昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

日本国閣僚よ今更何を言う

2006年03月31日 | Weblog
遺書判明、閣僚から中国批判相次ぐ…上海総領事館事件 (読売新聞) - goo ニュース

 現在、「民間の七団体」からなる訪中団が、猫の頭をなでるが如き取り扱いを「中国皇帝」、俗名「ふーちんたお」から受け、たいそうご満悦であるらしい。
 その訪中団の頭目は、三兆円もの天文学的大金の小切手を日本国民の知らぬ間に切ったにも拘らず、一億円の「はした金」の「闇献金疑惑」をうやむやにしたと評判の高い、その昔、有閑マダムにたいそう人気のあった「端龍」というお方であったそうな。
 何故に「端龍」と称せられるかと言えば、「中国=竜が大好物な自称超大国」の傍でうずくまり、その勇姿を賞賛するものに与えられた、皇帝の名誉ある「傍女の称号」であるそうな。

 この方など日本人有閑マダムの「懸想(けそう)」など「悪し様」にして、「中国故娘」の誘惑に駆られ、たいそうご執心であったとか、こともあろうに、そのお相手とは、かの国の「諜報機関」に属するうら若き乙女であったのではと国会で追及される場面も経験なさったとか、とかくの噂が耐えなかった「元日本国総理大臣?」である。
 今度の中国への里帰り(公費で行ったなら問題である)で、どのような手土産を持参するやら、一平凡な日本人として「胸を時めかせて」土産話を待っているのである。
 その善良な国民の期待に背いて、日本側からいくら謝罪するなどという話を持ち出されるようでは、「一億円有罪」の判決を出し直してもらいたいと願うものである。

 余計な話は別として、今朝の読売新聞の中国当局のウイーン条約無視による「上海領事館職員自殺」事件の記事は読み応えがあったのであるが、この事件は、それこそ止むを得ず「自殺」することでしか問題解決しないと意を決した「被害者」の後進に送った極限のメッセイジであると謙虚に受け取り、今後の教訓にしなければならない。
 中国に原因があることは疑いもない事実であるが、この種の侵略に絶えず晒されているにも拘らず、大した危機意識も持たずに漫然と時を貪ってきた外務省の態度も大いに非難されるべきだと思う。
 
 これこそ、性善説が世界の常識だと規定する「日本国憲法」が自己の命さえ放棄する無用の長物であるという「教訓」となる証左である。この点で日本人は戦前の帝国主義的精神状態から一歩も踏み出してはいない。「妄信は敗北」なのである。早くヘーゲルの弁証法に目を向けよ!。

まず国内反日分子を追い出せ!

2006年03月30日 | Weblog
「釣魚島は固有の領土」…中国が教科書検定を批判 (読売新聞) - goo ニュース

 「ワック」という日本をこよなく愛する出版社があって、月刊誌「WILL」を出版しているのであるが。その5月号の中に、「これが日本の外交官か?」と目を疑う人物について詳しく書かれている。
 そのお方とは、戦後に決して頭を上げることさえならぬと自縛し、額ずき外交の「祖」というにふさわしい栗山尚一氏であります。
 この方の日本人離れした「思考回路」はキンヌキされた和製宦官とお呼びするに相応しいのだろうが、そこまでコケにしたら失礼なので、私としては、「オウム貝殿」と表現してきたのである。

 この方のキンヌキされたかのような体たらく振りは、「WILL」誌上に、つまびらかに、ジャーナリスト・山際澄夫氏により明らかにされているので、興味ある向きには、そちらを読んでもらえれば良いのであるが、この方の精神の奥底に宿る価値観は、「対外土下座志向」であり、無国籍無責任左翼の立場である。簡単に言えば、半島出身の李高順氏や村山富市氏と同じ価値観で「土下座こそ至上」をモットーとして贖罪外交に精を出された方である。
 この国賊的行為が日本人に与えた損失は金銭的にも精神的にも計り知れないものがある。
 そして、日本国民として、一番知りたいことは、この方にとって、「天皇の存在は是か非か?」である。日本のメディアに、この方にインタビューして、聞いてみてもらいたいものである。是非お願いしたい。

 日本民族の誇りを否定するともいうべき発言をなさるこのお方が事務方のトップであった外務省外務次官時代の部下だった人物とは、今を時めく小和田恒氏であったという。小和田氏の思想とか価値観がこの方の影響をどれ程受けて居られるか否か知る由もないのであるが、皇太子殿下妃のご実家とあっては、日本国民として気にならない訳がないのである。

 話は変わるのであるが、この「WILL」という雑誌も実に愛嬌がある。39ページのこの栗山氏の肖像(写真)が載っていて、その下に「寝言は寝てから言え」とコメントされているのである。
 また、日本国警察庁は三月三日地村保志さん夫婦と蓮池薫さん夫婦の拉致事件の犯人として、北朝鮮工作員辛光洙を指名手配したのであるが、その辛光洙の顔写真199ページと瓜二つではないかと思うのは私だけであろうか。「WILL」流ブラック・ユーモアであろうか。

songzhaoのボケ封じ数学講座第11講

2006年03月30日 | Weblog
 このところ仕事が忙しくて、まともな数学的思考が阻害されてしまって、次の講議に移れないのはまことにもって、遺憾な事態である。今日は数学に纏(まつ)わる雑談とする。

 本来なら「Cuando Caliente SHIZUOKA」に書き記すべきであるが、とても感動的な静岡に纏(まつ)わる記事が「中日新聞静岡版」に載っていたので、書き留めておこう。

 静岡私立高校校長が市教育長に「数検団体一位」を報告:

 数学の実力を試す第十一回実用数学技能検定(数検)で一位の「文部科学大臣奨励賞」を受賞した「静岡市立高校」の天野忍校長が28日、市役所清水庁舎を訪れ、西条光洋教育長に報告した。数検を主催する日本数学検定協会によると、県内の高校が同賞を受賞するのは初めて。

 天野校長は、「受賞は生徒たちが数学に興味を持ち、学ぶいいきっかけになる。これからも続けて行きたい」と話し、西条教育長も「生徒たちの誇りと励みになります。今後も続けて欲しい」と激励した。

 数検は大学卒業程度の知識を問う1級から、小学4年終了程度の8級までの10階級。静岡市立高は2002年から学校を挙げて受験に取り組み、昨年は延べ612人が受験して、「準一級」に2人、「2級」に102人、「準2級」に119人が合格した。

 協会は、受賞理由として、受験者数の多さや高い合格率などを挙げている。授賞式は三月五日に開かれた。

 協会によると、子供たちの理数離れが問題視される中で、「数検」の受験者は200年に12万人だったのが、2004年は26万3千人、2005年は29万人と年々増加している。(全文)

 静岡にこのような「高校」が存在するとは実に、「感動的」である。全校を挙げて数検に挑戦とは、素晴らしいアイデアであるし、この時期に鍛えられた数学脳は生涯に亘って、数学的思考に耐えることであろう。
 
中日新聞の「価値ある報道」を大いに評価したい。この記事に感化されて、これと同じように全校を挙げて、何らかの「学術的な目標」を掲げて挑戦する「高校」や「中学」が出現すれば、素晴らしいことだと思う。何も「数学」だけに限ったことではない。「英語検定」であっても、「漢字検定」であっても良い。

 学生に対して、目標に挑戦するという「涵養の心根」を根付かせてやれば、それは、「生涯の羅針盤」をプレゼントしたも同然である。

 そういう意味で、「静岡市立高校の試み」は日本全国に知らしめるべき「偉業」である。 

中禍満々

2006年03月29日 | Weblog
 いや、実は私はこのタイトルを「中禍満=中華饅」と洒落ようと思ったのだが、この意味を中国人に「満中禍」と解釈してもらえないかも知れないと心配するあまり(現代中国語の文法ではそのように表現すべきであろうと思う)、タイトルを「中禍満々」としたのである。これは、『中禍(中国のわざわい)がいっぱい』と、「主語+形容詞」の表現にしたのである。我ながら思うのであるが、しかし、これは確かに「おじんギャグ」である。

 我が愛読誌というのもさまざまである、文芸春秋の「諸君」、産経の「正論」、小学館の「サピオ」、ワックの「WiLL」などである。どれもこれも、「中禍満々」であが、売国新聞などは日本民族に流れる「嫌中マグマ」の切実さが認識できないのだ。日本のメディアというには程遠い存在である。

 「中国観光」などと盛んに叫ばれている昨今であるが、中国の所謂「トイレ」事情なるものを、日本国の親中派のご婦人方は分っておられるのであろうか?日本人でも「男性」ならば、互いの「祖チン」を見比べながら、「この野郎俺よりでかいではないかとか、ざまをみろ、俺の方が立派なシンボルだ」などと見比べながら用を足すのであるが、中国では女性同士でもこのような放尿シーンを強いられるのである。上海であるとか北京では流石にこのようなことはないであろうが、一歩郊外へ踏み出そうものなら、女は女同士お互いの尻を眺めながら排尿、排便しなければならない(プライバシーを保障する仕切りはない)。「なにあんた、もう生理なの?、とかまだ生理がないの?とか声を掛け合うほどの親密な付き合い(こっそり妊娠することも許されない)というような、赤裸々なお付き合いの国柄である。

 中国人の「衛生観念」がどれ程かということも認識すべきである。最近は中国当局も「北京オリンピック」を控えているので、やたらと「衛生、衛生」と衛生的なことを口にするのであるが、トイレの洗面所で食器を洗ったり、同じ場所で便所を清掃したモップを洗っている光景を目にした観光客も多かろう。中国人の衛生観念というのもそのレベルであると認識した上で中国観光を楽しむという「寛容」さが日本人観光客にも求められるのである。

 ところで、今月の「サピオ」も「中禍満々」である『世界を揺るがす中国犯罪白書』とは恐れ入る。以前我が「日記」で幻想皇帝は楊貴妃の墓を改葬するという口実のもとに楊貴妃の骨を粉末にして食べてしまったのではなかろうかと書いた記憶があるがそのように推測するに足る記事が載っているのである。中国人の手に掛れば、死して後も安住の地(墓所)も保障されないのである。
 また、媚中派国会議員といわれる呆れた日本人もいるのであるが、彼らはこのようなことを認識して、中国に諂っているのであろうか。次の選挙では日本人有権者は彼らに明確に「ノー」という引導を渡さねばなるまい。

 また、「WILL」には、日本国国民と皇室にとって聞き捨てならない記事が掲載されているのだが、コメントは次回としよう。

Cuando Caliente SHIZUOKA#36

2006年03月28日 | Weblog
 今日は祈ろう「教師冥利に尽きる男に命を!」

 感動する「静岡新聞記事」を皆に!

 難病の”伝ちゃん先生”救おう 教え子や友人今度は演奏会

 B型ウイルス性肝硬変の末期と診断され、海外ででの移植治療に望みを託す掛川西高の太田教諭を救をうと、支援の輪が各地で広がっている。募金活動に加えて友人や教え子でつくる「伝ちゃんの愉快な仲間たち」は四月一日、チャリティーコンサート「ラブユーフォーエバー」(静岡新聞社・静岡放送後援)を企画する。

 太田教諭は理科教諭で柔道部の顧問。大柄でユーモアがあり「伝ちゃん」と生徒から親しまれている。昨夏の健康診断で大量の腹水や胃の静脈瘤が見つかり、一年後の生存率は50%と宣告された。早期の移植治療が生存への唯一の道で、海外で移植治療を受けるため、友人や教え子が募金活動を行っている。
 コンサートには掛川西高吹奏楽部と音楽部のほか、音楽講師や演奏家として活躍する太田教諭の友人五人が出演。一部は独唱「この道」「花」やピアノ演奏「ノクターン第五番変ロ長調」「幻想即興曲」などを披露。二部は命と命のつながりを描く物語「ラブユーフォーエバー」を上映して朗読する。
 太田教諭の妻理重子さんの友人でピアノを演奏する藤田さんは「伝ちゃん先生が病気になってからこれほど命について繊細に考えた経験はない。一人一人が命を感じてもらう機会になれば嬉しい」と来場を呼び掛けている。
 コンサートは一日午後七時から、掛川市生涯学習センターで開かれる。収益は伝ちゃん先生を救う会に寄付される。入場料は大人1500円、高校生以下800円、未就学児無料。入場券は兵藤楽器各店他、救う会事務局(0537-23-8500)で販売している。・・・という。

 この掛川西高等学校吹奏楽部と音楽部は毎年クリスマス・イブ・コンサートを掛川市生涯学習センターで開催している。私は高校生のブラスバンドが好きで、近隣の高校のブラスバンド部の演奏会には時間の都合がつく限りお邪魔して拝聴させて頂いているのであるが、この掛西のブラスバンド部は結構実力がある。

 入場券が手に入るものなら、是非行って見ようと思う。そして、太田先生の命が救われんと祈る演奏を聞いて、私も祈ろう!。 
 

同業他社はこぞって朝日を攻撃すべし

2006年03月28日 | Weblog
朝日新聞社長の長男、大麻所持の現行犯で逮捕 (読売新聞) - goo ニュース

 この種の犯罪が表沙汰になるまでには、被告人たる朝日新聞社長の長男なる人物が、常習的に大麻を吸引していた実績がなければこのような事態に立ち至ることはなかったであろう。

 偶然に警察官が一人コンビニで雑貨を買って帰る人間を捕まえて、職務質問し大麻所持の現行犯で逮捕することなど万に一つもないであろうことは想像に難くない。

 これは、朝日新聞社社長の取り巻き、或いは朝日新聞社長の長男の生活空間に存在する取り巻き連の所謂「チクリ」による「大麻所持の現行犯で逮捕」なのだと確信する。

 しかし、朝日新聞社長のコメントというのも実にふるっている。「息子の愚かな行為に驚いております。本人がきちんと責任を負い、罪を償って欲しいと思います」とコメントしたそうな。この新聞がこの種の犯罪について、一般の国民を追及するときは、なんと言うかといえば、「そのような子に育て上げた親の責任についてしらを切るつもりか」と執拗な追い込みをかけること必定である。

 この通り、我子の「犯罪」にたいしては、中国人だの朝鮮人の観点で物申すのである。民主党の永田代議士以下の意識レベルであることを日本国中に遺憾なく証明した事件である。この朝日新聞社長の我が長男に対する態度は、報道他社により徹底的に糾弾されなければならない。自称「天下の朝日」を自負する社長の長男の人としての「質」はこの程度のものであったのか。

Cuando Caliente SHIZUOKA#35

2006年03月26日 | Weblog
 科学はシンプル・イズ・ベストを旨とする。

 今日は親戚の葬儀に参列し、甚だ不謹慎にも酒量も過ぎたようである。数学講座でもと思っていたのだが、既に脳は酩酊の極みである。Man is mortal(人は死すべき運命を宿し生まれ来ているもの)である。
 ならば、否定形にして、Woman is immortal は対偶表現として真実かというと、やはりこれが、真実らしい、父性は消滅する運命にあり、母性は永遠の生が保障されているかに思えるのは、私だけであろうか。

 だからであろうか、昨今の日本をみていると実に嘆かわしい。
 父性とは、その基礎を「社会観念たる価値」においているのである。「日本道徳(父性)よ日本社会通念の中に醸成されよ!」。そして、社会の「メス化」を阻め。日本女性は、真摯に母性に宿る父性への憧れを、「己が宿した男子」にしっかりと植えつけねば、母性の価値も意味を持たないと認識することが重要なのである。決して、乳離れできない「男子」を育ててはなりません。

 今日は、平成18年3月25日の静岡新聞記事を書き留めておこう。

 納豆ねばねばウイルス退治:

 ヒトへの感染拡大が懸念されている高原病性のH5N1型鳥インフルエンザウイルスの吸着剤を納豆のねばねばした物質を原料として開発することに静岡大学農学部と静岡県立大学薬学部、ヤマサ醤油の共同研究チームが成功した。成果は京都市で26日に開かれる日本農芸化学会で発表する。

 研究チームは今後、この吸着剤をマスクやエアコンのフィルターなどにコーティングし、感染防止に役立てる。ヤマサ醤油が商品化に乗り出す見込み。納豆が原料なので安全性が高く、安く大量に生産できると期待される。
 インフルエンザウイルスの表面にはウニのとげのようなたんぱく質「ヘマグルチニン」が多数生えており、それが喉や肺の細胞表面にある窓口役のたんぱく質に結合すると感染に至る。
 ヘマグルチニンと受容体は鳥型同士、ヒト型同士で対応している為、N5N1型のヒトへの感染はまだ限定的だが、鳥型ヘマグルチニンがヒト型に変化すると大流行する恐れが高い。
 
 静岡大学の碓氷泰市農学部長や村田健臣助教授らは、受容体の偽物を作り、ウイルスを吸着して感染を防ぐことを発想。
 受容体の鳥型やヒト型の決め手となる糖鎖に、納豆のねばねばを原料とするポリグルタミン酸を結びつけ、吸着剤を開発。イヌの腎臓細胞を使った感染実験で、阻害性能が高いことを確認した。
 村田教授は、「現在、もっと強力な吸着剤を開発中。将来、医薬品として認められれば、スプレーや飴玉にも応用できる」と話している。(全文)

 静岡発の「発明品」が世に出て、効用が認められれば、研究者は勿論のこと大学にとっても名誉なことであるし、静岡県民にとっての誇りでもある。
 今後の研究開発の成果に期待したい。
 

これでは巨人軍優勝は永久にあるまい

2006年03月25日 | Weblog
 最近まで、民主党やトリノ冬季オリンピック選手団等の若気の至りによる拙速について多く議論されたことは周知のとおりであるが、この日本に於いては、超弩級老害というのも、現実問題として深刻である。

 このような恍惚の人が、日本を代表するメディアの主筆にいまだに居座っているとは、あまりに深刻な問題である。「XXグループ会長」という肩書きをお持ちになり、まるで「マル暴集団」の領袖並みの扱われようである。同時に、まあ何とも呆れた「贖罪史観」の持ち主であると感心すること頻りであるが、糾弾する前にその話に耳を傾けてみようではないか。

 戦争責任、国会で検証を 本社主筆、特派員協会で講演

 読売新聞グループ本社の渡部恒夫会長・主筆、二十三日、都内の日本外国特派員協会で講演し、先の戦争の責任について「歴代首相は優柔不断ではっきりとした謝罪の仕方を示さなかった。できれば、国会に戦争責任検証常任委員会を作ってもらい、国会のとして、意思表名をするのが一番良いと思う」と述べ、国会で戦争責任を検証することが望ましいとの考えを示した。

 諸外国への対応に関しては、「日本人自身が戦争責任に対して、はっきりした歴史検証をしなければならない」「日本は被害を受けた諸外国に対して、いい加減な詫び方をして来たが、歴史を検証した上で、過去の過ちを謝罪しなければならないと考えている」などと指摘した。

 中国などが謝罪をを求めていることについては、「日本人の大部分は、戦後に生まれている。その人間達に「詫びろ」「詫びろ」と言われていることに非常に矛盾を感じるが、歴史を調べてみると我々の先祖が残酷な戦争を始めたことは事実だ」と語った。(記事全文)

 この老骨氏は、北京から「渡部恒夫氏親展」で送られた外電を直訳して読み上げたものと推察する。こんな言い種は、大使館のワンワンの口移しにすぎない。これが、日本のマスコミのドンを自負する人間のすることか?。「貴殿は中国人か!」。
 そんなに中国に詫びたければ、大陸へ単身乗り込み「這いつくばって、詫びて回れ!」、注意しておくが、そのとき決して「わんわん」と言ってはなりませんぞ!。犬と間違えられれば「本当に獲って食われてしまいますぞ!」。

 格調ある冗談はさておき、このような「超人格者」をピラミッドの頂点とする「読売巨人軍の優勝」は彼が君臨する限り実現はしないであろうと確信する。この渡部氏の思考方法から推察すれば、まず、読売巨人軍の選手監督一同は(外国に比すべき他球団)に対して、理由も聞かされず、精神誠意ひたすらお詫びしなければならない義務を負うのである。そのようにして、戦意を殺がれてしまった軍団に、今度は「戦え、戦え」と叫んだところで、もはや「勝利」はあるまい。

 しかし、この球団はブランド・バリューのある高齢者の破格の獲得には特に熱心である(これを読売流人助けという)。これは、日本が中国に提供するODAと並び称されるもので、そのODAを使い核ミサイルを開発し、更に皮肉なことにはその照準を、読売新聞社本社や霞ヶ関、国会議事堂に合せ、もっと金を、もっと謝罪をと恫喝し続けるのであるが、一番いただけない「老害」とは、当の本人が「中国の工作員させられている」という自覚を持たないことに尽きるのである。

 この呈で、読売グループに春は来るのか?、最下位への恐怖とこの会長のチンプンカンプン贖罪史観で「読売新聞不買運動」すら始まりかねない気配である。

文部省唱歌

2006年03月23日 | Weblog
 今日は文学的に、まず、与謝蕪村の俳句に目を向けよう。

 菜の花や 月は東に 日は西に (与謝蕪村)

 与謝蕪村:江戸中期の俳人、画家。摂津の人。本姓は谷口、後に改姓。別号、宰鳥・夜半亭・謝寅・春星など。幼児から絵画に長じ、文人画で大成する傍ら、早野巴人に俳諧を学び、正風(しょうふう)の中興を唱え、感性的・浪漫的俳風を生み出し、芭蕉と並称される。著作「新花つみ」「たまも集」など。俳文・俳句はのちに「蕪村句集」「蕪村翁文集」に収められた。(1716~1783)広辞苑より。

 時は、立春を過ぎ、菜の花が咲く頃、春の日は一日ごとに伸びていくのである。この季節は、太陽が沈む前に、月が東から出てくるのである。天空の妙味ととともに、西から東を見渡すスケールを感じさせるに余りある俳句である。菜の花、夕暮れ時、天空のスケールを見事に謳いこんだ作品であり、夏の訪れへの期待が込められていると思う。

 何時ものことではあるけれど前書きが長くなってしまうのである。
 次に「文部省唱歌」「朧月夜」の歌詞を味わってみよう。

 「朧月夜(おぼろづきよ)」  作詞、高野辰之  作曲、岡野貞一

 菜の花畠に 入り日うすれ 見渡す山の端 霞み深し

 春風そよ吹く 空を見れば 夕月かかりて 匂い淡し

 里わの火影も 森の色も 田中の小路を 辿る人も

 蛙の鳴く音も 鐘の音も さながら霞める 朧月夜


 文部省唱歌に心打たれ、「感涙」するようになれば、「ぼちぼち老いぼれの域」に達したと他人を揶揄したことがあったが、最近ではこの種の歌がとても心に浸みる。
 私もやはり、いささか熟年の「センチメンタル・ジャーニー」なのか?。全く、青年老い易く学成り難しである。

 この曲の作詞者、高野辰之氏は長野県豊田村の文学者で、東京音楽学校の教授であった方だという。晩年、長野県長野県の野沢温泉で過ごされ、長野(信州)の自然をこの「朧月夜」謳い込んだのである。

 また、作曲者、岡野貞一氏は鳥取県出身で、東京音楽学校卒業後、同学校教授を経て、文部省唱歌を編集するとともに、多くの唱歌の作曲も手掛けられた。

 「この季節、菜の花畠にいると沈み行く太陽の光がうすれ、見渡す限りの山の稜線は霞が深くてぼやけている。心地よく吹いてくる春風を感じながら空を見れば、夕月が東に顔を出して、淡い春の香りが何とも言えない。

 里の方の民家の灯火も、森の色も、田んぼのあぜ道を辿って家路に向う人も、蛙の鳴き声も、寺の鐘の音もまるで霞んでしまっている朧月夜である」・・・・・とまあ、こんなふうに信州の片田舎の春の夕刻の情景が心に浮かんでくるのである。 素晴らしい、作詞作曲の文部省唱歌である。 

 

核など所詮道具

2006年03月22日 | Weblog
 我々はいつまでも「持たざる誇り」などと「自己満足」に浸っていてよいのか、世界情勢の変化を先取りしていく能力を身に付けてこそ、「民族」として存続が保障されるのではあるまいか。敗戦後60年も経つのに「負け犬ヒステリー・シンドローム」から開放されないのは、日本民族の悲劇である。いつまで、「自己完結できない国の国民」でいるつもりなのであろうか。『目覚めよ日本人!』と空しく叫ぼう。

 米ソ冷戦時代は、ソ連の崩壊をもって終結したことは、数学的な事実である。一方が消滅すれば、その方程式も自動的に消滅するもは当然である。
 ところが、背骨を骨抜きにされてしまった日本人は、「米ソ冷戦」時代の後に何が来るか、全く考えようようともしない。いよいよ未来永劫の平和が訪れると信じて止まないとしたら、大東亜戦争で何のために「原爆の洗礼」を受けたのかその意味も咀嚼していないことになる。一つの勢力の滅亡は、新たな勢力の勃興である。
 新しい勢力とは「中国」であるという認識は、日本人ならずとも世界が認めるところである。
 日本が先の大東亜戦争に負けたのは、単に「原子爆弾」を持つことができなかったからに過ぎない。もし、米国が原子爆弾を持つ前に、日本が開発していれば、今や日本は、米国に代わって世界に君臨していることであろう。人類の歴史とはこのようなものであると認識すべきであろう。先の大戦で日本が負けたのは、「勝ち抜くだけの知恵もないのに戦争した罪」、それしかないのである。決して、ナイーブであってはならない。

 前置きが長くなってしまったが、今日は傾聴に値する意見に耳を傾け世情を知ろう。(三月十六日、産経新聞正論、伊藤憲一氏の寄稿である):

 NPT体制の非現実性直視せよ

 核の論理が、冷戦後、そして米中枢同時テロの9.11以後様変わりしてきている。それにダメ押しをしたのが、今回の米印接近である。
 核拡散はもはや避けられない趨勢となった。プロメテウスがゼウスから火を盗んだ後、もはや人類を火から遠ざけることはできなくなったように、核もまた、これを未来永劫に封印することは不可能である。
 そもそも、知識や技術は必ず伝播するものなのである。加えて、地球規模でものごとが進むグローバリぜーションを背景として、「核の闇市場」まで登場している。
 「不安定の弧」といわれるユーラシア大陸の南縁に沿って、北朝鮮、中国、インド、パキスタン、イラン、イスラエルの六ヵ国が核兵器を保有し、或いは間もなく保有しようとしている。この現実を日本もまた直視する必要がある。
 ここまで書くと、「べき」思考の強い日本人からは「唯一の被爆国としてそんなことを認める訳にはゆかない。核は絶対に廃絶されるべきである」という反発の声が聞こえてきそうである。
 しかし、それゆえにこそ、私は主張したいのである。「べき」思考のまえに事実認識としての「である」思考がなければならないと。
 この点では、米国の核の理論がさまがわりしてきていることに先ず注目したい。米印接近は、そのことを物語って余りある。
 米国は、インドがその核施設を軍事用と民生用に二分し、民生用を国際原子力機関の査察下に置けば、米国はインドの原子力発電に技術や燃料を供給するというのである。
 一見、インドを核拡散防止条約(NPT)体制下に取り込もうとするかのごとき印象を与えるが、そもそもIAEAの査察は、民生用を口実に軍事用の核開発を進めることを防ぐことが目的であったのだから、軍事用を査察せずに、民生用だけを査察することなどは本来全く無意味なことである。
 これらのことは、全て何を物語っているかというと、米国の核の原理が転換したことを意味している。
 
 NPTが締結された1968年当時における米国の核の論理は、(1)米ソ英仏中以外の国の軍事用核開発を認めない。(2)それらの国が民生用核開発をする場合は、IAEAの査察下に置くというものであった。
 この論理を貫くために多くのアメとムチが用意され、日本もその圧力に屈した。
 このNPT体制は、米ソ核不戦体制ともいうべき「相互確証破壊(MAD)」体制と表裏一体の関係にあり、当時世界は、これを米ソの「コンドミアム(共同統治)」と呼んだ。フランス、中国が冷戦時代、ついにNPTに加盟しなかったのは、このためであった。
 このような米国の核の論理が、冷戦の終焉後も無傷残ると考えることには無理があった。
 ソ連が消滅したあと、米国はABM制限条約の破棄、包括的核実験禁止条約の拒否などを経て、2005年にはNPT運用検討会議を破綻せしめた。
 なぜ米国は、その核の論理を転換させたのだろうか。
 私は、もはやソ連の核の脅威を無視してもよくなったとの判断と同時に、NTP体制による核不拡散の確保が現実的ではなくなったとの判断が米国に生まれたためであると考えている。
 ブッシュ政権は、9.11直後の2001年12月に米連邦会議に「核戦略見直し(NPR)」を提出している。
 この報告書は、その内容が非公開とされたため、十分な注目を集めていないが、この広告書が米国の核戦略の転換を論じたこと間違いがない。
 米国は、すべての非核保有国を一視同仁するのではなく、敵味方を区別して、「グッド・ボーイ」の核保有は黙認するが、「バッド・ボーイ」の核開発はこれを全力で阻止するとの戦略に転じたものと思われる。
 しかし、この戦略転換はNPT体制の崩壊を糊塗する弥縫策にすぎず、核は長期的には拡散防止が不能となりつつあるのかもしれない。
 日本は、「核廃絶!」と叫んでいるだけでは、時代に取り残されてしまう恐れがある。
 今こそ日本もまた、核の現実を直視し、その戦略をもたなればなるまい 。(全文)

 まことに、傾聴に値する「伊藤憲一」先生のご意見である。あらゆる偏見を捨て真摯に核の問題を国民を挙げて議論し、国益のためにどうすべきか考えなければならないと思うし、先送りは国家存亡に関わる事である。

物怖じしない将軍と青年将校

2006年03月21日 | Weblog
「世界の王」新たな歴史 日本代表まとめた「誠実」 (共同通信) - goo ニュース

 今日は彼岸の中日(春分の日)、午前中は市内の神社で催された静霊神社での春の例大祭で日本国防衛の為、命をも捧げてくださった勇士の霊に誠を尽くすとともに、将来の日本国の安寧を祈念し、午後はこのWBCの対キューバ決勝戦をテレビ観戦したのであるが、実に感動した。
 常日頃高血圧に苛まれているため、脳の血管が爆ぜはしないかと心配するほど興奮して「王ジャパン」に声援を送り、日本チームは、ものの見事に勝利を「我が手」にしたのであった。心より優勝という栄誉を喜ぶとともに、王監督を初めとして選手各位に感謝したい。

 幼い頃、今は無き父親から、日本の国が「元寇」という国難に遭遇したとき、北条時宗を総大将とする鎌倉武士団は国運をかけてよく戦い元の侵略を阻止したのであるが、「神風」という自然現象も「日本国」に味方したといい聞かされたものであった。

 今回、思いもかけなかった「神風」とはアメリカチームを打ち破ったメキシコであったことは厳然とした事実である。「誤審」の仇を長崎で討ってもらったようなものであったが、それからの日本勢は、歴史の呪縛から解放されたような活躍をしたと思う。韓国の無礼とも思えるむき出しの闘志に打ち勝ち、今回のキューバ戦においても終始試合の主導権を握り続け、10-6という堂々の得点差で圧勝したのである。

 印象的だったのは、少々のミスにも動じない王監督の資質と、それを支えた有能な青年将校たるイチローであり、チャンスに強いつわもの達であった。最優秀選手に輝いた松坂、チャンスを確実にものにした福留、押さえのエース大塚等々、全員が素晴らしい若者達であった。彼らのおかげで、日本人である喜びに浸ったのは私だけではあるまい。

 王監督はじめ選手の皆さん「感動」をありがとう御座いました。そして、ご苦労様でした。WBCカップに刻まれる最初の優勝国「日本」は未来永劫消える事はないのである。

大和魂心揺さぶる

2006年03月20日 | Weblog
 王ジャパン、韓国に勝利決勝進出へ:(今日はこの話題を書きとめておこう)

 3月19日、第一回ワールド・ベイスボール・クラッシックにおいて、王貞治監督率いる日本は、今大会二度負けていた韓国に6-0で勝利し、決勝に進出した。トリノでの鬱憤が覚めやらない中、国民的関心が寄せられる中、見事に決勝に駒を進めたその成果に喝采を贈りたい。次の対戦はアテネオリンピックで金メダルを獲得したキューバと雌雄を決する。日本チームの健闘に対して、武運がありますよう祈りたい。


 王監督はこのようにコメントされている:
 
 ここまで大変苦しかったし、きょうも六回までしんどかった。福留のツーランでたまっていたものが一気に爆発した。本当によく打ってくれた。三度目の正直で日本の野球ができた。最高の一勝。自分の野球氏の中でも新たな一頁となった。決勝はこのままの勢いで一気呵成にいきたい

 尊厳守ったイチロー:

 イチロー外野手が、野球人の誇りを懸けた戦いに完勝した。試合前の練習で告げられた初の三番で三安打、二盗塁、一打点。そして、これまでの二度の苦い思いを晴らすような6-0の勝利。しかし自らも含め、日本の選手が感情をあらわにして、韓国ベンチに向けてガッツポーズをすることは一度もなかった。
 「当然でしょう。野球はケンカではない。そんな気持ちでした」。しかし、今大会における韓国選手たちの振る舞いには闘志を掻き立てられていた。
 例えば二次リーグで日本に勝利した後、太極旗をマウンドに突き立てた者がいた。この日、五打席目のファウルを補給した三塁手は、そのボールを打者のイチローに向って投げつけた。それ意外にも敬意を欠く行為が連続。大好きな野球が冒涜された、と強く感じていた。
 本当の強さやプライドは、プレーそのもので表現すべき。少なくとも、イチローの固い信条は日本野球で培われたものだ。勝つべきチームが勝たなくてはいけない。そのチームは当然僕等だと思っていた。今日負けることは、日本のプロ野球に大きな汚点を残すことと同じ」。
 韓国との三度めの顔合わせは、イチローにとってアスリートの尊厳を守る聖戦でもあった。
 そんな志に、日本代表のメンバーは完全に同調している。「本当にいい仲間ができました」。チームリーダーが、やっと満足げに笑った。

 韓国、リリーフ崩れ無念 指揮官「日本はパワフル」

 六戦全勝で勝ち進んできた韓国は救援軍がつかまり、無念の敗退となった。金寅植監督は「選手達は、大会を通して素晴らしいプレーをしてくれた。あらためて感謝したい」と表情を崩すことなく言った。
 先発の徐在応が好投し、過去二戦に続き終盤勝負に持ち込んだ。しかし、これまで八回一失点と活躍してきた具台晟が故障。手薄な救援陣が七回、日本打線につかまった。指揮官はそれを言い訳にせず、三戦目にして初めて敗北を喫した日本について「よくまとまっていたし、パワフルだった。うちより能力的に上なのでは」と讃えた。
 大会前、イチローが「向こう三十年、日本には手が出せないな、と。そんなそんな感じで勝ちたい」と発言したことに、過剰に反応した韓国関係者もいた。だが、決勝に進出した場合、先発予定だった朴賛浩は「決勝では日本に勝って欲しい。アキ(大塚)やイチローら友達がいるからね」とエールを送った。(静岡新聞)

 今回の敗戦において、韓国は意外にもクールにコメントしている。犬猿の仲も少しづつ大人の付き合いができるようになれば、好ましいものである。
 

恐ろしい次の一手

2006年03月19日 | Weblog
【中国】 「外資のM&A規制せよ」、統計局長訴え[経済] (NNA) - goo ニュース

 中国の統計局長からこのような声が聞こえて来るようでは、対中投資に危険信号が点滅し始めたと認識すべきか。

 週間文春三月二十三日号の記事の中に、「王子製紙二千億円史上最高の投資額 中国進出座礁の元凶」という記事が思い浮かんだので、コメントしておくことにする。

 最近、「政冷経熱」とはいえ、2004年末で、中国へ進出した日本企業は2万社にのぼり、2005年度の貿易額は二十二兆三千億ほどに達するという。そんな中で、王子製紙は、2003年に江蘇省の南通市経済技術開発区の二百万平方メートルという広大な土地(東京ディズニーランドの二倍以上)に二千二百億という巨額を投じて、年間六十万トンの塗工紙を生産する大プロジェクトが暗礁に乗り上げたままになっているとのことである。

 プロジェクトは、購入パルプから紙を造る設備とボイラーを建設する一期計画、一期計画の設備を増強し、更に木材チップからパルプを造る設備を増設する二期計画、二期計画の設備を増強する三期計画から成り立っており、一期計画の認可は、2004年12月末までに省政府から下り、北京の中央人民政府への登録も済ませ、王子製紙有限公司という現地法人を設立したという。

 ところが、ライバル会社に二期工事で計画していたKP設備の認可を先に取られてしまったという。このKP設備はパルプの生産を内製化するためにとても重要であるが、この認可を取るのは非常に難しく、この認可が取れないと、仮に一期計画を先行スタートさせたとしても、KP設備を持つライバル社には対抗できない。そのため、王子製紙は二期のKP設備の認可を取った上で、一期をスタートするべく方針を転換したのだという。

 一私企業がやっていることなので、批判すべきではないのだが、それにしても空前の対中投資を企てるにしては、甚だ計画が甘いという謗りを免れないだろう。ライバル企業の存在も周知のことであろうし、KP設備がなければ採算性すら危ぶまれるものを当初認可の段階でその計画に組み入れていないなどと、株主が聞けば背筋が寒くなろうというものである。

 二期計画の申請作業にとりかかった王子に対して、2004年7月、北京の人民政府は「投資体制改革に関する決定」を公布。この決定によって、従来、省レベルであった王子のプラントの認可が、国家発展改革委員会の審議を経て、中国政府最高の国家行政機関「国務院」の承認を受けなければならないと改定され、更にこのニ期計画の認可には、国家環境保護総局の環境アセスメントが義務ずけられ、それが承認されて始めて、江蘇省に申請できるというシステムに変わった。この困難さも何とか乗り切り、江蘇省に申請したら更に国家発改委と商務省が連盟で「外相投資産業市道目録」と発表し、「年間三十万トン以上の科学パルプ生産や高級紙生産は合資か合作に限る」という条項が付け加えられたという。

 或る中国人ジャーナリストの分析によれば、「現在、中国では外資企業に対する政策がちょうど転換期を迎えているのです。これまでは、外国企業を誘致した結果、国内市場を取られる代わりに、技術を貰おうとするいう考え方だった。しかし、実際の問題として、市場を取られた割に技術の進歩はそれ程でもなかった。結局、外資は安価な労働力を利用するだけで、技術進歩に貢献しておらず、外資企業に対する評価を規制すべきではないか、という考えが強くなってきた。また現在、海洋汚染問題が深刻で、そのため工場プラントなどについてはシビアに判断するようになった。
 従来、中国政府は外資が参入してくる場合、どれだけ投資額を持ってきたかが、評価の対象となっていた側面もありました。しかし、今では評価の対象が、金から環境への貢献度に変わったんです。。
 王子製紙の進出はこの中国の認識の転換期にすっぽり嵌まった形となり、当初の計画より遅れが生じたのでしょう」というのであるが。・・・・・

 中国へ進出する企業は、先ず中国への貢献という意味で、それ相応の寄付を強要されるのである。この王子製紙も重慶での植林のご奉仕を熱心に行い、王子製紙の社長はその功徳を評価され、江沢民主席と握手までしたという。ところが、この植林事業を巡って、党の共産主義青年団とトラブルになり、それが「江沢民主席」の面子を潰したのだという。これが、王子製紙の今回の惨事を引き起こしているという憶測も生まれているという。

 これは、中国に気に入られなければ、如何様ないちゃもんを付けて、排斥もされるし、それこそ世界の常識にも適わない様な法律を勝手に制定し、今日から外資企業を国有化するとでも宣言すれば、それが通るぐらいに思っていることであろう。 中国当局が農民から土地を収奪する有様をつぶさに眺めれば、不安を覚えない外国資本はないであろう。中国当局が略奪を企てるときの「社会主義の大儀」に基づいて正々堂々と略奪することであろう。

 中国人は、「外資企業は我々を搾取したが、何の技術も齎さなかった」と扇動され、ヒステリー状態にされれば、外資企業はそれこそ「袋の鼠」となろう。

 その昔、小谷攻めを目論んだ織田信長にたいして、「お市の方」が贈ったアズキの教訓を「他山の石」としなければならない。
 

至極当然な取り扱い

2006年03月18日 | Weblog
李登輝氏のビザ免除 政府「一般旅行者と同じ」 (産経新聞) - goo ニュース

 李登輝先生が桜の咲く季節に日本を訪問し、松尾芭蕉が辿った「奥の細道」を散策し、元日本人として、現在の我々日本人に「夕焼け小焼けの赤とんぼ」に凝縮される日本精神について講義してくださる旅に出るという報道は去年耳にする所であった。

 私も「李登輝先生将訪奥之細道」という題で日記をしたためたことを記憶している。それは、奇しくも愛知県で「愛地球博」が開催される折に、台湾人に無条件に三ヶ月の「観光ビザ」が免除されるという決定がなされた時の話である。
 それならば、李登輝先生もパスポートだけでいつでも日本を訪れ奥の細道に限定することはなく何処にでも旅行されればよいと素朴に思ったのであった。
 
 日本国外務大臣も、李登輝先生とて今や、一般の台湾人以外の何者ではないと公式に宣言したことは、主権国家として当然のことであるし、これに対して中国が「恐竜の図体に蚤の心臓」をもって、甲高く姦しくガタガタ言い出す前に、日本国として、断固とした意思表示したことは評価に値する。
 これは、麻生外務大臣が中国との間で一線を画してきた外交姿勢の偉大なる成果であると思うと共感に耐えない。また、杉浦正健法務大臣も「李氏はもう一般の民間人でであり、一般の旅行者と同じだ」と条件を付けない考えを表示したという。

 ようやく、日本国政府に中国に対抗していく気概が生まれたこと心地よく思うものである。

 あとは、李登輝先生が「松尾バナナ」のセンチメンタリズムに浸ってくださり、松尾芭蕉にアイデンティファイする「静けさ」が保証されるなら、この五月の訪日は殊更有意義な「里帰り」となることであろう。

 私は、李登輝先生の訪日を日本人として「心より歓迎する」一人であって、日本と台湾の歴史を再認識するよい機会になるのだと思う。
 

Cuando Caliente SHIZUOKA#34

2006年03月17日 | Weblog
 本来は、「情熱に燃えて熱い静岡」を書くコーナーであるべきなのであるが、今日は、情けないことこの上なしの「怒りに猛り狂った静岡の痴態」を書かねばならないとは何とも情けない。

 児童買春の藤枝の教諭 100人近くの画像撮影 成人向けサイトに販売:

 高校三年生の少女を買春して画像や動画を撮影したとして児童買春、ポルノ禁止法違反の疑いで逮捕された藤枝市立中学校の教諭MY容疑者(41)が、他にも百人近くの女性のわいせつ画像を撮影し、インターネットの成人向けサイトに一人分当たり数万円で売っていたことが十七日までに、富士宮署と県警少年課の調べで分った。
 同署は一月、成人向けサイトを運営していた磐田市篠原、会社員AS被告(47)=児童買春、ポルノ禁止法違反で起訴=を逮捕。S被告の自宅の捜査で、Y容疑者から購入した画像が入ったハードディスクを押収した。Y容疑者は数年前、ネット掲示板で画像提供者を募るS被告の書き込みを見て知り合ったとみられる。
 Y容疑者は出会い系サイトを通じて女性と会い、画像や動画の販売代金を使って買春や撮影を繰り返していたみられる。同署は他にも十八歳未満の少女が含まれていないかなどを調べている。(3月17日静岡新聞)

 巷には、数多ポルノグラフは出回っているいるのであるが、それにしても公立の中学校の教諭がそのいかがわしい画像の提供者であった(今のところ容疑者らしいが)とは、何とも世の中に示しのつかない事件である。これこそ、「盗人を捕らえてみれば我子なり!」といった類の笑って済まされる問題ではない。
 教師というのは、児童の売春を取り締まる側の人間である。それを、買春した挙げ句に、ビデオ撮影し、その道のブローカーに販売しては代金を得、更にそれを原資として、更なる買春とビデオ撮影をしていたとは、犬畜生にも劣る卑劣極まりない不道徳な行為である。その行為の媒体となったのが、インターネットだという。私もこの文明の利器を利用してブログなどを書いているのであるが、犯罪に結びつくような利用は厳に慎まなければならないと思う。

 今、この一教員の痴態が世間の目に晒されているのだが、もしやこの容疑者の取り巻きに共犯者が隠れてはいないか心配なのである。この際捜査当局はそのあたりについても、児童生徒に動揺を与えることなく「厳格」な捜査を行いこの種の「犯罪の芽」を完全に摘み取って頂きたいものである。また、教師は教師で同僚からこのような馬鹿者を出さない「自浄セイフティーネット」を構築すべきである。さもないと一人の「馬鹿者」が教師全体の「信用」を失墜させるであろう。求められるのは、早急な「自己組織健全化対策」である。