昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

民営化後の金の行方

2005年08月31日 | Weblog
 実際のところ、民営化後の国民の資産340兆円は一体どこへ行くのか。考えた事はおありであろうか。
 地方の、過疎地の郵便局が無くなるというような被害者意識に基づく感情論のみに心を奪われていれば、それで良いというだけのことであってはならないと思います。
 一時期、反対派が米国のハゲタカファンドに食い尽くされるのではないかとか、米国の陰謀ではないのかと政府を追及していた、一番国民が心配していた議論は何処へ行ってしまったのだろう?

 ここで、静岡新聞「論壇」の論客たる某先生(ニューヨーク大大学院教授)の記事に目を向けてみたい。
 郵政民営化を選挙の主要争点にしようと自民党に対して、郵政民営化することはそこから巨利を得ようとする米国の要求にそったもので、民営化に反対する事は国益を守ることだという議論が有る。
 米国では、郵便局は郵便局は郵便以外の業務は行わないし、その運営は窓口業務と収入と税金で賄われている。従って、米国が保険と貯金業務を民営化すべきだという要求は無理からぬところである。
 当然、日本の郵貯と簡保が民営化されれば、米国にとって直接間接の利益となる事はもちろんである。
 金融プロ不在の民営化された郵貯銀行が、グローバルバンキングの世界で生き延びられるとは米国は考えていない。ここで、日長銀の二の舞を踏む事は明白である。こうした長期観が米側にあることは明確である。
 それ以上に現実の問題として、郵貯の金が米国の株式債券市場に投資されることへの期待は大きい。
 米国は貯蓄過小国、日本は貯蓄過剰国であって、日本の利回り0%に対して米国は5~6%と高いので、民営化後の郵便資金が米国に投資されることは経済原理上当然である。
 また、米国はこの資金で米国債を購入する事を切望している。郵貯の資金はこれまで道路公団、特殊法人、日本国債購入に当てられて来た。民営化後はこうした日本国内の需要に加えてグローバルな金融市場にも投資される。
 金融プロを抱えている日本の銀行でさえ安全第一の日本国債を中心に巨額の投資を行っている。
 米国の狙いは民営化された素人郵貯集団に多数の米金融プロを送り込んで米国に投資させる、そしてその利益の一部は日本国民にも渡るように計る事である。
 郵政民営化の裏に米国の陰謀あるのか、日米両政府間の密約の有無までは不明である。(傾聴に値する記事である)
 破綻した日長銀の不良債権を日本国民の税金で清算した上に、時価の十分の一の価格で米国の金融ブローカーに売り渡したことは記憶に新しいのであるが、それ位の見識と価値観しかない国柄であるから心配の種は尽きないのである。
 
 郵政事業民営化法案を再提出可決しようとする与党はこの辺の単純素朴な国民の不安をどのように払拭するのであろうか。

国公立大学よお前もか

2005年08月30日 | Weblog
個性重視のAO入試、新たに7大学で 来年度の国公立大 (朝日新聞) - goo ニュース
 出来のよろしくない子供を持つ身にとって、実は、救われたと思っているのが、このアドミッションオフィイス入試であった。それはどちらかといえば、少子化に悩む事態にに直面した私立大学が保険を掛ける意味で、入試以前に学生の獲得に乗り出した苦肉の策であると心得ているのであるが、事此処に及び国立大学もこのような策を弄さなければ、数量的に学生を獲得するのが困難な状況に立ち至ったとは嘆かわしいと言わねばならないと思う。
 各々の大学でそれぞれの価値観によって、なされるのであろうから、見識に欠ける野次馬の見識をもって意義を申すのは畏れ多いと自覚しているのであるが、国立大学という自負心があるなら、あくまでも学仰的に一芸に秀でている人材を、OAで救済することを旨としていただきたい。
 私立大学の大衆迎合主義のピンハネを目論むものであってはならないと思うのであります。

大芝居(第二十三幕)

2005年08月30日 | Weblog
 御前よ、これはまさに、「真夏の夜の夢」の如き熱狂で御座りまするぞ!
 メンデルスゾーンのごとき楽天的ファンファーレで始まる長調の調べ、格調高き婚礼序曲の如きこうごうしさに御座りまするぞ!日本国国旗の小旗を翳してのお出迎えの儀オリンピック選手の凱旋が如き歓迎のされよう、これは、もはやこの世のものかと、我が目を疑う事態で御座る。

 貴公の、現時点における現状認識については、そこそこ、敬意を表する事にやぶさかではないのであるが、さような、あたかも絵に書いたぼた餅を見ての慢心が勝負に命を懸ける勝負師にとって、最も危険な好材料であることを心せねばなるまい。
 わしの半生において、そのような社交辞令に耳を傾け、藁をも掴みたいような危機意識に刹那的な安心を求めようとする淡い希望を求めてかりそめの刹那に身を寄せることが自己破滅につながることを、他人の生き様を観察させて頂くうちに、我が身の教訓ともなったことに感謝するのである。
 勝った負けたなどと予測を立てることこそ、愚かな者の取るに足らない浅ましさである。今は、ただただ勝利すべく、自己を追い込み攻めの戦いを挑み続けねばならない。
 敗者となる恐怖心をもって、勝利に至る活力とするのである。

 郵政民営化法案の意義がいまひとつ舌足らずで咀嚼できないというのが国民の実感であると思うのでありまするが、単純明解なる説明を憚りながら致せばかくの如きもので御座りましょう。

 これは、国民とて反対勢力いわゆる民主党及び造反自民党議員の支離滅裂振りを見れば一目瞭然である。「法案の可決には反対したが郵政民営化には賛成である。反対したした理由は私が駄々っ子であるということを有権者に表明したかっただけである」このようなご都合主義がまかり通る事自体にこの国の国会議員たる資質が国民によって、裁断されるべきである。
 二枚舌をもって、二重スパイが国会議員職に有りついているようなこのような状況が許されて良いものではない。民意に対する重大な冒涜である。
 このような輩は「法案が可決されれば、過疎地の郵便局が無くなる」などと言って人心のセンチメンタリズムのみに訴えるのである。
 基より、我々は、小さな政府を標榜しているのである。小さな政府とは公務員の数を必要最小限に抑える事であり、国家公務員としての郵政職員が30万人もいるという現状を改善すべきであることは、当事者としての被害者意識を除けば、誰が見ても当然のことであろう。
 この者達は、郵貯、簡保の形で貯蓄した340兆円に巣食う寄生虫のような輩であることに違いない。政府補償付きの原資である事をいいことに、財政出動などと称して、不採算団体、公団などに資金を提供するのである。利潤を追求する義務を負わず野放図に融資できる資金となれば、談合だの天下りだの汚職だのが蔓延する資金源に成りさがっても、当然の帰結である。乱脈融資が散散に行われたその尻の始末をさせられるのが、何のことはない善良な国民である。
 政府補償などと聞こえは良いのであるが、当然発生する損失だの利子補給だのの請求は国民に請求書が回ってくる現実を理解すべきである。
 ここでの反対勢力というのは、狐の皮をかぶったハイエナである。先延ばし戦略をとるものは、国民を欺く既得権益を死守せんとする守旧派の手先である。
 民営化というのは、利潤を追求する自由を与えるというものであるから、むしろ観迎すべき事ではないのか。
 税金で養われる立場を返上して、名誉有る納税者の立場に変身することに、誇りを持つべきである。日本国の法人は納税の義務を負うべきものでござりましょう。

 最近では、まこと無知なる貴公さえ事の本質が分るようになったとは、今回の解散総選挙は日本国にとって大儀であることを信じて疑わない。


老害化した参議院

2005年08月29日 | Weblog
衆院選勝利なら、参院は賛成を=郵政法案で自民・安倍氏 (時事通信) - goo ニュース
 今回の衆議院解散総選挙に打って出て、おそらく勝利するであろう小泉首相と支持する過半数を越える国民は、選挙結果をまざまざと看てから、参議院というものの存在価値について、こんなものは、わざわざ税金の無駄使いを国民に強要するための「こぶとり爺さんの顔を醜くする為のタンコブの如き存在であるという存在に気付くことであろう。
 この際、衆議院で可決され、参議院で否決された法案を衆議院を解散した後に衆議院で再度可決した場合には、法案を成立させるという法整備を衆参両院の満場一致を以って、可決してみたら如何であろうか?
 そうすれば、参議院の親のメダルをヒケラカス馬鹿二世議員にも「慎重な行動をとらなくてはならない」という自制力を付与できると確信するものである。

 日本人が北朝鮮を憎む気持ちは尋常なものではない。
 しかし、事の本質は、中共がアメリカ政府(ブッシュ大統領)の手前、牛歩戦術で彼の国を生かさず殺さずというスタンスを取り続ける限り、事態は全く進展しないものと自覚すべきである。
 日本国民として、北朝鮮を制裁すべきという感情論が大勢ならば、経済制裁すべきである。
 そして、何も効果がないことは想像に難くないのであるが、その状況において、施政者と拉致被害者は、何ゆえに成果が得られないのか国民に問い掛ければ良いのである。
 相手(日本)は、丸腰をもって、国是としているのであるから、拉致略奪など好きなようにやれば良いと高を括っているのであろう。
 まともに、対中、対北朝鮮、対韓関係を構築考えるなら、理不尽な他国の立ち振る舞いの対して、戦力ををって対抗できる法整備が完結している事を発信すべきであるのに、正当な意志表示することもできない程、自虐自戒の民に成り果ててしまったのか?我が香しい大和は。
 軍隊があって危ないと考えるのは、貯金があるから安心であるのと同義である事に気付くべきである。
 拉致被害者は、改憲論に火をつけるべきである、それこそ国民を北朝鮮から庇護する唯一の道であろう。

愛読紙を支える読者

2005年08月28日 | Weblog

 私は、各新聞の愛読者の投稿を読ませていただき、その新聞の性格であるとか価値観を勝手に判断させてもらっている。
 日々に仕事に追われる身であるので、時間の都合の付く時に、図書館に立ち寄り各紙の読者の投稿欄を拝見するのである。
 我が愛読紙は、地方紙といえども、読者層たるや誇るべきレベルであると思う。 此のところ、衆院の解散総選挙に対する投稿が圧倒的であるが、実に健全な主張をされる方が多い。我が静岡は日本の中心たる価値観の持主で溢れているのである。

 愛読紙「ひろば」欄より若者の主張に耳を傾けよう。
 浜松市在住の21歳学生の投稿である。

 「若者は政治に関心を持とう」(抜粋させていただく)

 近年、選挙の投票率が低下しているという記事をよく見かける。この7月24日に行われた県知事選でも、投票に行った時、若者と言えるような人の姿は見受けられなかった。
 明らかに、60代、70代の有権者ばかりであったと思う。
 知事選では女優をキャンペーンガールにしたという。友人との話の中で、選挙の話しはでたものの、実際に投票に行ったという話は聞かれなかった。
 このようなイベントの効果はあったのだろうか。選挙の工夫は多々行われても、実際の投票率に及ぼす効果は疑わしい。
 そのためには、我々が有権者であると言う意識を持ち、政治についてもっと関心を抱かなくてはならないだろう。
 しかし、新聞やテレビだけではなかなか政治について理解できない。
 そこで、私はより理解を深めるために、インターネットを利用している。私達若い世代が、得意のインターネットを使って、もっと政治を理解し、興味を持ってほしいものである。
 そこで得た知識を使って仲間同士で語り合い「みんなで投票へ行こう」という雰囲気を作っていくことで、投票率を向上させ、これからの日本のありかたについても、一人一人が考えていくのではないだろうか。この解散総選挙が楽しみである。

 実に、無駄のないよい文章である。途中を省略しようとしても、密な文章である為、引き込まれてしまった。
 これからの日本を背負う若き才媛よ、ぜひ文明の利器を駆使して、友を得、お誘いあわせで投票に行ってくれ給へ。

 同世代の娘と息子を持つ者の親の立場として、是非参政権を行使してもらいたいものである。
 私は、若者達よ選挙に棄権して自らを社会的弱者に貶めることなること勿れ。積極的に主張することが民主主義であることを理解いたせと主張して止まない。

徒然草(第百七段)女人無かりせば

2005年08月27日 | Weblog

 今日は吉田兼好法師の女性観を講義いたそう。

 女のもの言い掛けたる返り事、とりあへずよきほどにする男は有り難きものぞとて、亀山院の御時、しれたる女房ども、若き男たちの参らるごとに、「時鳥や聞き給える」と問ひて試みられけるに、なにがしの大納言とかやは、「数ならぬ身はえ聞き候はず」と答へられけり。堀川内大臣殿は、「岩倉にて聞きて候ひしやらむ」と仰せられたりけるを、「これは難なし。数ならぬ身、むつかし」など定め合はれけり。
 すべて男をば、女に笑はれぬやうにおほし立つべしとぞ。「浄土寺前関白殿は、をさなくて安喜門院のよく教へ参らせさせ給ひける故に、御詞などのよきぞ」と、人の仰せられけるとかや。山階左大臣殿は、「あやしの下女の見奉るも、いと恥づかしく、心遣ひせらるる」とこそ仰せられけれ。
 女のなき世なりせば、衣紋も冠、いかにもあれ、引き繕ふ人も侍らじ。


 女どもが言葉をかけてきたときの返事を即座に適切にする男は、そうそう居るものではないが、亀山上皇の御治世のとき、ろくでもない女官どもが、若い男達が宮中に参る度ごとに「ほととぎすの鳴くのをお聞きになりましたか」と言って男を試すのに、某大納言という御仁は「取るに足らない身の私には聞こえませんでした」とお答えになったとか。堀川の内大臣どのは「岩倉で聞いてきたように思いますよ」とお答えになったとかという話であるが、これを「このご返事は申し分はないわねー。取るに足らない身の方はいやらしいわねー」などと品定めされるのである。
 親たるもの、すべての男子を女に笑われないように育てなければなりませんぞ。
 「浄土寺の先の関白殿は、幼い頃より安喜門院の教育をよくお受けになったので、お言葉ずかいなどがよいのである」と人に言われるとか。
 山階(やましな)の左大臣殿は「身分の卑しい下女と話しをする時でさえ、足元を看られるのではないかと気後れし、気を使うのである」と仰られるのであるよ。
 この世が女などというものが居ないものなら、着物も冠もどうでもよい。身なりをかまう者も居なくなることであろうに。

 吉田兼好: 1283~1350 鎌倉~南北朝にかけての随筆家
 兼好法師といったほうが名が通っているのかもしれない。京都吉田神社の神官の子。北面の武士であったが出家し、晩年京都双岡に住み、和歌四天王の一人に称せられた。徒然草が著作物の中で最も有名である。


教育勅語

2005年08月27日 | Weblog
 敗戦後60年も経過した現在においても、自虐に苛まれる御仁は目隠しをして読まれるが宜しかろう。教育勅語たるは明治の知恵の結晶である。その知恵の結晶を何ら先入観を持たず味わって見ようではないか。

 朕おもふに、我が皇祖皇宗、国を肇(はじ)むること宏遠(こうえん)に、徳を樹(た)つること深厚なり。
 我が臣民、克(よ)く忠に克く孝に、億兆心を一(いつ)にして、世々その美を済(な)せるは、此れ我が国体の精華にして、教育の淵源(えんげん)、亦実に此処に存す。
 なんじ臣民、父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ、恭倹(きょうけん)己れを持し、博愛衆に及ぼし、学を修め、業を習ひ、以って知能を啓発し、徳器を成就し、進んで公益を広め、政務を開き、常に国憲を重(おもん)じ国法に遵(したが)ひ、一旦緩急あれば、義勇公に奉じ、以って天壌無窮の皇運を扶翼すべし。
 是(かく)の如きは、独り朕が忠良の臣民たるのみならず、又以ってなんじ祖先の遺風を顕彰するに足らん。
 此の道は、実に我が皇祖皇宗の遺訓にして、子孫臣民の倶(とも)に遵守すべき所、
之を古今に通じて謬(あやま)らず、之を中外に施してもとらず。朕、なんじ臣民と倶に拳々服膺(けんけんふくよう)してみな其徳を一にせんことを庶幾(こいねが)ふ。
 明治二十三年十月三十日
 
 朕(私)の信じるところ、我が歴代の皇祖は遥か昔より延々と道徳国家実現のために日本国をおはじめになった。
 我が国民(臣民)は忠孝の道を全うして皆が心をひとつにし、代々忠孝の美徳を実現してきたことは、もとより我国の国体の心髄であるし、教育の根源もまたこの理想を具現するためにある。
 国民よ、親には孝を尽くし、兄弟は助け合い、夫婦は互いに和し、友人同志は信じ合い、自分の言動を慎み、全ての人に博愛をさしのべ、学問を修め、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、進んで社会のために貢献し、法律や秩序を守ることはもとより、非常事態が起こったときには進んで身命を捧げ永遠に続くべきこの国を守らなければならなりません。
 これらのことは、忠義に厚く善良な国民の当然の努めであるばかりでなく、祖先たちが身をもって示された遺風を、いっそう明らかにすることである。
 この歩むべき道は父祖からの遺訓であり、子孫たる国民も共に遵守すべきことである、これは、古来より今に至るまでまちがいのない道であり、国内はもとより、外国に示しても理にかなったところである。
 私も、国民と共に、父祖の教えを心に抱いてその徳を具現することを心より願うものである。
 
 もう少し上手に訳せたらと思うのだが所詮この程度のものである。
 仏教に「般若心経」という短い経典があるが、それを彷彿とさせるものがあります。

舞台の裏側

2005年08月25日 | Weblog
野球部長が部員に謝罪 26日に報告書提出へ (共同通信) - goo ニュース

 高校野球の主催者は「高野連」協賛するのが「朝日新聞」であり、中継放映するのは「NHK」であったか。
 
 この主催者側が演出するのは、純真な高校球児が学生たる本分を以って全青春を懸けて優勝旗争奪戦を繰り広げることであり、出演者たる高校球児たちに模範的演技を期待するのである。
 
 テレビで全国に向けて高校の存在が放映されるのであるから、是が非でも全国大会には出場したいと思うのが、全国高校の教師から父兄、選手、生徒に至るまで、毎年の夢であろう。
 殊更、私立高校に於いては、甲子園全国大会出場によってその存在をアピールできるのだから、熱の入れようが尋常ではないとお見受けするものである。甲子園出場が至上命令などと言って憚らないようなものが出てきても不思議ではないくらいのヒーバーぶりである。
 
 この駒大付属苫小牧高校は二連覇したのだという。選手間でも壮絶なレギュラーポジション争いが繰り広げられたことであろう。
 優勝校の選手ともなれば、選手としての才能と練習に耐え抜く強靭な精神力がなければ務まらないであろう。
 
 私は戦後間もない頃生まれたいわゆる団塊の世代の人間であるが、小学生、中学生の頃、些細な事でもよく教師に頭を叩かれたり、顔を殴られたりしたものである。甚だしいときは殴られた拍子に倒れて階段の角に頭をぶっつけて負傷し傷を三針ほど縫った事も有る。それでも当時の親達は教育していただく以上、止むおえないという意識だった。そして、子供心に悪い事をすれば叱られるものだと痛みをもって覚えさせられたものである。
 このような、教育方法が今の社会では市民権を得ない(それどころか犯罪か?)ことは分っているのであるが、昔はいわゆるPTAにもそのくらいの大らかさがあった。

 今回のこの事件、ただ指導者である若い監督が生徒を何発殴ったというのが報道の主題になっているようであるが、単なる「苛め」であるか「愛の鞭」という側面があるのかその辺のところに関心がもたれるのである。
 良識有る大人の采配を期待したいものである。

親方日の丸の甘え

2005年08月24日 | Weblog
竹中担当相に抗議文=郵政労組 (時事通信) - goo ニュース

 公務員というのは、知能に障害を持つもの或いは肢体障害を持つものの代表であるのか。
 授乳児の如き甘えを、民間で身を切られるような労働環境で仕事をしている、恵まれない労働環境に耐え、納税の義務だけはしっかりと負わされている我々一般の労働者の前で、己が足元も看ずによくも「シャアシャア」と居直った主張ができるものである。この者達は、一般の企業家が事業税をどれだけ苦労して捻出しているかということを生まれてこの方知らないのであろう。
 甘えの根源たる「日本国憲法」においても納税の義務が課せられていることぐらい自覚すべきである。郵便局の面々、貴殿らは、永久に哺乳瓶を手放せない新生児たるをもって、日本国納税者に対抗する気でいるのか?
 今回の選挙ではそのような非国民的甘えの構造は断固裁断されるべきである。
 「ふざけるな公務員!!」

ご老公の如き発言の数々

2005年08月24日 | Weblog
 静岡新聞の一般読者投稿欄は「ひろば」というのであるが8月23日の論客もなかなかの兵(つわもの)達である。

 浜松市在住の64歳男性いまだ現役の方のご意見「関心が高まる今回の衆院選」
 内容は:
 衆院が解散されて2週間になるがテレビ、新聞の報道では聞きなれない言葉が飛び込んで来たり、告示前から随分加熱している。小泉首相が党内反対派議員に対して送り出す女性候補を「刺客」とか「くノ一」と呼ぶ報道には驚く。
 今回の解散劇について、それぞれの立場の人たちが持論を述べているが、何はともあれ今回の選挙は、いつに無く関心が高まったことは事実であろう。
 これまで、選挙といえば国民から懸け離れた「シラケ」選挙だったが、今回は、従来のぬるま湯選挙から脱した選挙が期待される。
 刺客だのくノ一等の表現には批判も出ているが、いずれにしても、今まで政治に関心を持たなかった人たちの関心が高まったのは良いことではないか。(要点を抜粋させていただきました)
 私が想像するに、この方の選挙区に、件の「財務官僚だった見目麗しい才媛」の候補者が舞い降りたのであろう。
 本来、有権者たる国民は政治に関心を持ち、選挙権を行使する責任が有るのだが、最近の若者の政治不信と無関心さには目に余るものがある。
 しかし、今回小泉首相が企画した選挙戦術は、たとえ「キテレツ」などと揶揄する者がいたとしても、政治無関心層にアピールするに足るものだと思うし、選挙民の投票という行為があって初めて、候補者は議員の地位を獲得できるのであるから「現代風選挙戦術」と大らかな気持ちで受け入れるべきであろう。
 この地方の方言で「みんなして、投票に、いかまいか!」と言うのであろう。

 磐田市在住の73歳御隠居のご意見「日本の現状は滅亡国に類似」
 内容は:
 最近の日本の現状は、2000年前地中海地域で通商国家として繁栄したカルタゴがローマ帝国に滅ぼされた推移を彷彿とさせるものがある。
 当時のカルタゴと日本の類似点はかなり多くみられる。
 勤勉である事、国も家庭も教育熱心である事、海外の技術を研究し、新しいものを作ることに長けていたこと等である。
 そのカルタゴが滅亡した原因は、経済繁栄のあまり、利己主義に走り、個人の利益を優先して国家の利益を疎かにしたこと。そして、最も重要な要因は「危機意識の欠落した政治家」ばかりだった事だ。
 今の日本は高齢化による財政需要圧力と人口減による負担力低下の中での財政再建という難題に直面している。
 郵政民営化は構造改革の一部ではないのである。原点であり、核心であり、全ての改革が郵政民営化に帰着します。
 その意味で、私は小泉首相の衆議院解散総選挙を支持する。
 もし、総選挙で小泉首相が負け、郵政民営化法案が否決されるという事態になれば、改革全体が頓挫するのである。
 この法案を是非とも実現させなければ日本の明日は有りません。(要点を抜粋させていただきました)
 
 自分自身が生まれ育った静岡県には、なんと立派な「水戸の隠居」達がご健在なことかと誇りに思うのである。駿府は徳川家康終焉の地でもあることを再認識させられるのである。
 

親中派を糾弾せよ

2005年08月23日 | Weblog
日本の経済援助78%知らず 軍国主義と中国市民 (共同通信) - goo ニュース

 小泉政権前の親中派たる面々の実績はこの対日アンケート調査の一体何処に反映されているのだろう。
 媚中派を自負して憚らない国会議員たちは何のために日中友好などと声高に経を唱えるのであろうか。
 
 親中派の対中政策たる主張は、中国共産党要人に袖の下を「薄汚い商人」の如く渡す事であったのか?
 何のために、政治家をやって居られるのか存在価値すら疑われるのである。
 畏れ多くも日中友好というのは中国人民に日本国即ち日本人がどれだけ援助の手を差し伸べ貢献したかを知らしめて、提供した金員の額を知らしめる役目も果たせぬ能無しであったというあからさまなこの記事に対して、日本国民に堂々と「申し開き」をいたせ!
 対中「フニャフニャ外交」も事此処に極まれりという感想を持つのは私だけであろうか。
 うら若き「クーニャン」でもあてがわれた挙句お写真でも撮られてお帰りになったのではあるまいの?
 
 日本人もこの国が共産主義国などと誤解しない方が良い。
 たんなる一党独裁拝金軍国主義国であると認識すべきである。北朝鮮の金正日のところを中国共産党と書き換え、国の規模を50倍程にすれば、適切な表現であろう。

歴史再認識(第二話)

2005年08月22日 | Weblog
 朝鮮半島との国交は、豊臣秀吉の朝鮮出兵によって途絶えていたのであるが、徳川家康の時代に回復された。
 徳川家康の努力により、日朝両国は対等の国交関係を結び、朝鮮国王は江戸幕府に対して、将軍が替わる度、慶賀の為1607年から1811年まで12回朝鮮通信使を徳川将軍に対して送り九州に上陸し江戸に至る道すがら各地で歓迎された。
 いっぽう、日本からは宗氏が釜山に「倭館」を設営し、貿易や情報収集をおこない五百人ほどの日本人が移り住んでいたといわれる。
 やがて、日本では江戸幕府が倒れて大政奉還が行われ1868年が明治元年となるのであるが、この年に、新政府は新たに国交を結ぼうと朝鮮国に対して使節を派遣したところ「国書に記載された文面の文字が不適切である」という理由で朝鮮国は外交関係の締結を拒絶した。
 このことが、1873年(明治6年)になって、「朝鮮国無礼なり」と言う征韓論が巻き起こるのである。これは、版籍を奪われた武士達の誇りと不満が武力を背景にして、朝鮮に開国を迫るべきだと言う主張に高じていくのである。
 折しも、1871年(明治4年)政府の要人たちが(岩倉具視、大久保利通、木戸孝允、伊藤博文等総勢120人からなる岩倉使節団)欧米視察に出かけて不在だった為、留守を預かっていた西郷隆盛(薩摩藩出身の明治維新の立役者の一人。戊辰戦争に勝利し、江戸城の無血開城を実現した。新政府の陸軍大将兼参議でもあった)に期待し担ぎ上げようとし、西郷も不満分子の主張を取り込む形で、自分自身が使節として朝鮮に出向き武力行使も辞さない構えで開国させると主張し、板垣退助、江藤新平などの参議の同意を取り付け明治政府の方針としたのであるが、帰国した岩倉具視や大久保利通らの反対に遭い挫折を余儀なくされてしまったのである。
 欧米帰りの反対派は欧米先進国の軍事力を目の当たりにし、カルチャーショックに苛まれていたため、日本が先ず行うべき事は韓国を成敗するというような行為はもっての外であり、仮に朝鮮国とこの状況下において一戦交えるような事があれば、返って欧米の干渉を招くであろうというと言う立場に立ち、先ずやらねばならぬ事は、国力の充実であると言う大儀をもって、留守留守中に西郷や板垣が決定した西郷が朝鮮国にに出向き開国を迫ると言う決定を否定したのである。
 その結果、征韓論派は下野し、西郷隆盛は故郷に帰り私学を経営し、板垣退助は後に自由民権運動に没頭するようになるのである。
 1876年(明治9年)明治政府は旧藩にに代って武士に支給していた禄を一時金の支給をもって打ち切った為、これを不満として、不満分子たる武士達は、故郷鹿児島に戻っていた西郷隆盛を担いで、1877年(明治10年)挙兵し、新政府に対して西南戦争を巻き起こしたが、平民で編成された官軍に破れ、西郷隆盛は不満分子と共に心中し以後武士の反乱は消滅したのである。
 (西郷隆盛の行動については、異説があって、軍隊をもって開国を迫ろうとしたのではなくて、命を懸けて単身朝鮮国に乗り込み開国を迫ろうとしたとの異説もあることに留意したい)
 この明治の初頭の日朝関係の躓きが後の日露戦争までの端緒となったのかも知れない。

万年野党たる保証書

2005年08月22日 | Weblog
Sankei Web 産経朝刊 主張(08/22 05:00)

 戦後日本国に於いて、万年野党たる保証条項なるものが存在する事に気付づかないまま、消え行く運命にある政党の何と多いことか。
 やはり、民主党なる政党もその仲間に属する一党にすぎないということであろう。
 幼稚園生でも理解できることを、理解できないとは、自虐史観にとっぷりと浸かり、日本人たる自覚のない者のたむろするメルヘン政党とみえたり。
 およそ国家には領土があり国民がいて主権がなければならないのであろう。然るに、領土を他国の侵略から守る手立てを論ぜずして、政権政党に値するかと言えば、明確に「ノー」と言う審判を国民は言い渡すであろう。
 対米同盟関係を度外視して、アジア外交を繰り広げると言うその公約たるや実に崇高なものである。しかし、中共の対日敵視政策を踏まえてもの申しているのであろうか。
 この崇高な政策を口にする前に、日本国占領下の押し付け憲法の取り扱いをどうするかを前もって説明するのが前提条件であろう。日常茶飯事に勃発する国際間のイザコザを自己完結できない身のままで、独自に対アジア外交などと、まさに欺瞞である。
 それを言うなら、まず憲法9条を交戦権を容認するように改正してから、日本国の誇りを持って行うべきであろう。
 真の党益を考えるか社会党の二の舞になるかの「分水嶺選挙」に直面していることを自覚すべきである。
 

大芝居(第二十二幕)

2005年08月21日 | Weblog
真夏の「劇場」選挙戦本格化、与野党党首が街頭に (読売新聞) - goo ニュース

 とうとう、大芝居も佳境に至り、大見得は切るは、世界に一つだけの花を自負する高貴なご婦人方は出演するは、果てはねずみ小僧もケツを捲くるほどの忍者は出て来るはで、観衆たる有権者は甚だ「目くらまし」に遭ったような気分で御座りましょう。

 貴公のその物の言いよう些か心外である。いまだに、わしの本分が認識できぬとは、抵抗勢力の血でも引いているのか?
 我が標榜するところは「ビジュアル潔癖政治」であり、有権者と共に歩む政治を夢見ているのである。
 今の忌忌しき問題というのは、若者が政治に無関心であるという社会の病理に対して、施政者の側からも強い治療薬としてのメッセージを発信しなければならないということであろう。
 考えても見よ、近い将来若い無関心層とて、国を背負って行かなければならないのである。
 最近まで、政治無関心のシンボルであった「若き忍者」が政治に参加したいという意思表示をしたなら、その行為を拒む理由など何も無いではないか。同世代の若者達がその者に誘発されて、ささやかなではあっても一票を投じる行動を起こす起爆剤になれば、それは一点の曇りも無く国益である。
 また、ご婦人達も才媛であって、志高き者は男性と同様に政治に参加すべきこと当然である。
 今回の選挙では、ご婦人方も立候補者として参戦していただき有権者の過半数は女性である事を天下に知らしめ、政治に対する関心を喚起し、従来の消極的な受身の選挙から積極的に参加投票する選挙とすべきである。
 民主主義では、選挙に参加しない層が税金だけ支払わされ恩恵を受けない社会的弱者の立場に追いやられるのである。
 若者は、このことを自覚し、特に少子高齢化を克服するため、参政権を行使すべきである。

 御前よ、従来のリーダー達が考えたとしても勇断する気概に欠けていたことを、大見得を切って大衆の面前でやってみせるとは、これぞまことの大芝居に御座りまする。

 

相手の弱点を見透かす賢さ

2005年08月21日 | Weblog
中国の軍拡・人権懸念 米国務長官、首脳会談控え (産経新聞) - goo ニュース

 胡錦濤国家主席が米国を訪問するからには、一等国としての儀礼を以って迎えられなければならい。
 それが中共国家主席たる者の自国に向けた権威なのであるから、自国民に向かって中国と言うのはアメリカに於いてもかくも尊大に扱われている事を国内に誇らしげに宣伝することが主たる目的であり、国家主席たる者の存在価値なのであるから、大いにその「足元」を見透かされ、言いたい放題の非難を聞く事に、たとえ耳栓をしても耐え忍ばなければならない。
 一方、相手をさせていただく外国も最初の一、二回のことなら、物珍しさもあって、我慢するにしても、再々厚かましい要求を受け入れる程の寛容さは持ち合わせていないであろう。
 指導部は、自己保身する為に相手から華を持たせて頂くのであるから、十二分の屈辱的譲歩さえも受け入れるべきである。
 流石に、米国という国、外交能力は抜群である。
 外交とは相手の弱みを庇い代りに代償をもって応えさせるということを、世界に発信するのであるから大したものである。