,-2,+2,-4,+4であるとき、標準偏差はSQR(40/6)=2.5819となり、絶対値の平均は12/6=2となります。

 これらの例から判ることは、平均値が同じで、各々の偏差の絶対値の合計の算術平均が同じであっても、偏差のばらつきが大きいと、標準偏差の値は予想外に大きく変化する性質があることが理解されなければななりません。

 身長や体重、はたまた学力検査などのデータは正規分布に近似されるといわれます。正規分布曲線はガウス曲線ともいわれ、かの大数学者ガウスがゲッチンゲン天文台長を勤めていたときに、天体観測における誤差の研究から演繹したといわれています。

 ガウス曲線は、二項分布の極限値として求められるのですが、この曲線の中に身長、体重、テスト結果などの多くの事象(分布)が100パーセント(確率1)の割合で近似されるというところを学ぶことが『確率と統計』学習のポイントなのです。

何時までたっても懲りないのね~

2007年05月25日 | Weblog
0歳の赤ちゃんに銃の許可証、懲りない米国(朝日新聞) - goo ニュース

 日本人の心に響かないようなこの種の報道は即刻止めてほしいと思います。何で、アメリカ合衆国の価値観を敗戦利得者たる朝日の価値観をもって偏向判断し、それを、読者が押し付けられなければならないのか、全然分りません。誠にもって理不尽な記事である。

 その昔、日本において武士が大小を腰に携えて闊歩していた時代の、庶民の哀れさは、慣習的に武器の携行が許されていないが故の不平等であったのだ。
 江戸、安土桃山時代以前には、庶民とて自衛のために刀剣の一本や二本いつでも調達できたのである。身を守るための武器の携行など当たり前という伝統を持つ国家にとって当たり前の話である。「自分も武装しているが相手も武装しているから軽はずみなことはできない」というのが、アメリカにおける犯罪抑止力なんだろう。アメリカに駐在する日本人は全員丸腰か?と言えば、そうでもないだろう。「郷に入れば郷に従え」というのもまた鉄則である。

 こんな記事など同盟国の顔に泥をぬりたくて仕様がない、赤かぶれメディアの試行錯誤がなせる最も馬鹿馬鹿しい所業である。アメリカの銃社会とは、テロリストやキチガイ朝鮮人でさえ合法的に銃の所有を拒めない社会なんだから、人格を持ったアメリカ市民たる命の誕生をもって、銃所持の権利を得ると朝鮮人や中国人に宣言するのは当然の生命の権利の保障である。

 今後、同盟国アメリカ合衆国は、日本に対し自国の命が欲しければ自ら核でもミサイルでも保有し、朝鮮や中共の脅威に備えることは当然のことであると何の憚りもなく主張するであろう。・・・・日本人が望むなら、赤く染まった中共の宣伝メディアの殲滅に力を貸そうかというのが同盟国の立場なのである。・・・・だから、NHKの運命とて危うい。これからも中共の走狗に徹するなら、何時ボイスアメリカにテイクオーバーされるか分ったものではない。

 現在、経済界と創価学会は中共の召使いのようなものであるが、政界は対中共パッシング作戦に余念がないのである。・・・・「あと一年余りになった北京五輪をネタに同盟国アメリカがどれ程の揺さぶりをかけるかが見ものだ」といわざるを得ない。すべてはアメリカ合衆国の魂の彷徨に委ねられているのであるが、日本が北京五輪ボイコットの要請をを受けるのは既に日読みの段階ではないのか。・・・・気休めにそう思って居よう。

金で釣られるなら至福だろうに!

2007年05月23日 | Weblog
米軍再編推進法 「お金で釣るのか」 受け入れ候補地 住民、怒りと困惑(西日本新聞) - goo ニュース

 鯛は海老で釣り、基地は金で釣る・・・・まあ~それでも良いではないか。釣られる餌とて何もなくて敵の標的に晒される地方とてあるかもしれないのだから。

 私は静岡県人として常日頃から案じていることがあるのですが、由比蒲原地方というのは後ろには山津波の恐怖を負い、全面には駿河湾が迫っていて、それだけでも普段から海、山の津波の恐怖に晒されている地域である。そして、更に物申せば、駿河湾自体がまるで無防備な海域だということである。それに輪をかけて、最悪の現実というのは駿河湾とせり出た地すべり山の猫の額ほどの狭い土地に国道一号線、東名高速道路、JR東海が重なるように通っていることである。

 あってはならないことであるが、万一の有事の際、この交通の要所に艦砲射撃の一発でも食らえば、たちまち日本の大動脈は破裂して、明日の食い扶持さえ確保することが危ぶまれる。更に危惧することは時の国土交通大臣の重責を創価学会がになっているという危うさである。

 穿った見方をすれば、アゲハの二の舞が再現されないとも限らない。・・・・で、提案であるが、どうだろう御前崎市には港もあることだし、浜岡の原発とて有事の際に丸腰であってはならないのだから、この際、御前崎あたりに、自衛隊でも米国海軍でもかまわないから積極的に誘致して、国から小遣いをいただいて尚且つ安全の上に枕を高くして安眠を貪るという手もあるのではないだろうか。

 冗談はともかく由比蒲原地域は国防上のアキレス腱であるから、国を挙げて対策に取り組むべきであろう。

女心と透けない白

2007年05月22日 | Weblog
 これは私の老いらくの反応であるからして、女心と秋の空をとっくに通り越した季節はずれの春の夕暮れの話題には違いないものと承知しているのであるが・・・・

 何でも、今夏『ユニクロ』と『東レ』が『透けない白』の生地を開発し、製品に仕立てて販売攻勢をかけるという。・・・・以下産経新聞記事を引用しよう。

 「下着が透けない白」夏を闊歩 ユニクロと東レが共同開発

 カジュアル衣料品のユニクロと繊維最大手の東レは17日、光の透過を抑えた白色の衣料素材「スタイリッシュホワイト」を共同開発したと発表した。新素材を用いた女性向けのボトムスを23日にユニクロ全店で発売する。

 涼感のある白の服は夏場に需要が高まるが、女性に「下着が透けるのが気になる」という声があったことから、ユニクロは新素材の商品で需要の掘り起こしを狙う。

 新素材はポリエステルや綿などを合成。繊維内のセラミック粒子が光の透過を防ぎ、薄くても透けない布地を実現した。
 ユニクロと東レは昨年6月素材開発を主な協力対象として提携。今回は商品化の第一弾となる。販売するボトムスは2品目で2990~3990円。初年度70万本の販売を目指す。(平成19年4月18日産経新聞)

 ・・・・で、鼻の下の長~い嫌らしい熟年男が思うに、この『透けない白』を謳い文句とする新素材でこしらえた女性用新製品がヒットするだろうか?・・・ということである。

 誠に余計なおせっかいではありますが、経験則に基づく雑念を述べたいと思います。

 セクハラだめだ何だのと不断に男性側を非難する女性側も一部の性的特殊関係者(レスビアン)を除いて、夏の到来を待って薄着攻勢をかけ、遺憾なく男性側にセックスアピールすることであろうし、対する男性側も女性側の軽率な行為に対して、大いに期待するところ大である。忌憚なくセックスアピールを謳歌する夏よ来たれ!。

 ・・・・で、透けない白のボトム(年配者に配慮しないこんな英語が既に日本語を侵食しているという現実にも驚かされるのであるが、・・・これってズボンやスカートのことを言うのかい?。・・・・どうせなら、『ボトムレス』とでも表現してもらった方が熟年の脳にはイメージが湧こうというものである)。辞書で調べたら、ボトムスとは腰から下に纏う衣類という意味らしい。・・・何ともいやはや昭和は既に遠くなってしまったらしい。

 ところで、以前大井川の河原でバーベキュー大会を催したとき、若い娘どもがとても股上の浅いジ~~ンズをはきこみパンテ~の一部さえ見え見えだったので、傍にいた30代のご婦人に「一体あれは何なのだ?」と質問したら、「あれはね、当世風見せパンよ~、若い子もパンテ~にまで気を使って見られてもいいようにしなくちゃならないんだから大変よね~」だってさ。

 こんなご時勢であるから、『透けない白』ちゃんの運命やいかにと大いに興味が持たれるのである。・・・・ジェンダーフリーのおぱん亭属やバイブ社民属が愛用し清清しくても全然興味が湧かない。

創価学会の陰謀か?

2007年05月21日 | Weblog
団体旅行ビザ発給 在中国全公館に拡大 見切り発車懸念 不法残留温床に?(産経新聞) - goo ニュース

 もはや『自民』だの『民主』だなどといって日本人同士がいがみ合っている状況ではない。

 敵は毎日『イケダ』の『ケツ』を舐め崇めつつ、朝鮮と中共の寝しょんべん侵略地図スキームに従い、日本侵略を現実のこととすべく寝汗をかいて頑張っているのだ!。

 ここは、『害国人の侵略の前に本土防衛という本来任務に着かんかい!』純粋なる日本人の国会議員の輩(ともがら)たちよ!。

 来るべき参院選の対立軸は『日本人対三国人』の権力闘争選挙でなければならない。
 しかし、とりあえずのあて子対策として、国会議員に日本人ととしての自覚があるなら、これ以上の中共による犯罪人の対日輸出を阻止する有効な手立てを、『無い知恵』を振り絞って考案し、断固『創価の陰謀』に立ち向かうべく団結すべきである。・・・・国策として『中共の犯罪人輸出』を阻止せよ!。

Cuando Caliente SHIZUOKA#71

2007年05月20日 | Weblog
 「理科好き」育成小学校に支援員

 静岡県教委は本年度の理科教育を充実させるため、授業での観察や実験を補助する非常勤講師「理科支援員」を配置する。初年度は60校程度に配置し、9月からの運用を目指す。

 教員免許の有無を問わず、幅広く地域の人材を募る。理系の大学・大学院生のほか、民間企業の技術者OBや退職教員らに呼びかける方針。

 理科支援員の配置は国庫補助事業。県教委は平成17年度から2年間実験補助員を小学校に配置する同様の県単独事業「サイエンスサポート」を8校で実施した。県教委はサイエンスサポートの成果を「実験補助員によって授業以外にも子供の探究心をくすぐる取り組みがなされ、日常の中での児童の理科的関心が高まった」とし、今回の支援員の配置にも期待を寄せている。(以上静岡新聞より抜粋)

 対象となる学年が実験の多い小学校5,6年生の授業に限るらしいのだが、これって、教員の質が悪いからなのか或いは員数が足らないためなのかはたまた授業時間数が減ったためなのか?・・・その辺の根本的原因も知りたいものである。もちろん、教員以外の支援員も才能と実績がある人が人選され、その個性が発揮され尚且つ子供が理科に興味を持つようになれば結構なことである。2年間の実績に基づくスキームの延長・拡大であるのだから、『異議なし』であるが、なんとなくすっきりしない感じが残る。


 「理数系の向上」課題に 中教審副会長 次期指導要領で示唆

 中央教育審議会副会長の梶田叡一兵庫教育大学長は19日、浜松市の浜松日・高で開かれた教育講演会で、次期学習指導要領の内容に触れ、「理数系の学力向上」「言葉の教育」「心の教育」「日本の伝統教育」「外国語教育」を盛り込む方針であることを明らかにした。
 
 梶田副会長は次期指導要領の性格について「最低限の時間と内容を示す基準。各学校の自由度を増し、学習内容を加えられるようにしたい」と柔軟性を持たせることを示唆した。策定スケジュールに関しては「今年中に答申を出したいと」と述べ、完全実施の時期は「平成22年度にやりたいが、23年度になるかもしれない」とした。

 理数系の学力向上が必要な理由について、東大、京大、阪大などの実例を挙げ、「理、工学部の学生の学力が落ち、現場が悲鳴を上げている」と指摘した。

 国語を中心とした言葉の教育では、「聞く、話すが中心になりすぎている。読む、書くがもう少し強化されて良い。国語の中身は文学教材が多いが、論理的な文章をしっかりとやるのが、言葉の教育」と強調。伝統教育は「古典は小学校がどこでも取り入れることになる。地域の伝統行事、文化も学ぶ必要がある」と主張した。(以上静岡新聞より)

 誠に御正論有難う御座いますと言いたい。しかし、こういう試みに対して、常に抵抗勢力として働く『子供に勉強を教えることに熱心でないマイナス勢力』、これを日教組などと呼んでいるようであるが、この勢力を撲滅してしまわないことには、素晴らしい教育目標も効を奏さないと思います。同時に断固とした政治力のサポートが何よりも求められていると思います。

  
 最後に、重要な提言をしたいと思います。

 昨今、理数系の若き頭脳が求められているのなら、静岡県を代表する3兆円企業『スズキ』の名誉会長、鈴木修氏に是非お願いしたいのでありますが、静岡県の産業界を代表して、理系の新卒者を率先して優遇するような採用策をとって頂けないものだろうか。理数系の学卒者に明るい将来を!希望を!・・・・この観点が抜け落ちているのであれば、理数科振興策は画に描いた餅に終わってしまうのではないだろうか。

在NY、石原都知事『快刀乱麻』

2007年05月20日 | Weblog
 快刀乱麻:これも支那語の成句で、本来は「快刀乱麻を断つ」というそうな。その意味は(切れ味のよい刀剣で、乱れもつれた麻を切る意)紛糾している事物を、てきぱきと手際よく処理すること。単に「快刀乱麻」とも。(広辞苑より)

 まあ、このお方の場合、『快刀乱舞』とでも表現した方が当を得ているのかもしれない。

 石原慎太郎氏を引き続き東京都知事に選出したのは都民の意志であるが、日本国にとっても幸いなことだったと思う。世界にその意志を発信できる人材がめったにいるものではないのだから。・・・・産経新聞の記事を書き留めておくこととしよう。

 石原都知事 NYで講演 米が責任果たさぬなら核保有も

 訪米中の石原慎太郎都知事は17日、ニューヨーク市内で今後の日米関係と対中国政策について講演し、日本の有事に際し米国が日米安保条約に基づいた責任を果たさない場合「日本は自分で自分を守る努力をする。米国が懸念している核保有につながるかもしれない」と明言した。
 石原知事は「米国にとって日本の存在感が軽いものになっている」と指摘し、「日米両国の将来は中国をどう認識して評価するかが重要だ」と対中政策がカギを握ると強調した。そのうえで、「中国経済は2008年の北京五輪までしか持たないとの見解で英エコノミスト誌の編集長と一致した」と述べ、「独裁政権は経済が破綻し、社会が混乱したとき必ず軍事的冒険主義に出てくる。それは台湾や尖閣諸島に向けられるかもしれない」と予測。尖閣諸島有事の際に「米国が(日米安保のもとで)どれだけ責任を持つか極めて疑問だ」と不信感を示した。(平成19年5月19日産経新聞より)

 日本の国会議員のどれくらいの人が石原都知事ほどの『国家の安全に対する認識』を持っているのかと思うと「所謂寒し」といったところであるが、北京オリンピック成功のための署名活動なんかというどうでもよいイベントで、署名したどうでもよい国会議員が220人を数えるというお目出度さにも呆れるのだが、『ボイコット』と言い出すような勢力もいないことにはバランスがとれないよね~。

犯罪人に侮られる警察

2007年05月19日 | Weblog
発砲立てこもり事件 SAT隊員死亡 県警「受け身」に終始(産経新聞) - goo ニュース

 こういう誰の見た目にも甘い捕り物劇をやらかすから、第二、第三の同種の犯罪の連鎖が心配される。『真っ正直にやりすぎた』などというのは余程性質の悪いユーモアである。

 最初に、不運にも事件で殉職された若いSAT隊員、林一歩巡査部長に衷心の哀悼の意を表したいと思います。

 臨場して撃たれた木本巡査部長を6時間も放置したとは何事であるか!無能ぶりに呆れるのであるが、笑い話にもならない。・・・・こんな腑抜けな日本の警察を見て、(現実にマスメディアによって、デュアルタイムで現場が中継されていたと聞く)日本の暴力団等の銃犯罪予備軍は言うに及ばず、凶悪な国際的テロリストなどの目にどう映るかが大問題であると思う。『彼らに日本は犯罪人を尊重する国などという印象を与えれば、日本人は生き地獄を味わうことになるのだよ』

 驚いたことに、一部のメディアには人道的捕り物劇であったなどと受身の無策戦術を讃える向きもあるようだが、トンでもなくミスマッチな評価だと思う。

 この犯人、これほどの凶悪犯罪を起こすくらいであるから、最後は自害して果てるぐらいの根性があるのかと思ったら、開口一番「殺意はなかった」などと言っているようである。・・・・こういうご時勢であるから、この種の凶悪犯罪を巻き起こした際には命はないという躾を行うのも警察の主たる任務としなければならないだろう。・・・とにかく断固とした対処法が望まれる。

 四人が撃たれ、そのうちのSAT隊員は、結果として射殺されているのである。人質の女性が自力で脱出した時点で強攻策を採ることが国民に対して、『警察としての示し』のつけ方であったのではないだろうか。・・・・凶悪犯罪人をたてまっつて身柄確捕などと誠にもって感傷に堪えない。

 SATと刑事部の不調和云々などということが話題となっているようであるが、この緊急事態時に至って、内輪の小事についてうだうだ言っている方がおかしい。 こういう場合は一丸となり、沽券にかけても積極的に犯人を我が手で捕らえるという執念が物を言うのではないか。

 以下、静岡新聞記事の抜粋:

 1972年に起きたあさま山荘事件の指揮を執った警察庁OBの佐々淳行氏は「危機管理と捜査指揮の適格性に欠けた対応だ。警察官が撃たれた時点で、犯人の投降を呼びかける説得から強行突入に変更するのは国際的な常識。全国の警察官に『同僚を見殺しにするのか』とみられ、悪影響は大きい」と憤る。(以上)

 私は佐々氏の発言こそ真っ当な国民感情であると思う。

 ところで、以前福島瑞穂先生は、犯罪人を捕らえるにあたって、警察官は負傷しても良いが犯罪者には人権があるのだから傷つけてはならないなどと奇妙な主張をしていたが、この事件を透視する能力があったのだろうか。

songzhaoのボケ封じ数学講座第34講

2007年05月18日 | Weblog
 人類にとって、文明発展の原動力というのは、最小の労力で最大の実を上げるようとする人の性(さが)にあるのだと思います。下品な言葉で言えば、如何にして横着して実を取ろうとすることに尽きるということなのでしょう。某消費者金融などが『円ショップ』などと言っていたのを思うと、貸す側の都合を表す言葉として、「言い得て妙なり」と感心したものです。

 それでは、第32講の続きを致しましましょう。今日のメインテーマは、平均値を求める『簡便法』を復習することにしたいと思います。

 例えば、47,56,80という数があるとき、これらの数の平均値を求める場合に、まず仮の平均値を想定し、仮の平均値からの偏差を計算することによって実際の平均値を求めようというわけです。

 まあ、この3個の数の平均が60ぐらいと見当をつけ、47,56,80を(60-13),(60-4),(60+20)というように置き換えます。次に各々の数を足し合わせて、3*60/3+(-13-4+20)/3=60+1=61と計算する方法を『簡便法』といいます。

 この方法は、桁数の大きい数を取り扱うとき、計算が煩雑になるので、少しでも楽をして、しかも計算間違いを減らそうとした先人の知恵なのです。

 一般的に、仮想平均値Xからのn箇の偏差p1,p2,p3,・・・pnがある場合の計算方法として、平均値=X+(p1+p2+p3+・・・pn)/nとなります。(ただし、第32講の分布表では各々の階級に属する生徒の得点を階級の中心値で代表して計算しています)

 それでは、第32講の『ある学級の算数のテスト結果の度数分布表』をもう一度見ていただくと同時に、更に発展的な事項を書き加えたいと思います。

 階級   度数  代表値-60  偏差*度数
~10     1    -55      -55
~20     1    -45      -45
~30     2    -35      -70
~40     4    -25     -100
~50     5    -15      -75
~60    10     -5      -50
~70     8     +5      +40
~80     4    +15      +60
~90     4    +25     +100
~100    1    +35      +35
 合計   40名        (-395+235)/40=-160/40=-4ということになって、
 平均点:60-4=56点・・・という計算が成り立ちます。(ここにおいて、代表値-60=偏差という意味です)

 先人のこうした知恵は、子孫たる我々がしっかりと受け継ぎ子供たちに人類の遺産として引き渡していかなければならないと思います。

 復習の意を込めて、用語の解説

 偏差(へんさ):一定の標準となる数値・位置・方向などから、かたよりずれること。その度合。また平均値からのかたより。(広辞苑より)

 今後の予習の意を込めて、用語の解説

 偏差値(へんさち):学力などの検査結果が集団の平均からどの程度ずれているかを示す数値。点数の分布が正規分布に従うとみて、偏差を標準偏差で割って10倍し、50を加算した数値。(広辞苑より)

南朝鮮にも足元を見られる不甲斐なさ

2007年05月17日 | Weblog
韓国ウォン、日本のGDP発表後に対円で9年半ぶり高値に(ロイター) - goo ニュース

 最近のNHKの『女々しい平和主張』に、まさに『正比例』するかのような世界的な円売りが始まりつつある。経団連(=ノーパン・フリチン族)にとって、円安を逆手に取り、輸出で稼げると高を括った向きもあることは算数の計算上あってしかるべきだともいえる。そして、それに迎合する浅はかな(円売り圧力たる)日本の『売国奴的投資家』も多いのも事実である。

 しかし、事此処に至り、世界的且つ慢性的な円安の背景は何かということをよくよく考えなければならない水準に達しつつあると言わざるを得まい。

 なんぼ国連事務総長に韓国人が就任したからというご祝儀相場だけのウォン高ではないと思う。

 日本人が忌み嫌うべきものと信じ込まされている真実に目を向ければ、卑しくも『21世紀の国際的価値観』では一等国であることの判断基準とは『核兵器』を所有していてしかもどのように使用しても良いという『核兵器所有及び使用の自由』が国際的に保障されている国か否かということに尽きる。

 中共が潰したくないから北朝鮮は潰れないというのは自明の理であるが、その北朝鮮を潰さない中共のしたたかな目論見がどこにあるかと言えば、第一義的には『南北朝鮮を合併』させることであろう。・・・・で、その次に何をしようかということになるのであるが、朝鮮人を『日本の被害者』と煽り立て、日本に戦争を仕掛けることであろう。

 安倍首相の対北朝鮮強行政策によって炙り出されつつある北朝鮮の日本侵略(日本人拉致)は、「外国は神様」と謳って止まないGHQ占領憲法下における平和ボケ仕切った日本人の心の隙を突いて、秘密裏に行われたのも事実であろう。

 しかし、拉致などという国権侵犯に対して、北朝鮮に迎合し協力した日本側の非日本人的勢力なり政党がなければこんな悲惨な国家犯罪は起こらなかったはずであるから、日本人とも思えない彼らの悪行を白日の元に晒すべきなのである。・・・・そういう意味で、今ほど愛国の士の台頭が望まれる時もないのだ。

 来るべき参院選は日本の国権を託す人材を選出する選挙にしてもらいたいと望んで止まない。