スミダマンのほのぼの奮戦記

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戸定邸(徳川昭武別邸)

2021-10-23 06:49:02 | 建物

http://www.city.matsudo.chiba.jp/index.html

明治維新により徳川家は権力の座を離れました。

明治以降の近代徳川家の住まいと庭園が一般公開されている唯一の場所が

ここ松戸市内にある戸定ヶ丘歴史公園です。

江戸幕府最後の将軍・德川慶喜(1837-1913)の弟・昭武(1853-1910)は

明治18年4月に戸定邸を建設し明治24年末に庭園の整備を終えました。

かつて7万㎡を超えていた敷地の約3分の1が現在、戸定ヶ丘歴史公園となっている。

園内には戸定邸(とじょうてい)を公開している

戸定歴史館やお茶室の松雲亭などがある。

茅葺の立派な門を入るとこんもり茂った緑あふれる林を通っていく。

ここはとても整備された歴史公園でとても気持ちが良い。

良い気が流れているのがわかる。

このスロープを登った左側に戸定歴史館がある。

戸定邸と庭園の公開や徳川昭武の遺品を中心とする

松戸徳川家伝来品、德川慶喜家伝来品、

1867年パリ万国博覧会関係資料の展示を行っている。

この日は数ヶ月に一度の展示替えのため残念ながら休館していた。

公園内のポイントポイントには、ひなげしの小径と称して、

このような歌碑が設置されていた。

この歌、与謝野晶子の歌で

「しもふさの 松戸におほく 楽みて少なく 愁ふ花のかたはら」

国指定重要文化財の戸定邸の玄関。

ススキの葉より風情を醸し出していた。

この戸定邸は明治時代の徳川家の住まいがほぼ完全に残る唯一の建物で、

純和風木造平屋一部二階建てだ。

造ったのは徳川昭武で1884年4月に座敷開きを行った。

その後増築を経て、現在は9棟が廊下で結ばれ部屋数は23を数える。

基本的には江戸時代の大名屋敷の系譜上にありながら、

徳川家が権力の座を離れたため、生活様式が大きく変化し、

規模は著しく縮小している。

玄関棟の受付の所にはまだ青年時代の徳川昭武の等身大の写真が置いてあった。

徳川昭武(1853年10月26日~1910年7月3日)は水戸藩主・斉昭の18男、

兄の慶喜は13歳の昭武を将軍家へ迎え、将軍候補の身分を与えて、

1867年パリ万国博覧会へ将軍大名として派遣した。

これはフランスとの連携で幕府の窮地を打開するためだった。

明治維新による帰国後、最後の水戸藩主となったが、結局は幻の将軍となった。

29歳の時、隠居。

華やかさを求めず、実質を重んじた彼の生涯は、

その美学が投撮された建物や庭園趣味であった写真などの文化財を残した。

これが戸定邸の平面図。

玄関棟、内蔵棟、表座敷棟、中座敷棟、奥座敷棟、離座敷棟、

湯殿棟、台所棟、使者の間棟になっている。

一部非公開の所もある。

玄関棟と表座敷棟の間の内蔵棟には扉と扉枠が頑丈なモルタルでできた蔵があり、

中に徳川家の紋である三ツ葉葵が付いた長持が保管されていた。

内蔵棟から表座敷棟へ向かう長い廊下。

ガラス戸の右側は中庭になっている。

平成15年3月31日、その当時の皇后さまが松戸市戸定歴史館に行啓された時の写真。

中庭の先には非公開の2階建ての台所棟がひときわ目立って見えた。

この建物にはシティガイドというボランティアのガイドさんがいる。

今回たまたま男性の年配者のガイドさんと

この女性のガイドさん2人の話を聞くことができた。

特にこの女性の説明は素晴らしく、前は学校の教師でもされたのですか?

と聞いたところ、全くの主婦ですとのこと。

本当にこの建物に誇りを感じ歴史が好きなのだナーと感心した。

因みに慶喜、昭武兄弟の年齢差は16歳も離れている。

広い広い表座敷から建物のこと、庭園のことなどの説明を男性ガイドさんから聞く。

特に昭武は芝生の庭と建物との調和に心血を注いだ。

洋風技法による芝生面は我が国現存最古で、

樹木の木立を重要景観に取り入れる手法は類例がないという。

部屋の欄間に彫られているのは二ツ葉葵。

そして釘隠しには四ツ葉葵を使用している。

これは徳川宗家の三ツ葉葵を意識して

1歩謙虚な気持ちを葵の紋でも表しているとのこと。

表座敷の床の間には德川慶喜所用の甲冑を模したものを飾っている。

庭の西側には理由は忘れたが桐の木を植栽したとか。

2ヶ所のこの木は何か他とは違う空間を作っていた。

ここは表座敷の裏の生活の場。

大正10年以降に増築した部分で昭武孫夫婦は新婚生活時代に朝の洗面所として使っていた。

大きな部屋の廊下に1本の洗い杉丸太が使われていてすごく立派だ。

こちらは中座敷棟(衣装の間と化粧の間)、そして奥座敷棟(八重の間)。

こちらの丸窓はとても印象的だ。

湯殿棟の浴室。

この浴槽は昭和初期のもので昭武の時代のものではない。

この部屋は「使者の間」。

昭武にとって他の華族家や皇族との交際は重要な位置を占めていた。

使者の間は他家からの使者の接遇や賓客の御供のために使われた。

賓客は玄関から、使者や御供は玄関の南にある内玄関を利用した。

この部屋の欄間のデザインはコウモリだ。

大河ドラマ「青天を衝け」での徳川昭武の役を演じた俳優・板垣李光人さんが

戸定邸・庭園を訪問した時の写真。

戸定邸の脇沿いからのスナップ。

途中から本当に広々とした東屋庭園に出る。

松戸市は平成25年にこの土地を買い戻し、平成28年から2年をかけて復元工事を行った。

松木立ちの中に建つ東屋は高さを実感させる崖沿いに建ち、

ここからは松戸の街並みはもちろん、江戸川、

そして晴れた日には富士山の絶景を楽しむことができる。

それにしても松戸がこれほど起状のある街とは知らなかった。

改めて変化に富んだ素敵な街だと認識した。

こちらはお茶室の松雲亭。

ゆったりと戸定ヶ丘歴史公園を堪能して園を出ると、

素朴だが味のある戸定売店がスミダマンを待っていた。

ここは千葉県各地、松戸、そして交流のある鳥取県の名産(ex.らっきょう)から

お勧めの品を厳選して販売している。

当店が出すコーヒーは渋沢栄一がパリ万博視察の旅程で

出会ったコーヒーをサザコーヒーが再現。

このコーヒーを幕末から維新の時代にタイムスリップして味わうことができる。

歴史と出会う小さな旅は本当に至福の旅、贅沢な旅だ。