昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

憤慨するのは日本だ

2005年12月30日 | Weblog
日本の抗議に「強烈な憤慨」…領事館員自殺で中国 (読売新聞) - goo ニュース

 かくして、日本国民は益々中国嫌いになって行くのだ。・・・・・

 「我々は、様々な遣り方で中国の印象を損なおうとする日本政府の悪質な行為に強烈な憤慨を表明」するですと。 

 誰かが言っていたが、日本にもB級国民と呼ばれる人々が存在するという。その人たちの特性とは、自己がどのような者かという自覚がまったく無いまま、差別意識のみに駆られ、自己主張することだけが本分であると聞く。

 もはや、日本人にとって、中国などという国の評価は、「ひたすら日本を、まるで白昼夢でも観ているが如く非難、攻撃し、一方的に自己主張だけする国」という認識得るに至った。被害者は一日本人外交官なのである。
 理不尽なること極まりない主張を世界中の人々に知らしめ、中国のおぞましさを認識してもらうことである。所詮、「北朝鮮の親分」のお血筋である。

 「中日双方ですでに、結論ずけた事案を一年半も後に再び持ち出し、館員の自殺と中国当局者を結びつけようとまでするのは完全に作為的なものだ」・・・・ならば、五十年以上経ってから靖国問題などわけも分らぬ問題を持ち出しゴネ捲くっているのは、どうゆう了見なのか?全くのご都合主義である。小泉首相が表明したように「もはや日中韓に、靖国問題は存在しないのである」

 記者団から中国側がこの問題に関して、どんな調査をしたのか質問されるや、「日本の主張は、下心ある誇張という私の言葉から、何が事実なのか判断できるはずだ」などと逆に居直り、調査など何一つしていないと主張する。
 初めから質問に答える気は無い。・・・・こんな国は、世界中から「奴等は癌だ」という名の洗礼を受けるが良い。

Cuando Caliente SHIZUOKA#16

2005年12月29日 | Weblog
 おお皆の衆、私は以前「世渡りとは弁護士に気違いにして頂く事?」という題名でアピールしたことがあったのだが、今回もまた危惧したとおりの顛末になりそうな気配である。私は「静岡新聞」の一購読者であるから、遠慮気味に記事を援用させて頂く事とする。悪しからずや。

 京都女児殺害「嫌悪感示され犯行」元講師、殺人罪で起訴

 京都府宇治市の学習塾で十日、小学六年の堀本沙也乃さん(12)が殺害された事件で、京都地検は二十八日、殺人と銃刀法違反の罪で、元塾アルバイト講師の同志社大四年荻野裕容疑者(23)宇治市寺山台三丁目を起訴した。
 荻野被告は起訴事実を認め、「(女児に)『気持ち悪い』と言われるな嫌悪感をあからさまにされ、その言葉が頭に浮かんで思い悩んだ。この世からいなくするしかないと考えた」と供述しているという。
 地検は、塾での指導をめぐるトラブルから女児への理不尽な恨みを募らせた荻野被告が確定的な殺意を持ち、周到に計画した犯行とみている。
 女児の父恒秀さん(42)は「娘の死を信じたくない気持ちがいっぱいで、長い悪夢が続いているよう。被告は厳罰をもっても許せない」とのコメントを公表した。
 荻野被告は事件前、精神科に通院していたが、地検は犯行状況を鮮明に記憶していることから完全刑事責任能力があると判断した。主治医も「善悪の判断はできる状態」とはなしたという。
 被告の弁護人は「被告は妄想に支配されていた可能性が高く責任能力に問題がある」として精神鑑定の請求を検討する方針を明らかにした。

 ところで、皆の衆この文章からはまったく行間の邪推の域を出ないのであるが、あくまでも「犯罪人からの委任」が無い限り、弁護人たる職務にはつけない慣わしになっているのである。この精神鑑定の申請を前提とする弁護を企てようとしている弁護士は、弁護の前提となる「被告人」から「犯罪能力者=普通の判断能力」をもつ犯罪者から委任を受けて、「犯罪無能力者」として扱えと言うことに公信力があると、どのように証明するのか(そのために精神鑑定が必要というなら、被害者や国民に説明責任があると思う)畏れ多くも検察と(日本国裁判官、裁判になれば)に意義を申し立てているいるのである。何という矛盾であることか。こういう「自己矛盾」にも気付かないような弁護士は「乞食弁護士」と呼ばれて相応であろう。
 まったく純心無垢な被害者は、「弁護士こそ犯罪人の罪の弁護者どころか犯罪の種そのものである」という実感を持つこと必定である。

 現法務大臣は、就任早々「死刑執行を承認」する書面には署名しないと声明を発したという。

 しかし、考えてもらいたい。国民が法務大臣に付託した使命とは、宗教家としての意見を述べよなどと言う事ではない。哲学として、『法務大臣の語るべきものは、法と正義、罪と罰』だということである。その「襷(たすき)」に長さ足らぬと自己判断するなら、即刻身の振り方を考えるべきである。

 弁護士は、犯罪被害者たる相手方の心情をも弁護の前提条件とすべきである。


文春の価値あるスクープ

2005年12月28日 | Weblog
上海、日本総領事館員が自殺 「中国から情報提供強要」 (産経新聞) - goo ニュース

 週間文春の「中国情報機関の脅迫に首を吊った上海領事」というスクープ記事は中国の恐ろしさを知らしめる最高の記事である。

 週刊文春がスクープするA氏の悲劇とは:2002年3月に上海総領事館の文書、公電などの情報伝達の担当官として単身赴任していたA氏は、数ヵ月後に、上海の虹橋地区のカラオケ・クラブ「かぐや姫」を同僚と共に訪れ、やがて常連客化して行くのである。中国では「カラオケ」とは「女性による接待付きの店」のことを言い、当然売春まがいのことが行われていることは想像に難くない。そこで、彼は、「劉」というホステスと親しくなったという。
 頃合を、見計らって「劉小姐(リュウ・シャオジエ)」は「私を助けて。私を助けると思って、私の友人に会って、・・・・」という殺し文句を投げかけるのである。・・・・彼女に同情したその結果、まんまと敵の術中にはまり込んでしまう。彼は、一人の女と複数の男に会う。女は「陸」という通訳で、複数の男の中に「
唐」という人物がいたという。この人物が中国情報機関のエージェントだった。劉というホステスが素人であったか、プロによる演技であったか、どうかは分らないのであるが、劉は売春容疑で摘発され、A氏の存在と彼が領事官であることを知った上で標的とし、所謂中国諜報機関との「お付き合い」が始まるのである。A氏が自殺(2004年5月6日)に追いやられるまでに一年を要したという。

 標的となったA氏は、次第に機密性の高い情報を提供するように強要されていく、こういうやり方で攻めるのが中国の常套手段だという。このままではマズイと思った彼は、外務省人事課に転職願いを出し、自殺の一週間前にはロシア・サハリン州の領事館への移動が決まっていたという。ところが、迂闊にも彼は劉にそのことを喋ってしまったというのだ。
 それを聞きつけた諜報員劉らは、数日間にわたってA氏を「我々に協力しなければ、劉との関係を領事館だけでなく、本国にバラす。お前と劉との関係は我国の犯罪に該当する」などと脅迫し続けたあげく、極めつけは、「まあいい。お前がユジノサハリンスクに行っても付き合おう。我々もロシアについてはいろいろ知りたい。我々は一生の友人だからな」というような念の入れようであったという。蛇のように執拗に将来にわたって付き纏われてはたまらない。そうした切迫した思いが自殺という道を選ばせたのであろう。

 彼らが狙ったものは何かというと、A氏は情報通信分野に配属されていて、機密文書を暗号化するノーハウを知っていた為、標的にされたのだろう。A氏にも隙はあったにせよ、日本外務省の認識の甘さにはあきれるばかりである。日本人である同胞が殺されたに等しいような自殺に追いやられた事実を目の当たりにして尚且つろくに中国に対し抗議もしていない。
 当時、現在駐日大使となっている王毅が外交部のアジア担当副部長だった。彼に抗議しようと行動を起こしたのであるが、呆れた事にこの王毅、抗議に出向いたら、ズッコケて入院して、ボイコットしてしまったのだという。正式に日本のした事は、北京大使館の堀之内秀久・政務担当公使が孔鉉佑・アジア副司長に川口外相の名前で、本国訓令に基づき厳重に抗議すると申しいれた」・・・ただこれだけしただけだという。『日本人同胞の命とは真剣に抗議をすることも無いほど、こうも軽いものかと呆れ果てるのである』

 しかも外務省はこの事件を一切首相官邸に報告もしなかったという。話にもならないのである。生まれ直さない限り問題が解決しないほど深刻である。更に、川口元外務大臣は文春の取材から逃げ捲くっているのだと言う。

 連想ゲーム:この世の中でまったく訳の分らない人種というのが、媚中派と呼ばれる与党国会議員の諸氏である。彼らは頻繁に訪中した人たちである。彼らとて小泉首相の靖国参拝などが対中外交に影響するなどと真剣に考えているようでは、政治家の名に値しない人材であると思うのであるが、まるで、北京を代弁し続ける立場に立つことに特別の原因はあるのかと勘ぐりたくなるのは私だけであろうか。
 最近財務大臣が中国の女性諜報員を滞在中にホテルの部屋に呼び込んだところを公安に踏み込まれたなどという情報がリークされたりしているが、媚中派と呼ばれる議員諸氏はおしなべてこのような「危険なキャリア」の持ち主ではないかと興味深いのである。

 どちらかといえば、些か「サディスチック」な小泉首相は暇に任せてこの人たちにどのような「踏み絵」を準備しているのか楽しみである。

出世魚

2005年12月26日 | Weblog
 「出世魚」とは、日本が伝統的に漁労(ぎょろう)国家であることから出来上がった、その成長段階に応じて、同じ魚の呼称を変えていく風習に基づくものである。
 「鰡(ぼら)」であるとか「鱸(すずき)」などが対象魚であるが、その中の最たるものは「鰤(ぶり)」であろう。

 「鰤(ぶり)」とはアジ科の海洋魚で、全長1メートル、日本近海に分布し、養殖もされている。「寒鰤(かんぶり)」とは日本人の冬の味覚である。この魚は、出世魚の最たるものである。
 幼魚から順に、「ワカシ」「イナダ」「ワラサ」「ブリ」というように出世するのである。これは東京地方の呼び方であって、静岡では「ワカシ」を「ワカナゴ」と呼んでいる。
 このような、出世魚などと呼んで海産資源を愛したのは、おしなべて、日本民族が海洋資源に感謝の念を込めたからにほかならない。

 何時もの通り、ここから話は変わるのであるが、「中国の珍獣」といえば、「ジャイアント・パンダ」をおいて他には無いだろう。中国人も、昔は狩猟の対象としたかもしれないが、現在では保護動物となっている。今年年頭には「中台友好」の特使として、台湾につがいのパンダが寄贈されると大騒ぎしていた記憶があるのであるが、その後どうなったことであろうか?あのような動物の価値は金銭では推し測れないものがある。日本を例に挙げれば値一兆円を下らないことを台湾の方々にご忠告申し上げておこう。

 ところで、このパンダも実に、「出世猫」なのだ。例えば、幼名を「クン・クン」と名づけたとする。3~4年して生殖能力が備わってきたら、元服の改名をするのだという。

 そして、この「クン・クン」が、元服後にどのように改名されたかというと、「ワン・ワン」と改名されたのである。ところでこの「ワン・ワン」ちゃんは、育ちが疑われるほどお行儀が悪く、いつも日本の飼育係の調教を無視します。
 
 先日など、「サンデー・プロジェクト」に産みの親の「マリアさま」、この方とて最近では邪宗教の「聖母」と成り果てた方であるが、彼女を出演させ、「ワンワン・ワンワン」と執拗に我々の「神の子」即ち「エル・ニーニョ」を攻撃させることに余念が無いのである。
 余りの評判の悪さを自覚したのは良いが、『自分だけ良い子になって、本国のため、日本人同士を共食いさせる作戦』を思い付いたとは畏れ入る。

 日本人はもはや、このような「悪徳大熊猫」に笹など与える必要もなかろう。本国への「返品嘆願署名運動」でもしたほうが良さそうである。

控えめな発言

2005年12月25日 | Weblog
前原発言は「無神経」 横路副議長 (朝日新聞) - goo ニュース

 この横道副議長という人も政治家かどうか疑わしい。政局(政治情勢)対して盲目即ち(めくら)である。そんなに前原代表が気に入らないなら、この際「社民党」の福島党首も熱い視線(まなざし)を送っていることでもあるし、やさしい彼女の元へ行ってマリア様のごとき慈愛に包まれるが宜しかろう。
 前原代表とてそれをお望みであろう。ついでに公明党も一緒に連れて行ってくだされば、一気にに政界再編成が完了するのである。
 日本国民も、創価学会員たる姉歯建築士の絡む耐震強度偽造事件に対し公明党の国土交通大臣が事の始末にあたるなどと、その宗教団体に所属しない日本国民にとっては「ヘド」が出そうなスキャンダルなのである。我々の税金が一宗教団体の構成員が起こしたスキャンダルのために使われるのであろうか。事件を起こした原因はひとえに「信心」が足らなかったのであるからなどと言っておられた分には、国民が救われないのである。そしてその始末をする大臣が、同じく創価学会員(間違っていたら表明なされよ)即ち公明党なのである。
 この構図は、弁護士と裁判官が「アイデンティファイ」されたような大事件なのである。泥棒が警察官であるなどということが許されて良いはずは無い。
 
 ところで、次の参議院選挙(場合によっては衆参同時選挙)戦の戦略方針が各党の俎上に揚がっていると聞くが、次のテーマは「日本国民対非国民」となること必定である。早く非国民にレッテルを貼り付けるべきなのだ。


中国好きがまだこんなに!

2005年12月25日 | Weblog
広がる嫌中意識 親しみ感じない63.4% 内閣府調査 (産経新聞) - goo ニュース

 中国に親しみを感じる人が32.4%もいるとは驚くべき数値である。親しみを感じるイコール好きということではないにしても、その多さに感動を覚えるのである。どうしたら嫌いになっていただけるのだろう?・・・・
 冗談はそれ位にして、今日は報道各社の「国語能力」について評価をしてみたい。

 他社がタイトルを「対中親近感 最低の32%」となどとしたのに対して、「嫌中意識 親しみを感じない63.4%」と裏返しの表現をしたのも面白い嗜好である。

 一番感心した表現は:「政令経熱」と言われる日中関係だが、四月の反日暴動や小泉純一郎首相の靖国参拝に反対する中国の姿に、日本国民の間で「嫌中意識」が広がっていることが裏ずけられた。

 この文章は、四月の反日暴動や、日本国首相の小泉純一郎氏が国内にある靖国神社に参拝することは主権国として当然のことであるが、それに反発する中国の姿に、日本国民が「嫌中意識」を強めるようになった。
 まことに、仰せのとうりであって、元来日本の首相が靖国に参拝しようがしまいがとるに足らないことであって、言う方も言う方であるが、神経質に応じてきた方もだだ腰抜けであっただけである。問題は馬鹿なことをしたり、言ったりする中国側にある。それを見透かした日本国民は当然のこととして益々中国嫌いになって行く。

 この短い文章の中にそれだけの意味が込められているのであるから、相当な文章力である。
 私はこの「産経新聞」の十代の投書欄をいつも読ませてもらっているが、「文章能力」の高さに驚かされるのである。新聞を読むことによって、青少年の思考力が鍛えられるのだと思う。

 同業他社などは、おしなべて「対中、対韓とも、小泉純一郎首相の靖国神社参拝で冷却していることが影響し・・・・」などと書いている。
 これぞまことの「贖罪意識」そのものであって、読者に思考の余地を与えない、裁判の判決文を読まされているようなものだ。本当に日本人が書いた文章かと品位を疑うのである。文章全体に「書き手の立場」というものがまるで存在しないのである。

 産経の言う、兼韓意識高揚の原因とは:首相の靖国参拝や竹島問題への韓国政府の頑なな反応が影響したものとみられ、「冬のソナタ」など韓国ドラマなどによる「韓流ブーム」も陰りが出てきたようだ。

 相手を逆に脅してやるぐらいがちょうど良い。
 このように、原因は日本側というより、中国や韓国の側にあることを、正確に日本国民に伝えるのが日本のマス・メディアの義務ではないかと痛切に感じる。
 「報道に携わる者」は「国語能力」が問われるのである。

Cuando Caliente SHIZUOKA#15

2005年12月24日 | Weblog
 今宵は「クリマス・イヴ」うら若きカップルなどは有意義に時を共有しておられることであろう。先ずは『メリー・クリスマス!』時よ永遠なれ!

 今日の副題は:「songzhao」新説を世界に発信する。

 先日、ゴヤ(Goya)について書いたのであるが、いささか舌足らずであった。これはその続編である。彼は1746年生まれ、27歳でマドリードに定住、43歳でカルロス四世の宮廷画家となるが、78歳でフランスに亡命、ボルドーで82歳で没している。時に1828年である。

 43歳で宮廷画家になった二年後に重病になり聴力を失い、同時に、その作風が奇怪な心の闇を描き出すようなものに変わって行くのであるが、その闘病の時期に描いた作品に「SATURNO」という作品がある。この作品は1820~23年に描かれたもので、現在マドリーのプラド美術館に収蔵されている。一般には「我子を喰うサターン」と呼ばれているものである。ゴヤ74歳頃の作品である。

 ゴヤは「聾の家」で闘病(幽閉)生活を送ったとき14点の作品を残したとされるが、所謂「黒い絵」の中の一点である。
 この「我子を喰うサターン」は古代ギリシャ神話を題材にしたもので、その内容というのは、天空の支配権を我が子に奪われることを恐れた「SATURNO」は次々に五人の子供を食い殺していった。また「SATURNO」は土曜日に魔女達が集会を開くときの主催神でもあり、人間である限り絶対に逃れられない運命、時間、死の象徴であり、闇の象徴でもある。
 この絵は、インターネットでも公開されているので検索するとよい。目をむいた「サターン」が息子の腕を食いちぎっている様が奇怪なタッチで描かれているおぞましい作品である。これをゴヤの最高傑作という人もいるのだから、目のやり場に困るのである。

 私とて、本物を観たことは無いのであるが、絵画図鑑などで見る限り「SATURNO」が長い舌を出しているようにも見えるのである。
 
 ここで、斜め右を向いて目を見開いて、舌を出した有名な人の写真に思い当たるのである。そのお方とは、かの有名な20世紀を代表する偉大な物理学者であらせられる「アインシュタイン」博士である。
 私は、幼少の頃から、何故にかくも偉大な物理学者が愛嬌というにはいささか度を過ぎた写真を残したのか疑問に思っていたのだが、最近になって、博士はゴヤのこの絵のサターンを連想させるべくあのような「パロディック」な写真をお残しになったのだという確信を益々深めているのである。

 アインシュタイン博士(1879~1955年)の略歴を記しておこう:
 
 米国の理論物理学者。ユダヤ系。南ドイツのウルム生まれ、スイスのチューリッヒ工科大学を出て、1902年ベルン特許局技師となり、1905年、特殊相対性理論、光量子仮説、ブラウン運動の理論、1907年固体比熱の理論を発表。
 1914年ベルリン大学教授。1915年一般相対性理論を完成、1921年ノーベル物理学賞、1922年には来日し熱狂的な歓迎を受けた。
 1929年統一場理論を提唱。1933年ナチスに追放され渡米、プリンストン皇統研究所員となり、1940年米国市民権を得た。
 1939年には核分裂が軍事的に利用される危険性があることを指摘し、それをナチスが開発する可能性のあることをローズベルト大統領に警告。平和運動、世界連邦運動にも尽力。(マイペディア百科事典より)

 ゴヤはスペインの少数民族バスク人であり、アインシュタインはユダヤ人、幼少の頃から大成するまでの境遇が似ているし、他国へ亡命という憂き目を見たが、共に生前に名声を得ている。この二人は画家と科学者時代背景も違うのであるが、ゴヤが経験したのはナポレオンのスペイン侵略であり、アインシュタインが経験したのはヒットラーのユダヤ人殺戮である。
 したがって、アインシュタインの脳裏には「ゴヤのあの絵」の記憶が焼きついていたことであろう。

 アインシュタインはアメリカに原爆を製造させる「動機付け」を行ったという負い目を終生感じていたはずであり、懺悔の意味を込めて「あの写真」を撮影させたに違いないのだ。

Silent night holy night
All is calm all is bright
Round yon virgin mother and child
Holy infant so tender and mild
Sleep in heavenly peace
Sleep in heavenly peace


合言葉は『犬を喰うな!』

2005年12月23日 | Weblog
麻生外相、中国軍拡「かなり脅威」 党内外から賛否両論 (産経新聞) - goo ニュース

 未だに、「日中関係を考えると『脅威』というべきではない」であるとか「外相として、配慮に欠ける軽率な発言だ」などと批判する「オウム貝」どもがいるのだ。そのような輩は活動の場を博物館にでも移したら宜しかろう。
 日本人独特の「言霊信仰(ことだましんこう)」をしていれば、現実の実相が変わるとでも思い込んでいるのか?。「南無阿弥陀仏」であるとか「南無妙法蓮華経」と唱えていれば、国難は去り、平和は招来するとでも主張するのか。
 されば、さっさと頭を丸めて坊主となりて「本願寺」や「大石寺」の門を叩きたまえ万人に開かれているのである。

 大東亜戦争のときも、この「言霊信仰」が日本を敗戦に追いやったという真実を悟らなければなりますまい。そのとき日本中が「神頼みシンドローム」に陥っていたのだ、理屈抜きで『神風は吹く』と信じていた。日本は敗北するだろうなどと発言しようものならそれこそ袋叩きにされた。それは何故か?と言えば、「敗北」という言葉に「言霊(ことだま)」が宿るからだと言う。「敗北」という言葉が「敗北という実相」を呼び込むというのが信仰の実相なのだ。

 日本人の精神志向とか文化への見識を欠いた上で、「お中国さま」のお気持ちに闇雲に同情して、中国が現実の「脅威」であるにも拘わらず、「脅威」になると困るので、「脅威」と言ってはならぬ。このような代議士は真性オウム貝である。代議士たる適性があるか否か学識経験者の意見を請うべきである。

 日本人は「言霊信仰」という剣を持つとき、それが片刃の剣か両刃の剣かを、先ずもって認識しなければならないと思う。「言霊信仰」は明らかに、毒にも薬にもなる「両刃の剣」なのだ。

 いつも、申し述べている通り、私はただの酔っ払いであるが、親中派では無い、しかし、『日中友好』も大切であると思う。そこで、嫌中派の止むを得ない日中友好の合言葉を提言したい。動物愛護団体の方々にも大いに賛同していただけると思う。

 合言葉とは:『中国人よ犬を喰うな!』・・・そうで御座ろう「先生」。

 

Cuando Caliente SHIZUOKA#14

2005年12月22日 | Weblog
 静岡県人は雪にお手上げ。

 北陸だの東北の人が見れば、笑い転げるような光景であったことだろう。我々静岡の人間は、三センチも雪が積もれば、道路はスケート場のようになるのである。

 この時期に静岡県中部地方で、雪が積もる事は殆ど経験したことが無い。仮に積もるようなことがあったとしても冬の終わりから早春に掛けてである。毎年ではないが、富士山が一面真っ白に雪化粧するのもその頃なのである。名残雪で化粧する「お富士様」ということになる。
 この地方で雪が積もるといっても、たかだか、五センチあるかないかの話である。しかし雪を知らない我々にとって、その程度のことでパニックになるのだ。

 今朝など雪のおかげで、車で三十分の通勤時間が一時間半もかかる大仕事となってしまった。
 怖いと思って急ブレーキをかけるものだからコントロール不能となって側溝に脱輪するは、追突するは、急ハンドルを切ってスピンしてしまい挙句の果てに対向車と衝突するはで、さながら通勤地獄を味合わされたのである。

 静岡新聞夕刊が伝えるところによれば、県警交通管制センターによると、同日午前八時頃から積雪や路面凍結のため、菊川市の県道菊川榛原線など三路線三箇所で通行止めになったほか、東部や西部の山間部を中心に二十七路線二十八箇所でチェーン規制された。県中西部を中心にスリップ事故も多発し、午前十一時現在、百件以上の事故が報告されている。
 雪による道路の凍結で、島田市内では追突などの交通事故が相次いだ。午前十時半現在で、島田署に入った交通事故の連絡は四十六件。交通課と地域課を中心に対応に当たっているが、「件数が多すぎて処理が追いつかない。過去にこんなことはなかった」とてんてこまいだ。

 とまあこのようなドラマが繰り広げられたのである。

 若い頃には北陸や東北の豪雪地帯へ車で行ったものであるが、良くしたもので雪国の人たちは少しばかりの積雪などものともせずにスイスイと運転していた。私など雪に不慣れな輩は、それこそもう怖くて目に涙を溜めながら必死で運転したことを思い出した「静岡の珍雪」である。

 それにしても、静岡中部地方のドライバーは雪には、まったくの「お手上げ」である。不器用というより経験が無いのだ。事故現場に向った「おまわりさん」達は無事故で現場に辿り着けたのであろうか、心配である。

Cuando Caliente SHIZUOKA#13

2005年12月21日 | Weblog
 今日は「日・西友好」を図るという立場で GOYA(ゴヤ)というスペインの画家に想いを寄せたい。

 ゴヤは1746年3月30日アラゴンのフェルナンドスの貧しい農村に生を受けた。
 スペイン人は、とりわけ絵画において、その気高き民族的才能を誇りにしているのである。ベラスケス、エル・グレコ、最近ではピカソ等そうそうたる画家が名を連ねるのであるが、その中でゴヤに対する思い入れようは尋常ではない。

 ゴヤという名称は正確には、フランシスコ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテスという・実に長たらしい姓名である。彼のパーソナル・ネームは「フランシスコ」、「ゴヤ」というのは父方の名字であり、「ルシエンテス」というのは母方の名字である。日本語に直訳すれば、ゴヤ家とルシエンテス家を出目とするフランシスコということになる。
 
 日本でも本体に混血しきれなかった民族にアイヌ民族がいるが、このゴヤもスペインの誇り高き小数民族であるバスク人の末裔である。この民族はスペインとフランスの国境をなしているピレネー山脈周辺に暮らしている人々である。
 
 20世紀の最も優れた物理学者はアインシュタインであるが、彼は小学生の頃、劣等生扱いされていたことは有名な話である。
 このゴヤといういう画家もそういう部類に属する人材であった。彼は1766年12月サン・フェルナンド王室美術アカデミーの奨学金競作に応募して失敗、1766年7月、当時20歳であったとき、マドリード・アカデミー入学試験に挑戦して失敗というありさまであった。

 これは、彼が俗にいう絵描きではないことに起因しているのであろう。いわゆる名人芸ですらすら描く画家ではなかったのである。写実的にうまい絵を書く人が画家であると定義するなら無理も無いことと思う。

 彼は、当時の画壇において、名を成すまで異端者として相手にもされなかったのである。
 彼の作品は人物画が主流であるが、どの顔もなぜか能面のような表情をしている。人物の奥底にある魂を決して悟らせないのである。「他人は決して私を理解しない」というこの画家の心の叫びが伝わってくる作品ばかりであることが顕著な特性である。

 1817年頃に描かれた「自画像」という作品があるが、どの作品の人物もこのコンセプトで貫かれている。

 日本では、1800年ごろ描かれた着衣のマハ(Maja Vestida)、裸体のマハ(Maja Desnuda)等が良く知られているのであろうが、今私の申し上げた観点から見つめなおして頂きたいものである。

 ゴヤの作品はマハ(伊達女、今風にいえばプレイガール)を題材にしたものが多いのであるが、その中で価値ある作品が二点ある。1809~1812年頃の作品で「マハとセレスティーナ」と「バルコニーのマハたち」である。これらの作品で彼は「自己」と「得体の知れない外界」という自己意識を明確にキャンバスに描き出すのである。
 決して正体を見せないマハと奇怪なセレスティーナ、寄り添い何かを見つめる二人のマハの背後にいる闇としての二人のマホ(伊達男、プレイボーイ)なかなか意味ありげな作風である。

 1811年の「恋文」という作品においても、前面で恋人のラブレターを誇らしげに読んでいるうら若き女性の後ろでパラソルをかざしている女性が言うにいわれぬ「闇」の部分を暗示している。

 その他、「カプリチョ」(音楽用語で奇想曲)と呼ばれる銅版画作品であるとか、益々もって奇怪な作品が多数ある。

 「ドン・キホーテ」という滑稽小説があるが、滑稽さの中にかえって、余りおもしろくもない現実を連想させる。

 このように「外見とは懸け離れたユーモア精神」をスペインの人々は持っているのである。実に奥ゆかしい国民性である。

  

代議士ども危機感を持て

2005年12月20日 | Weblog
 副題:学校問題、もはや対症療法で解決できる段階ではない。大至急事の本質を認識し手を打つべし。

 器物破損事件で逮捕者が続いた静岡市内のある中学校で、対策の手詰まりを訴える市民の声に危機感をもった議会が、市教委を飛び越えて学校現場の声を聞く異例の視察を行ったのだという。

 問題というのは、8人の問題行動を繰り返す生徒の対応に関して、学校側が無能にもなすべき策もとれず問題を抱え込んだまま事態をこまねいていた為、採られた措置だという。教育に携わる校長はその職責をどのように認識しているのだろうか。責任者としての資質が問われると思う。
 分りやすく言い換えれば、自分の家が火事だというのに誰が犯人か追及されるのが怖くて消防車も呼べずにいるのである。

 その8人の不良生徒の罪状とは、「校舎内で歩きタバコ」「CDを大音量で流し、授業を妨害する」「飲酒して登校する」などである。これを聞いた市議は言葉が無かったという。

 学校側との懇談で市議側は、教育的指導と犯罪行為への対応は別との認識を示した。パトロールや相談員のあり方を検討し、生徒指導に当たっている教職員の心のケアにも配慮していくことになったとのことである。

 この際である。市議と校長のやり取りを写し取っておこう:

 市議「たばこや飲酒は違法行為であり、生徒の登校を拒めないのか」
 校長「拒否はできない。保護者に連絡して事情を説明する」
 市議「仕切りがあいまいではないだろうか」
 校長「たばこは取り上げ、止めさせるが、素直に従わない。たばこを教諭に投げつけたり、ネクタイを持って胸ぐらを小突いたりする」
 市議「犯罪行為だ」
 校長「警察とは連携している。傷害行為などが明確になれば(逮捕などの)対応をお願いすることになる」
 市議「問題行動がある生徒の家庭環境は」
 校長「指導力の不足を感じることがある。(連絡を取り合っている)中には、子供の問題行動に同調する親もある」
 市議「生徒の先輩後輩の関係はどうか」
 校長「今の三年生が一年生のとき、荒れがみられた。何のシンボルなのか、赤いバッジを譲り受けた生徒もいる。自分もあのように目立ちたいと考えているのかも知れない」
 市議「殆どの生徒は、一生懸命勉強している。影響はないのか」
 校長「(問題の生徒)を隔離はできない。生徒には学ぶ権利があり親には学ばせる義務があるのが義務教育で、まずは『きちんとしなさい』と指導する。だが、教室でじっとしていられるのは三十分が限度だろうか。すぐにうろつき、校外へ出てしまうこともある」
 市議「地域との連携した対応はどうか」
 校長「自治会やPTAには実態を報告し、校内外のパトロールをお願いしている」
(静岡新聞を参照した)

 これを読んでどう思われるか。これが、一地方の問題にとどまらず、日本全国に一般的にみられる状況ではないのか?

 幼児の主体性を重んじた教育などと馬鹿馬鹿しいことを唱えていれば、可愛い子供が成長し暴力という能力を備えたときこのような手に負えない化け物に成長するのである。物心ついた頃から社会のルールを教え込んでおかないと、犯罪者の予備軍にしか成り得ないと思い知るべきなのだ。いい加減に教育基本法であれ憲法であれ改正して、国家を健全なものにすべきと思う。
 
 みんなで考えなければならない問題だと思う。心ある方はコメントなり、トラックバックなりしてみて下さい。


売春とジェンダーフリー教育

2005年12月19日 | Weblog
 静岡新聞も女子学生(中、高校生)のゆがんだ性意識に対しても、直視しようとする気になったことは大いに買おうと思う。

 この記事は、性を語る会代表北沢京子氏の寄稿された文章を素材としている。氏は道徳、不道徳を問題としているのではなく、未成年者の安直な性行動がもたらす性感染症などについての危険性に言及されているのだ。

 少し要点だけを抜粋させていただくと:

 今や、女子高校生の間では「ケータイの援助交際なんて中学生のやること。高校生になったらデリヘル」などといわれているそうである。デリヘルとはデリバリーヘルス即ち出張売春のことなのだ。
 ある県では、売春防止法違反で逮捕された未成年女子32人の内、高校生が26人いたそうである。
 これに対し、緊急会議を開いた県教育委員会と高校校長会のメンバーの内「デリヘル」の認識を持っていた人は皆無であったそうです。
 この「デリヘル」経営者は女子高生売春婦を高級車でお向かいに上がり、お客の待つホテルであるとか自宅に「宅配」し二時間後にはお迎えに出向くのだという。未成年子女を巻き込んだ性風俗、性道徳の乱れはこのようなものである。
 
 厚生労働省の研究班が行った調査によると、男女5、700人のサンプルの内「性体験あり」が40%だという。また不特定多数との交わりで性感染した生徒も多く、性器クラミジアのリ患率が男子で6.7%、女子で13.1%であった。
 
 日本医師会では、性器クラミジアの患者数は全国で百万人程度と見ている。特に女性は自覚症状が出にくく、感染による不妊症や子宮外妊娠、流産などの遠因ともなっている。これらの現実にたいして、社会も高校生も余りにも無関心だ。

 北沢先生は、このような現状において「自分の健康は自分でしか守れない」のであるから、せめて『保健行動』ができる生徒を育てて欲しいと提言なさっているのである。

 私は言いたいのであるが、『ジェンダーだのジェンダーフリーだの男女共同参画社会』だのと声高に主張している所謂「チルドレン」諸氏はこの日本の性道徳の乱れをどのように捉えておられるのであろう。もし、「チルドレン」と称する方が女性であるなら、同性として何とかすべきとはお考えにならないのであろうか。
 我々男性に「不妊症になった売春婦」と一緒に仕事をせよというのが「男女参画社会」だというのであるか?主張の前に同性の自己啓発にお努めになるのが筋ではあるまいか。
 
 そして最後に、未成年者売春とジェンダー・フリー教育に相関関係があるのか無いのか関心は尽きないのである。



Cuando Caliente SHIZUOKA#12

2005年12月18日 | Weblog
 以前、私は『命なりけり小夜の中山(西行法師)』という題で日記を書いたことがある。
 昨日17日に金谷、掛川間で旧東街道を歩くイベントが開催されたことを静岡新聞で知るところとなり、我が気分は最高である。この日私は静岡市のあるチャペル風の式場で親戚の結婚式があったので参加したのであるが、とても寒い一日であった。

 新聞記事を写し取っておくとしよう:

 気分は旅人 句や歌詠み史跡ウォーク

 西行法師や松尾芭蕉が、旅をしながら句や歌を残したとされる旧東海道を歩く「東海道旅の詩人ウォーク・さやの中山と西行&芭蕉の旅追体験」(島田市、掛川市主催)が十七日、島田、掛川両市内で開かれ、ウォーキング愛好者ら約九百人が参加した。
 参加者は、JR金谷駅と掛川城をスタート地点に、金谷坂石畳や小夜の中山、掛川城などを巡る約十五キロのコースを歩いた。全員に「投句用紙」が配られ、参加者から道中の景色、歴史文化を題材にした短歌や俳句を募集した。
 休憩ポイントでは暖かいお茶が振舞われたほか、郷土芸能も披露され、参加者はいにしえの旅人気分を味わった。

 晴天に恵まれたとはいえ、寒さに耐えかねぬ一日であったことであろう。さながら「寒稽古風史跡巡り」の趣であったと想像するものである。
 しかし、九百人もの参加者があったとは驚きである。小夜の中山の峠の古寺から眺望する南アルプスや富士山にかけての山並みの景観は如何なものであったろうか。まさに「山波」というに相応しいものではなかったか?

 「掛川城」といい、「小夜の中山」といい「山之内一豊」ゆかりの「場所」である。来年のNHK大河ドラマと相まって『熱く燃えてもらいたいものである』。

Cuando Caliente SHIZUOKA#11

2005年12月17日 | Weblog
 平成ルネッサンスを静岡から発信しよう

 静岡は偉大な政治家、武将であった「徳川家康」終焉の地である。当初彼の亡骸(なきがら)は久能山に葬られたが、三代将軍「家光」が日光に改葬した。これは、元来日本人が縁起を担ぐことを旨とする民族性によるものと思われる。

 古くは、京の都の鬼門(東北の方向)の邪気を祓うため比叡山延暦寺が建立されたと聞く。

 そういう意味合いで、家康は「大権現」と神格化され日光に鎮座して江戸の鬼門の守りに就いたのであろう。

 今日は、千利休(せんのりきゅう、1522~1591)について、考えてみたい。彼は、安土桃山時代の茶人で、千家流茶の湯の開祖で「侘び茶」という領域を大成した人である。
 元々は、大阪堺の商人で、茶道を北向道陳(きたむきどうちん)、武野紹鷗(たけのじょうおう)に学んだ。織田信長、豊臣秀吉の茶頭(さどう)を努め、1585年秀吉の禁中茶会、北野大茶湯を主宰した。
 また、草案風茶室を創意した。「茶の湯天下一の名人」と謳われたが、秀吉の怒りにふれて切腹させられた。(日本史辞典より)

 ここで利休は秀吉の怒りに触れて詰め腹を切らされたということであるが、どうしてそのような事態に立ち至ったかということを考察してみるのも一興であろう。

 利休の茶の湯というのは、織田信長の政治手法にも取り入れられ、大きな成果をあげた。「茶室政治」という言葉が残っているほどのものである。利休が考案した茶房において信長が立てた茶を振舞われながら政治が語られ、そこに参加できることが、当時の武士のステイタスであった。

 秀吉も当初利休の手法を取り入れたのであるが、彼は下克上の寵児であり、とても派手好きであった、大阪城に黄金の茶室を設(しつら)えたほどである。そういう人間に「詫びさび」を理解せよといったところで及ばぬところである。
 黄金には黄金の、銀には銀の価値を与えなければならない、即ち、俗人が求める価値観への回帰が必要と考えた。
 ルソン島から持ち帰ったような素焼きの壺が値千金だの、竹を切ってこしらえたような花瓶の価値が万金などと主張されたのでは困るのである。
 利休が詰め腹を切らされた遠因はそんなところにあったのだと思う。

 大東亜戦争終結後60年経過した今日、敗戦で失ったものの歪が諸に出てきたのだと思う。最近マスコミを賑わせている「耐震強度偽装事件」も一建築士の犯した罪だけかと思っていたら、そんなことは無く、日本国中津々浦々で安易に行われてきているらしい。
 残虐な児童殺害事件も連鎖的な広がりをみせ、留まる所を知らない。これらの惨事は、「日本精神の喪失」に起因するものに違いないのである。我々は、広島と長崎で核による「人体実験」の洗礼を受け、敗戦という憂き目を見た。しかし、本来の「精神」まで売り渡してしまって良いものであろうか。
 大東亜戦争で我々日本人が主張したものは、「白人の有色人種への差別を撤廃せよ」との叫びであった、その正義の叫びが戦争という挙に駆り立てたという根源的本質を理解すべきなのだ。所謂「召使い」的な贖罪意識に囚われ続けるのは、この辺で「卒業」したい。

 新しい「国民の価値観を再構築」したいものである。

十代の主張を聞こう

2005年12月15日 | Weblog
 私は普段から、各紙の一般読者の投稿欄に目を通すように努めている。地元の静岡新聞はどちらかというと年配者の投稿が充実している。

 今日は、産経新聞の「10代の声」という欄に注目したい。この新聞では、一定のスパンで青少年の寄稿を募集しているようであるが、実にしっかりした考えを持った若者の意見が目に付く。産経新聞を購読しているような家庭の子女はこのように正常な育ち方をするのかと驚かされる。少し抜粋させてもらうこととしよう。

 「ゆとり教育」徹底的改革を(静岡県磐田市17歳男子)

 「ゆとり教育」、これについては、批判的な人が圧倒的に多いようだ。
 私もゆとり教育世代の一人である。その批判の押し寄せる中、来年の中学一年生から旧課程教育へ転換することが決定したという。これを耳にした私は、喜びと激しい憤(いきどうり)が交錯した。「私が受けた教育は何だったのか」と。たった五、六年で誤りだった、いや実施する前から誤まりだと指摘されていたような教育を、何故実施したのかと言いたい。
 旧課程教育の復活は、学力低下を食い止めると考えられるから、ゆとり教育の転換は喜ばしいが、自分たちはその犠牲者であったのかという思いが消えない。
 かつて、日露戦争の頃には、東遊運動という日本への留学運動が盛んだったという。この頃は日本が確実にアジアのリーダーだった。
 しかし、今はどうであろうか。ある調査では、ここ数年、受験戦争の激しい韓国や中国より日本人の若者の学力が落ちているとのことだ。ゆとり教育も原因の一つだろう。
 将来、学力の劣った日本人が他国へ盛んに留学するようになっては、寂しいものがある。
 ゆとり教育を転換するのであれば、この際、文科省はじめ関係者の方には徹底的に改革してもらいたい。高校生である私も精一杯努力していきたいと強く思う。

 『まともな高校生の確かな意見であると思う。この学生には、現在行われている学校教育の質が国際的(とりわけアジア)の水準から見ても劣っているのではないかと危惧し、ゆとり教育を転換すると同時にさらに充実した教育課程を構築すべきと主張し、自分自身もやる気満々である。実に結構なことだ。文部省はじめ教育者、代議士等は日本人の知能を世界最高水準に持っていかない限り、日本の将来は覚束なくなるという危機感を持って、教育改革に臨むべきである。』

  
 殺人事件は極刑で減らせる(大阪府箕面市17歳女子)

 朝起きると必ずニュースを見る。その大半は、目を覆いたくなるような犯罪の数々。昨日見た事件が忘れられたかのように、翌朝になるとテレビや新聞はまた新しい凶悪な事件を伝えている。
 犯罪の中でも、殺人が一番恐ろしい。普通に生きている人間が、ある日たまたますれ違った人間に殺される。犯人の動機にも驚く。「イライラしていたから」たったそれだけの理由で人間を殺してしまう。
 遺族はその日を境に人生が変わり、ずっと深い悲しみを背負わされて生きていく。
 殺人は道徳の低下や、はびこる非常識が原因の一つだと思う。もう一度、常識とは何かという原点に戻り、人を如何なる場合でも、殺したら死刑。これが一番分りやすい。それが殺人を減らす最もよい方法なのでは、と私は考える。

 『はなはだ、乱暴というか、ストレートな主張であるが、最近の、その場で思い付いたような無差別で通り魔的な殺人事件などを見ていると、この女子学生の言うことが、妙に説得性を帯びてくる。世論もそういう方向に向いて来ると思う。殺人抑止力としての、断固たる死刑の執行である。おぞましい世の中に我々は生を受けているのだ。』