昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

野中古賀ラインをお怨み申せ

2005年10月10日 | Weblog
野田聖子氏「完敗を認める」 郵政法案に賛成を表明 (朝日新聞) - goo ニュース

 敗者の弁明とは、他人をお怨みすることに尽きるのである。いっそ「野中、古賀怨み節」でも高らかにマイクを持ち、伴奏をバックに演歌調の調べにして歌い上げたら、小泉首相とて「オペラ」には憧憬が深いのであるら、その「芸術度」に鑑み、恩赦の情も湧こうと言うものである。

 事此処に及んでは、野中、古賀への怨念を糧として、強く新生野田聖子をアピールすることである。「総連・・野中・・古賀」ライン上にある「朝鮮総連発人権擁護法案粉砕」を高々と謳いあげることに、唯一の存在価値を示すべきである。

 この方、政局に対して盲目であったことは、実に悔やまれる。大いに同情するものである。

The Parody

2005年10月10日 | Weblog
 パロディーとは、文学作品の一形式。よく知られた文学作品の文体は韻律をもし、内容を変えて滑稽化・風刺化した文学。日本の替え歌、狂歌などもこの類。また、広く絵画、写真などを題材としたものをいう。(広辞苑)

 10月4日参院予算委員会国会論戦より。
 質問者:小池晃氏、日本共産党

 障害者の負担増過酷:「障害者自立支援法案の負担増は過酷だ。複雑な減免制度をつくって、結局手元に生活費が二万五千円残ればいい、という制度。一日八百円で生きていけるか。」

 これに対して、小泉首相は、
 「きめ細やかな配慮をして複雑になった。収入がある人に一割負担をお願いしている。」

 共産党の主張というのは決まったパターンがあって、差別意識を「担保」として、理不尽な主張をすることにある。この者達の心の支え或いは心の拠りどころは、一体何処にあるのだろう。

 心理学者はこのような精神の持主を「人格破壊」と呼ぶのだと聞いた事がある。
 そういう私自身がまともな精神を持っているのか、分らないのであるが。この方々の言い種というのは、社会が悪いので、障害者(現在では身体障害者と精神障害者を併せてこう呼ぶ)ができるのであるから、社会は罪の意識をもって、彼らに償うべきだ。どうもこういう主張を一方的にしているように思えてしかたない。(中国人や韓国人が日本人を糾弾する方法をそっくり輸入したものか?)

 この小池晃氏、月額二万五千円では障害者に間のような生活を強いるようなものだという。 
 それに対し、尾辻厚生労働大臣が世の中には年収二百万という所得層がいる。この人たちの生活費が月額二万三千円であるから、そういった一方的な主張というものは如何なものかと諭すのであるが。全く聞き入れることはないのである。

 性格破壊人というのも自分の主張が、どれ程社会にとって有害であるか理解しないのであるから、困り者である。

 いいかい、日本国憲法がなんぼ自虐的であろうと、勤労と納税の義務は定められているのだよ。労働し、納税している障害者には失礼であるが、働かずに、障害者である事を理由に月額二万五千円支給されるなら、それこそ「障害者」の山ができるであろう。

 このような共産党の主張が社会正義なのか。障害者団体も、もう少し世人の心を打つ政党に権利の主張をさせるべきではないか。

 法外な議員報酬を戴いて、社会悪を煽るようならその前に障害者団体に給料の寄付でもしてみたら如何なものであろう。それこそ社会正義である。