昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

歴史教育正常化

2005年07月31日 | Weblog
扶桑社教科書 総社市の単独採択可能 文科相、地区離脱認める見解 (産経新聞) - goo ニュース

 この扶桑社の歴史教科書が出現する前までは、国旗、国歌についてまったく教えていなかったというのであるからまことに驚くべき事である。
 国旗国歌法が平成十一年に制定されるまで国旗=日の丸、国歌=君が代という定義が無かったといえばそれまでの話であって、(それまでこの重大な案件を放置しておいた国民と国会議員の責任であるのだが)
 それにしても、日本国民として国民としてのまとまりの象徴であるべき国旗及び国歌について教えない教科書ばかりが罷り通っていたのだから、日本人たる自覚も持てない無国籍人ばかりになってしまったとしても無理からぬところか。
 今思うべき事は、教科書検定制度言うは、中共と朝鮮半島の理不尽な要求をただただ平身低頭して聞き入れて、日本が独立国であるのも疑わしい歴史教科書の内容としてしまったのである。そんなに中国だの韓国を恐れるあまりその職責にも耐えられぬ者は、自らの手で己が首を括り給え。
 私としてもたいした知識はないのであるが、国歌については、平安時代の古今和歌集のなかに「我が君の千代に八千代にさざれ石のいわおとなりてこけの蒸すまで」読み人知らず。とあったものを、明治政府が一連の小学唱歌を創作した際、「我が君の」を「君が代は」と読み替えて唱歌としたものが、国歌という形に発展したと聞いている。国旗については、幕末の頃より艦船に日本船であることを識別するために、用いていた日の丸をそのまま援用してきたものだというくらいの知識しかないのである。
 この教科書を使用するにあたっては、韓国だの中国の激しい非難行動の中それにも見劣りしない国内左マキ連中の激しい妨害活動の中、正しい判断力を持ち、断固として採択された英断にエールを送るものである。
 パイオニアたる者は勇気あるものである。多くの市町村がこれに続けば喜ばしいことである。
 

カッコーの託卵

2005年07月31日 | Weblog
 二週間ほど前のことであるが、仕事で車を運転しながらラジオで聴いた話である。
 恥ずかしながら、いい年をして初めて「託卵」なる言葉を知ったのである。おまけに、実のところ「カッコー」という鳥の実物を知らないのである。
 「カッコー」のつがいは自分では巣をつくらず、別の種類の鳥の「愛の住み家」に留守をねらって侵入し、絶妙なタイミングで、既に生みつけてある卵の中に排卵し、員数分だけ先住者の卵を飲み込むなり、落とすなりして立ち去るのである。
 その後どうなるかといえば、カッコーの卵のほうが、先住者の卵より二、三日早く孵化するというのである。親がそのくらいずうずうしい鳥であるから、その雛とてずうずうしいというか残酷なることこの上ないのである。孵化するやいなや、先住者の卵を巣の外に落として排除するという習性があるのだという。
 せっせと餌を運び大苦労して育ててみたものの、育った子供は自分達の子ではなかった。
 この様にして、カッコーの託卵作戦はまんまと成功するのである。
 最初の犠牲者はオオヨシキリであったのだが気づかれるようになり、モズであるとかオナガに侵略の手が伸びているということである。ということは、その昔、この「カッコーの託卵」によって絶滅に至らしめらされた種も有ったかも知れない。
 何故、カッコーがこの様な形質を獲得したかについては、体温が低い為孵化させる事ができないからとか諸説紛々しているとのことであるが、真実は分からないとのことである。
 なんぼ鳥であるとはいえ、白い卵の中に黒い卵が混ざっていれば識別できるのであるから、ことを成功に導くコツはいかに相手の卵に擬態させるかという事に尽きるのだそうである。
 そして、擬態卵を生む能力はメスに備わっているのだという。これは、託卵の対象となる全ての種に万能な能力ではなくて、あるメスはオオヨシキリの擬態卵を生み、また、あるメスは、モズの擬態卵を産むというように、対象となる方向性が決まっているとのことである。恐るべき能力に驚かされるのである。
 好奇心旺盛な少年、少女は夏休みの研究課題としてみたらどうであろうか? 

  

国民として井戸端会議は許さぬ

2005年07月30日 | Weblog
首相の答弁内容を調整 反対派説得のテコへ (共同通信) - goo ニュース

 いいかい、無国籍をもって美徳としてきた国会議員諸君!間もなく馬鹿な君達のバランス感覚に対する平和ボケたる価値観への結論を君達の行動をもって下し給え。
 如何様な結論を帰結しようとも、圧力団体の手先たる思考停止した行動に基づく意思決定については、民主主義を標榜してきた国民にとっては、受け入れなければならない19対1の結論なのであろう。反対派よせいぜい抵抗するがよい。
 反対派の言い分とは、この様なものであろう。
 340兆もの日本国の貧乏人達が爪で拾い集めた虎の子を外国に食わせるようなら、天下りと談合を温存し、自分達も加わって、ゆくっり無知な国民の財産を食いつぶそうではないか。まさに、そういう意図をもって反対しているのではないか?
 正義の為に反対する所謂義賊たる人材が期待されない国会議員の中に存在するのなら、どのようにして、「外国のハゲタカから日本人の純血を守る」かを真剣に議論すべきであるのにそのような「マトモ」な論客は、野党、与党含めて唯の一人も居らないのであるから、ハゲタカ共は、心から喜んでいるであろう。
 郵政民営化は避けて通れない国際的時代の趨勢である事を咀嚼し、百戦錬磨のアングロサクソンの経済圏に対峙し、そこに参戦せざるを得なくなった以上、どの様にして「国民の財産を守るだけの才覚を確保するか」そのための策を練るのが「期待される国民の代表たる国会議員の立場」であると、基本教育しか受けていない身で思い至るのであるが、みなの衆如何なものであろう。


この悩みは日本だけか

2005年07月30日 | Weblog
「カネ、惜しくない」 ニート対策で厚労相 (共同通信) - goo ニュース

 何時もの事ながら、軽薄な酔っ払いの主張ゆえ、話半分或いは十、一位の価値しかないものであろうが、例によって、喚きたててみる事と致す。
 ところで、外国の先進国、アメリカ合衆国、カナダ、イギリス、ドイツ、フランス等の国において、この種の社会問題は発生していないのだろうか?
 もし、共通するようなこの種の社会的現象があるならば、厚生労働省なり文部科学省は、それらの国々と意見交換してみたら如何なものであろう。
 もし、先進国において、このような若者の自己喪失にもとずく心の病を今だかつて経験したことが無いというのであれば、これは、日本社会が固有に内在している病根に依る発症であろう。
 我が日本が戦後復興を遂げる段階において、とても不幸だった事は、戦前から敗戦に至るまで虐げられていた左巻きのクルクルパーな中共だの崩壊したソ連などと価値観の上で心中しても良いくらいの自己陶酔に陥っていた連中(この者達は精神的に出来損ないであったため名誉ある大和の戦士にもなれずに逃げ回っていた連中である)の無責任極まりない思想によって毒されてしまったことによる。
 武士の情けをもって、これら東京大学に籍を置いた左巻きのクルクルパー思想家達が生き延びさせられたことが今の何処の国の人間か分らぬような、自虐に満ち満ちた史観を国民に押し付け、本来なら夢と希望に胸を膨らませねばならない青春時代において、若者に夢を持つ事を許さず、ニートなる者に貶めている根本原因である。
 ここにおいて、日本国民は、東大に永久に謝罪させるべきである。「大体この方々は、公務員になって出身校も名乗れないくらいの自虐ぶりである」
 そのくせ、部外者には、「名を名乗れ」と恐る恐る要求するのである。
 

国民が納得する帰結

2005年07月28日 | Weblog
国連分担金削減の世論拡大 町村外相「常任理入りだめなら」 (産経新聞) - goo ニュース

 この町村外相たる人物、これ程日本国民のパーソナりティーを世界に対してその自らの顔をもって、遺憾なく発信しておられる。
 そういっては失礼なのであろうが、かつての日本の外務大臣に比べれば、遺憾なく日本の存在感を世界に知らしめしてくれていると思うのであります。
 かような国連分担金など、らちも無くその存在を恥も外聞も無く世界に知らしめようとしている中国共産党に押し付けてくださるよう切にお願いしたいのであります。
 かつての敗戦国であるドイツと口裏を合わせる形で是非とも、訳も分らず戦勝国たる地位を主張して憚らない中共に国連分担金を支払わせるよう段どってください。
 そうすれば、日本国民もサッパリとした気分になれると思います。 
 

日本国民たる自覚を持て

2005年07月28日 | Weblog
民営化に賛否交錯 盛岡、京都で公聴会 (共同通信) - goo ニュース
 
 いいかい皆の衆、拙者日本人たる自覚を持って、こと、この件に対しては、幾ばくかの後ろめたさを覚えるゆえ、言葉に出すこと控えてきたのであるが、ことここに立ち至った以上、腹を割って話し合うべき時であると考えるに至ったのである。
 談合罪なるものは、元来この大和の国に於いてはその定義すらない犯罪である。 この談合罪なるものを突き詰めてゆけば、政治家の意思決定でさえ、談合罪に抵触するのではないか。何故かと言えば、談合した上での団体による意思表示をもって政治判断とするからである。
 かようにこの大和に於いては、有罪であるか無罪であるかを判断するその根拠が分らなくなるほど、我々の記憶している歴史以前から大和民族に染み付いた物事の決し方が談合なのである。
 欧米の民主主義の根幹といえども、日本人の感覚をもってすれば、「談合」意外の何ものでもないのである。
 何故に談合というシステムが我が大和に馴染み深い習慣になっているかといえば、我が大和民族の存続理由に根ざしているからだと思い至るのである。
 その訳は、我々は決して単独なる血を持つ民族ではなくファンダメンタルたる国の礎となった基本の民族が遠路はるばる海を越へ来島した異民族たる新人を心温かく迎え、世界に例を看ない対外国語受け入れの為の、いわゆる日本語という文法体系を完成させ、現在に至っているのである。
 今でこそ、西洋起源の独占禁止法的観点での「談合」を問題にするのであるが、これはひとえに、最高学府を卒業させたのだから、そのくらいの対庶民に対して支配する特権があって当たり前であると思う親とそれに報いようとする馬鹿な息子が織り成す社会悪なのである。
 お分かりであろうか、皆の衆。
 その昔、日本人が凛としていた時代には、この様な道徳律が「お上」といわれる公僕の間にも躾として身についていた、しかし、その本来あるべき「お上」の精神が失われた以上、小泉純一郎首相の提唱なさる、財務の民営化を推し進めるべきである。
 差別という事に殊更敏感なみなの衆、国民が始末し貯蓄した虎の子を分けも分らぬ経理を許して、卑しくも談合させる為に使用させてはなりますまい。

 

大芝居(第十八幕)

2005年07月27日 | Weblog
造反封じピリピリ 民主「賛成・欠席なら除名」 (産経新聞) - goo ニュース

 このような夜更けに、一体何なのであろう「コト」という物音が聞こえなかったか?貴公!

 拙者、些か耳の感度が寄る年波に抗しきれず落ちまして、聞き取れませんでしたが、万が一の事があってはなりませぬ故、外回りの異常の有無を看て参りまする。
 御前、かような矢文が玄関先の柱に突き刺さっておりましたぞ!
 いかような内容のものであるか、読み上げまするゆえ、暫しお待ちを。
 
 して、その矢文なるものの内容たるや如何なるものぞ。早うわしに読み聞かせてみよ。

 ほほう、これはこれは、文学愛好家たる我が意を得たり、では読み上げまする。
 「うらぶれば身も浮き草の根も絶えて誘い水あらばゐなんとぞ思う。(詠み人知らず)」
 これはこれは、平安朝の相聞歌(恋文)でありまするぞ。

 貴公よ。わしはそのイングリッシュならば、その~我が両親の功徳により些かの嗜(たしな)みがあるのであるが、大和言葉の素養については多分に欠ける所があって、理解に苦しむのであるゆえ、如何ばかりの内容なのか?ひとつ、解説してもらえぬか?

 お~御前よ、拙者とて学生時代にはエスパニョールに傾倒していたしましたるゆえ、専門家では御座りませぬが、おそらくこの様な意味で御座りましょう。
 「寂しい身の上になった今の心境では、わが身とて浮き草の如く根も地に着いてはおりませぬ、貴方様が如何ばかりでも私のことを御気に懸けて下さいますならば、この期に及んで何の迷う事が御座いましょう、貴方様の元へ参る所存に御座ります。女子(おなご)の私にこの様なことを告白させるお方は実に心憎く、女子たる私のほうからこの様な文を差し上げるなど、わが身を思い恥ずかしゅうございます。道長殿」

 で、この矢文どの方向から飛んで参ったのじゃ?

 隣の参院殿(さんいんでん)の方からと察せられまする。これは、敵方の造反分子から御前宛の熱いメッセージであろうと察せられまするが。どの様に取り扱ったら宜しいものかと存じまするが?

 ならば、我が方も矢文をもって返信いたそうではないか。道長卿に当てられたものであるなら、わしとしても、知性と教養を持って返信せねば「脳ミソ」の程度を疑われるのである。この様な返歌は如何であろうか。
 「この世をばわが世とぞ思うもち月の欠けたることの無きを思えば。清少納言殿」。これでどうであろう?

 御前、知性と教養については、実に申し分御座らぬものと感じ入るものでありまするが、些(いささ)か強権だの強引だのという「御批判」を浴びねば良いと心配するものでありまするが。

 個人的な取引ゆえ、我が方の信用度を誇張したほうが好ましかろう。先ほど打ち込まれた矢にこの返歌を括りつけ射返してやるがよかろう。
 しかれば、彼らも大船に乗ったことを実感するであろう。全てはこれ戦略であると心得るべし。

 されば御前、早速に射返しまする。
 
 
 

事の本質を知るヒント

2005年07月26日 | Weblog
継続、再修正なしを確認 郵政法案で自民党執行部 (共同通信) - goo ニュース

 皆の衆、拙者などは実に自制心の無い輩ゆえ、ドクターストップがかかっているにも拘らず、飲まずにはいられない愚かさを思い、日々自責の念に駆られているものである。
 従って、何時もながらの拙い日記に対して、万が一にでも読者に行き当たるなら、万事中の幸いである。
 皆の衆も新聞、テレビ等で周知のことであろうが、日本道路公団副総裁内田道雄なる人物が逮捕され、やれ天下りだの、完成談合だの汚職だのと実に騒がしいのであるが、この様な日本社会を根本から蝕むような、当事者から言わせれば「必要欠くべからざる社会悪」が何故起こるかといえば、通常、個人が社会活動(契約、商行為、消費行為等)を行えば、果たして自分が「損をしたか得をしたかを考えながら事に当たる」こんな事は、生活していく上で最低限の「必要条件」である。難しい教育など受けずとも、生まれたときから本能的に持っている資質なはずである。
 民間の営利事業を営むものは、その営業の正当性を第三者に対抗する為、事業の採算については、公認会計士とか税理士とかに管理させ、自らの正当性を世間に対して問い、経営能力を誇ることをもって生きがいとするのである。
 ところが、本来なら、国民が食いたいものも食わず、着たいものも我慢して少しづつ溜め込んだ340兆もの金を拝借して、使うものが自ら決算し、正統なものとして、堂々と国民の前に居座っている。本来その事業の収支なるものは外部の独立した監査機関がおこなうべきものである。
 現在のシステムのおいては、国民の虎の子を、勝手に使い放題使い、自分のポケットに入れても何ら責任を問われない。そのようなふざけた状況を放置しておいて良いのか皆の衆!
 地方の郵便局が無くなるかもしれないなどと戯言を弄す政治家は、オコボレに預かっている心貧しいトモガラである。
 この酔っぱらいめは、小泉改革が明日の日本の発展の礎になることを確信しているのである。

少年の夢を有難う

2005年07月25日 | Weblog
 文部科学省が、このたび最大演算速度が10ペタフロップス(1秒間に1京回=10の15乗)の次世代スーパーコンピューター「京速計算機システム」の設計、開発に着手する事を決めたとのことである。手始めとして2006年度予算に10億円を盛り込むとということである。総事業費は8百億から1千億程度になるという話である。2010年の完成を目指し、完成の暁には、アメリカのスーパーコンピューターがもつ世界最速タイトルの奪回に挑むという話である。現時点の比較であるのでなんとも言えないのであるが、何でも、73倍の処理速度になるらしい。
 この科学技術の競争などというもの、とても日進月歩などと言っていられるだけのゆとりも無いような世界らしい。
 2年半までは日本が世界一と高をくくっていたのだが、現在では四位に成り下がっているとのことである。
 この世界では、日本国少年の夢に賭けて是非とも2010年には世界最速のスーパーコンピューター完成に向けて頑張っていただきたい。
 この種の科学技術において、世界の最先端を走っていると国民に自覚させ、元気を与える事が政治の重要な使命の一つであろう。
 大いに期待したい。(静岡新聞夕刊を参考にした)

大芝居(第十七幕)

2005年07月23日 | Weblog
 貴公、こうして差しつ差されつ酒を飲み交わすのも久しぶりのことじゃのう。酒というのはまことに良いものである。日頃の憂さを一時とは言え忘れさせてくれるもの故、有り難いものじゃ。
 ところで貴公、中共だの北朝鮮だのについては随分と手厳しいのであるが、こと韓国の話になると途端に脇が甘くなるのであるが、何かその分けありなのか?白状いたせ。
 
 御前よ、拙者再三再四申し上げて居るではないか。支那については、華夷思想というものが虫唾が走るほど性に合わぬ故、大嫌いで御座る。
 あのような人民統治のイデオロギーは現在では崩壊してしまって存在理由すら疑わしい共産主義に名を借りた、中共という名称の軍部専制国家なのであります。
 紫禁城の門前に写真を掲げて祀られている創始者たる人物は自国の人民の公称二千万とも三千万ともいわれる尊い命を奪った上に現在の国家を打ち建てられた人であると聞き及んで居るのである。
 西洋は、ナチスドイツの悪名高き殺戮王たるヒットラーも遠く及ばない天文学的な数値である。
 またこの御仁は、所謂日中戦争当時日本軍とも深い交流を持ち、建国にあたっては、日帝の統治手法が大いに参考にするところであったと日本に対して、多大な感謝の念を表しておられるのである。
 この人物の弟子である小平氏あたりまでは日本に対して尊敬の念がいくらかはあった。しかし江沢民に至り、反日をもって、国是とするようになったのではありますまいか。
 そして、現在に至り益々もって、不戦をもって国是としている無抵抗能無し国家を相手にドンキホーテの如き誇大妄想狂的反日に拍車をかけているのである。日本国民として、実に物狂おしいくらいに惨惨たる事態であると思うのであります。
 それでは、何故韓国に対して好意を持って居るかと言えば、拙者の日記を盗み見した御前には察しがお付きであろうが、四年間の学生時代に、たいそう美人であった在日韓国人の友が熱く自国の事、韓国語の事等を韓国人としてその誇りを持って語ったことをよく覚えているのであるが、当時、これ程の愛国心とプライドを持った人々はきっと国を発展させるであろうと素朴に感じていたのであります。
 今般、サムスンがソニーをヒュンダイが日産を追い抜いたというニュースを聞き及ぶにつけ、なるほどとあらためて感じ入ったのであります。
 日本がこの先も、「ゆとり教育」などと称し無気力で空ろな何処の国の人間か分らぬような人材を創り出すようなことを標榜していれば、近い将来韓国人に支配される国に成り果てるかもしれない。
 日本人は、ここにおいて明治の先人達が抱いた国家像を思い起こすべきである。資源もない国である以上地球上で生きていくには、国民一人一人が学にいそしみ知能を啓発するしか道はないのである。
 そうで御座ろう。御前!

 まあ、貴公よ、飲むほどに饒舌になるのう。まさに「酔っ払い弁士」である。
 そのー、件(くだん)の韓国美人じゃが今頃どうしておられるのかのー。
 そこもとの恐妻に比べれば、後悔は先にたたずという諺どおりの悲劇じゃな。お察し申す。
 
 御前、さような見識は全くもって、心得違いの事と再認識すべきに御座ります。 
 大体男子たるもの、一時の見栄にて「妻を娶らば才長けて見目麗しく情けあり」などと申して女子(おなご)を旨く吊り上げた「シテヤッタリ」と感激するのであるが、同時に「シテヤラレタ」ことに気が付かないのであるから、愚かなることこの上ないのである。
 亭主として「妊娠」を告知されたら、それが「大いなる妻害」のスタートラインに立ったのであり後は、あり地獄で恐竜にせめられる様な日々が続くのである。
 これは、余談になりまするが「気管炎」というのは、気管支炎とか肺炎という類の病気ではなくて、「恐妻家たる亭主の悲哀」を表現しているのであります。同音異義語の「妻管厳」をもじったものであります。なにせ男としての対面を特に女の前では誇示していなくてはならぬため、「妻管厳」などとはとても書けないのであるから、風邪をひいて「気管炎」を患っていると男同士お互いに誤魔化しあうのである。
 中国の男共もこの程度の不甲斐なさなのであります。因みに「気管炎」「妻管厳」どちらも(チークアンイエン)この様にお読み下され(妻が厳しく亭主を管理するという意味)。
 昔美人であった韓国人の彼女、必ずや筋金入りの「カカア殿下」となられたであろう。相手が日本人であれ韓国人であれ心中お察し申し上げる。
 
 ほほう、わしとて大いに可能性があることゆえ、心して掛からねばなるまい。クワバラ、クワバラ。


耐え難きを耐え忍び難きを忍ぶの報

2005年07月22日 | Weblog
サムスンがソニー上回る 米誌のブランド番付 (共同通信) - goo ニュース

 自惚れ日本人にとって、これ程自尊心を傷つけられるニュースは無い。
 我々はコスモポリタンを自負する民族であるゆえ、先ずもって、サムスンがソニーの風上に立ったこと、ヒュンダイが日産をまくった事を心よりお喜び申し上げる。

 今の今まで、このアジアにおいて、往年のソニーブランドが他のアジアの国のブランドの風下に立つことなど有り得ぬ事と高を括ってきた欺瞞の結果である。国家としてとしての国力を高めることに国民一人一人がaidentifyさせてきた国の底力がここに至って発現しているのだと思う。「おめでとう韓国国民諸君」。
 しかるに、我国においてはどのような価値観をもって国民に対する教育が行われて来たかと言えば、出来る事なら、日本人に生まれるのではなかった。
 その昔、世界情勢が厳しき中における自己防衛戦争であり、まさに正当性をもった戦争であったとは思い至るのであるが、中共様の仰せの通り、我々自らの自虐妄想狂をもって償いますゆえ、全くご迷惑をおかけしなかった世界中の方々に対しても、我々は、金ヌキされた宦官であることを自覚し、皆々様に対して、蔑まれ続ける事をお誓いいたします。
 日本国憲法をご覧下さりませ、確かにそのように記載されている事をご確認ください。
 地球規模でこれ程馬鹿げた国民というものも、他に例をみないであろう。世界に向かって我々は丸腰である。従って、貴方方の軍事力をもって侵略される事苦しゅう御座いませんと声高らかに謳っているのである。
 本来なら、誇り高き日本人を育成すべき「日教祖」の大会における「決議文」というのがまことにふるっているのである。「憲法改善反対」「教育基本法改善反対」全く自分達の「身の上」も自覚できない「頓珍漢」集団であります。
 国民に誠実であるべき「国会議員」はこの様な日本国の反違反分子を一掃する手立てを考えるべきである。日教組の首領など日本人拉致を行った北朝鮮と大変親交が厚いとのこと、日本国公安はしっかりマークすべきである。
 この様に、自国がまるで悪者であるかのような反国家分子に国家の将来を委ねてはなりません。国民一致団結して国民の誇りを取り戻し、せめて、アジアの頭脳集団となろうではないか。

この血の気を見習うべし

2005年07月21日 | Weblog
扶桑社教科書採択 韓国マスコミ、非難の大合唱 「阻止募金」に政府職員も参加 (産経新聞) - goo ニュース

 この新聞記事を読めば、恒例の反日運動たるやまさに超国家的祭典となっているらしい。逆説的に思い至るのであるが、我々日本人の血に、もうちょっとだけ余分この方達の血が流れていたなら、この様な理不尽な要求に対して逆切れして応戦するであろう。

 今は昔、二千年ほど前には琉球から日本列島、朝鮮半島南部に及ぶ原日本語というべき言語圏が既に形成されていたと言われています。現に魏志倭人伝の文中にも倭人の文化圏は朝鮮半島の南部も含まれると記載しているのである。
 朝鮮半島北部の野蛮人ならいざ知らず、我々東アジア海洋文化圏に住まっていた民族は、外界に対して開かれた大らかな民族性を持った人々であったものと想像されます。そういう他民族を迎え入れながら共に発展していくという理念はこの日本語の言語構造のなかに色濃く残っているのであります。我々日本民族はその知恵を異種の言語圏から流入する人々が容易に仲間になれるような、地球的規模でみても画期的な文法形態を創造したことを誇りとすべきです。
 日本文化たるものこの様な雑多な言語と文化の持つ人々が融和しながら磨きあげつつ創り上げ現在に至っているものである故、根本において好奇心旺盛な自由人の文化である。
 
 大陸で醸成された、権力が国民を理不尽なイデオロギーで縛りつけるような文化は民族意識としても到低受け入れられるものではないし、逆にそのように権力に縛られていないと安心できないような国民性がこの地球上に存在する事を思い知らされるにつき、そのような国民性を自慢している国の人々を心より軽蔑するものである。

 自分達の思い上がった華夷思想に基づき他国に馬鹿げた価値観を押し付けようとする。まさに中華の毒にしてやられた輩の愚行である。

 三十年以上も前の話になるのであるが、学生時代席を同じくして学に勤しんだ大変美人であった在日韓国人の友が切々と訴えたこと(韓国は、中国から文化的にも言語的にも離れたかったという思いからハングル文字を考案した。この文字は韓国語の音と意味を表記するまさに理想的なものである)
 そして、一メートル二十センチ程のなんという名の琴かは忘れてしまったが、その琴を奏でながら「アリラン」を歌い聞かせてくれたことを懐かしく思い起こすのである。

 その昔、我々は同じ言語を話す仲間であったことをDNAに訴えかけ、思い起こされるが宜しかろう。

外国の情報で知る危機の愚

2005年07月20日 | Weblog
中国軍「確かな脅威」に 米国防総省が年次報告書 (朝日新聞) - goo ニュース

 こういう、日本国の存続にとって、その存続をも危うくするかもしれないであろう最重要事項である情報が同盟国を通してしか伝わって来ない、というのが我が国民諸君よ!「この上ない悲劇であるし、絶望感に苛まれる事態ではないのか?」
 この中国の軍拡による将来の被害を予想すれば、我が大和が最大の被害国になること「請け合いである」
 よくも我が大和は、たかだか、支那あたりからこれ程までに、虐げられておらねばならぬのか考えてみたまえ。
 これは、ひとえに、ある反国家教育団体が我が国民に対して害国人の被害妄想を根拠とする日本人非国民教育をガイコクの立場に立って用意周到に懇切丁寧に執り行って来た功績である。
 (この偉大なる成果により我国は精神的に)男は宦官に女は纏足にされ、そのことにも気づかされずに、中京だの正日だのの手先になることに現を抜かし、訪朝、訪中の愚を自らの誇りとして、弄しているのである。
 冷静にことの顛末に興味をもって見守っている第三国の観衆は、よくも日本人も「ここまで愚かな民族に成り果てたものである」と腹を抱えて笑っているのである。
 これでは、近い将来「中京の旗」が我が国土の上に立っていても不思議ではあるまい。
 我が同胞よ、早く日教組なる者を正日、だの胡綿淘のもとに送り届けようではないか。最も返品される確率のほうが遥かに高いかもしれない。それ程の能無しか君達は?
 このように、日本人の日本人たる誇りをも奪い去った。此の者達は、北朝鮮による同胞の拉致さえも非難せずに正当なものと許容しているような態度が、教育者としての資質かとその愛国心を疑うのである。

大芝居(第十六幕)

2005年07月19日 | Weblog
医療費補助に公費18億円 大阪府教職員互助組合 (共同通信) - goo ニュース

 露と落ち露と消えにしわが身かな難波のことも夢のまた夢 (太閤秀吉 辞世)

 五奉行、五大老殿、ほんまにもってお名残り惜しゅう御座る。
 この世に生まれ出でし、前世からの縁(えにし)をもって太政大臣などという大役を勤めさせて頂くはめに立ち至ったので御座るが、この齢(よわい)間もなく尽きるであろう、つい先だってまでは、各々方が先に召されたとしても、みどもに対しては、前世の功徳により、最後にお呼びがかかるものと確信して居ったのじゃが、やはりこれが宿命なのであろう、心ならずも受け入れねばなるまいのう。わしも、大いなるお方が、我子なる者を持たせてくださらねば、安心して弘法大師の御袖の下にみまかる事些かの迷いも無かりしものを。
 ひ、秀頼が事慮(おもんばかる)に不憫で不憫で、この世への執着いかようにも、その執着禁じ得ないので御座るよ、誠にもって哀れなものじゃのう。
 おお、我が腹心たる三成よ我が意志を継ぐべし。
 そして、内府殿この天下はこの秀頼が元服いたすまで、貴公にお預け申す「なにとぞ、秀頼こと宜しゅうおたね申し候、お名残り惜しゅう候」

 なにを仰せらるるやら、太閤殿下、さような事、ご心配に及ぶことご無用に御座る。
 拙者、真心込めて殿下のご心配に対する返歌なるものを、お返し進ぜよう、一度しか申さぬ故、よくよくお聞き召されるが宜しかろう。
 「逢いみての後の心に比ぶれば昔はものを想はざりけり、昔はものを想はざりけり」

 な、何と内府殿、古典派じゃのう「雨月夜話」の「道長卿」を恋うるの歌で御座るか。「清少納言」の想い大いに味わい深いのう。
 して、逢ったお方というは、わしのこととして、昔はものを想はざりけりとは、如何なものであるか、ここに馳せ参じたる他の五奉行四大老の前で包み隠さず申してみよ。

 拙者、間もなく身罷られる御前を前にして、申し上げるのも気が引けるので御座るが、分り易く申し上げれば「御前にお会いするまでは天下を取ろうなどとは微塵も想はなかったのでござるが、事此処に及び、俄かにその気になったということで御座ります。しかし、安心召されよ、秀頼殿の行く末責任もってお世話させて頂くゆえ、安心して成仏なされよ」

 貴公、いささか乱心したのではあるまいの。太閤臨終の場にわしを立ち合わせるとは、一体如何なる了見じゃ?

 他意は御座利ませぬのじゃ、御前。ただ大阪(おおざか)のニュースと聞いて昔を思い出しただけでござる。ところで、「日教組」たる者共にも反教育的な集会を持つに当たりこの種の金銭の出費があってはならるものと思い、陳情させて頂こうと存じただけで御座りますゆえ、猿芝居にお付き合い願っただけでありまする。

 わしを、かようにハラハラさせるとは、貴公、はなはだ人が悪いではないか。わしこそ「人呼んで不死鳥である」以後よくよく見知りおくべし。

 パウエル元長官とも旧交を温められましたし、韓国を通して「じょんいる」君が御前に投げキッスを送って来たとか、全く、御前は隅にお方であらせられるよ。
  
 ほほう、貴公、本音が出たな!誠に苦しゅうないのである。
 

常任理事国入りと愛国心

2005年07月17日 | Weblog
 おそらく「国際連合」などと国際的共同体であるかのような表現をしているのは日本だけであろう。
 United Nations, Nationes Unidas とかもっと露骨に「五ヶ国同盟」とか「連合国同盟」と表現している国が大部分であろう。第二次世界大戦でドイツ、日本を敗戦に至らしめた同盟五ヶ国軍事連合という意味であり、日本人が夢見ているような「国際」などという意味合いは微塵もない。依然としてドイツと日本は敵国となっているらしい。
 いつまでも日本を敵国扱いして置きたい支那などは絶対に拒否権を発動し続けるであろう。日本が拒否権のある国連常任理事国になれることなど「夢のまた夢」の話に違いない。今朝の静岡新聞が組んでいた読者の投稿を集めた記事に依れば、「なれぬでもあろうし、なったところでまともなお付き合いはでぬであろう」という冷静な意見が大勢である。およそ、世界平和などというもの各国の軍事バランスによって釣り合いが保たれているというのが現実なのであります。それを、日本国憲法の平和理念により常任理事国に就任するなどとは「現実離れした戯言」と言わねばならない。自前の軍事力という担保なくして考えるべき事ではありますまい。
 常任理事国になりたいなどという前に、軍隊という観念も持てぬ国が世界広しといえども、他にあるのか無いのか、政治家は説明責任を果たすべきである。
 ついこの前、自衛隊がサマワに駐留する際、武器を持って行って良いだの悪いだのと世界から大笑いされる議論を弄して送り出したくらいの国柄である。言葉の遊びとしての議論にも品位というものがあってしかるべきであろう。何処から弾が飛んできてもおかしくない場所に行くのは日本人である。日本の政治家は、人質を提供するぐらいの価値観しか持ち合わせてはいないのだろう。これでは同胞として、派遣される隊員が気の毒である。
 日本は20パーセントもの国連分担金を拠出しているのだから、常任理事国入りは当然と主張しているのが所謂支持派の立場なのであろうが、実はこれは、軍隊も持たずアメリカ人の血を持って平和を買っている代価の一部であると解釈したほうがよい。いま、日本の借金が国地方合わせて1000兆円に達したという悲観的なニュースがついこの間流れたばかりであるが、これは、ひとえに無防備無責任国家の国民たる我々に対して突きつけられた、自らの血を持って民族の存亡に命を懸けてこなかった事への代償である。もっと早くに、自分の国ぐらいは自分の甲斐性で経済的にも軍事的にも守るという決断をしておれば、金の使い方も覚えたであろうし、外交能力も身に着けたであろう。国を挙げて日本再建に取り組む時が来たことを実感するものである。
 また、我が愛読紙たる静岡新聞は「愛国心教育は必要か」という各界からのアンケートに対する回答の特集を組んでいる。6割がたの方が程度の差はあれ「必要」と回答なされているのであるが、その中で、中国出身の方の意見に耳を傾けてみれば、「中国は発展途上国のため国を強くしたいとの思いを子供の頃から持たせる必要がある。だから愛国心で団結を図る事は正しい。日本でも、国民の関心が個人的なことばかりに集まるのは良くありません。国の方針や政策を適切に批判する事も、愛国心の表れだと思います。国を愛すると同時に地球レベルの視点を持ち、人類愛を育てることも忘れてはなりません。」とこの様に仰せなのであります。今私達に求められているのは人類愛以前の日本人たる自覚であり、まとまりなのである。
 自国に対しての「愛国の情」も有るのか無いのか分らない国民が「ナショナリズム」だの「イデオロギー」の国際社会に対処していけるかどうか考える事もなかろう。
 国際社会で通用したいと思うなら、先ず自国に対して誇りの持てる国民でなければならないし、一国家として完結できる憲法を持った国でなければならないであろう。