昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

SWEET MEMORIES

2006年04月29日 | Weblog
 懐かしい 言葉だわ ずっと前に 忘れていた でも あなたを見たとき 時間だけ後戻りしたの 幸せと聞かないで 嘘つくのは 上手じゃない・・・・・・SWEET MEMORIES 
 これは松田聖子が歌って大ヒットした「ペンギンソング」であった。古き良き時代が走馬灯のように駆け巡る。

 これは、かつて自他共に日本の価値観を創造していると信じて疑わなかった某新聞社を偲ぶ歌でもある。今日は、かつての「栄光の新聞」の社説に目を遣ろう。

 教育基本法「愛国」をゆがめないか:(逆を言えば、「売国」ならまっすぐか?)

 小泉内閣は教育基本法の改正案を国会に提出した。与党は連休明けに特別委員会を衆院に設け、審議を急ぐ方針だ。
 今回の改正論議は、00年に首相の私的諮問機関が教育基本法の見直しを提言して始まった。それを受けて、中央教育審議会が「郷土や国を愛する心」などを盛り込むように答申し、与党が文案づくりの協議を重ねてきた。
 論議が始まって六年になる。与党の検討会も3年に亘った。与党の中でさえ、なかなかまとまらなかったのは、愛国心をどう捉えるかが、それだけ難しい問題だったからだろう。
 国を愛する心は人々の自然な気持ちであり、何ら否定すべきものではない。
 しかし、その愛し方は人によってさまざまだ。法律で定めれば、このように国を愛せ、と画一的に教えることにならないか。私たちは社説で、そうした疑問をなげかけてきた。
 こんな疑問を抱いている人は少なくないだろう。すでに教育現場では、どう教えるのか、愛国心を成績として評価することになるのかといった戸惑いが広がっている。国会で政府はまず疑問や不安にきちんと答えてもらいたい。
 教育基本法は、戦前の教育勅語に代わる新しい教育の指針としてつくられた。
 教育の機会均等、男女共学などの理念を掲げた11条から成り、「教育の憲法」と呼ばれている。
 改正法案では、生涯学習、大学、家庭教育などの項目が加わり、条文が18に増えている。だが、与党の協議では、教育の目的に「愛国心」の言葉をどう盛り込むかが専ら焦点だった。
 愛国心を入れたい自民党と、愛国心が戦前のような国家主義につながることを恐れる公明党がせめぎ合った。その結果、伝統と文化を育んできた我国と郷土を愛するとも表現になり、「他国を尊重し」という言葉も加えられた。

 それでもなお心配が尽きないのは、ひとつには、気に入らない相手に「愛国者ではない」と決め付ける嫌な風潮があるからだろう。
 イラクで人質になった日本人が自衛隊派遣に反対していたとして、自民党議員が国会で「反日的分子」と非難した。韓国や中国に強硬姿勢を取らなければ、「売国」だと言わんばかりの論評も目立つ。「売国」や「反日」というレッテル張りがひどくなっている。
 基本法の改正が、こうしたゆがんだ愛国心に拍車をかけないだろうか。
 教育は国の将来につながる重要な政策である。その理念をうたう基本法は憲法に準ずる重い法律だ。
 「国を愛する」を教えるとはどういうことかその影響はどうなのか。更に今の時期に基本法を変える必要は何処にあるか。
 さまざまな分野の人たちの意見に耳を傾け、各地で公聴会を開くなど丁寧な審議が求められる。野党と論議を尽くすことは言うまでもない。(全文)

 巷で「売国新聞」と揶揄されている己が姿を鏡を通して少しだけ見ることができるようになったとは、彼らの時空間が現実離れして、すこぶる「ゆっくり」と流れているとはいえ、「一ミリ」の進歩は隠しようも無い。
 本来、この「売国新聞」が「愛国」を語ること自体、自己規律をもって「タブー」としなければ、存在自体が危ういことが分らないとは実に不幸である。
 日本人の教育における「愛国」とは日本人としての「アイデンティティー」にその基礎を置かねばならない。
 然るにこの「売国新聞」の身の寄る辺は中国人や朝鮮人の「アイデンティティー」であろう。そして、おこがましくも、そのいかがわしい「アイデンティティー」を日本人に強要しているにも拘らずそれを認めたくないと言う矛盾に気が付かない馬鹿馬鹿しさが更なるギャップを読者との間に生むのである。
 
 NHKも半官半民の報道機関であるが、巷では「売国放送」などと呼ばれている。そのNHKが「日教組」の言い分をまるで日本国民を代表するかのように報道した「教育基本法改正案」を批判したニュース内容とそっくりな社説である。もはや、NHKはGHQの代弁者たる任務は終わっているにも拘らずスタッフはそれに気付いてはいない。遠からず「国営放送」に変身する運命にある。

 世界は走馬灯のように転回するのであるが、同じ模様は二度と現れることは無いのだから、過去から脱皮できないものには自滅しか残されてはいない。

母の一念山を動かす

2006年04月29日 | Weblog
米大統領、横田さんと面会 「拉致解決、働き掛け強めたい」 (産経新聞) - goo ニュース

 子を思う親の気持ちは天よりも高く海よりも深い。子を持つ者として、国策として拉致をおこなってきた北朝鮮などを地球上に存在させておくこと自体悪であると思うし、拉致被害者の方々の心中を察して察しきれるものでもないのであるが、早く事態が好転することを願わずにはいられない。

 北朝鮮の拉致という犯罪を国際的な大問題として世界に認識させたのは、この横田滋、早紀江さんご夫婦の愛娘めぐみさんをはじめ他の被害者への思い、金正日北朝鮮への憎しみを決して諦めることなく訴え続けた「強靭な精神力」であると思う。
 日本国内はもとよりアメリカ、韓国等世界中に訴え続け、今回ついにブッシュ大統領に面会して「拉致問題」をアピールしたのである「この一途な思いと行動力」は日本人の鏡であり、親子の絆とはかくあるべきと思い知らされることしきりである。

 静岡新聞は、横田早紀江さんがブッシュ大統領と面会が叶った顛末をこのように伝えている:

 「ブッシュ大統領に会いたい」早紀江さんは訪米を決めた三月中旬、内閣府の拉致被害者連絡室担当者からワシントンで面会を希望する相手を聞かれ、そう答えた。
 日本政府にとっても、面会が実現すれば、拉致問題を世界に訴える絶好の機会となる。被害者家族に近く、対北朝鮮強硬派として知られる安倍晋三官房長官・斎木昭隆駐米特命全権公使のラインが動き出した。
 ハードルは高かった。米側は当初「大統領は被害者本人でなければ会わない」と回答した。
 「早紀江さんも被害者だ」。安倍氏は四月十九日、知己のハドリー米大統領補佐官に電話でこう訴えた。安倍氏は大統領と親しいシーファー駐日大使にも仲介を依頼。大使はテキサス州出身で、同州を地元とする大統領と大リーグ球団テキサス・レンジャーズを共同経営するなど、親友の間柄だった。
 ワシントンでは斎木氏が加等良三駐米大使らと連携し、クラウチ大統領副補佐官に「大統領に会ってもらえないか」と要請。クラウチ氏から「面会OK」の回答が返ってきたのは十九日、安倍氏との電話だった。・・・ということである。

 この横田早紀江さんのブッシュ大統領との面会を叶えた安倍晋三官房長官(安倍チームというべきだろう)の実績は実に大きいものである。時期総理への貴重な得点になること間違いなしであるし、早紀江さんも感謝したことであろう。ブッシュ大統領にとっても国内向けのホットニュースであったろうし、なにより世界に「北朝鮮の国家犯罪としての拉致」をアピールできたのだ。
 しかし、我々が願うことは、「一刻も早い被拉致者の救出」である。(北朝鮮に踏み込んで被害者を奪還できない日本国憲法の不甲斐なさよ)

 それにしても、北朝鮮にもまして憎むべき国は「中国」である。「中国」が国際的視野に立ち「正義」を執行するなら、拉致問題などたちまち解決できる立場にあるし、その力もあるのだろうが、一向に腰を上げる気配は無い。「アメリカが経済制裁を止めないから六ヵ国協議もままならない」などと、いつも通りの「とぼけ放題」である。

 先日中国へ出向いた「メッセンジャーボーイ氏」は、中国のお言いつけ通り、アメリカに「対北朝鮮への金融制裁を止めろ!」と表明するのであろうか。
 

和製中国人の限界

2006年04月27日 | Weblog
中国脅威論 山崎氏へ反論 全人代委員長 (産経新聞) - goo ニュース 

 この山崎拓氏という御仁を見るにつけ、よほど頭が悪いか、さもなければ、中国に「キンタマ」を握られ身動き出来ない捕虜となってしまっているのではないかと大いに同情するものである。

 中国人の「中国馬鹿」たる所以は、「脅威でない」と発音すれば「それは現実としての脅威ではないことの証明」であると他国を信じ込ませることが出来ると信じて疑わないことであろう。
 また、中国人のこうした馬鹿馬鹿しい性向は、この山崎氏のセンチメンタリズムとぴったり「アイデンティファイ」している。彼も、素朴な「言霊信奉者」で、日本人が(現実を見て正直に)中国の軍拡が「脅威であるというから、それは脅威となるのである。もし、それは脅威で無いと言えば、脅威とはならない」などと現実離れした頓珍漢をさも御尤もに発言した「日本の大政治家」なのだ。・・・・・これでよく国会議員はおろか「先の副首相」が務まったものだと、腰を抜かすほどたまげたものである。それもこれも、「ピンボケ平和国日本」ならではの珍事であった。

 それに、小泉純一郎首相の靖国参拝問題を万年一日の如く非難され、「知恵を出して解決を図りたい。それなりに努力している」と述べたという。・・・・何たる体たらくなことか?。

 彼は健忘症を患っているのか?。中国に出発する前、こともあろうに、この大和の地で、日本国民に「小泉首相は、8月15日に必ず靖国神社を参拝するであろう」と自信満々に(朋友)小泉首相の性向を解説して見せたのを、中国人の顔を見た途端コロッと忘れてしまったのだ。このように中国人を見るや萎縮して人事不省となるのが媚中派(和製中国人)の特質なのである。

 また、北朝鮮問題について武次官が「金融制裁で譲歩しない米国を説得してほしい」と山崎氏に求めたという。流石に山崎氏がどのように応対したかは記されていないのであるが、現実的には北朝鮮の「金目の物」(鉱物資源や権益)は殆ど中国が買い占めてしまっているという。中国にしてみれば、北朝鮮にこれ以上金を与えても取り上げるもの(代物弁済の対象)がないという。そこで、虫のいい中国は北朝鮮に韓国、日本、米国に脅しをかけさせて「金銭」をせびらせる作戦に出たものと察せられる。その「メッセンジャー・ボーイ」を買って出たのがこの「和製中国人」山崎氏なのである。自覚して演技しているなら本当の「売国奴」であるし、知らずに利用されているなら本当の「馬鹿」である。・・・・・誠にもって、「恥を知れ!恥を!」
 

自民は在日無国籍の代弁者か

2006年04月26日 | Weblog
教育基本法 改正案を自公了承 日本会議など反対決議 (産経新聞) - goo ニュース

 ここで素直に「愛国心」を日本民族の「アイデンティティー」として教育基本法に盛り込めないということになればこれはもはや「公明党」と「社民党」などの「非日本人」勢力に「日本の教育の魂」ひいては「日本人の魂」を売り渡すことに他ならない。
 これからこの「教育基本法」が国会の場で審議されるであろうが「どの党が日本人と日本国の立場」を死守するかしっかりと見守りたい。

 このような将来の日本人の頭蓋骨と背骨の礎を構成する重要法案に対し、「爪の垢」ほどの「対立軸」の主張して無国籍三国人を志向するなどという「チンドンヤ政党」がいるとしたら、その政党には「明日は無い」という引導を日本人が言い渡すと思い知るべきである。

世界中から足元を見られる日本

2006年04月26日 | Weblog
米軍再編負担3兆円 「途方もない額」と安倍長官 (朝日新聞) - goo ニュース

 安倍晋三官房長官も半ば「自暴自棄」で我が日本の不甲斐なさを自覚した言葉として真摯に受け止めたい。
 そうなのである「自国の防衛」も放棄して、「世界に冠たる日本」などと自己愛に陥り、鏡に映る我が醜さに目を反らせてきた亡国の民のいかんともし難い現実の姿がここにあるのである。日本はもはや国家の呈をなしてはいないのだ。

 韓国に領土を占拠されて「話し合い」、中国の潜水艦にに「領海を侵犯」された際、爆雷の一つも落として威嚇できないどころか「国籍不明の潜水艦が誤まって領海内に迷い込んだ」などと惚けたコメントを発表し、アメリカにはアメリカ人の血で日本を守ってあげているのだという裏判も押してない「手形」で横っ面を殴られ何の抵抗も出来ずにただただ言いなりになって、要求されるままに、なけなしの金をせびられ続けるのであるが、もはや国家財政は破綻してしまっていると国民に説明してきたにも拘わらずの勇断であるという。

 果ては「在日朝鮮人勢力」に押し切られ、肝心な日本精神(愛国心)すら「教育基本法」に織り込むことも出来ない。この国は一体誰の国なのか?。耐震偽装など、とどのつまり「創禍」の後始末を「日本人」に強要するものではないのか。ふざけた教団の代表が国務大臣に就任していて、フランス国などからは「カルト国」などと揶揄されているのである。

 この際、「安倍長官」は国土防衛の軍隊を内製化した場合と現在のように、あてにもならないらないアメリカに外注した場合とどちらが「国益」に沿い「経費節約」に供するか試算してもらいたいものである。

 因みに今回の竹島問題などは、日本政府が公式に領土を侵犯された場合は先制攻撃もありうると日本の権利を世界に発信すれば片が付く問題である。今回は外務省の能無し外交官が安倍長官の決裂を辞すなという指示を無視して、独断で「見合わせ」を「中止」などという詭弁を弄して安易に韓国に妥協し、日本を貶めたのであるが、「断固国土を防衛する」という意志が韓国側に伝わらないばかりか、「能無し日本」という先入観を相手に植えつけてしまったのは万年の悔いを残し、尚且つ我々の子孫がその無能の果実に苦しめられるのである。

日本政府に返す言葉は無いのか

2006年04月25日 | Weblog
「竹島は主権回復の象徴」 韓国大統領 領有権、改めて主張 (産経新聞) - goo ニュース

 このような馬鹿者どもを前に「冷静に対処」などという、もっともらしい言葉を吐き相手を更に就け上がらせるのは「日本の能無しぶり」を世界中に宣伝しているようなものである。

 いつの間にか日本は喧嘩の仕方も分らなくなってしまったらしい。(明治の元君はこのありさまをあの世から眺めさぞかしお嘆きであろう)
 事の起こりは、竹島近海の海洋調査を韓国は既に終えていて、日本の領海の海底に韓国名の名称が付けられては大変と、今回の海洋調査は日本にとって土壇場の決心であったはずである。
 それならば、如何なる事情があろうとも、何故に「測量」という具体的な「行動」に打って出なかったのか強い憤りを感じるのは私だけではあるまい。確かに日本が「測量」という挙に出れば「拿捕」するだの「撃沈」するなどと韓国が脅迫したことは確かである。しかし、この場面で脅されたから引き下がったと韓国はおろか国民に思わせてはならないというのが「日本政府」の立場ではないのか。
 日米安保条約でも日本の領土、領海、領空は日本人自らの力で守るべきことが規定されているのである。 竹島は歴史的に見ても日本の領土であると公言することを憚らないのであるから、今すぐに領土奪還の軍事行動に出ても正当な行為であるはずである。

 少なくとも相手が軍事的要塞化して占拠しているのであるから、「話せば分る」などと冷静を装うのは単なる負け犬の「おためごかし」である。尚且つ竹島不当占拠と海洋調査問題を、相手の挑発に乗り「ごちゃ混ぜ」にしてしまう稚拙さである。

 何故に取るに足らない韓国がかように高飛車に日本を屁馬鹿にするかといえば、彼らはいつでも交戦できる軍隊を持っているからである。たかだか数万の韓国軍に日本人一億三千万人が脅されて、ただ「オタオタ」している様は、とてつもなく滑稽である。(これを日本国憲法の功徳という)

 この様を隣で目を細めて見ている中国だの北朝鮮は「次は俺らもこの手で行こう」と手薬煉引いて「出番」を待ちわびているのだ。そして、腑抜けな日本はその都度侵略され萎えて行くのである。
 このままでは、「竹島は日本国主権の喪失の象徴」になりかねない。外交とは、時には武力を使って戦うことに他ならない。それが分っているだけ韓国人のほうが遥かに「お利口」である。

Cuando Caliente SHIZUOKA#40

2006年04月24日 | Weblog
 今日の副題:邦子お嬢ちゃんよ目を醒ませ!

 小泉首相が猪口邦子氏を少子化担当の国務大臣に任命したのは大いなる「お坊ちゃん芸」であったというべきであろうが、この猪口氏は事の外職務には熱心であるとお見受けする。しかし、些かことの本質からピンボケしている所があり、その魅力を十分に発揮できずにおられることは、誠にもって残念というほかは無い。

 少子化対策で自治体と連携 猪口氏が強調(平成18年4月23日静岡新聞)

 猪口邦子少子化担当相は二十二日、煙山力文京区長、黒須隆一八王子市長ら東京都内の自治体首長と少子化対策をめぐり都内で意見交換した。
 昨年十二月からスタートした自治体との協議「ブロック会合」は十ヶ所目の今回で終了。猪口氏は会合で「子育て世代に寄り添う政策をどう示せるかが勝負だ。自治体とスクラムを組んで、少子化問題に変化をもたらしたい」と述べ、国・地方一体で少子化対策に取り組む必要性を強調した。(全文)

 以前(2~3ヶ月)前に、確か読売新聞の記事に、「大家族に対して、優遇税制を適用する」という記事を見掛けたことがあった。これは、老人対策の一環として述べられていたことか或いは高齢者が孫の面倒をみるという発想で述べられていたかははっきりと記憶はしていないのであるが、大家族で生活する家族という「生活単位」に対して「優遇税制」を適用すれば、老人にとっては孫の面倒を見なければならないという使命感が生きがい(ボケ防止)にもなろうし、子供は子供で年寄りの知恵を学ぶこともできるし、先輩ひいては祖先を敬うという生活態度をも身につけることが出来るであろうし、若い夫婦も安心して「仕事に励む」こともできるであろう。

 戦後、良し悪しを精査することなく、何が何でも、「アメリカ・イズ・ベスト」と闇雲に核家族化を推進し年寄りを忌み嫌ってきた日本社会であったが、この辺で日本の伝統に基づく「家族ルネッサンス」を再考し「回帰」してみたら如何であろうか。

 男女共同参画社会の構築も大切であるが『老若共生社会』を創り出すことも、よりいっそう大切なことであると「確信」するのであるが、私は「ピンボケ」なのであろうか?。
 最近の心無い青少年の犯罪を見るにつけ、幼少期においては、年寄りの真心を子供たちに教え込むことが、まっとうな人格を形成する手助けとなること必定であると察せられる。 

「話し合いが全て」という弱腰

2006年04月23日 | Weblog
「竹島」日韓合意 次官会談 韓国名、提案せず 今回の海洋調査中止 (産経新聞) - goo ニュース

 「測量を遂行する」という本懐を遂げる意志も無く話し合いで譲歩とは何たる醜態であるか。歴代の政権が国家意識もないまま漫然と惰眠を貪って、国民にすらこの竹島をめぐる帰属が韓国との間で係争中であるという事実を隠蔽してきたことは、もはや取り返しのつかないほど深刻な事態である。

 今や韓国はこの竹島を軍事要塞化し、付近の海域での日本漁船の操業さえも排除しているという。しかも竹島(韓国名:独島)の領有権を主張し、反日感情を高揚させるための観光ツアーさえ行われているという。

 それにも増して不幸なことは日本国民が自国の領土を侵犯されているにも拘らず、政府が告知義務を怠って来たがゆえの禍根なのだが、竹島が何処にあるのかも知らないのである。今朝報道2001を見て呆れたのであるが、60代の日本人でさえ、樺太を竹島だと言ってみたり、台湾と勘違いしたり、甚だしきは小笠原諸島を指して竹島という始末である。それに引き換え、韓国人はほぼ間違いなく竹島は日本海に存在していると答えている。中韓に歴史問題で執拗に攻撃されるうちに日本人は何処に自国の領土があるのかすら分らなくなってしまったのか。

 韓国は1954年から竹島に軍隊を常駐させているのだという。既に半世紀に亘り不当占拠状態にあるのだ。しかも30年間もこの海域の測量すら日本は行なってはいない。今回日本側が測量しようと計画したのは、竹島自体が含まれている訳でもなくその北側の海域である。それを韓国に脅されて、体よく引き下がってくるとは何という不甲斐なさであろうか。このように国民の前では「国際法上何の遠慮も無く測量する権利がある」と事を起こしたのであるから、初志貫徹、行動を起こすべきではなかったか。このような弱腰が「日本国を益々萎えさせるのである」。

 この顛末に対する『官房長官談話』は:

 安倍晋三官房長官は二十二日夜、竹島周辺の海洋調査をめぐる日韓両国の合意について「国際法にのっとって両国が互いに冷静に対処し、円満に解決しようとした努力の結果だと理解する。今後も韓国と話し合いを通じ、未来志向に友好を築いていけるよう努力したい」とのコメントを発表した。

 不良少年韓国に対し大人の日本が冷静にコメントしたかに聞こえるのであるが、事は、「正当な国際法上の測量の権利への妨害と我が領土の不法占拠」に対する「オトシマエ」の話としては、「甚だしく不適切であると思う」。あくまでも日本の感情を込めるべきではなかろうか。

 日本人もこの辺で「話し合いが全て」という国が「武力行為も厭わない」国に外交的に勝てるか、この際よく考えてみるべきである。外交交渉は軍事的裏づけが無ければ成り立たないことに気付くことが肝要である。
 

アイデンティティー(IDENTITY)

2006年04月22日 | Weblog
 ところで、盛んに「アイデンティティー、アイデンティティー」と叫ばれている割にはその意味というものが、横文字ということも相まって年配の輩には周知徹底されてはいないようである。

 「アイデンティティー」とは、人格における存在証明または同一性。ある人の一貫性が時間的・空間的に成り立ち、それが他者や共同体からも認められていること。自己の存在証明。自己同一性。同一性。(広辞苑)

 またこの「アイデンティティー」という語は「アイデンティファイ(identify)」という動詞から派生した名詞である。そもそもの意味は二つのものがぴったりと重なるという意味らしい。
 私などは「学問の遅れから、重ねる」という意味の他動詞かと学生時代から恥も外聞も無く思い込んできたのだが、一義的には「重なる」という「自動詞」である。これを、他動詞的に使用するにはlet identify というような使役の動詞と複合させないと「同一化」させると表現できないのだろう。

 因みに、中国では「アイデンティティー」を「自己認識」と翻訳することに決めたらしい。彼の国の言語は日本語のような柔軟性というものが無い。従って「唯一の意味」を為政者が定義しなければ、国中が「チン・プン・カン・プン・シンドローム」に堕ちいってしまう。誠に繊細にして硬直した悠久の言語なのである。だから、彼らに「応用問題」は決して解けまい。

 なんと、この愚僧はまた余計なことを言い過ぎてしまった、「なにとぞ、南無阿弥陀仏!、南無阿弥陀仏!」。


 それでは本論に入ろう。今日の話題は平成8年4月20日付、「産経新聞」からいただこう。

 「国を愛する『態度』」を『心』に! 修正3点求める:教育基本法で民間団体など

 教育基本法改正の与党案が公表されたのを受け、自民、民主両党などでつくる教育基本法改正促進委員会、民間教育臨調、日本会議国会議員懇談会などは十九日、国会内で合同懇談会を開いた。
 各団体は政府・与党に対し、「愛国心」を「国を愛する態度を養う」と表現した与党案について、「態度」を「心」に変えるなど三点の修正を求めていくことで一致した。
 修正要求はこのほか(1)与党案から外された「宗教的情操の涵養」の明記(2)教科書検定訴訟や国旗国歌反対運動の根拠とされてきた現行法の「教育は、不当な支配に服することなく」の主語を「教育」から「教育行政」に改めるの二点。
 今後、与党国会議員に対する署名運動を行うことなども検討する。
 総会では「国を愛する態度では、子供たちに面従腹背を教えるようなもの」(自民党議員)「宗教的情操の盛り込みに反対しているのは、宗教界では『創価学会』だけ」(日本宗教連盟関係者)「『不当な支配』という文言で責め立てられ、自殺した校長がたくさんいる」(現役校長)など、与党案への注文が相次いだ。

 これに対して『創価学会』側の主張は:

 修正要求の自民議員牽制 神埼公明代表

 公明党の神埼武法代表は十九日の会見で、教育基本法改正の与党案修正を求めた十九日の日本会議国会議員懇談会などの会合に関連し、「(出席した自民党議員が)自分たちだけで責任を持って法案を通せるというのであれば、どうぞご自由に」と述べ、強く牽制した。神崎氏は「参院では公明党が加わることで(与党が)過半数を確保しており、自公の話し合いで物事を決めるのが基本だ。自民党も(与党案)実現に全力を尽くしてほしい」と強調した。

 これが現在の日本の「不幸の縮図」である。確かに「教育基本法」という「仏のお姿」はようようの呈でそれらしい形となったのであるが、その仏の「お姿」に、いざ魂を込めようという段になって、日本人が日本人に日本人の教育を施すのであるから「日本精神」を前面に出すのは当たり前だと主張するのが「自民党=日本人」の所謂(いわゆる)「アイデンティティー」に他ならない。
 
 それに対して、形だけは日本風の「仏のお姿」でよい。しかしそこに「日本精神」を込めること相成らんと主張して憚らないのが、「公明党=創価学会」の「アイデンティティー」なのである。ならば彼らの精神の寄る辺はこの日本国には「あらず」と正々堂々と主張する鉄面皮ぶりで、これは少なからず「『非日本人』のアイデンティティー」に満々としているのだ。(彼らのふるさとは一体何処にあるのだろう?)
 余分な話であるが、せっかくコンピューターなどという文明の利器を持っているなら、「フランスでカルトに指定された某教団とは何ものか?」検索してみるのも一興であろう。

 日本の国会議員は与党野党を問わず、小義をを捨てて大道につき、「日本精神を教育基本法に『アイデンティファイ』」させる使命感を持ち資力を尽くすべきときである。

坂本九を偲ぶ

2006年04月20日 | Weblog
日航が安全啓発センター、ジャンボ機の残存部品を公開 (読売新聞) - goo ニュース

 このような事故が二度と起こらないように航空各社には努めてもらわなければならないが、このとき千載一遇の惨事に遭遇して、43歳の若さで亡くなられた「日本のアイドル」がいたその人とは「坂本九」氏である。
 彼は、1941年大島家9人兄弟の末っ子として生まれ、1958年「日劇ウエスタン・カーニバル」でデビューし、1961年NHKの「夢であいましょう」で「上を向いて歩こう」を歌い、その後この歌は瞬く間に世界中に伝播して、当時唯一の「国際的日本の歌謡」となったのは周知のとおりである。
 また、この「上を向いて歩こう」は「SUKIYAKI」という題名の英語の歌詞がつけられ、さながら「明るい失恋ソング」として英語圏の人たちにもたいそう親しまれました。

 SUKIYAKI

 IT’S ALL BECAUSE OF OF YOU
 I’M FEELIN’ SAD AND BLUE
 YOU WENT AWAY
 NOW MY LIFE IS JUST A RAINY DAY
 I LOVE YOU SO
 HOW MUCH YOU’LL NEVER KNOW
 YOU’VE GONE AWAY AND LEFT ME LONELY
  
 UNTOUCHABLE MEMORIES
 SEEM TO KEEP HAUNYING ME OF
 A LOVE SO TRUE
 THAT ONCE TURNED ALL MY GRAY SKIES BLUE
 BUT YOU DISAPPEARED
 NOW MY EYES ARE FIELLED WITH TEARS
 I’M WISHING YOU WERE WITH WITH ME

 SOFT WITH LOVE ARE MY THOUGHTS OF YOU
 NOW THAT YOU’RE GONE
 I DON’T KNOW WHAT TO DO
 IF ONLY YOU WERE HERE
 YOU’D WASH AWAY MY TEARS
 AND ONCE AGAIN YOU’D BE MINE ALL MINE BUTIN REALITY
 YOU AND I WILL NEVER BE
 ’CAUSE YOU TOOK YOUR LOVE AWAY FROM ME

 1971年柏木由紀子さんと結婚し、1973年には長女の花子さんが、1976年には次女の舞子さんが誕生しました。
 歌に司会にと大活躍するなかで不運にも、1985年8月12日、日航機事故で帰らぬ人となってしまいました。

 今、私の手元にあるのは、1997年発売の「坂本九トリビュートアルバム」であるが、その15番目の曲の歌がとても印象的であるので歌詞だけでも写し取っておく。吉永小百合さんのナレーションで始まり、立派に成人した二人の娘が歌っている。息のあった姉と妹が父を偲んで口ずさむハーモニーは、まるで天使のようである。

 「そして想い出」 作詞:永六輔

 誰かと話がしたい 楽しく話がしたい

 めぐり逢う誰かと ふるさとの話 そして想い出 想い出

 雪舞う山 波寄せる海 なつかしい祭 祭

 あなたと 話がしたい 楽しく話がしたい

 みつめあうあなたと 初恋の話 そして想い出 想い出

 おいしいコーヒー 約束したデート 待ちぼうけの 失恋

 二人で話がしたい 楽しく話がしたい

 寄り添う二人 ハネムーンの話 そして未来を 未来を

 かわす口づけ 愛し合う二人 素晴らしい夢を 君に

 『坂本九さん素晴らしい歌を世界に・・・ありがとう。そしてご冥福を!』

   

亡国孤児みずほちゃん

2006年04月19日 | Weblog
 静岡新聞というのも実に楽しい新聞である。先日の創価学会の池田名誉会長の特集を「週間新潮」から揶揄された照れ隠しなのだろうか、今度は「村山元首相」のご登場である。確かにこの方の登場によって中、朝、韓に対する日本人の「自尊心」は大いに貶められたことは誰の目にも、一部の盲人を除いては、明らかである。然るにかの国々にとって村山内閣が現出したことは、思いもよらぬ「鴨ねぎ」の出現であったことであろう。
 この際、今は昔、オウム貝たる村山氏の所信を聞いても、博物館でアンモナイトの化石を見て過去を偲ぶようなものであるから、明日の社民の「明星」(これは中国語でミンシンと読み、英語ではスターといい、日本語では偶像(アイドル)と表現する)である福島党首の言葉を写し取っておこう。

 先祖帰りは否定:

 社民党の福島瑞穂党首は初めて示した党宣言について、「内容は村山内閣当時と変わっていません」と述べ、村山元首相の政策転換が今回の党宣言のベースになったとの見方を示した。
 党宣言で、自衛隊と日米安保条約の基本姿勢は、現状明らかに違憲状態にある自衛隊は縮小を図り、国境警備・災害救助・国際協力など任務別組織に改変、日米安保条約は最終的に平和友好条約に転換し、在日米軍基地の整理・縮小を目指す・・などとした。
 「自衛隊が存在するのは厳然たる事実。敵視もしていない。合憲とか違憲とかの問題ではなく、現状をどう見るのか大切。海外派遣は明らかに違憲。現憲法の枠内に戻すべき」と指摘する。さらに「イラクから帰ってきた隊員のうち、五人が自殺した。心のケアなど自衛隊内部の問題解決が重要」という。
 党宣言に対し、一部で「非武装・中立」を掲げていた旧社会党時代への「先祖帰りでは」との声がある。国内外の情勢が変わっても党内の路線論争に終始し、世論を意識してこなかった党史から、厳しい見方が依然あるのも事実だ。
 「昔の社会党に戻ってはいけない。今、自衛隊を認めないと言っても世論の中で孤立するだけ。これから九条堅持を国民運動に発展させようとしているんですから、国民からそっぽを向かれたらおしまい」と先祖帰りとの声を否定する。
 党名変更から十年での党宣言採択。「五年ほど前から検討し始めたが、内部にいろんな意見があったのは事実。ただ、これまで党宣言がなく、内部にもやもやした雰囲気があった。党として今後の方向が決まったことを是としたい」と強調した。(本文)・・・・・これはむしろ「幼児帰り」と表現されるべきか?。
 

 日本が太古の時代外界から日本海と太平洋で遮断された「小宇宙」だった時代であればこの福島氏の国家観でもやって行けたであろうと思うし、時代を間違えて生まれ出でた不幸に対し大いに同情を寄せるものである。

 なんぼ取るに足らない野党と雖も、有事の際どのように国を防衛するかという説明責任はあろう。「非武装中立」などと言うメルヘンに片思いしている「夢見る少女」の気持ちは分らぬでもない。しかし、国防などというものは、信仰の世界の出来事ではないのである。理不尽に相手から攻撃を受けたらどのように対処するかを国民に示すのが「政治家の使命」ではないのだろうか。

 相手が攻めてきたら「白旗」を揚げれば国土の保全と国民の生命財産の保障はあるのか。あるいは、軍隊の定義もないのであるから、少年、少女、老人にまで武器をとって戦えというのか、その辺の所をつまびらかに示してもらいたいものである。それに、自衛隊が憲法違反などというなら、創価学会と公明党の関係は政教一致ではないのか?。

大勲位殿も射精する興奮度

2006年04月18日 | Weblog
 今日は2006年4月30日号サンデー毎日に目をやろう

 大げさな記事のタイトルは「大勲位・中曽根元首相が大予言、8.15小泉靖国参拝、火蓋を切る『ぶっ壊し政局』」・・・と、本土決戦竹槍防衛が如き勇ましさである。

 サンデー毎日によれば:
 
 民主党の小沢一郎代表が誕生する2日前の4月5日のことである。今後の政局について大胆に予言した政治家がいた。

 「8月15日、小泉君は(公約通り)靖国神社に行くだろう。それぐらいのことは最後にやる」
 こう発言したのは、誰あろう、3年前に小泉純一郎首相から引退への『引導』を渡され、「政治的テロだ」と憤慨した政界の長老、「大勲位」こと中曽根康弘元首相である。
 更に中曽根氏はこうも予言した。
 「その前に小泉君は国会を会期延長し、教育基本法改正、或いは(憲法改正の手続きを定める)国民投票法案を通し、思い通りのバトンタッチを狙うはず」・・・
と、若き日の政治感覚を取り戻されたかのような発言をなさっているのだが・・・。


 昨年、郵政民営化法案が参議院で可決されていたとしたら、小泉首相は政権のレイムダックを避けるため、あえて靖国神社を参拝したであろうかと思いを馳せれば、やはり「参拝する」というのは既定路線であったろうという気がする。

 今、かつての豪腕政治家小沢一郎氏が対抗軸として前面に立ちはだかった以上、靖国を清々堂々と参拝することによって、今後の日本のあり方を国民に問うという挙に出ることは非常に現実味を帯びた小泉首相ならではの作戦かもしれない。

 そして、この作戦は、危なっかしく見えるかもしれないが、ならず者国家中国の台頭により、国防のためには、日本国民としての精神的まとまりが何よりも大切であることを自覚させる又とない機会を提供するものとなろう。

 「靖国参拝=日本人の日本精神の自覚。靖国参拝反対=売国奴、非国民」この図式を国民の前につまびらかに示せば、勝敗は云わずと知れたものであろう。小泉首相は小沢党首の呼び水にのって、来るべき時には再度大勝利をおさめるであろうし、自主憲法制定の道筋が現実のものとなるであろう。靖国の英霊には日本国を護持させるそこはかとない神通力が備わっているのである。

 私はかねがね案じているのだが、有事の際、日本本土を戦場と化すことを運命付けているGHQによる負け犬憲法では中国などという「ゴキブリ」の如く侵略を仕掛けてくる国と互角の付き合いは出来ないと思う。しかも、「ゴキブリ」どもは日本が既に去勢された宦官に過ぎないと日本の「足元」を見切っているのである。侵略されてもやり返す術を持たないと規定しているのが我が憲法である。
 「日本国憲法が世界に誇るべき唯一の平和憲法」などと自画自賛していれば日本人は麻薬中毒で幻覚でも見ているに違いないと勘違いされ、侵略国中国の植民地と成り果てること必定であろうし、万年一日が如く「ドン・キホーテ」でいられるわけもないのだ。 
 

愚民国家シンドローム

2006年04月17日 | Weblog
東シナ海航行禁止公示 「日本の主権を侵害」 安倍長官、中国側に懸念伝える (産経新聞) - goo ニュース

 ここで、問題としなければならないのは、日本の主権を中国が侵犯しているという現実があるにも拘わらず、どうして「日米安保条約」が機能しないのかと素朴な疑問を持つことであろうし、機能しないが故に、そこはかとない「不安」に苛まれるのは私だけであろうか?。

 私とて国家防衛の意志すら希薄な日本国民に属する洗脳のうえ、去勢された一国民に過ぎないのだが、中国の軍事的な脅迫(兵器こそは使用しないが、軍事力を背景にした領土侵犯)に対して、日米同盟はかくも無力であるのかとつくづく思い知らされる。

 有事の際、我が国土の安全と去勢された国民(愚民)の生命は「日米安保」で本当に保障されているのであろうか?。
 日本政府が安全の保障は「日米安保」が絶対であると吹聴する割には、反作用としての綻びが露呈して、日本国存続の不安に苛まれていると言わざるを得ない。日頃からアメリカ合衆国に身勝手な片思いを寄せているに過ぎないのではないかという不安と、現実問題として、日本国は「依頼心の権化たるアメリカ合衆国」に対し、日本の国土防衛に不安要素が発生したため、最新鋭のアメリカ「原潜」の巡回でもお願いすべき時至れりと思うのであるが、宗主国アメリカにそのような申し入れをした様子は無いようである。

 もしや、条約締結当時から、日本政府は日本国民(財務省=旧大蔵省などは、納税者たる日本人を江戸時代の士農工商の身分制度の感覚で「平民」といって憚らなかったという。今でも納税する「愚民は愚民」というスタンスを崩してはいないということである。国会議員も当然ながら、彼らの「言いなり愚民」の範疇に住まっているのである。財務官僚のみが「領主様」というに相応しい身分の方々である。虐げられた平民は国会議員共々一矢を報いよ!)を騙していたのではあるまいか。

 日本国民は、日米安保条約が万能ではないという現実(日本の領土、領空、領海は日本人の血をもって防衛しない限りアメリカの協力は得られない)を認識したうえで、どうしたら日本国土が中国の派遣から防衛できるか、「草の根の国防意識」を高めなければならない。

 ソビエト連邦崩壊が「日本国平和ボケシンドローム」を破壊させ、更に危険な「中共」が日本侵略の意思を前面に出し台頭したと日本国民全体に周知されなければならない。

 東アジアにおける「米軍再編」が完了した暁には、アメリカは日本に威厳をもってこう言うだろう、「アメリカ人の血をもって、自国を防衛する意志のない国を守る義務は我々合衆国には無い」と・・・・・『日本人よ、近未来に備える決心をせよ!』

Cuando Caliente SHIZUOKA#39

2006年04月16日 | Weblog
 日本本来の価値観に触れよう:

 静岡新聞夕刊には「窓辺」というコーナーがあって、各分野の有識者が寄稿されている。私などは、所謂(いわゆる)「窓際族のコーナー」かと早とちりしたのであるが、その意味は、マイクロソフトの「Windows」あたりを連想したものであろう。その「窓」から、遠くのまともな「景色」を観よ!、ということらしい。

 今日は、静岡浅間神社宮司 村上貴紀氏の啓示(神からのお言葉の伝言)を書き記して置くこととする。

 男女の相補

 いよいよ明日(昨日の今日は4月15日)から静岡浅間神社の境内において、大相撲東関部屋の静岡合宿が始まる。元高見山の東関親方、人気力士の高見盛関、静岡出身の潮丸関をはじめ総勢二十名が参加し、二十三日まで朝稽古に取り組むほか、いろいろな行事を予定している。
 国技である相撲の土俵に対する厳格な考え方は、相撲が神事として行われていたからで、紙垂(しで)を付けた綱を佩(は)く横綱は、力の強い者の神格化で、塩を撒いては土俵を清め、四股(しこ)を踏んでは地霊を鎮め、勝敗は神占(かみうら=吉凶を定める)であり、土俵はまさしく神事を行う「斎廷」(ゆにわ)にほかならない。
 この土俵に女性が上がる禁じられているのは、男同士の勝負の場であるであるがためで、古代においては、女性を豊穣の象徴として畏怖し、妊婦の形をした土偶を崇拝の対象としたり、また魏志倭人伝には、卑弥呼が専ら祭祀を執り行ったと記されている。古代においては母性が社会の根幹を成し、更に重要な役割を果たしてきたことは紛れも無い事実なのであって、元来父性と母性はその役割を異にしており、両者は互いに補完しあって社会を成り立たせているのである。
 今、一部の学校では、勝敗を競わせない、あるいは男女の区別をしないというような教育が行われている。競争では手をつないでゴールする。修学旅行では男女同室で宿泊する。このような事例が何の違和感もなく教育と称して行われている。
 真の教育とは、勝者にはよく頑張ったと褒めてやり、敗者にはもっと頑張れと勇気付けてやることではないだろうか。これは家庭においても同様である。父性と母性のかかわり合いのなかで子供は成長する。男女共同参画社会とは、男女が互いの特性を尊重、相補しあいながらつくる社会でなければならない。(全文)


 私は粗忽者をもって旨としている輩で、時々タブーに触れる禍を犯してしまう「R中」(些か右寄りのアル中)の類であろうか。しかし、日本人として一度は考えてみるべき問題もあると思う。

 真の男女共同参画社会とは、男女が性差をよく認識したうえでその特性を尊重し合って共同参画社会を構築しようという趣旨である。然るに、この崇高な目標に日本が向っているかというと、とんでもないことになっているらしい、その惨状の一端は宮司様が指摘されているとおりである。
 どうして、教育がこのような奇妙な方向に走ってしまうか私なりの思いを述べれば、これは、日本社会が内包する「差別意識」に起因するものであろう。被差別者意識が正常な日本社会を壊してしまう。
 もともと男女平等という概念は、性別にこだわらずに選挙権と被選挙権を男女が平等に有するというのが基本的なスタンスだったはずである。この前提がある以上、能力(人徳も含む)と志さえあれば首相にも就任できる道が開かれているのであるから、女性の側から不平不満など有るまいと思うのであるが、女性議員が少ないのは、女性という「性差」に起因すると大騒ぎする有様なのである。「主婦感覚」で政策を垂れる女性代議士という惨状では、「権利の主張をする前に、相応しい資質を獲得して来い」と女性有権者さえも投票という行為をとおして判断しているのである。 しかし、彼女等は、「男どもは我々女性を性差によって差別している」と主張して止まない。
 そうこうしているうちに彼女等が取り出した「魔法の杖」というのが、件の「ジェンダー」という観念(男女の差は社会的性差である)です。この延長線上で「ジェンダーフリー」という現代版「取りかえばや物語」が出現し「オカマ養成」紛いの教育が行われるようになった。この「異形の教育」に確信犯の如く熱心なのが、所謂「日教組」の構成員たる教師連中だと言われている。彼らは、自分達が差別されているいるという潜在意識を持っているのであろうか、子供たちに「被害者意識を」植え付けるのが、とても得意です。みんな生徒は男と女は平等(あまりに馬鹿馬鹿しいのはペニスと子宮の区別が出来ないほど生物の知識を欠いている)、成績も平等(劣等生のレベルに全員を合わせる)、順位に差が出ると「差別」につながるから競争はさせない、これこそが彼らの主義に基づく究極の教育方針なのだろう。
 また彼らは、朝鮮人の人権問題であるとか、問題にとても熱心で「その行為が反作用として、日本人の人権を蹂躙」しているという罪の意識を持つ能力は全然ないらしい。(彼らが日本人であるかは知らないが、唱える「被差別」という金貨極上のお題目が日本国と日本人を差別し貶めているという認識を持つべきなのだ)彼らこそ逆に居直った日本社会への侵略者(癌細胞)なのだ。

 男女性差を真摯に認識し、尊重し合って具現する男女共同参画社会でありたいものである。
 

中国はギャグネタがお似合い

2006年04月15日 | Weblog
 週刊新潮より:

 「中国では赤ん坊が肥料!」イタリア首相の『舌禍』事件

 総選挙遊説キャンペーンのさなかのイタリア首相による強烈な「反共発言」は吉凶いずれと出たか?

 舌禍男として知られるベルルスコーニ伊首相(69)はACミランの元会長として有名だが、元々は実業家として大成功をおさめた後に政界に転じ、現在は右派連合「自由の家」を率いる、「大」の付く共産主義嫌いである。投票日は4月9日。
 直前の選挙予想では在野の中道左派連合「団結」が優勢で、イライラが募ったのか、首相の口からつい飛び出したのが、毛沢東時代の共産中国での乳児大虐殺発言であった。

 曰く、「共産主義者は赤ん坊を喰うと発言し、私は過去に何度も非難された。よろしい!ならば『共産主義の黒い本』を読んでみなさい。毛時代の中国では、赤ん坊を食べはしなかった。彼らは赤ん坊を茹で、畑の肥料にしていたのだ」
 中国側はすぐさま「根も葉もないデタラメ」と大抗議。ところが、欧州マスコミは「歴史的事実に基づいた、首相による初めての正確な発言」と一様に好意的であったということである。

 流石にヨーロッパでの出来事である、マスコミも恐らく、中国人が血相を変えてギャーギャー抗議する姿をシニカルに報道し、ヨーロッパの人々の冷ややかな笑いを誘ったのであろう。誠に愉快である。日本人もかく有りたい。

 ナイーブな日本の政治家にも、これくらいの「ゆとり」をもった外交姿勢が求められているのではあるまいか。

 ところで、イタリア首相の率いる「自由の家」の戦績はどうであったのか?