スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

不朽の名曲 みだれ髪 誕生

2020-07-23 06:05:39 | コラム

1987年(昭和62年)夏、長期入院していた美空ひばりが退院して、

病から復帰第一作としてレコーディングされ、

この年の12月10日にコロンビアから発売された名曲が

船村徹作曲、星野哲郎作詞の「みだれ髪」です。

まさにこの曲は関係者がそれぞれ深い思いを込めた不朽の名曲と言われています。

みだれ髪 (カラオケ) 美空ひばり

 

youtube#video

 

スミダマンのほのぼの奮戦記では「みだれ髪」に関係したブログを3つ掲載いたしました。

 

①塩屋崎灯台と美空ひばり (2018-10-17付ブログ)

塩屋崎灯台は福島県いわき市簿磯に立つ大型灯台で

立地と白亜の美しい外観から「日本の灯台50選」にも選ばれている。

地元では「豊間の灯台」とも呼ばれている。

この一帯は潮の流れが激しく暗礁も多い、

海上交通の難所として古くから知られていて、

この為江戸時代から狼煙台が造られた。

明治32年に煉瓦石造りで建てられ初点灯した。

昭和15年にRC造に改築したが、

昭和20年太平洋戦争末期に度々米軍の標的となり、

飛行機潜水艦からの攻撃を受けて破壊され機能を喪失した。

昭和32年、映画「喜びも悲しみも幾歳月」(木下恵介監督)が公開され、

主題歌共々全国的にヒット。

塩屋崎灯台もロケーションで登場した。

管轄は海上保安庁だ。

ここには「いわき市と美空ひばりさんの縁り」と称して

美空ひばりのカラー写真と年表が書かれた大きな看板が建っていた。

広い海と岬の自然そのものの場所で美空ひばりの

4枚のカラー写真は一際、異彩を放っていたのが印象的だった。

灯台の近くには美空ひばりのヒット曲「みだれ髪」を歌う歌碑と遺影碑が建っている。

この哀愁深いヒット曲は作詞・星野哲郎(2017-3-1付ブログ参照)、

作曲・船村徹で昭和62年夏ひばりが退院して復帰第一作の作品だ。

ひばり自身は「春は二重に巻いた帯、三重に巻いても余る秋」という

くだりがお気に入りと言っていた。

また当初、星野が書いた「祈る女の性かなし」は消そうとされたものの、

ひばりが星野に「今の私は「祈る」という言葉を大事にしたい」と申し出たことにより

そのまま2番の歌詞に採用されたというエピソードも残されている。

「みだれ髪」の記念碑の200mほど北には「永遠のひばり像」も平成14年5月に建立された。

永遠に太平洋に向かって世界に歌い続ける姿を残したいという趣旨で建てらえた。

このエリアも東日本大震災で大きな被害を受けた。

この建物は復興公営マンションと復興の公営戸建住宅。

まだ真新しいがなんとなく痛々しく見えてしまう。

 

②船村徹記念館 (2019-7-18付ブログ)

道の駅日光、日光街道ニコニコ本陣の中に平成27年オープンした

「日本のこころのうたミュージアム 船村徹記念館」。

カラオケで演歌を歌うとかならず船村徹作曲の名曲と出会う。

そんな気持ちを抱いて、いつかは来たいと思っていたが、その思いが実現した。

https://www.nikko-honjin.jp

休館日 火曜日  開館時間AM9:00~PM5:00

 

エントランスを入って入館料(540円)を払い、

エスカレーターに乗って2階へ。

最初に待っていたのは展示ブース1

「お出迎え5大歌手」だ。

船村徹の代表曲を歌っている5人の歌手

(美空ひばり、春日八郎、村田英雄、北島三郎、鳥羽一郎)との

エピソードやメッセージなどを展示・上映している。

入館した時間は10時とまだ早く、ほとんど来館者がいなかった。

カラオケ・演歌大好き人間の友人とこのコーナーで魅入ってしまい、

暫しここを動けなくなってしまった。

 

レコーディングの際に使用された「みだれ髪」の楽譜が当館にある。

赤い円の部分があり、船村氏が迷ったところだそうだ。

実はこの名曲「みだれ髪」には思い入れがある。

当ブログにも掲載したが2017-3-1付ブログで作詞した星野哲郎記念館、

2018-10-27付ブログでみだれ髪の舞台となった塩屋崎をアップしたが、

作曲したこの船村徹記念館で完結したという満ち足りた気持ちになった。

 

思い出のあの歌この歌コーナー。

ゆるやかなアールの壁に昔懐かしい600枚余の

レコードジャケットが壁面を彩っている。

 

入館した時に係の方に次の夢劇場(3D劇場)の

上映時間を聞き、その時間になったので

急いで2階から1階へ移動。

約15分間の大迫力の3Dグラフィック映像を

定員40名の所、2人で独占して楽しんだ。

日光の美しい四季や船村徹の代表曲を

3Dグラフィック映像で見られる。

立体映像が目に飛び込んできて、ものすごい迫力だった。

又、この映像が良くできているんだナー。 

 

夢劇場で気分が髙揚している内に2階の「歌の万華鏡」へ。

半円状に広がる大きな5面マルテの映像スクリーン。

船村徹の代表曲にまつわるエピソードを映像と共に

万華鏡のように楽しめるところで、

増々ジーンときてしまった。

ここでプログラムを紹介します。

1、王将/村田英雄

2、風雪ながれ旅/北島三郎

3、海の祈り/鳥羽一郎

4、女の港/大月みやこ

5、みだれ髪/美空ひばり

約30分連続再生

 

名曲500曲+と称して船村徹の代表曲を

自由に聴くことができるコーナーがあった。

代表曲としては「別れの一本杉」から始まって、

「哀愁波止場」「王将」「なみだ船」「風雪ながれ旅」

「兄弟船」「矢切りの渡し」「みだれ髪」「北の大地」等々。

 

「船村徹 人生と仕事」生い立ちから様々なエピソードまで、

船村徹の業績等を展示品により紹介している。

特に平成28年に受賞した文化勲章の展示は圧巻だ。

明仁上皇の自筆のサインは、なかなか見ることができない。

 

船村徹を語る時、かならずでてくるのが

若き日の頃の友人・髙野公男。

昭和30年に2人で書いた「別れの一本杉」が

大ヒットしたが、肺結核で26歳で没してしまった。

船村は「あいつの分まで生きる」と

親友・髙野に対する感謝を終生、忘れなかったという。

 

3階には船村徹はもちろん、北島三郎や美空ひばりなど

多くの著名人の手形に直接触れて、

実物大の手の大きさを体感できるコーナーがある。

 

3階は「光と風のギャラリー」の交流エリア、

日光連れ眺望カウンター、演歌巡礼ブース、

そして歌道場Ⅰ・Ⅱ・Ⅲがある。

歌道場は1曲100円で楽しめる部屋で、

最後の仕上げに友人は風雪ながれ旅、

自分はみだれ髪を歌い、

最後に2人で兄弟船を熱唱した。

そんな所で思わぬハプニングが起きたが、

これは省略することとします。

 

1階エントランス横にあるミュージアムショップ。

記念館オリジナルの商品や、

船村徹の音楽に関連する商品やCD、

日光の名産品などが売られている。

最後に 「歌は心でうたうもの」 船村徹

日光市が単独で整備したこの道の駅、

ニコニコ街道本陣は平成27年(2015年)にオープンした。

左に見える白い建物が船村徹記念館。

突き当りは多目的ホールと屋台展示コーナー。

そして右側が商業施設、市民ギャラリー、

観光情報館になっている。

真ん中の広い広場は多目的広場で

イベントスペースになっている。

日光街道今市宿のむかし。

大正11年6月頃の今市全図だそうだ。

商業施設の中には栃木の特産品、地酒、

手作り総菜、農産物直売コーナー、コンビニなどがある。

他に金谷ホテルベーカリーも入居していて

おみやげにパンも買って行った。

 

③星野哲郎記念館 (2017-3-1付ブログ)

周防大島町出身の作詞家星野哲郎氏の作品、資料等を展示した博物館

「星野哲郎記念館」は2007年(平成19年)7月26日に開館した。

開館前日には、都はるみ、水前寺清子、鳥羽一郎など

星野哲郎に縁のある人々が集まって盛大に記念式典が執り行われた。

記念館の内容、コンテンツも素敵だが、建物の設計、プランニングも素晴らしい。

基本計画、展示デザイン等は㈱乃村工芸社が担当し、

設計は佐藤総合計画(2016-9-16付ブログ参照)がやった。

二枚目の写真、センター筒状の建物は「星野劇場」。

星野作品の世界を全身で体験できる映像ホールだ。

ワイド3mの大型スクリーンによる5面マルチ映像が楽しめ、

壁面には親しい仲間から星野哲郎に宛てた「100字レター」がある。

館内は5つのグループで構成されている。ここはタタミ舞台、

普段は休憩スペースとして利用できるが、

ガラスを解放することによって、屋外劇場の舞台として利用できる。

又、館内には町役場東和総合支所も併設されている。

これはグットアイディアだと思った。

ここの管理運営は周防大島町が行なっている。

ギャラリーAからギャラリーBを眺めるとその先に見える海は

額付の絵画のようで本当に美しい。

又、中庭の「海の庭」もキラキラして美しい。

逆にギャラリーBからギャラリーAを見た一枚。

この建物のプランは直角三角形になっている。

ここぞという場所にフィックスのガラス窓が配置されていて、

太陽と光を存分に採り入れている。

ギャラリーBに2台設置されてある「えん歌ボックス」。

曲名からの検索はもとより、発表年別、歌手別、歌い出し別でも

選曲し聴くことができ、星野ワールドを満喫することができる。

目の前に瀬戸内海が迫り、ジィーと眺めているだけで心が洗われる。

事前にこちらの予備情報が無かっただけに、すごく得した気分だ。

本当にラッキー、ラッキー!

ご覧の様にRC造平屋建て打放し構造。延床面積852.17㎡(258.3坪)

敷地面積7693.34㎡(2331.3坪)。

小さい建物だが本当に凝った建物だ。

星野哲郎は大正14年9月30日、当地で生まれた。

乳児の頃、両親が離婚し、母と祖母の手で育てられた。

地元小、中学校を経て、子供のころから憧れた高級船員を目指し、

高等商船学校(現東京海洋大学)に入学。

卒業後、日魯漁業(現ニチロ)のトロール船に乗ったが約4年間の闘病生活に入った。

昭和27年、雑誌「平凡」の募集歌に入選、作詞家への道を開いた。

現在までに創作した作品は4000を超え、数々のヒット作を世に送り出した。

平成22年11月15日、満85歳で没した。

星野哲郎の歩みを紹介する「星野公房」。

室内の中央部には若き日の星野と仲間達が通いつめ

談論風発した新宿の「さくらい」を復元してある。

広告紙の裏側に書かれた「アンコ椿は恋の花」の歌詞原稿、都はるみのヒット曲だ。

3番は書き直されており、なんとも生々しい。

こんな用紙に書いたのはきっと急に頭に閃いたのだろう。

北島三郎が歌って大ヒットした「兄弟仁義」の歌詞原稿。

こちらの原稿は清書されたものなのか。一字も訂正箇所が無い。

この歌を主題歌として翌年、東映で映画化された。

カラオケを唄いながら、星野ワールドを体感する部屋「星野歌酒場」。

お好みのシーンの主役になって星野“えん歌”を唄うことが出来る。

星野えん歌の代表作16点の見せ場となる二行の詞を紹介している。

文字は全て星野本人の直筆。

・「三百六十五歩のマーチ」(水前寺清子)

この歌詞は人生の極意が書かれている

・「いっぽんどっこの唄」(水前寺清子)

・「アンコ椿は恋の花)(都はるみ)

・「兄弟船」(鳥羽一郎)

「ジャケット今昔」と称して数百曲のジャケットが展示してある。

ここで前述以外のヒット曲を並べてみます。

この歌もそうなんだ-という曲もあります。

・「思い出さん今日は」(島倉千代子)

・「黄色いさくらんぼ」(スリーキャッツ)

・「恋は神代の昔から」(畠山みどり)

・「函館の女」(北島三郎)

・「城ヶ崎ブルース」(黒沢明とロス・プリモス)

・「男はつらいよ」(渥美清)

・「昔の名前で出ています」(小林旭)

・「風雪ながれ旅」(北島三郎)

・「みだれ髪」(美空ひばり)

因みに1997年~1998年小金井ロータリークラブの会長をも務めている。

 

 

「安芸灘に面して、瀬戸内海に浮かぶ島々を望みながら

・・・・星野えん歌の世界へ」

カリスマバスガイド曰く、周防大島で最も人気のある観光スポットで

誰もが感激して帰る・・・。全く同感だ。

 

 

 

すでに「みだれ髪」を作り上げた美空ひばり、船村徹、星野哲郎、

そして音楽プロデューサー森哲、皆この世から去り、

不朽の名作として曲のみが今でも私達の心の中で生き続け、歌い続けられている。

今回このブログで「みだれ髪」が生まれた隠れた事実を

取り上げてみようと思いつきました。

事のスタートは日本コロンビアで美空ひばりの

担当ディレクターを務めた森哲氏が

ひばりを何とか勇気づけようと新曲の企画を思い立った。

そして彼は昭和62年、作詞家の星野哲郎に

とにかく福島県いわき市の塩屋崎に行ってほしいと言った。

星野の心はいつも孤独であるのに民衆に向かって

歌という光を送り続けなければならない、

そんな情景を読みとった星野は灯台にひばりの姿を投影していた。

星野はひばりの曲の作詞を実に20数年ぶりに手がけることになった。

当初、星野が書いた「祈る女の性かなし」は消そうとされたものの

ひばりが星野に今の私は「祈る」という言葉を大事にしたい。と申し出て

そのまま2番の歌詞に採用された。

又、ひばり自身は「春は二重に巻いた帯、三重に巻いても余る秋」という

くだりがお気に入りだったという。

一方、作曲では船村は以前からひばりは高音(裏声)に

いいものを持っていると思っていた。

10年以上前に曲を提供した時は「苦手だからやめて」と

ひばりの母より拒否されていた。

今回はサビで裏声になるように半音階高いキー設定とした。

 

みだれ髪 美空ひばり YouTube 360p

 

youtube#video

 

レコーディングはオーケストラを含め、伴奏は一発録りで行われた。

彼女を支えた3人の温かな愛と切実に復活を願ったファンからの励ましが

再び彼女を大きく大空高く舞い上げた。

2年前の秋も夕方近く、物寂しい塩屋崎の灯台に立って

美空ひばりの記念碑と「みだれ髪」の歌詞と

そこから流れてきた楽曲がここに書いてある事と重なって

胸にジーンと迫ってきたことをきのうのように思い出します。

 

 

 


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