昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

日本女性よゼロパーセントを目指せ

2006年02月28日 | Weblog
女性議員の比率、日本は世界105位に後退  (朝日新聞) - goo ニュース

 このような統計的数字を判断基準として「日本女性」の政界進出率を云々すること自体が「愚の骨頂」であると言うべきなのだ。

 国会議員は言うに及ばず議員たる者の資格とは「議員たる資質」を言うのであって、「性差」が差別の対象となっているなどという先入感を持っていること自体甚だしい思い違いであって、問題外の言い掛かりである。

 アジアに目を向けてみても、女性の首相であるとか大統領とかは枚挙に暇がない。しかし日本の女性達の権利意識というのは「当然のこととして与えられているべき権利」であるという意識が強すぎるのである。戦わずして得た権利など所詮絵に書いた牡丹餅(ぼたもち)である。

 卑しくも男女同権であるとか男女共同参画社会などとその地位を主張するなら、根本的に、究極の逃げ口上である「我々は女」であるからと言うご都合主義を捨てない限り、陽炎(かげろう・・・昆虫図鑑でその儚さを調べること)が如き儚い夢と潰える事必定である。

 その証拠に世界中で発行されている「女性週刊誌」を読み比べてみるとよい。一目瞭然のこととして、日本女性の「低俗低能振」りが暴露されるのである。政治家など「夢のまた夢」の話題であろう。
 
 日本社会においても、「まともに議員に成る資格のある女性」としての人材も内在していることも事実であろう。そのようなリーダーとなる資質のある才媛は、先ず同族の輩の「啓蒙活動」から着手すべきである。

 実も伴わないまま声高にスピーカーで「女性議員の構成比を上げろ」などと叫んでみたところで、実も上がるまい。この男女共同屈辱(男にとって)社会において求められていることは、雌(メス)のヒステリーではなく、冷静、沈着とした理性に基づく判断力なのであるよ。「女性自身による女性のための自己研鑽」に大いなる期待を抱くものである。


超国際的ダンディズム

2006年02月28日 | Weblog
 全くもう、イタリアーノ(イタリア人)のカッコよさというは実に奥深い。

 実は、昨日の日記に書き記すべきであったのだが、つまらぬ話題に深入りしてしまったことを後悔している。

 トリノ冬季五輪のフィギュアスケート女子で金メダルを獲得した荒川静香選手は二十六日、トリノ市のあるピエモンテ州などからダイヤモンドと金でできたティアラ(王冠型の髪飾り)を贈られた。荒川選手は「金メダルと素晴らしいティアラを貰って幸せ」と嬉しそうに話した。
 「ディアデマ」と(リボンという意味)と名づけられたティアラは複数の細い輪を重ねたデザイン。水をイメージしたダイヤモンドは2.5カラットで五万ユーロ(約七百万円)相当という。
 同州などがフィギュア女子金メダリストに進呈するため、コンテストで選んだもので、欧州デザイン学院トリノ校の女子学生がデザインし、金細工で有名なビエモンテ州バレンツァの金細工協会が製作した。(静岡新聞平成18.2.27)

 この際、如何なる「勘ぐり」も捨てて素直にイタリアーノの「ダンディズム」に頭を垂れよう。「さりげなく贈る」これがギフトを贈る側の極意であるのだ。
 この記事には荒川選手が、まさに件のティアラを纏おうとしているスナップ写真も紹介されているのだが、その姿たるや日本の国宝飛鳥の「弥勒菩薩」の風格である。イタリアーノとて、日本女性の美しさに酔わされたことであろう。

 イタリアーノのギフトを贈るときの贈られる側に負担をかけない「スキルフル・スキル(SKILLFUL・SKILL)」なやり方を日本人も見習うべきなのだ。日本人として、イタリア人のスマートでクールさに感謝しよう。

Cuando Caliente SHIZUOKA#29

2006年02月27日 | Weblog
 その昔、静岡新聞はオバサマ連中に事の外人気があった。その理由はSBSテレビの昼のメロドラマの解説が事細かに書かれていたからだという(当時、番組解説新聞と揶揄されていた)。その頃から比べれば、この静岡新聞は今や格段の進歩を遂げ、全国紙と比較しても見劣りしないばかりか、地方紙ならではの自由度を満喫するレベルに達したことは大いに評価したい。

 最近では静岡新聞が「ネタ元の話題」が多くなってしまって、「静岡新聞の太鼓持ち」に成り下がったかと自嘲することしばしばである。

 ところで、今回のトリノ・オリンピックの総括がなされなければなるまいと思っていた矢先に、とても良い記事が掲載されているので、記録に留めて置きたい。

 金メダルの裏側 「世界」を知ってこそ (編集局次長 加藤訓義氏署名記事)

 金メダルの裏に、鬱積していた欲求不満はきれいに吹き飛んだ。終わりよければ全てよし・・・そんな気にもさせられた。
 荒川静香選手の晴れ姿を、生中継でしっかりと目に焼き付けた。それなのに、栄光のシーンが録画放映されるたびに、思わず見入ってしまう。年末まで何度、目にするだろうと思いながら。
 「だが待てよ」である。荒川選手の快挙には、素直に拍手喝采だ。しかし、大会も大詰めの13日まで、メダルゼロの不振に喘いだ日本勢の現実を忘れては困る。終わりよければ全てよしではないのだ。
 スキー距離の男子選手は、五輪が戦場だったことを思い知らされたという。「みんな目が違った。僕には浮ついたところがあった」「他の選手は殺気が漂っていた」と。
 選手村での生活態度の悪さも指摘される選手も出た。これでは戦う前に結果は見えていたようなもので、「メダル獲得だ」「入賞を目指す」と念じても、空念仏にすぎなくなる。
 「メダル5個かそれ以上」・・・日本選手団の遅塚研一団長は、大会前にこうぶち上げた。世界の力を分析し、実情を把握した上での目標設定だったはずだ。
 ところが、いざ蓋を開けると、戦う姿勢で後れを取ったり、力不足から世界の壁に跳ね返されたりする選手が相次いだ。目標がどんどん遠のいていく実態に、選手だけでなく、率いるスタッフにも甘さがあったのでは、との思いを強くしていた。
 そう思いながらも、救世主が現れないかと女子フィギュアを待った。
 するとどうだ。荒川選手が最高に輝くメダルを勝ち取った。女神の出現に、日本選手団首脳陣はきっと胸を撫で下ろしたに違いない。
 荒川選手は世界を見据え、周到な準備の上で氷上に立った。その取り組みの中にこそ、世界の舞台で戦う秘訣が隠されているのだろう。(全文)


 多かれ少なかれ、の本国民はこのような感傷に耽ったに違いない。「日本代表として私は楽しんだ」と期待されながら「箸にも棒にも引っかからなかった連中」が臆面もなく堂々とこのように発言するのである。何と不愉快な言いぐさであろう。
 これでは、日本国民は「居直り強盗」にあったようなものである。この馬鹿どもに誰が「私は楽しんだ」などというふざけた「言い訳方法」を教えたのであろうか。

 日本国民は、汗水垂らしてまでして、何故にこの馬鹿どもを栄えある「オリンピック戦場」に送り込んだと悔やんでいるのであるから、責任者は、日本国代表としての自覚もないばかりかこのような軽々しい発言を臆面も発する選手を選んだことを恥ずかしいとは思わないのであろうか。素直に土下座いたせ!

 いやしくもオリンピック代表として世界に送り込む以上「言っていいことと悪いことの行儀」ぐらいは教育してから派遣すべきである。

 最近の悪しき傾向とは、学校教育における「絶対評価」という評価のあり方である。こんな馬鹿な価値観で飼育された豚学生どもが国際的な大舞台で活躍できるはずはない。井の中の蛙以上にはなり得ないのである。
 こういう発想をするのが大抵の場合女性人権擁護団体とそれに呼応する日教組とナーバスな教育界である。このアホの三点セットを破壊しない限り、「私は楽しんだ」と臆面もなく言い逃れする連中の製造源となること必定である。
 我々は大きな声を出し主張しよう「オリンピックはお前達のマスター・ベイションの劇場ではない」。

 今後は、大挙して「物見遊山」にでも行ったかなどと揶揄されることのないようにしてもらいたい。

中朝悪のリンク

2006年02月26日 | Weblog
 今日の話題は、「中国北朝鮮悪のリンク」ということにしよう。

 私としては、次の主役は麻生外務大臣に是非お願いしたいと思う。彼は、「反日勢力」の目の上のタンコブであることを百も承知で、「日本人よいい加減に白昼夢から醒めよ」と自ら国内外の反日勢力の矢面に立つ役割を演じておられる。そして何よりも御自身もその役割がお嫌いではないらしい。一層のご精進に期待したいのである。

 最近、静岡新聞は「中朝の悪のリンク」に焦点を当てた報道をしているのであるが、価値ある報道姿勢である。
 
 日朝政府間協議 経済制裁「影響ない」北朝鮮中国との関係強調。

 今月行われた日朝政府間協議の際、日本が経済制裁の可能性を示唆したのに対し、北朝鮮側が「したいようにすればいい。我々は中国との取引を重視している」と述べ、中朝の経済関係強化を引き合いに出して日本の経済制裁でダメージ受けないとの強硬姿勢を示していたことが二十三日分った。協議に詳しい複数の関係筋が明らかにした。
 北朝鮮は日朝貿易が既に大幅に落ち込んでいる現状についても具体的に言及したという。
 北朝鮮は同協議で、日本が制裁に踏み切れば「強力な物理的対応する」と応じたが、金正日総書記の訪中に代表される中国との経済関係強化がこうした強硬姿勢の背景になっているとみられる。日本国内では拉致問題で進展がないことを受け、北朝鮮への圧力の強化を求める声が相次いでいるが、制裁の実効性を含めた論議の行方にも影響をあたえそうだ。
 今月4~8日に北京で行われた政府間協議で、日本は生存者帰国や真相解明、実行犯引渡しを要求し、北朝鮮の対応次第では制裁を求める世論が高まりかねないと強調した。
 関係者によると、北朝鮮はこれに激しく反発。日本政府の輸出管理の厳格化や、対日関係悪化によって日朝貿易が急減していることを例に挙げて言及し、日本が経済制裁を発動しても効果はないと強く主張した。
 水産業など、これまで日本との貿易が盛んだった部門についても、中国との取引に比重を移すよう政府が指示したと言明したという。(平18.2.24静岡新聞よりネタ元共同)

 まったく「大漫画国皇帝」筋も、中々の悪者ぶりである。悪行劇のシナリオを北朝鮮省の将軍の参勤交代興行で紫禁城参りをした際、詳細な台本まで用意してあったとは、誠に用意周到である。日米同盟に対して中共の属国(北朝鮮)を守ると抜け目なく宣言した。

 根本的に、北朝鮮問題とは中国問題と同義であることを否応無しに認識させられるのである。精神分裂病に陥ったならず者達とどのように対峙していくのだろう。国会議員の先生方には知恵や策はあるのか?

 国家の命運を論じなければならない時に、「越後屋の印籠」に遠く及ばない「ガセ印籠」を取り出し、国会空転させることも憚らないばかりか反省もない政党など「政府与党」を攻撃する前に「自滅」してしまえ。これでは「ガキの喧嘩」にもならないお粗末さである。

 今は昔、師曰く「江戸時代の花町には花魁(おいらん)と呼ばれる優雅に人生を送る娼婦がいた。彼女等の奥ゆかしさといったら、それはこの世のものではなかった。火事と喧嘩は江戸の華といわれていて「江戸名物」であったとは有名な史実である。
 火事で一刻を争うという非常時にこの花魁姐さんたちのの嗜(たしなみ)とは、まず、人様に見られても恥ずかしくないように「念入りに化粧」してから非難することだったという。実に奥ゆかしくて馬鹿げた話である。

 ここで、私が言いたいことは、この花魁と今の政治家を比べてみれば、何処にどれ程の違いがあるかということなのである。
 

Cuando Caliente SHIZUOKA#28

2006年02月25日 | Weblog
 エア・ポート温泉郷構想: その前に、時節柄謳おうではないかこの歌を!

 早春賦

 春は名のみの 風の寒さや
 谷の鶯 歌は思へど
 時にあらずと 声も立てず 時にあらずと 声も立てず

 氷解け去り 葦は角ぐむ
 さては時ぞと 思ふあやにく
 今日もきのふも 雪の空 今日もきのふも 雪の空

 春と聞かねば 知らでありしを
 聞けばせかるる 胸の思ひを
 いかにせよとの この頃か いかにせよとの この頃か

 この歌は大正時代に作詞作曲されたと聞いているのであるが、歌詞と曲調が見事に調和した日本の歌だと思う。大切に歌い継ぎたいものである。

 暦の上では、春というのに今だ風は冷たく、谷の住人である鶯も啼き出したくてしょうがないのであるが、今だ時至らずである。
 氷も解け去り、葦の芽もふくらんで、いよいよ芽吹く時が来たと思いきやあいにく、今日も昨日も雪の空である。
 未だ寒いのであるから、春だと聞かされなかったなら知らずにいたであろうが、聞いてしまったからには、胸ははずんで、春になったらどうしようこうしようと落ち着かない今日この頃である。・・・・・そのような想いのこもった歌である。

 甚だ前置きが長くなってしまったが、「静岡新聞」は島田市で温泉試掘が成功したと報道している。静岡空港は牧の原市と島田市に跨って建設されるのであるが、地元に温泉が出るとは朗報であろう。

 島田市は二十四日、同市伊太田代地区で行った温泉掘削事業について、県生活科学検査センターが行った詳細な分析結果を公表した。
 温泉は42.0度、湧出量は毎分106リットルで、泉質ナトリウム(塩化物・炭酸水素塩温泉、水素イオン濃度は8.2の弱アルカリ性)と判明した。
 「入浴すると、やや引き締まり、つるつるした肌触りが感じられる。食塩泉の中でも塩分の少ない温泉、穏やかな効き目とぬくもりが得られる」としている。「暖まりの湯」と「美人の湯」の二つの要素を併せ持つという。
 専門機関のお墨付きを得たのを受け、市は平成十八年度から、温泉施設の基本構想と基本計画の策定に入り、順調に行けば十九年度に建設開始、二十年度中のオープンとなる。市民へのPRのため、今年八月以降に仮設温泉施設の設置を計画している。
 市は「当初予測していた四十度、毎分百リットルの湧出量を上回り、ほっとしている。温泉の色は今は淡灰黄色だが、新しい温泉は泉質が安定していないため、来年度に再分析を行う」と話している。

 思惑どおり温泉は出たことは出たのであるから、実に幸運である。ところで、泉質は「美人の湯」ということになれば、若者から「おばさん」連中まで幅広い層に受け入れられること必定であるが、毎分106リットルの湧出量というのは、所謂温泉観光地と比較して、条件を満たすのか或いは不足しているのか気になるのである。当然私には全く見識は無いので、何とも言えないのだが、泉源に能力というものがあって、更に何本かの井戸を掘って賄がつくのであれば、将来「富士山静岡空港」開港に伴う「エア・ポート温泉郷」構想の夢もいっそう膨らむであろう。

 まあ、「夢と知りせば、醒めざらましを!」の私事構想(妄想かも?)ではあるのだよ。
 

スタンディング・オ・ベイション

2006年02月24日 | Weblog
荒川が金メダル、村主4位 フィギュア (共同通信) - goo ニュース 

 先ずは女子フィギュアスケート日本代表「荒川静香」選手に、心より拍手喝采を贈るとともにその偉業を讃えたい。「おめでとう!」

 トリノのビッグ五円玉(メダル)には、もはやご縁がないのかと日本中に諦めムードが漂い始めた中で、何と獲得したその五円玉の色が金色とは、大したものである。大いなる元気をありがとう。

 察するところ、日本国首相「小泉純一郎」氏もことのほかお喜びであろう。荒川静香選手のこの快挙を、日本国民を代表して「心から感動した!」と伝えてくれるであろう。日本国首相の「至上の出番」が控えているのである。

 今回、NHKのこのフィギュア・スケートの解説に担たられた女性解説者の人選はとても良かった、その解説は実に的確且つ冷静でスポーツ音痴の私のような者にも良く理解できる好感の持てるものであった。今後ともこういう方を適材適所に配置していただければ、何倍も実況放送を楽しむことができると思います。

 これは蛇足であるが、この荒川選手、イタリアーノにも大変人気があるらしい。何でも彼らからみると「典型的な日本美人」なのだ。そういえば、フリーの演技で使った楽曲も、オペラ「蝶々夫人」でお馴染みのプッチーニの楽曲に合わせて踊りイタリア人をも魅了した。彼らは銀板に「東洋の妖精」をアイデンティファイしたに違いない。何とも奥ゆかしいサービス精神であったことか。
 私は村主章枝選手のキャラクター(いささか天然ボケしたところ)が大好きである。今回彼女にもメダルをと祈ったのであるが、いまひとつの運が無かったのは残念であった。しかし四位入賞は本番での安定ぶり(精神的な強さ)を遺憾なく証明する明かしなのである。

 次を目指す女子フィギュア陣の今後の活躍に期待したい。
 

Cuando Caliente SHIZUOKA#27

2006年02月22日 | Weblog
 今日は地元静岡県に目を向ける。地元の長といえば、石川嘉信静岡県知事である。官僚出身ということもあってであろうか派手な立ち振る舞いはなさらないのであるが、どうしてなかなかの政治家である。

 拙速な皇室典範の改正に対してはいち早く地方の首長として意義を表明したし、今般の滋賀県長浜市で発生した中国籍の女性(母親)による園児惨殺事件に対しても、タイムリーにコメントを出している。

 平成18年2月21日静岡新聞より:

 石川知事 外国人の居住把握へ 園児刺殺事件を受け多文化共生を強調

 滋賀県長浜市で幼稚園児二人が別の園児の中国籍の母親に刺殺された事件を受け、石川嘉延知事は二十日の定例会見で「定住外国人の人口拡大に伴って日本社会に融和できるかどうか考えさせられる問題を提起している」と述べ、多文化共生社会造りに向けた方策を打ち立て、実行する必要性を強調した。
 そのために、県内の外国人の居住実態を把握するように担当部局に指示したことを明らかにした。
 県生活文化部によると、平成十六年末の調査で9万人に上る県内外国人は、転居のたびに市町村に外国人登録をする義務があるが、登録を怠るケースも多く、外国人の居住の実態は性格には掴めていない。
 日本人と結婚し、県内に在住している外国人の数も市、町の協力を得て改めて調べる必要がある。
 石川知事は「プライバシーの問題に介入しない範囲で把握し、必要な対策を至急まとめる。その上で、市、町のほか企業などとともに取り組んでいきたい」と述べた。
 県生活文化部は調査について、「外国人が生活上で抱える問題は言葉や文化、雇用、医療などと幅広く、市、町レベルで対応できない場合がある。
 県内の状況を把握し、対応の水準にばらつきをなくすのが県の役割」としている。(全文)

 特に静岡県西部(浜松地方)には中南米からの外国人労働者が多い。つい最近も子供をひき殺したブラジル人が本国に帰国していまい、日本との間に犯罪人引渡し条項が無いため静岡県警がジダンダ踏んでいる話であるとか、深夜営業していた経営者が殺害され犯人はペルー人であるらしいのだが国外逃亡してしまったとか、外国人の絡む事件も暇が無いのであるから、日本政府も至急に外国人の犯罪に対応した法整備を整えてもらうことは当然のことである。
 
 現にイスラムの預言者マホメッドの風刺画をめぐって世界中で捲き起こっている抗議デモや暴動は価値観の違う民族同士の共生がいかに難しいものかを考えさせられる人類の命題でもある。

 しかし、それにしても今回滋賀県で起こった中国人女性のおぞましい幼稚園児惨殺事件は、中国人(中国共産党が行う反日教育を施された者)との共生が可能なのであろうかという根源的な問題を日本社会に提起していると思う。

 昨年四月に中国全土に巻き起こされた反日暴動、その動機は単に日本が気に入らないというだけである。日本国の首相が日本国内にある靖国神社に参拝したことが中国人の心を傷つけるのだという。本当は、そのような理不尽『アホなこと』を言われる日本人の方が余程心を傷つかされるというセンチメンタリズムなど毛頭無い国民性である。散々暴れ捲くった挙げ句犯人は日本人だと主張し、愛国無罪だと言って憚らない。謝罪するどころではない。日本国内にも「ならず者中国」に買収され、日本が悪いなどという国賊が存在するのだから、開いた口が塞がらないのである。
 とにかくこの中国女は、交代で自分の娘も一緒に幼稚園によそ様の子(日本人)を幼稚園に送り届ける途中に犯行に及んだのである。初めから殺害するつもりで刺身包丁を用意し、惨殺した日本人の子供には恨みは無かった、殺害したことを悪いことだとは思っていない、従って謝罪の言葉など当然無い。動機は更に振るっていて、「差別されていたように感じていた」という。周りの証言によれば「別段そのような事実は無かった」こういう実態が浮かび上がっている。

 これ程恐ろしい犯罪の動機というものがこの世に存在してよいものであろうか。中国共産党は、人民にこのような悪魔の愛国教育を施した上で刺客を日本へ送り込んでくるのである。反日暴動との一致点を見つめて中国人に対処すべきである。二度あることは三度あるという。決して、中国人に気を許してはならない。これは教訓である。

ならば日本国憲法を放棄して戦うと言え

2006年02月21日 | Weblog
 静岡新聞平成18年2月20日記事:

 「制裁なら物理的対応」北朝鮮大使がけん制 ミサイル凍結解除示唆

 今月初めに北京で行われた日朝政府間協議で、北朝鮮の宗日昊日朝国交正常化交渉担当大使が拉致問題に関連し「日本が経済制裁を発動すれば、強力な物理的対応をとる」と日本の原口幸市同交渉政府代表に通告していたことが分った。複数の交渉関係者が十九日、明らかにした。

 公式会議の合間に実施された非公式会談での発言で、日本側は「弾道ミサイルの発射凍結を解除するというあからさまな脅し」と受け止め、ミサイル発射凍結延長を明記した2002年の日朝平壌宣言にに反しかねないとして真意を慎重に見極める方針だ。

 北朝鮮はこれまでにも「経済制裁が発動されれば宣戦布告と見なし、強力な物理的方法で即時対応する」とする談話などを発表しているが、今回はハイレベルでのけん制として日本政府は注目している。
 関係者によると、原口氏が、日朝協議に臨む中で、拉致問題をめぐり「生存者の帰国」「真相究明」「実行犯の引渡し」で具体的進展が無ければ日本国内で経済制裁を求める世論が強まることが必至との現状を説明。これに対し宗氏が反発し「物理的対応」に言及したという。
 北朝鮮側は、政府間協議の中の核・ミサイル問題などに関する安全保障協議でもミサイル発射凍結解除を示唆している。

 政府は、北朝鮮が先の日朝政府間協議で拉致問題をめぐる経済制裁への対抗措置として、ミサイル発射の凍結解除までちらつかせたことで、核問題に関する六ヵ国協議への出席拒否と併せ、今後は対日関係でも強硬路線を先鋭化しかねないと警戒している。同時に、北朝鮮の一連の対応から現時点で日朝協議に建設的に応じる姿勢がないと判断。次回協議は、六ヵ国協議開催に向けた調整を睨みながら、当面先送りせざるを得ないとの見方を強めている。

 北朝鮮は昨年二月、核保有を公式宣言するなど「瀬戸際外交」を強化したが、同七月の六ヵ国協議の再開以降は「柔軟姿勢」を見せた。九月には「全ての核兵器と既存の核計画」放棄を明記した初の共同声明を採択、十一月には約一年ぶりの日朝協議にも応じた。
 しかし、北朝鮮は同十一月の六ヵ国協議で、米国の「金融制裁」に反発。協議は休会したまま、現在も再開のめどが立たない状況だ。
 今月初めの日朝協議ではミサイル問題以外にも、朝鮮人強制連行や従軍慰安婦への個人補償を求めるなど日朝平壌宣言から逸脱しかねない発言を重ね、強行姿勢を鮮明にしていた。(全文)

 NHKに視聴料を支払っている『一ええ候』の日本国民として「大いなる憤慨」を覚えることは、公共放送などと大っぴらに宣伝している当の「NHK」たる報道媒体がこれ程日本国民にとって重大な報道を何故しない或いはできないのであろうか。NHKなるものが盛んに報道するものは、殆ど入賞さえ難しい「日本国トリノ冬季オリンピック代表団に対してメダル、メダルと騒ぎ立てる」ただそれだけが日本国「NHK」の使命である。最近では、真摯にNHKへの自動振替口座を閉鎖しようかと考えている。

 NHKは日本国民にとって国民がこれぞ「国益」となる報道が何かも考えられないほど『パープリン』の集まりであるか。この広い宇宙において、「日本国GHQ押し付け平和ボケ憲法の虜」となった珍種中の珍種である。こんな認知症集団は、喩え北朝鮮に核弾頭付きのミサイルを日本にプレゼントされても平気で「彼らは平和を望んでいる」ぐらいのことをのたまうであろう。

 ならず者三兄弟国家というのは、中国共産党が愚民を率いる中国、金一族が人民を食い物にする北朝鮮その首領は自らを将軍と称している、彼は決して「皇帝」にはなれない中共の属国の誓いをした者である。韓国は左巻の大統領にリードされるこれまた烏合の衆の国である。

 実はこのならず者三兄弟国家が実に「日本国憲法の受益者」である。少し日本に脅しをかければいくらでも「金」をせびれる上に憲法のご利益で決してはむかうことができないことを知った彼らは、今や日本の内政にも干渉し「日本国憲法改正阻止」に躍起である。良くしたもので、それに呼応する国内勢力も厳然と存在する。

 今までに何度も書いているので今更という気もしないでも無いが。日本国国会のシンボルたる議長、有名な学会かぶれの和製中国人と最近では軍上がりの中国人女性が事務所に出入りしていると噂される有名なもう一人の和製中国人。それと三国人に率いられる某宗教集団の面々である。

 いつまでも、性懲りも無くこの連中にいいようにたち振舞われては日本国民が持たない。この辺で、小泉首相は最後の仕事として、「事あれば、日本国はいつでもGHQの押し付け憲法など破棄する用意がある」とならず者どもに宣言してみたら如何なものか。
 

反日デモの殺人版

2006年02月20日 | Weblog
2園児殺害 「周りの子悪い」 鄭容疑者、自分の子のため (産経新聞) - goo ニュース

 このあたりで、中国人にとって日本人は「ええ候」(これは、我が静岡地方の方言で、「ええ」とは「良い」即ち、お人よしの「良し」と言う意味であり、「候」とは、居候の「候」と言う意味である。この意味は「とんでもないお人よし」と言う意味である)という認識なのであろう。

 昨年四月の反日デモ(暴動)は記憶に新しいことであるが、暴徒達が大挙して日本大使館に押し寄せ、石を投げるは破壊活動はするは散々暴挙の限りを中国当局は容認した挙げ句、その言い種は日本が中国の意にそぐわなかったから日本が悪い、その責任は全て日本側にある。中国人暴徒は「愛国無罪」の志士である。従って、日本に謝罪する道理は無い、こう言い張ったのであった。

 今回、この日本人園児二人を刺身包丁でメッタ突きにして惨殺した犯人(現在は容疑者)の言い分とは、「自分の子供が他の子供と馴染めないのは、周りの子供(日本人)が悪い」と証言しているそうであるが、園側の説明では、そのような事実は無く、この中国人容疑者の娘は日本人の子供たちと遊んでいたという。これは、この中国女は被害妄想狂であることを暗示している。そして、「このままでは、自分の子供がダメなってしまうので殺した」更にこの中国人の思考回路の不可解な点は、自分が惨殺した子供に対しては「憎しみは無い」と供述したと言う。ならばこの中国人女は、『道楽で、顔見知りの同級生日本人園児をなぶり殺しにした』ということか。

 自分の子供は、それはかけがえの無いものであり、目の中に入れても痛くないほど可愛いものである。しかし人様の子にも親はあり、自分の子が愛おしいように、その子供らも親に愛されていようなどと思う人間性は微塵も無い、単に邪魔者はその場の感情で殺してしまえということか。もし、その犯行の行われたとき十人の日本人の子供がいれば、ことごとく十人を惨殺したであろうことは想像に難くない。

 それにしても、中国人の国を挙げての無法ぶりは一体何なのであろう。この際、捜査当局にこのような残忍、短絡さを中国人が普遍的に内在しているのか徹底的に解明してもらいたいものである。その結果によっては、中国人に対する警戒意識を更に強めなければならない。

サブルーチン不在の国

2006年02月19日 | Weblog
領事館員自殺 暗号表の譲渡強要 外相、中国を批判 (産経新聞) - goo ニュース

 サブルーチン(SUBROUTINE):とはコンピューターのプログラムを記述する基本的な技法の一つで、種種の処理で共通に使用できる部分をメインプログラムとは別に作成して、必要なときに呼び出して利用する。

 このサブルーチンを多く用意することによって、メインプログラムに柔軟性と多様性を加味することができるのである。

 中国という国を考えると、殆どメインプログラムしか存在しないのだろう。
 よく言えば苔の一念、悪く言えば、馬鹿の一つ覚えである。靖国問題で日本が折れない限り決して次の処理に移行できない。日本国内にも和製中国人なる従属勢力が歴然と存在し、国益を損なわしめること頻りであることは、日本国民も既に承知しているところである。日本を思う国民の立場から、麻生外務大臣の中国に対する「毅然」とした立ち振る舞いに対して「大いなるエール」を送るものである。

 中国の上海領事館員が中国の諜報当局の所謂「ハニー・トラップ」(セックス・スキャンダルに陥れ、それをネタに国家機密の漏洩を迫るという罠)に引っかかって、国を守るという使命感と引き換えに自殺に追いやられた事件が週間文春のスクープにより、世間の知るところとなり中国が如何に卑劣な国であるか再認識されたのであるが、外務大臣という外務省を代表する立場の人がはっきりと中国を非難することは当然のことで、とても大切なことだと思う。今までの腰向け振りに比べれば、大変な前進である。今後とも、中国に対しては特別に「毅然とした態度」を貫いていただきたいと思う。

 最近では、中国の理不尽な要求に屈することは、日本が中国の属国となったと中国人に勘違いさせる愚行であると「普通の日本国民」も気付いたに違いない。今後は日中友好などという軽々しい言葉に惑わされ愚かな振る舞いをするべきではない。

 麻生大臣はまた、同種の問題の再発防止について、「この種の話はこの世界ではよくある。訓練、教育、躾は非常に大事。外務省は真摯に反省すべき」と強調されたとのことであるが、民間人とて、心して掛かるべきだ、「企業秘密」とて彼らの標的である。

 中国ばかりを非難しても片手落ちというものである。日本に於いては、日本国憲法がこの国を動脈硬化たらしめている。「不戦一国平和主義」が我国のメイン・プログラムなどと宣言していれば、侵略側に立てばそれだけで侵略の口実となること必定である。この憲法は、ソ連崩壊とともに命尽きたのであるから、一刻も早く改正というより新憲法を発布したらと思うのだが。
 ところで、日本国にとって、有事の際のサブルーチンはいくつ用意されているのか。些か懐が寒いのではあるまいか。

中国大使は日本人に土下座いたせ

2006年02月17日 | Weblog
5歳児2人を刺殺 幼稚園に車で送る途中 滋賀・長浜 (産経新聞) - goo ニュース

 私は中国人が大嫌いである。しかし不幸にも我が日本は海を隔てているとはいえ、隣国に位置しているのだから、やむを得ず「日中友好」も嫌々、心掛けなければならないかと思っていた。しかしこのような「天にも昇り地にも落ちる」ような残忍極まりない犯罪が、中国生まれの女性によってあたら純心無垢な日本人児童の命(それも二名もの幼い命である)が奪われる事件が起こるとは、中国の国際的にも非難を浴びている「反日教育」の齎(もたら)すものの成果がこうも国辱的且つ悲惨なものとして、地獄の責め苦を日本人に味あわせる成果となって具現された。彼女が奪ったものは、自分の子と同じ同僚の子供の命である。どのような動機があったにせよ、手にした刃物を何度も何度も同僚の日本人幼子の体に突き刺し惨殺したらしい。
 この中国人は祖国で何を教育され来日したのであろう。たとえどのような理由があったにせよこのような幼児惨殺を日本人として許すべきではない。
 
中国人というのはかくも空恐ろしい反日教育(日本殲滅)を施されたうえに日本に送り込まれた工作員であるという先入観を持って迎え入れるべきである。

 大使館のワンワンは創価学会の名誉会長と会談を持ったと報道されていたが、このような野蛮人の代表をまともに相手にするとはやはり第三世界国の盟主(三国人)なる故の真骨頂なのであろう。もはや宗教人としての自覚もないと見える。
 ワンワンちゃんとの会見を持って、学会無宗教宣言をし、気孔集団法輪功信者達の宗教弾圧など「他山の石」とも思わぬ傍若無人振りである。中共の場当たり的な甘いお言葉に幻惑されること喩えようもなしである。
 中共は「何故政教一致」の宗教団体が憲法違反を承知の上で日本国の中枢に巣食う事ができたか大いに関心あることであろう。彼の教団にとって、最近ではワンワンちゃんさえ日蓮上人に見えるのであろうか。「気孔集団法輪功」は宗教集団であるが「創価学会は無宗教集団」だと主張するのであろうか。

 ワンワンちゃんなどに、中国人の犯した極悪非道な犯罪に対し、真摯に謝罪せよなどと言っても、「豆腐にかすがい」、「糠に釘」、「馬耳東風」、「蛙の面にションベン」であろうが、中国人の非道振りを日本人に詫び、土下座の一つもしてみたらどうか。

 日本社会の常識では、このような犯罪は起こるべくも無いのであるから、当然無防備である。「売国新聞」として名高い同業他社では、犯罪人が中国籍の被害者の同級の母親であることをひた隠しにしたいらしい。そのように中国籍の婦人が犯人(この時点では厳密には容疑者であるかも知れないが)、対中国人に対する異常な庇い立ては一体どのような理由によるものか、やはり彼のメディアは「人民日報東京支局」か?
 
 このような保護者である母親(中国人)が自分の子と同じ児童惨殺の犯人というのでは、どのような防衛策が残っているのであろう。日本社会を将来に亘って揺るがす大事件である。 

 大使館のワンワンちゃんの顔を連想して、中国人は「獣(けだもの)」と思おう。

 時に感情的に中国を徹底的に非難することは日本人にとってとても大事なことである。

日本を駄目にした過去の囚人

2006年02月15日 | Weblog
 以前、「オウム貝よその口を閉じよ」という文章を書いて記憶があるのだが、またしても元外務省駐米大使だったそのお方が、「産経新聞」(平成18年2月14日)に登場なされた。せいぜい物笑いの種にしよう。

 小泉首相に靖国神社参拝中止を求めた真意は?:

 加害者である日本がやはり歴史を直視し、反省し、日本の外交政策や対アジア政策に反映させる努力を続けなければならない。中国や韓国が、戦後の日本は戦前と違うと評価して、初めて和解が実現する。近隣国との関係が安定することは日本の安全保障にとって大事だし、和解が旨くできるかどうかで日本の国としての姿、品格が違って来ると思う。

 (この頓珍漢は日本国憲法がどのような素性であるかも理解せずに、外務省にいたのである。何処の名門大学を卒業したか知りたくもないのであるが、現在の日本は骨抜きにされ、自衛戦争すら遂行できるかどうか疑わしい状況にある。それを、戦前と違うことを示せとは一体どうせよというのか。この日本人を骨抜きにしたGHQ提供の憲法の「趣旨」を憎むべき中共などはよくよく研究した上で無抵抗これを国内法の民法で表現すれば「法的無能力者」というのであるが、そのような国際的に骨抜き国家に成り下がってしまったのを「百も承知」で無理難題を押し付けている様もイメージできないほどの低脳なパーソナリティーを自ら暴露している取るに足らないご発言である。自国がどのような惨めな立場に立って来たかも分らぬ者が畏れ多くも外交官などとたかを括ってきたところに、現在の日本の悲惨さが映し出されているのだ。オウム貝よ、出演する場面を間違えるものではない。アホ時代は終わったのであるから、もはやインド洋の深海に沈め。)

 戦後、多くの首相が靖国神社に参拝しているのもまちがいか?:

 そう思っている。外務省の現役官僚だったときは、時の政治判断と違うことを言うことは控えていたが、個人的には二十世紀前半の日本がとった政策は一貫して間違っていたと思う。
 戦争の犠牲になられた方の大部分の人は純粋に国のために戦って命を落としたと思う。その霊を追悼するのは日本人として当然やっておかしくないことだ。しかし、首相や政府の責任ある立場の人が靖国神社を参拝することで、「はたして純粋にそうなのかな」という印象を国際的に与えることは間違いない。

 (実に呆れた御所見である。この文章を、中学生や高校生に読ませて、テスト問題として、このように設問してみる。「問題:このとてもへんてこりんな作文は一体何処の国の人が書いたものか次のうちから選べ。1アメリカ人 2日本人 3中国人 4韓国人」こう設問したら、まず日本人の書いた文章ではないだろう。おそらく中国人という答えが一番多くて、次に韓国人、アメリカ人という答えが返ってくるに違いない。次にこう質問するのである「それなら何故そう思うのか」すると、気の利いた学生なら、外国の立場で事が語られているからと答えるであろう。そして、実はこの文章は、日本国の外交官が書いたものだと説明すれば、「どうしてこんなに頭が悪いのか、だから日本は駄目になってしまったのだ」という感想を持つに違いない。とにかく、「日本人であること国益とはただ相手に合わせてヘラヘラしていることが外交の全て、能も無ければ策もなし」そういうスタンスがひしひしと伝わって来る画期的な記事である)

 この時期に論文を書いた理由は?:

 ナショナリズムの高まりに非常危機感を持っている。江沢民前国家主席は平成十年に来日時に日本人のナショナリズムを刺激し、対中感情を悪くした。近年、日本のナショナリズムは強くなっており、国際社会から見ると「日本は何処にいくのだろうか」という獏とした不安感が出てきているのではないか。

 (現在、国際社会が最も危惧していることは、日本の行き先ではあるまい。贖罪意識しかない人間の観点は、自虐でしかないから困る。日本のナショナリズムというのは、中国の反日ナショナリズムに対抗する形で喚起されていることを認識すべきであって、中国の半日の反作用である。一番馬鹿げたセンチメンタリズムとはこちらが遠慮すれば相手がそれを汲み取ってくれるだろうという馬鹿げた念仏の虜になってしまうことである。そのようなお人よし外交のツケをこれからの日本国民が払っていかなければならないのである。自分達が行った能無し外交を将来に向って続けよなどと、厚かましい発言ぬけぬけとするべきではあるまい。
 今のところ、法的に日本は「丸腰」なのであるから、中国あたりのナショナリズムと同等に比較するべきではない。ただ叫ぶだけに終始するのである「ナショナリズムに危機感」などと、どの面提げて日本国民に言うのか。この「オウム貝」が中国へでも出向いて「中国のナショナリズムは危険」だと発言する度胸があるなら、それはそれで価値あることであろう)

 国際社会の不安感は誤解に基づくものではないか?:

 そこはちょっと違う。ドイツと比較して、戦後の日本は帝国主義政策、膨張政策を採った二十世紀前半の行為について、きちんとした総括をしなかったところが問題として残る。

 (とんでもないマスターベーションぶりである。押し迫る加齢のためボケたなどと言ってすまされる問題ではない。当時の同盟国ドイツの悪行というのは、帝国主義的拡張政策については、後の連合国(戦勝国)も利害を共通のものとしていたから、宇宙人的な観点に立ったときお互いの犯してきた所業としての(有色人種への人権無視と迫害、搾取)と領土拡張政策(言葉を替えれば帝国主義)についてはその罪を相殺しよう。しかし、ヒットラーおよびナチス・ドイツが行ったユダヤ人への「ジェノサイド(GENOCIDE)これについては未来永劫その罪を負えということであった。そこで、ドイツ人はその罪をヒットラーとナチスの構成員に負わせることで「良く分らないまま戦争に加担した罪深き被害者」という形をとって世界の許しを請うたのである。
 このオウム貝のおりこうさんはどだい頓珍漢なのである「日本人」が歴史上どの時点で「ジェノサイド」たる罪を犯したというのか、己意外は英語も分らぬほど日本人が馬鹿だと思っているのか「GENOCIDE」の元々の意味は殺戮のことであり、そこから派生して、「集団殺戮」という意味に添加し、ナチス・ドイツのユダヤ人殺戮が民族(人種)を根絶やしにするほどの凄惨なものであったため、殊更不吉な意味を加味されたものである。
 こんな馬鹿は、中共の片棒を担ぎ、我が日本の先人がそれ以上非道なことをしたとでも言いたいのであろうか?
 歴史を学ぶ中学生、高校生はこのようなイカレタ外交官の口車に乗ってはいけません。日本が戦争を戦った時代は、戦わなければ喰われてしまう時代に我々の先輩達が果敢に挑戦した勇気ある時代であった。たまたま判断を誤り、敗戦の憂き目を味合わされたが、我が祖先は実に勇敢であった。ここに及んで戦争責任などという「和製中国人」どもの言うことに耳など傾ける必要は全くありません。
 我が民族は、原子爆弾を投下され世界史上初めて人体実験されることにより、日本人全体として、その罪を望むと望まざるに拘わらず十分に支払ったのです。今尚原爆症に苦しむ人々がいますそういう人たちに対し、我が事の如く思いを寄せ決して貴方方は運が悪かったなどと思ってはなりません。運命を共有することにより明日の日本がどのようなものであるべきか、何をすべきか考えることです。

 先の大戦に対する歴史的評価は定まっていのではないか?:

 外務省条約局長時代、私は国会で「国際社会では、あれは侵略戦争だ、というのが評価です」と言った。日本人はその評価に異論あるかもしれないが、国際社会の判断は既に下されている。米国に日本の首相が「あの戦争は自衛の為のせんそうだった」と言ったら、日米関係はもたない。
 人類の歴史は、残念ながら常に戦争を繰り返してきた。その歴史は、殆ど戦争に勝った側が書いている。負けた人からは「公平ではない」と思えるかもしれないが、勝者が書いた歴史が歴史として受け入れられている。そのことを日本人は受け入れないといけない。

 どうもこのオウム貝氏は我々から見れば負け犬のラッパ吹きでしかないのであるが、三流国の外務官僚根性は相当なものである。何でも、現役エリート時代には、国会で、「国際社会では、あれは侵略戦争だというのが侵略だと言うのが評判です」と答弁したことが人生最高の至福の時だったと誇らしげに述懐しておられる。見せしめ裁判によって、大いに日本精神は破壊されたのであるが、この自称エリート氏は積極的自暴、自棄、自虐、贖罪を実践したことがプライドであったと堂々と発言するのだから、畏れ入る。「この野郎、貴様が売った日本国を我々後継者に反せ!」
 本来外交官の仕事とは、国際関係において国家として「分の悪いところがあるなら、その才覚をフルに活用し権利を勝ち取って行くものではないのか」
 ところが、オウム貝氏の発言は、ガキ大将に弄られ続けて生きていくことだけを日本国民に強制するものである。言っておくが、自衛戦争であれ、侵略戦争であれ、戦争は広島、長崎への原子爆弾投下をもって、60年も前に終わったのである仮に日本に非があったとしても連合国側の非人道的な原爆による日本人の人体実験により相殺されているのである。この史実に基づく道理は子供でも直感的に理解できるにも拘らず、このように「日本人よ未来永劫歴史の囚人たれ!」などと、「神」にでもなったつもりで暴言、妄言を吐くのは断じて許すまい。
 貴様がその思い上がりにより捏造した「負け犬」という「ハンデキャップ」を背負って行かねばならない「将来の日本の若者の余計な苦労」を考えたて物申せ。もはや、能無し老いぼれの出番ではない。
 

過去の囚われ人

2006年02月15日 | Weblog
戦争責任論、ポスト小泉の有力3閣僚は慎重答弁 (朝日新聞) - goo ニュース

 先の戦争というのは、所謂西洋人(これをアングロサクソン系人種)というこの人種は己が皮膚の白きをもって、有色人種を虫けらかゴキブリのように評価していた(西部劇のアメリカ・インディアンの立場を思うべし)。日本人とて彼らからすれば、極東に住む虫けらの如き存在であったろう。

 自虐贖罪日本人の大好きな戦争責任など日本側にはあったとしても知れたものである。敗戦前、今でこそ「売国新聞」などと揶揄されているメディアがどれ程、帝国主義的侵略を煽ったか歴史が語るところであろう。(自分で自分の書いた記事を読み返すだけで済むはずである)。当時玉砕だの神風特攻隊などと煽りたて何人の若者を勝ち目のない戦場へ送り出したことであろう。そのくせ、GHQに占領されるや手のひらを反し、己が悪行を棚に揚げて、「戦争責任を問う」などとは一体どのような神経をしているのやら、まことにもって、気が知れない。

 このようなメディアこそ戦犯に値するのではないか、昔右翼、しかし今は改心して、左翼であると詭弁を弄せば許されるのであるか。そして、更に今では、「我が社は日本国籍とて持ち合わせていない」かつての過ちは先祖がやったものだと言い抜ければそれで済むと信じて疑わず、「国家の責任云々」を口にしているのだから開いた口が塞がらない。

 大東亜戦争の遠因は白人の有色人種に対する偏見である。彼らには自分達は根本的に有色人種よりも上等という信仰がある(それは今でも変わってはいまい)そういう白人の有色人種は白人に対して一段下という先入感があって、当時、有色人種である日本人が予想外に頭角をあらわしたことへの理不尽さに耐えられなかったことが潜在的な要因であったろうし、対日ABCD同盟により、我が祖国は、彼らに「干された」ことによる止むに止まれぬ生命維持のための戦いを挑んだのである。日本人という「種族」にとってこれ程当然な戦争はなかった。

 世にも非道な原子爆弾を広島と長崎に落とされ有色人種であるが故の制裁(原爆による非人道的人体実験)を受けて敗戦の運びとなったのであるが、この日本民族の存亡をかけた戦いの何処に戦争責任なるものがあろう。もしあるとすれば、ジャスコ・チャイナ氏の祖先とて当時生存していたという理由による責めを負うべきである。

 共産党や社民党紛いの国会質問は、支持者を失望させるだけのものである。中国人ならいざ知らず、一般の日本人はこのような話題には飽き飽きしている。


Red China in New York

2006年02月14日 | Weblog
「あ然とさせる発言」麻生外相を米紙が痛烈批判 (読売新聞) - goo ニュース

まったくもうCHINAのアメリカ本土におけるロビー活動にも節操というものがない。買収できるものは全て買収し尽くすのである。ニューヨーク・タイムズも今や「人民日報ニューヨーク支局」の地位を確固たるものとしたとお見受けする。日本国にも「人民日報東京支局」なるメディアが存在するのであるから、我々も足元をもう一度確認する必要もあるのであるが。

 ここに来て、南京大虐殺などと中共の「二束三文」のプロパガンダの片棒を担ぐなら、アメリカが大東亜戦争において敗色が明らかになった日本の広島、長崎にサターンの兵器をよりによって二発も投下し、日本人の「一千万」にも及ぶ非戦闘員の生命を奪った行為に対してどのような謝罪をするのかはっきりさせて貰おうではないか。

 現在でも被爆国日本においては、原爆による後遺症によって「一億二千万」の国民が苦しんでいる。中共の言い分を聞く前にアメリカの罪に懺悔するのが筋ではないのか、「ニューヨーク・タイムズ」はこのようなふざけた記事を報道する前に己が国の非人道振りを懺悔いたせ。

 我が日本国はアメリカ合衆国の投下した原爆によって人体実験された被害者であるそのような日本国に対する加害者が根も葉もない中共の口車に浅はかにも乗せられるとは、イエスキリストに罪の奥深さをお伺いいたせ。くれぐれも言うが我が日本国はアメリカ合衆国により原爆の人体実験された被害国である。

 今や、アメリカのメディアも中共の軍門に下り、人権、民主主義、自由禁止国の仲間入りである。

 

 

日本国憲法の限界

2006年02月12日 | Weblog
日朝協議 「強制連行840万人、従軍慰安婦20万人」 宣言無視、北が補償要求 (産経新聞) - goo ニュース
 
 今日は事の外大げさな題名を付けてしまった。その昔「気違い猫ども」というグループがあって、「スーダラ節」というのを歌っていたのを思い出す。なんと飲んだビールは五万本ですと。強制連行840万人、従軍慰安婦20万人この数字は、当時北朝鮮に常駐した軍人の数を遥かに上回るものである。これが真実とすれば当時北朝鮮の女は全て「売春婦」であったということであったか。売春婦の数を従軍慰安婦などともったい付けた表現をされては「皇軍」の戦士にとって著しく不名誉、迷惑な話である。それに戦前、「従軍慰安婦」などというものは無かった。ところで当時、北朝鮮地方の人口とは如何許りのものであったろう、まさか国民全体が連行されたとでも主張したいのであるか?それに、従軍慰安婦などという「単語」は中華帝国傀儡議長が考案した最新の「造語」であると聞き及んでいる。請求書は傀儡議長個人に回してもらいたいものである。日本国民としてはこのような方こそ友好の担保として彼の国に差し出されることに意義無き者が多数を占めよう。
 国会議員などという公籍にあるものは、常に国益を考えて行動すべきである。最近の標準的日本人が感じることは、中国共産党の日本に対するそこはかとない「悪意」に対して媚びるような輩は絶対に許すべきではないという憎悪の念であろう。

 北朝鮮にこともあろうに、このような「ピョンヤン宣言」をも無視させる行動を取らせているのも、同盟国たる「北京の意向」であろうというのは想像に難くない。
 この馬鹿げた現象を日本国内で具現しているのが、社民党の「時代錯誤ノーパン宣言」である。「非武装中立、自衛隊違憲」という幻覚がこの世に実現するというメルヘン幻想に尽きるのである。女性社会党員は事の始めに「対中共ノーパン宣言」でもしたらどうか。
 彼の国の侵略占領戦争とは、女性を陵辱のあげく惨殺し、しかる後に陰部を銃剣で抉るのが侵略の作法だという(これは黄文雄氏が言っておられたことである)。以後は私見であるが、焼き鳥の如く焼かれた子宮はこれは旨いあれはまずいなどと言って、味見されるのであろうか、彼らの人徳度とはそれぐらいのものである。
 彼ら(本当は奴等)には人道、道徳、倫理、女性愛護などという観念は、生まれてこの方持ち合わせが無い、単に日本の国力と比べて、勝てるという確信が持てれば、どんな理不尽な言い掛かりをつけても戦争に持ち込むであろう。(中国を訪れる機会があったら、中国の青少年に質問してみるが宜しかろう、彼らは躊躇無く、自分達より弱いものは滅ぼすと言ってのけるであろう彼らの判断基準は善悪、正義不正義ではない、ただ単に強弱が判断基準である)。
 今や、五十五年体制の「惰眠一国平和主義」で生き長らえることができるなどと信じているなら、明日は危ういのである。
 虚構を夢見る「日本国憲法」を即刻改正し、侵略に対しては断固武力を持って戦うという意志を世界に発信することが唯一身を守る術である。
 北朝鮮は、「ピョンヤン宣言」をないがしろにしても、能無し日本は何もできないとたかを括っているのである。私情であるが、事此処に及んでは、「対朝鮮経済制裁」を徹底的に行うことが最重要であろうと信じて疑わない。