昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

超ばかの壁

2006年09月30日 | Weblog
9月30日付・読売社説(1) (読売新聞) - goo ニュース

 静岡新聞には現論というコラムがあって定期的に論客が登場して論陣を張るのであるが、今日の論客は養老養老孟司氏である。氏には多くの著作があるが、「バカの壁」というのが一番有名であろう。氏はまた静岡新聞社の客員論説委員にもなっておられるということである。今日は時間がないので氏の記事を抜粋することは割愛させてもらう。静岡新聞がこのコラムを無償でネット配信しているかどうか知らないが、その記事の題名は「世間の崩壊と教育」「他人のせいにするな」である。

 さすがに氏の指摘により日本社会の病理というのがよく分析されていて、成る程と納得させられるのであるが、現在戦後60年たった今、闇から竹の子のようにスクスク育ち始めた凶悪犯罪・・・親の子殺し、子の親殺し、自分の過ちを他人に転嫁するなどの根本的日本社会の病理をよく指摘してくれているのだが、この原因は伝統的な日本の精神である『世間の崩壊と教育にある』と指摘されていることに意義の申し立てようもないのであるが、ならば何故そのような社会に成り下がってしたというところまで『医療のメス』を入れてもらいたいものだ。

 私などが発言するもおこがましいのであるが、思うところ、今まさに日本社会に日本国憲法の心髄が具現しているのである。この憲法には『善』に対応する『悪』の観念を占領軍(GHQ)が完全に隠蔽してしまっているので、馬鹿な日本人は何を見ても善であるとしか解釈できないのだ。母親が我が乳飲み子を殺しても、その母親の立場に立てばなんと邪魔な子であったことか、だからわが子を殺してしまったことに大いに同情し、母親のわが子を排除しようという思いを正当化しようではないか。あるいは、子の親殺しに際しては、そんなに子供の躾にむきになるのは子供の人権を踏みにじるのであるから、その子はとても不憫である。だから親が子に殺されても当然のことである。・・・・このような邪悪な対日対策根本法が日本国憲法の神髄であったのだ、敗戦間際の世代は、戦争に負けたことであるし、その場を取り繕うために、「とりあえず戦勝国の言うことを聞いておけ」という気持ちで敗戦国押し付け憲法受け入れ、当初は何とか自主憲法を制定しなければならないという気でいたかもしれないが、幸いなことに極東は戦後現在まで平和であったため、民族の存続原理まで忘れてしまったのである。平和(単に戦争がないという状態)が日本に取り返しのつかない福音を提供したのは日本民族にとってとても不幸なことである。

 『超ばかの壁』を超えるとは、日本国憲法は日本人に厭戦を保障するものであろうが、それが平和の保障かといえば、まったく別問題である。日本国憲法の平和の前提とは、畏れ多くも中国や北朝鮮まで日本に平和を提供してくださる善意あふれるお国にあらせられるというのであるから、日本国はほとんど砂上の楼閣である。このように日本人が一刻も早く認識することである。

 日本国憲法経の説くところ、日本人は世界に仇なす害虫であることを前提条件としている。ところが、中国や韓国は日本国憲法の利点をとても深く研究していて、日本人に「お前らは加害者」だと脅し続ければ、永久に金をふんだくり続けることができると、高を括っているのである。・・・・「日本人は中国人(朝鮮人)の心情を害した」とNHKに言わせ続ければ、その被害者の地位は保証され続けるという按配である。そして、何よりも不幸なことは、日本人がNHKに視聴料の支払いを強制されていることなのだ。・・・・怒れ日本人!。

ごもっともに御座る

2006年09月29日 | Weblog
「菓子は余裕があれば」 小学校英語必修化を文科相否定 (朝日新聞) - goo ニュース

 とにかく日本人の悪い癖で、アジアの隣国中国、韓国、台湾、フィリピンなどの国々と比べて英語能力が劣っていることが日本の沽券に係わると文部省のお偉方などは考えているようであるが、ここは冷静に脳味噌のキャンバスをまっ白にセットアップして、考えて見るべきである。

 私など別段学があるなどといえるような人間ではないのだが、言語などというもの、後進の非文明国にとっては、それは英語という言語は素晴らしいと感じるかもしれないが、わが日本語を話すご縁に恵まれた日本人にとって、日本語と比較して、たいしたメリットもない英語を敢えて学ぼうとすることなど、とてもナンセンスなことである。日本人が何ゆえ外国語の履修能力に欠けるかといえば、外国語に比べて、発声学的にも言語構造においても優位な立場にあるから、矛盾に満ちた外国語の学習が苦手なのである。

 私は、再三申し上げているのだが、中国語にしろ英語にしろ名詞と動詞の境目がとても曖昧である。中国人やアメリカ人が名詞を聞けばそれは行動を伴った観念として脳裏に想起するであろうし、中国人に至っては、時制の観念すらない。だから、彼らは60年以上も昔の歴史認識と将来どのようにあるべきかという観念、即ち、過去の帰結として現在があり、現在の努力が未来に結実するという観念が欠落してしまっている。
 これを矯正するにはどうしたらよいかといえば、中国人自らが中国語を捨てることしか解決策はないのである。

 そういう意味で、隣国の韓国などは、紫禁城は我々の父祖が建設したものであるから、紫禁城とその領地を返せと大声を張上げて中国人に主張するべきなのだ。

 ところで、日本語というのもとても奇妙な言語で、日本人は動詞であっても掛け軸にかかれた文字を読んでいるがごとき受け取り方しかできない。
 日本人の言語に対する認識というのは、たとえ動詞であっても行動を伴わない名詞的観念なのである。この日本語の言語構造により我々は戦後60年もたって、民族の命の保障もないような日本国憲法を拝んだまま、『有り難がって』、改正しようとしないのである。
 日本語が、言語構造や表記法で完結している素晴らしい言語である割には、大東亜戦争の敗北は大きな痛手であった。金科極上は何時までも拝んでいたいという日本語の特質と敗戦によって刷り込まれた自虐史観とがあいまって、いまや日本国憲法は亡国神の権化と成り果てたのであるが、それでも大方の日本人にとって、『お憲法様』なのだ。早く目を覚まそうぜ!、皆の衆!。

為了発展日本、不要中国要印度

2006年09月29日 | Weblog
インド、ベトナムと交渉へ 経済連携協定、年明けにも (共同通信) - goo ニュース

 たまには、中国語風に題名を付けておくのも楽しかろう。日本の政党が国民受けしないのは、揃いも揃って無能だからである。与野党揃い踏みで『お中国様!お中国様!』では、国民全体が白痴シンドロームに陥ってしまう。

 そして、硬くても難ありであるが、ほとんど溶解してしまっている脳みそ保持者が日本の大部分のマスコミである。そのトップバッターが共同通信であろう。まあ何だな、報道というものは双方性がなければならないのに、中国向け非難は一切封じられたまま、中国側の悪質なプロパガンダを中国の意のままに垂れ流すのである。ほかにもそうした日本メディアはあるが、中国にしてみれば可愛い優等生なんだろう。

 このたび、安部内閣は『高砂やー このうらぶねに 帆を揚げてー』とばかりに比較的年配者(老人?)を多く乗せ、目出度く船出したのであるが、彼らに逆風に耐える力が残っているのか心配にもなる。港から出た途端、横波を受けて浸水というのでは話にもなるまい。ここは安倍新内閣の前途に幸あれと皇祖神=天照大神、豊受大神と書かれた掛け軸に祈りを込めよう。

 あー、ところで、今回入閣した高市早苗氏などとても口が大きく目もパッチリと現代における典型的美人である(女性の顔はにぎやかさをもって旨とする)この方はとても元気で弁も立ちそうだし、田中真紀子氏をも圧巻しよう。このスマート・ビューティーに期待しよう。「燃えよ!アンチ・ジェンダーフリー!」。以前私はPraise me Sorry!などと、茶化したことがあったが、ここに失礼を詫びつつ、「We will praise you!」と祝福しよう。

 また安倍内閣は積極外交に転じるのだという。そのハシリはすでに発現している。

 産経(SANKEI)新聞(これを産物と経)と翻訳したのでは気の毒である。・・・・が伝えるところ、左派リベラル系(日本で言えば進歩的文化人)のアジア研究学者のプリンストン大学教授ジョン・アイケンべりー教授がワシントンポストに8月17日に載せた「日本の歴史問題」と題する寄稿に対し、堂々と反論する批判を、在米日本大使館の北野充公使がニューヨーク・タイムズ系の新聞に寄稿し、記載されたという。

 大和田氏や栗山氏の所謂オウム貝暗黒時代は終わったのだ。施政者が「これからは戦う外交を展開する」と断固たる意思を示せば、気丈夫な外交官も育って来るのだろう。今日は『北野充』という外交官の名を覚えておくこととしよう。

 中国人どもに、「日本にとって中国だけが外国ではない」という命題を認識させる人材の育成が求められる。世界の中の『井の中の蛙』どもにも困ったものだ。一年中田植え時の田んぼにいるようなものだ。途轍もなく騒がしい。

 みんなで叫ぼう「不要中国、要印度」「退中国、去印度」・・・・何を言っても蛙の面にしょんべんかーー。・・・・・

下世話な要求にNoと言おう

2006年09月27日 | Weblog
参拝見送り、断念表明を 首脳会談開催条件 中国、安倍氏に要求 (西日本新聞) - goo ニュース

 むかし、享保の改革であったか定かではないが、幕府の教育的指導があまりにも喧しいので、「世の中に蚊ほどうるさきものはなし、ブンブ(文武)というて、夜も寝られず」という狂歌で幕府を揶揄したが、中国人というのも『この類の虫けら』どもである。

 中国人が、一旦外国に観光旅行に出れば、それは世界中から真剣に嫌われるのも当然である。

 国際的常識で物申さば、ろくでもない要求をたれる前に「新政権の御発足おめでとうございます」くらいの礼節を持ったらどうだ!。

 こんな連中(中共指導部)が人民に礼儀を説いたところで、説法を施すものが、肝心の礼節からかけ離れたところにいるのだから、中国人民は痰を吐きつつ糞しょんべんを垂れ流し、けたたましい中国語を話し続けるのだ。

 この際、安部晋首相は明日の朝にでも靖国参拝を堂々とこれ見よがしにやってやれ、チョンコロの厚かましいお願いに対しては、聖徳太子の誠意を持って無視続けるに限る。

 大方の日本人はチョンコロと仲良くしようなどと全然希望してはいない。話せば話すほど吐き気を催す。
 民主党の小沢氏など中国人と話をしたことが原因かどうか医師の診断書が出ていないから、なんとも言えないが、中国で食った毒饅頭がもとで心臓までおかしくなったのではあるまいか。橋本竜太郎氏があんなに早く逝ったのも、中国禍によるものであろう。まことにお気の毒であった。この際、田中真紀子氏なども抗中国禍ワクチンを摂取されて、くれぐれも健康に留意されることが肝要である。

 ここで、台湾問題までいちゃもんをつけてきたのであるが、台湾の独立は台湾人の欲するままにさせてやれば良いではないか。台湾人の自由と人権にゆだねるべきである。

 日本の政治家は、リップサービスのつもりで、日中首脳会談が大事などと日本側から、うっかり口を滑らせれば、やつらはいい気になって、やぶ蚊のごとくブンブンと日本人の血を吸いにくるのであるから、政治家はまず彼らに行儀を教えることから始めるべきだ。

大芝居(第三十五幕FINAL)

2006年09月24日 | Weblog
「支えてくれてありがとう」 首相、きょう引っ越し (産経新聞) - goo ニュース

 ありがとう 支えてくれて ありがとう 激励協力 ただただ 感謝 ・・・・これが我が『御前』雲隠れの一句である。

 国内のメディアからは、皮肉にも、コケにされることの多かった小泉順一郎首相であったが、外国の不人気リーダー達は、日本の小泉をさぞ妬ましく思ったことであろう。
 どうすれば彼のように国民の目を自分に釘付けにして置けるのか『色々』と『様々』に良き研究対象になったことも事実であろう。更に、内閣支持率が50%もある状況で、どうして後継にその座を譲るのか、まことにもって不可解と思うことだろう。

 こういう身の振り方をしたのは、遠く日本史を紐解けば弘法大師空海が最初の人物であったと聞いている。
 空海は早くから弟子たちに対して、自分が入定する日は何時何時と予告して、その死の儀式を自らの意思で決行したのであるが、そのやり方とよく似た首相退陣劇をご自身の意思で準備し、自分の眼鏡に適った後継者にその職責を委ねた。・・・・これは、日本人だから感じることができる美談である。

 この光景を目の当たりにした韓国人など、どうしてノムヒョン氏がその国民的不人気度にも拘らず、いまだに大統領なのか分けも分からなくなるであろう。

 考え方によっては、小泉順一郎氏は、国民と一国のリーダーとの好ましい関係の保ち方を世界に知らしめたのかもしれない。
 まあ、言ってはなんだが、何かにつけ上に立つものを批判することを唯一の存在理由とする日本のマスコミからは、やれポピュリズムだの大衆迎合主義だのと酷評されることしきりであったが、グローバルな目で冷静に観察すれば、『突飛なパーホーマンス』だけでこれだけ安定した政権を維持できたとは驚かされることだろう。

 国民としても、本当に楽しませていただいた五年半であった。小泉首相!、本当にご苦労様でした。

 源氏物語では、この後『宇治十帖』の開幕となり、主役は『薫ちゃん』となるのだが、この先、如何がいたそうものやら。・・・・

ダメ日本を創造したホンボシの顔

2006年09月23日 | Weblog
国旗国歌通達 都義務化を堅持、全都立高にヒアリングへ (産経新聞) - goo ニュース

 石原慎太郎東京都知事は、記者会見で即座に控訴するという決意を述べていたが、当然のことである。
 これは、東京都に401人もいるという反日ゲリラども(実のところサボタージュ)を旨とし、休まず遅れず働かずを人生の極致と心得ているアンポンタンどもの所謂、少数派のあくなき人権に関わる主張なのであろう。なんともか弱き自称被差別集団の主張ではある。しかし、このものどもが(卑しくも将来の日本人の魂のありかを無垢な少年、少女に指導すべき人材)としては、まことに不適切である。

 こんな訴訟を立ちあげた人材とは、もし、被害者が男子であったなら、おそらく彼は、恐竜がごとき始末におえない女房を抱え、日々迫害に遭っている身に違いない。もし、告訴した者の中に、女性が混在しているなら、おそらく彼女たちは、その性格の異常さをもって貰い手のないヒステリー女どもに違いない。一部の皇室関係者のごときものである。

 しかし、小泉後継者である安部晋三氏にとっては、とても好ましい害敵が出現したものである。小泉政権においては、靖国参拝が政権の平均台であって小泉首相はこのネタで五年半に渡り国民の目を釘付けにして、終わってみれば戦後三番目の長期政権を実現した。彼の場合、初めから策があったわけでもなく走りながら人心掌握術を体得したと見るのが、正当な評価であろう。

 今期、安部政権は偉大な先人が一種の闘争本能で刻んだ「長期政権のノーハウを我が物とし、永く国民に支持される安倍内閣であって欲しい。中国や韓国との外交懸案など、売国メディアが騒ぎ立てるほど重要な問題ではない。そんなことより、外交で平和が保障される限界を日本国民につまびらかにし、次のステップでは何が求められるのか、白日のもとに晒してもらいたいと思う。
 とどのつまり、わが父祖たちの生き様を学び、咀嚼し、評価することが『明日の日本を滅亡の憂き目から救う道』に繋がるのだと思う。

 私の文章と言うのも横に反れること甚だしいのは、いつもの慣いであるが、巷の噂では、中川農林水産大臣が次期文部科学大臣候補に挙がっているとか。真実なら、まことに好ましい人選だと思う。
 先般、『朝日・NHK』タック=(足を食い合うレスビアン蛸ども)から従軍慰安婦問題でともに攻撃を受けた仲であったことは、記憶に新しい。今回の安部政権ではどのような人事が行われるのか知る由もないが、文部科学大臣、外務大臣、法務大臣には毅然とした対応が取れる人を選んでもらいたいと思う。

 国を国とも思わず、平和とは漫然とお隣さんの言うが儘でいることを言い、国家に拗ねていれば食うに困らず。・・・・これが、原告の主張の心根である。なんともお粗末である。このような、教育者に恵まれた生徒たちは、もはや生きて行く生甲斐さえ見出せなくなってしまうだろう。できるだけ早くこの訴訟を最高裁にまで持ち込んで、ぐうたらどもを教育の現場から退場させてもらいたいと思う。

もはや我らは国なし族なり

2006年09月21日 | Weblog
式での起立・斉唱定めた都教委通達は「違法」 東京地裁 (朝日新聞) - goo ニュース

 今日の話題は、は国なし族一家は亡国の一夜の勝利の美酒に酔い痴れるがよかろう。
 この亡国判決により我が方は行動の自由を獲得した、これで、国家と言う規範を外された我々は、国家から自由を勝ち取った同じく無政府状態を是とする売国メディアに対して容赦ない反撃を試みることが出来る。
 
 「日本国憲法は売国メディアの垂れ流す糞に対して、アメリカ合衆国が尻の始末の責任を負うと言う保障である」と信じて疑わないのが我が護憲派の立場である。 
 何故に、たかだか黄色人種(黒人とさほど差がない黄色人種)のために畏れ多くも白色人種たる米国人が憎むべき対チョンコロ作戦に手を貸す責任が有るのか?、元々GHQ憲法など、都合の良い時に勤勉実直な日本人から、安保という虚構を信じ込ませ、金を巻上げるための人類史上初の大芝居であったのだ。この作戦は、米ソ冷戦時代に中国が烏合の衆であった時代には、こよなく有効に機能した。殆どアメリカ以外から攻撃を受ける可能性が無かった時代には、この虚構は絶大な効果を発揮した。

 有色人種である我々が、アメリカの核の傘の下に60年間も夢見る乙女でいれた来し方、実に幸せであった。 しかし、好事魔多しの諺通り、我々がどこの国の住民か分らなくなってしまったのも事実である。この売国メディアなど、中共に背中を打たれて日本国民のうちの男子を犬死に至らしめした後に、男尊女子卑であぶれた中国人男子が6千万人も日本国に渡って来れば、人口黒子の国の女性問題は一挙に解決されると考えているかどうかは知る由もない。
 
 しかし、男尊女卑の風習を国民に強制するよりも、海を渡って東に行けば、女しかいない『日本』という属領を用意してあるゆえ、甲斐性がない漢人男子はこぞって海を渡り宿敵『日本の女』を犯すべし、わが中国共産党は自国の矛盾は全て、日本にしわ寄せして解決するのである。わが漢人たちよ!、これ程愉快な話は、わが中国史上始って以頼のことであると宣伝するのであろう。
 中国の女は、「『女児を産むこと叶わず』。畑は日本にいくらでもいるのだ」。・・・・せいぜい、中国の対日戦略とはこのくらいのものである。

 日本のフェミニーナ達よ中国の野蛮人に対して小股を開く準備をしておきたまえ。(売国メディアがありもしない従軍慰安婦を宣伝したおかげで、幻覚被害妄想の仇を彼らは必ず果たしに来ることを覚悟すべきである)
  
 日本国憲法を順守すればする程、このような地獄絵が現実のものとなる。それを奨励するのが、売国新聞を旗頭とするへな猪口(ちょこ)左翼のご面々である。
 
 いかに、日本女性の頭髪が、男性に比べて3本足らない(昔はこれを馬鹿と表現したこともあった)とはいえ、何時までもノーパン振りマンを誇りとしていてはいけません。
 21世紀は、日本女性にとって、対中政策上、あまねく貞操帯着装の時代である。亭主と恋人(男性)、と父親は貞操帯の鍵の管理を厳しくしなければならない。わが日本国は、無防備なるが故にかように神経質な日々送ることを強制されている。これが、売国メディアの偉大な功績なのだ。(靖国参拝が中国人の心情を害するなどと日本人を諭そうとしている人の気が知れない)

この際である、国家君が代、国旗日章旗で団結しようと思う輩あらば我が元に集結いたせ!『我が国土はチョンコロや在日朝鮮人の国土ではない、ここは愛国の士が心を一にして、反体制派に対して断固として戦いをい挑まなければならない。愛国を実践する時は近い。各々方我が国土を反日メディア、反日在日、反日宗教、反日裁判官から取り戻すべき時が迫っている。各々方心の準備はできていようの!』・・・・トホホ・・・我叫べど踊らずか?!。

気の毒な亭主の顔を見たいもんだぜ

2006年09月20日 | Weblog
 今日は、産経新聞の記事に目をやろう。

 良きにつけ悪しきにつけ御三家という表現は日本人がとても好むものである。
 ところで、政界の『かしまし女』御三家とは、もはや引退した土井たか子氏、その後を継いだ福島瑞穂氏それにこの田中真紀子氏あたりであろう。このぐらいのけたたましさががあれば中国人と五分に渡り合えると思うのであるが、何のことはないお中国様の可愛いワンワンちゃんに過ぎないと云うのが、なんとも情けない。
 やはり天はニ物を与えずである(言っておくがな、そのご面相を話題としておるのではないぞ)。その勢いで、いっその事、小沢一郎氏でも食っておしまいなされ。

 以下、産経新聞の記事を写しておこう

 田中元外相、安倍氏を激しく批判

 田中真紀子元外相は19日午後、共同通信加盟社論説研究会で講演し、次期首相就任が確実視されている安倍官房長官が靖国神社への参拝の事実を公にしない方針を示していることについて、「『したかしないか言わないよ』と言うが、隠んぼではない。そういうことを言うこと自体頭が悪い」と厳しく批判した。

 日中国交回復を巡り、中国政府が日本の戦争指導者と一般国民を区別する論理を取った経緯について、安倍氏が「そんな文書は残っていない」と述べたことでは、『『周恩来首相が賠償責任を乗り越えるために出してくれた外交の知恵だ。「紙が無いから駄目」と言う人は、どんなに外交が、政治が分っていないか(あきれて)腰が抜ける」とこき下ろした。

 また、「甲子園ではハンカチ王子が人気。(日本の政治に)空っぽな風船のような王子が生まれたと言われないようにしたいが、悲しいことに(首相就任は)ほぼ間違いない」と指摘。その上で、「一刻も早く衆院を解散すべきだ。国民がどれだけ賢いか試される」と強調した。(全文)

 まあ、なんだな、いかに中国が言論統制に熱心であるとはいえ、この記事だったら、申し分なく原文のまま中国人民に垂れ流されることであろう。

 下種の勘ぐりであるが、共同通信の対中国サービス精神というのも徹底したものがある。ひょっとして、田中氏の毒舌原稿を書いたのは駐日大使のワンワンちゃんではないのか。なんたってお父上の墓参りを一緒にした仲なんだからさ。

 なんにしても、この御仁の亭主たる者も大変でござろうのう。妻管炎も治癒は難しかろう。大いに同情するものである。


朝日を捨てて次は共同か?

2006年09月18日 | Weblog
日中首脳会談の再開難航も 安倍氏の歴史認識に懸念 (共同通信) - goo ニュース

 兎に角Zhongcoroと言うのは不精で、しつこく、小うるさいだけが取り柄である。その言語構造たるや甲高くけたたましい。格調高い日本語の立場からすれば、中国人は日常会話においてさえ口喧嘩をしているのかと錯覚するぐらい騒々しいのである。最近マナーを欠く中国人観光客が世界中で邪険にされるので、中国当局も『お行儀の学習』を奨励しているようであるが、中国語が甲高くスピーカーのハウリングに匹敵するほどのものだとは気付いてもいまい。いっそのこと「一旦外国に出たら、中国語を話すな」とでも言ってみたらどうだろう。

 ところで、中国人の自己中心的な思い込みの理不尽さにも辟易とする。根っからの『悪徳商人』である。

 いいかい中国人士よ!、日本の某売国メディアの世論調査の通り、中国人の対日感情は100%嫌いであると、江沢民の教育方針所謂『反日教育』で規格統一されていて、中国人民の対日感情は『反日』以外ないように国家が保証している。然るに、日本に何とかお付き合い願いたいと『切望』しているのが、中国共産党指導部=中国政府である。

 こういう状況にあるとき、とんでもないシナリオを書くのが、『悪徳商人』の真骨頂である。
 何が何でも、反日教育で纏め上げた国論に対して、「我が中共指導部は日本様のご協力を切望して止まない」などと『口から涎が出るほど』言いたくて、口が滑りそうになるのであるが、『人民の反動=(まかり間違うと内乱を誘発する)』が怖くて口が裂けても言えない。

 そこで、彼らから見れば『お人好し日本人』を脅迫して、誑(たら)し込む作戦を編み出したのである。脅す材料は全く銭の掛らない『中国人の心情を害す』という天文学的価値を持つ対日『通行手形』である。

 彼らがこの『通行手形』をどのように使うかといえば、歴史問題、靖国問題、教科書問題、尖閣問題、東シナ海ガス田問題と枚挙に暇はない。
 このへんで、日本人も、中国人の存在自体が『日本人の感情を害す』と言い返すぐらいの『甲斐性』を持ちたいものである。
 小泉政権下で、日本人もzhongcoroどもの手の内を十分知ったのである。ここは、次期政権も涼しい顔をして、「我々日本は広く門戸を開け、中国首脳の訪日を心からお待ちする。しかし、靖国問題や歴史問題は日本の国内問題ゆえ、中国側は『日本人の感情を害すべきではない』」とやり過ごしていれば、飛んで火にいる夏の虫となるのは中国の方である。

 次期、政権は『クール・ダンディ内閣』としてもらいたい。これは、主役の面相を言うものではない。心根を言うのである=私はむしろ麻生応援団の一人である。

 日本のマスコミも中国の言い掛かりなどに神経質にとり合うよりも、中国が外国のメディア規制で言論統制を更に強めている中国の裏事情などを楽しく抉って、つまびらかにしてもらえれば、そのほうが余程興味深い。

田原某と村山談話

2006年09月17日 | Weblog
 今日は暇があって、朝日テレビのサンデープロジェクトと言う番組を見た。まあなんだな司会者の田原某と言う御仁も、呆れた中国犬だな、見ていた若者達には、「奴こそ悪意に満ちた日本人を裁くZhongcoroの犬だ」な、と確信した人も多かったことだろう。この田原某には『血が滲むほどに安倍潰しに躍起となったぶざまなさまをまざまざと見せて頂き、朝日の報道番組に『美的センス』も『ゆとり』もないと辟易としたことである。

 この際であるから、所謂『村山談話』の素性について認識しようという動機付けの機会に恵まれたのは幸いなことである。次期総理選に立候補したZhongcoro犬の用意した『まな板』に乗せられたお三方は、エセ正義を振りかざす「裁判官」に微妙な候補者の立場ゆえ、まともな反論が出来なかったことに大いに同情するものである。

 この『エセ正義』を振りかざす者どもは、政治が世渡りであるという原理・原則を理解できないほど『知能が低い』ものだから、放映される番組は『気ちがいに刃物』といった勇ましさで、要求するものは『満月を取ってくれよと泣く子かな』が如き無理難題である。この種の人物こそ幼稚園から再教育されないとどうにもならない重い病に苛まれている。『言論の自由=馬鹿は死ななきゃ治らない』を絵に描いたようなものだ。視聴者はヘドでも吐こう。

 平成18年9月14日のSANKEI新聞(漢字で産経と書くとグーグルの翻訳エンジンではpuroduct sutra=産物とお経と訳されてしまうので、同情してアルファベットで書いた)に櫻井よし子氏がたいへん良い記事を寄せていた。題名は『小泉首相に申す 踏襲必要ない村山談話』という。
 少し彼女の記事を引用させて頂く(あ~、いい忘れたが、彼女もスマート・ビューティーのお一人である)。

 村山談話には出自の卑しさも目立つ。それは同談話の閣議決定に至る過程に明らかだ。まず談話の前段として95年6月9日の「歴史を教訓に平和を教訓に平和への決意新たにする決議案」があった。「謝罪決議」と通称される同決議は「我国が過去に行なったこうした(数々の植民地支配や侵略)行為」に「深い反省の念を表明」する内容だ。
 官報によると、同決議採択のための衆議院本会議の開会は95年6月9日午後7時53分、山崎拓氏らが提出して、あっという間に可決、7時59分散会となった。この間僅か6分である。
 この間の経緯を当時衆議院議員の西村眞吾氏が『諸君!』05年7月号に次のように書いた。
 自社さ政権の下で国会における謝罪決議が構想され始めたが、反対の声は超党派で強まり、決議案が上程されても否決ことが明白になった。すると6月9日の金曜日、「本日は本会議なし、各議員は選挙区へ帰られたし」との通知が衆議院内に回され、反対派の議員らは選挙区に戻った。その隙を狙ったかのように、土井たか子衆議院議長が金曜日の午後8時近くという遅い時間に本会議開会のベルを押した。
 結果として265人の議員が欠席、議員総数509人の半数以下の230人の賛成で決議案は可決。だが、参議院は採決を見送った。
 どう見てもこれはだまし討ちだ。精神の卑しさを強調する所以である。

 せっかくの決議なのに権威も無く、評価もされない。そこで村山首相らは次に総理大臣としての談話を出す道を選んだ。
 95年8月15日、氏は学者や谷野作太郎外政審議室長ら少数の官邸スタッフらと練り上げた談話を閣議に持ち込み、古川貞次郎副官房長官が読み上げた。(一部抜粋させて頂きました)

 やはり、傀儡の系譜は脈々と継承されている。時の外務大臣は河野洋平氏であったし、李高順氏から傀儡議長の大役を仰せ使っているのであろうし、山崎拓氏も議案提出という大任を果たした。また古川貞次郎氏は女系天皇実現に尽力(実現の見込みはないであろうが)した御仁である。傀儡天皇などあって良いはずはない。

 村山談話など闇から出た紛いものであることに、違いはない。素性を隠蔽したまま金科極上を振り翳すマスコミはZhongcoro以外の何ののでもない。彼らの理不尽さを認識した上で、『日本正常化』のばねとしよう。

 『悪事は夜なせ』と言う故事はこうして生まれたのである。

 

歴史再認識するお隣さん

2006年09月17日 | Weblog
 以前、私は『韓国の愉快な仲間』と言う題で、楽しい話をした覚えがある。その中で、ある韓国の古代史の研究家が「その昔、上海は韓国の領土であった」と『びっくりするような論文』を発表し、中国人を大いに刺激したのに私はエールを送り、「ならば、清国の黎明期において、満州地方に住み着いていた朝鮮族の血がどれくらい含まれていたか検証してみたら如何なものか。」・・・このように参考意見を書いたのを記憶している。

 今般、遠く韓国紙『中央日報=Japanese Joong Ang Ilbo』の記事に目を向けてみると、たいへん興味深い記事が掲載されている。一部を抜書きしておこう。

 「金、清、韓国史に編入を」・・・東北工程(日本語にないこの言葉の意味は 、研究と言う意味か、或いは工作と言う意味か、はたまた作戦とでも言うのか分らないのであるが)対応策提案「中国の漢族は漢、唐以後満州地域を一度も完全に支配したことがない。高句麗と渤海を継いで満州一帯に建国された女真族と金と満州族の清を広い意味で韓国史の一部に編入し、中国の悪意的な歴史歪曲に積極的に対処しなければならない」・・・。

 韓国の古代史を集中的に研究してきた高句麗研究会所属学者たちが14日、国会憲政メモリアルホールで行なわれた学術セミナーで攻撃的な主張を申し立てた。
 国内の史学界で金、清を韓国史に編入しなければならないという主張をするのは今回が初めてだ。これは、東北工程を通じて、朝鮮、扶余、高句麗、渤海など韓民族の古代史を根こそぎ中国の地方政権歴史に編入しようとする悪意的な試みに正面から対応するための努力と見られる。・・・・(一部分を引用した)

 私は、一外国人としての日本人にすぎないが、一般的に朝鮮半島を指して『コレア=Korea』と呼ばれている。このコレアという表現は韓国人も結構気に入っているようであるが、コレアという表現に何をイメージするかと言えば、コレア・・・コーライ(高麗)・・・高句麗ということなんだろうと思う。

 従って、中国などの恰も朝鮮半島は中国の一部などという馬鹿馬鹿しい主張に対しては、断固反論するのが『Korean』のプライド(日本ではこれを沽券という)であろう。早く紫禁城をコレアンに返還せよとでも言い出すことを期待したい。

日本国民はメディアの素性を知れ

2006年09月15日 | Weblog
女系天皇に消極的、自民党総裁3候補 民放番組収録で (朝日新聞) - goo ニュース

 ・・・・で、日本国朝日新聞は次期自民党総理総裁が議院内閣制の原理に基づき日本国首相となることが、余程不服と見える。せめて谷垣氏にだけは女系天皇推進の立場を表明してもらはないことには、『売国』としてのお立場がないという事なのであろう。
 
 その切実たる思いに、大いに同情するものであるが、彼らとて『日本国』を背負って立つ身なれば、『チョンコロ』にはなれないのである。この淡い売国メディアの思いを、米国では「カーフ・ラブ=子牛の恋」すなわち『幼な恋』と言うそうである。日本国『赤化』の野望など、豊臣秀吉の『朝鮮征伐』の如きものである。

 露と落ち 露と消えにし 我が身かな 難波のことも 夢のまた夢

 私が生れ落ちたのも偶然のなせる業、そして、まさにその齢も尽きようとしてしている今とて必然中の偶然のことであるが、来し方に思いを致さば、朝鮮征伐など夢のまた夢であったことであったわい。人生というは、せいぜいこのくらいのものなのだろう。・・・・やはり、あまねく命あってのもの種と言うほかはない。・・・・誠に心残りである。

 悠仁(ひさひと)親王が神国日本二千年の神意を帯びて、ご誕生くださったのは、更に次の御世が間違いなく継続されるであろうという『自信』を日本人に授けるものであったと思う。

 小和田氏の野望も事此処に至り、潰えたというべきである。最近では、彼のご一族にあらせられては、実は大仇ではなかったかと、早とちりな国民どもは軽率にも思い始めていたのである。・・・・ところで、さるお方は未来の皇后陛下のお勤めがお叶いになられるのであろうか。(皇租神に額づくことがお出来になられるのであろうか?)・・・・予行演習でもなされてみたら、他ならぬ『日本国民』が『安堵する』ということを、お察しくださらないものであろうか。

 国民に威風堂々としたお姿をお見せくださることが、次期皇后陛下にとって、求められている最重要御責務なのでは御座いませんか?。

 ところで、畏れ多くも宮内庁の御皇室と国民を繋ぐパイプの役目とは如何なるものなのであろうか。一国民として、大いに疑問を呈したい。  

ボロ集めメディアの悲哀

2006年09月14日 | Weblog
「タカ派」安倍氏に厳しい視線 海外メディアの総裁選評 (朝日新聞) - goo ニュース

 おそらく「ボロ屋」などと言う古語を私が発声すれば、まあそうだな、40~50年前の我が身を思う人たちもいよう。
 当時はみんなが(外見上の)形振り構わず、心で団結して必死に生きてきた時代であった。あるところにはあったかもしれないが、当時は金もない代わりに時間のゆとりがあった。着る物は「寝巻きおき巻よそ行き巻」寝巻きをもって普段着とし、外出着ともした貧乏な時代であったが、それはそれで、『古きよき時代であった』。

 そして、当時なによりも有り難かったのは、このような『いかがわしいメディア』も無く心安らかに我が身を成長させることが出来たことは、ことのほか貧乏な時代に感謝したいと思う。

 ところで、某売国メディアの『ヘド』のであるような『写真』を、日本国民たる『皆の衆』はご覧遊ばされたであろうか。この写真を見れば世界の市民達が食欲を喪失したと確信する。殆ど紙面の表からも裏からも『死臭』が漂って来たことだろう。
 おそらく20~30年後に『日本人』が、かく惨殺されるであろうと予感させるに足るおぞましきサンプル写真である。(無抵抗ゆえに殺戮される以外の運命は無いと確信するにたる啓示が込められている良い写真であったと思う)。
  
 この売国新聞が『愚民たる日本人』を、反省させ無ければならない『美徳心』の裏返しは、過去に対して必要以上に『被害者意識』を扇動され洗脳された者達からの血の報復である。
 この馬鹿新聞は、自分たちが善良なる日本人を煽りに煽ってチョンコロ戦線に火を付けた功労を棚上げし、チョンコロどもに日本人を標的にして報復し返せと扇動し返すことが『唯一の存在価値』となり下がったことに気が付くことも無く、チョンコロどもに『日本人を殺し返せ、日本人を殺し返せ』と、とうとう視覚に訴えることも憚らない節操の無さである。
 このメディアの愛読者の気が知れない。愛読者が日本人であれば、なお更のことである。

 しかし、60年前に報道すべき反吐が出るこの種の『お写真』を連続して何回見せ付けられるか想像も出来ないが、肥満に悩むご婦人方は目を凝らして見つめられるが宜しかろう。食欲不振がたちまち減量に直結するのだ。

 世の中の少数の意見を恰も天下の大道であるかのように報道し続けるメディアというのも困ったものであるが、彼らがこよなく愛する中国の故事に依れば、それを『針小棒大』という。因みに反対表現を『竜頭蛇尾』という。

 外国の名も知れない人の意見を、さも正統の如く引用し、我が不徳を補うことを『猫の衣を借り虎の理を垂れる』と言うそうな。

 本来なら、負けたときには堂々と白旗を揚げるのが戦争においても言論闘争においても『紳士の嗜み』と言うそうな。

 売国とはかように『見苦しきもの』である。何という『往生際の悪さ』であろう!。

視線の先にあったもの

2006年09月13日 | Weblog
 昨年の暮れに、年間を通して優秀な報道写真が毎日新聞紙上に載っていて、その中にとても印象的で素晴らしい写真があったのを記憶している。(その時、もっと紙面を割いて大きなサイズなら良かったのにと思ったのを記憶している)

 あまりに感動的だったので、その写真についてCuando Caliente SHIZUOKA#7に書きとめておいたのであるが、9月7日の毎日新聞紙上で今度は大きく発表されていた。何度見ても感動させられる作品である。

 少女と老人と若者の視点は何であったか?・・・・真相は、配給される食糧を受け取ろうと、トラックに向って必死に声を掛ける少女の姿だったという。
 私は、最初この写真を見たとき、想像力を逞しくして、写真の人物達の視線の先にあるものを考えたのであったが、甚だ見当ちがいであった。

 この写真の撮影者(報道カメラマン)佐藤賢二郎氏のこの傑作写真に対する思いを原文のまま写し取っておくこととしよう。

 『少女が教えてくれた』

 (パキスタン地震)発生3日後の昨年10月11日から20日間、被災地を取材した。「何を撮ればいいのか」。被災者の少女が一つの答えをくれた。

 瓦礫の町と化したムザファラバード。遺体が路上に並び、異臭が漂う。救援物資を満載したトラックに向かい、食料を求める少女がいた。その姿はまるで天に祈っているように見えた。とても美しかった。私はカメラを向け、一枚一枚丁寧にシャッターを切った。どんな悲惨な写真より地震の非情さを訴える力を感じた。

 被災地では被害の大きさに目を奪われ、悲惨な光景を強調した写真を撮ろうと努める。しかし、少女は「美しさ」が「悲惨さ」を伝えることを教えてくれたのだ。

 新聞写真は芸術作品とは違う。大切なことは「分り易く伝えること」だ。しかし、構図や被写体の「美しさ」が無ければ読者の目には留まらない。そうでなければ何も伝わらないと感じた。(全文)

 私は、静岡に住んでいる身であるから、横浜市中区の日本新聞博物館までは出向くことは出来ないが、9日から速報写真展が開かれているという。

 佐藤賢二郎氏の今後の活躍に期待し、引き続き感動無しに見られないような素晴らしい写真を撮影してもらいたいものである。

国外追放命令を出すべし

2006年09月12日 | Weblog
日の丸に抗議「不名誉」 教諭処分取り消し請求棄却 (共同通信) - goo ニュース

 善悪の区別をアホどもに認識さすべき方法とは、この馬鹿どもの洗脳された脳を洗脳しなおすに限る。これは実に簡単なことで、上野動物園でライオンや虎の檻の中に入れて、まあそうだな、一月も飼ってやる気になれば、アホな大脳は破壊され白痴の状態に戻るであろから、これが最も金のかからない方法には違いないのだが、こんなアホは猛獣にさえ愛想をつかされ、獲って食われるのが関の山であろう。

 次にお勧めなのが、教育とは関係のない学校の営繕の仕事に就かせることである(便所掃除でもさせておけば良い)。
 所詮国旗を認めないと云うのであるから、雇い主である国家や地方公共団体という概念すら持ち合わせてはいないのである。
 それでいて、サボタージュ(これを彼らは労働と呼んでいるのであるが)そのサボタージュの対価が少ないといってやれボーナスを出せなどと叫ぶことしきりであるが、それでも尚言い足りないのか、子供たちに『親に復讐せよ』と純心無垢な児童の脳を洗脳しているかどうかは知らないが、最近巷で連鎖している青少年の凶悪犯罪の手助けをしているのではないかという憶測が持たれているのも、ごもっともなことである。

 国家を認めない国家公務員という立場があってよいものか?或いは地方公共団体を認めない地方公務員という立場があってよいものか?。
 馬鹿はどのみち死んで骨になってもそのDNAは残るのであるが、東京地裁で馬鹿扱いされた腹癒せに東京高裁に訴えるが良い。それでも100%勝ち目はなかろう。それでもめげずに非国民の立場を主張するであろうから、最高裁で、「君は日本国民の立場を放棄すべき」というあり難い判決を頂け。
 次の行き先は北朝鮮か中国か?。

 しかし、この『へな猪口(へなちょこ)左翼』にそこまでの根性はあるまい。教え子たる弱い子供たちに八つ当たりするのが、せいぜいできることの全てであろう。

 亡国の徒よ狼煙を上げたまえ、受けて立つ我々は、いつも『鉄腕アトム』だし、『鉄人28号』であるから、いつでも我々の胸を借りるつもりで掛って参れ!。