懐かしい 言葉だわ ずっと前に 忘れていた でも あなたを見たとき 時間だけ後戻りしたの 幸せと聞かないで 嘘つくのは 上手じゃない・・・・・・SWEET MEMORIES
これは松田聖子が歌って大ヒットした「ペンギンソング」であった。古き良き時代が走馬灯のように駆け巡る。
これは、かつて自他共に日本の価値観を創造していると信じて疑わなかった某新聞社を偲ぶ歌でもある。今日は、かつての「栄光の新聞」の社説に目を遣ろう。
教育基本法「愛国」をゆがめないか:(逆を言えば、「売国」ならまっすぐか?)
小泉内閣は教育基本法の改正案を国会に提出した。与党は連休明けに特別委員会を衆院に設け、審議を急ぐ方針だ。
今回の改正論議は、00年に首相の私的諮問機関が教育基本法の見直しを提言して始まった。それを受けて、中央教育審議会が「郷土や国を愛する心」などを盛り込むように答申し、与党が文案づくりの協議を重ねてきた。
論議が始まって六年になる。与党の検討会も3年に亘った。与党の中でさえ、なかなかまとまらなかったのは、愛国心をどう捉えるかが、それだけ難しい問題だったからだろう。
国を愛する心は人々の自然な気持ちであり、何ら否定すべきものではない。
しかし、その愛し方は人によってさまざまだ。法律で定めれば、このように国を愛せ、と画一的に教えることにならないか。私たちは社説で、そうした疑問をなげかけてきた。
こんな疑問を抱いている人は少なくないだろう。すでに教育現場では、どう教えるのか、愛国心を成績として評価することになるのかといった戸惑いが広がっている。国会で政府はまず疑問や不安にきちんと答えてもらいたい。
教育基本法は、戦前の教育勅語に代わる新しい教育の指針としてつくられた。
教育の機会均等、男女共学などの理念を掲げた11条から成り、「教育の憲法」と呼ばれている。
改正法案では、生涯学習、大学、家庭教育などの項目が加わり、条文が18に増えている。だが、与党の協議では、教育の目的に「愛国心」の言葉をどう盛り込むかが専ら焦点だった。
愛国心を入れたい自民党と、愛国心が戦前のような国家主義につながることを恐れる公明党がせめぎ合った。その結果、伝統と文化を育んできた我国と郷土を愛するとも表現になり、「他国を尊重し」という言葉も加えられた。
それでもなお心配が尽きないのは、ひとつには、気に入らない相手に「愛国者ではない」と決め付ける嫌な風潮があるからだろう。
イラクで人質になった日本人が自衛隊派遣に反対していたとして、自民党議員が国会で「反日的分子」と非難した。韓国や中国に強硬姿勢を取らなければ、「売国」だと言わんばかりの論評も目立つ。「売国」や「反日」というレッテル張りがひどくなっている。
基本法の改正が、こうしたゆがんだ愛国心に拍車をかけないだろうか。
教育は国の将来につながる重要な政策である。その理念をうたう基本法は憲法に準ずる重い法律だ。
「国を愛する」を教えるとはどういうことかその影響はどうなのか。更に今の時期に基本法を変える必要は何処にあるか。
さまざまな分野の人たちの意見に耳を傾け、各地で公聴会を開くなど丁寧な審議が求められる。野党と論議を尽くすことは言うまでもない。(全文)
巷で「売国新聞」と揶揄されている己が姿を鏡を通して少しだけ見ることができるようになったとは、彼らの時空間が現実離れして、すこぶる「ゆっくり」と流れているとはいえ、「一ミリ」の進歩は隠しようも無い。
本来、この「売国新聞」が「愛国」を語ること自体、自己規律をもって「タブー」としなければ、存在自体が危ういことが分らないとは実に不幸である。
日本人の教育における「愛国」とは日本人としての「アイデンティティー」にその基礎を置かねばならない。
然るにこの「売国新聞」の身の寄る辺は中国人や朝鮮人の「アイデンティティー」であろう。そして、おこがましくも、そのいかがわしい「アイデンティティー」を日本人に強要しているにも拘らずそれを認めたくないと言う矛盾に気が付かない馬鹿馬鹿しさが更なるギャップを読者との間に生むのである。
NHKも半官半民の報道機関であるが、巷では「売国放送」などと呼ばれている。そのNHKが「日教組」の言い分をまるで日本国民を代表するかのように報道した「教育基本法改正案」を批判したニュース内容とそっくりな社説である。もはや、NHKはGHQの代弁者たる任務は終わっているにも拘らずスタッフはそれに気付いてはいない。遠からず「国営放送」に変身する運命にある。
世界は走馬灯のように転回するのであるが、同じ模様は二度と現れることは無いのだから、過去から脱皮できないものには自滅しか残されてはいない。
これは松田聖子が歌って大ヒットした「ペンギンソング」であった。古き良き時代が走馬灯のように駆け巡る。
これは、かつて自他共に日本の価値観を創造していると信じて疑わなかった某新聞社を偲ぶ歌でもある。今日は、かつての「栄光の新聞」の社説に目を遣ろう。
教育基本法「愛国」をゆがめないか:(逆を言えば、「売国」ならまっすぐか?)
小泉内閣は教育基本法の改正案を国会に提出した。与党は連休明けに特別委員会を衆院に設け、審議を急ぐ方針だ。
今回の改正論議は、00年に首相の私的諮問機関が教育基本法の見直しを提言して始まった。それを受けて、中央教育審議会が「郷土や国を愛する心」などを盛り込むように答申し、与党が文案づくりの協議を重ねてきた。
論議が始まって六年になる。与党の検討会も3年に亘った。与党の中でさえ、なかなかまとまらなかったのは、愛国心をどう捉えるかが、それだけ難しい問題だったからだろう。
国を愛する心は人々の自然な気持ちであり、何ら否定すべきものではない。
しかし、その愛し方は人によってさまざまだ。法律で定めれば、このように国を愛せ、と画一的に教えることにならないか。私たちは社説で、そうした疑問をなげかけてきた。
こんな疑問を抱いている人は少なくないだろう。すでに教育現場では、どう教えるのか、愛国心を成績として評価することになるのかといった戸惑いが広がっている。国会で政府はまず疑問や不安にきちんと答えてもらいたい。
教育基本法は、戦前の教育勅語に代わる新しい教育の指針としてつくられた。
教育の機会均等、男女共学などの理念を掲げた11条から成り、「教育の憲法」と呼ばれている。
改正法案では、生涯学習、大学、家庭教育などの項目が加わり、条文が18に増えている。だが、与党の協議では、教育の目的に「愛国心」の言葉をどう盛り込むかが専ら焦点だった。
愛国心を入れたい自民党と、愛国心が戦前のような国家主義につながることを恐れる公明党がせめぎ合った。その結果、伝統と文化を育んできた我国と郷土を愛するとも表現になり、「他国を尊重し」という言葉も加えられた。
それでもなお心配が尽きないのは、ひとつには、気に入らない相手に「愛国者ではない」と決め付ける嫌な風潮があるからだろう。
イラクで人質になった日本人が自衛隊派遣に反対していたとして、自民党議員が国会で「反日的分子」と非難した。韓国や中国に強硬姿勢を取らなければ、「売国」だと言わんばかりの論評も目立つ。「売国」や「反日」というレッテル張りがひどくなっている。
基本法の改正が、こうしたゆがんだ愛国心に拍車をかけないだろうか。
教育は国の将来につながる重要な政策である。その理念をうたう基本法は憲法に準ずる重い法律だ。
「国を愛する」を教えるとはどういうことかその影響はどうなのか。更に今の時期に基本法を変える必要は何処にあるか。
さまざまな分野の人たちの意見に耳を傾け、各地で公聴会を開くなど丁寧な審議が求められる。野党と論議を尽くすことは言うまでもない。(全文)
巷で「売国新聞」と揶揄されている己が姿を鏡を通して少しだけ見ることができるようになったとは、彼らの時空間が現実離れして、すこぶる「ゆっくり」と流れているとはいえ、「一ミリ」の進歩は隠しようも無い。
本来、この「売国新聞」が「愛国」を語ること自体、自己規律をもって「タブー」としなければ、存在自体が危ういことが分らないとは実に不幸である。
日本人の教育における「愛国」とは日本人としての「アイデンティティー」にその基礎を置かねばならない。
然るにこの「売国新聞」の身の寄る辺は中国人や朝鮮人の「アイデンティティー」であろう。そして、おこがましくも、そのいかがわしい「アイデンティティー」を日本人に強要しているにも拘らずそれを認めたくないと言う矛盾に気が付かない馬鹿馬鹿しさが更なるギャップを読者との間に生むのである。
NHKも半官半民の報道機関であるが、巷では「売国放送」などと呼ばれている。そのNHKが「日教組」の言い分をまるで日本国民を代表するかのように報道した「教育基本法改正案」を批判したニュース内容とそっくりな社説である。もはや、NHKはGHQの代弁者たる任務は終わっているにも拘らずスタッフはそれに気付いてはいない。遠からず「国営放送」に変身する運命にある。
世界は走馬灯のように転回するのであるが、同じ模様は二度と現れることは無いのだから、過去から脱皮できないものには自滅しか残されてはいない。