スミダマンのほのぼの奮戦記

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上野東京芸術大学周辺散策

2018-04-12 06:30:26 | 建物

上野恩賜公園内にある大噴水。この公園は明治8年の

太政官布達によって、芝、浅草、深川、飛鳥山と共に、

日本で初めて公園に指定された。元々ここは江戸時代、

東叡山寛永寺の境内地で、大正13年に宮内省を経て

東京市に下賜され「恩賜」の名称が付いた。この大噴水の

両脇にはスターバックスとパークサイドカフェがある。

東京芸術大学は創立1879年、1949年(昭和24年)に

美術学部、音楽学部の2学部で設置された。

北側のこちらの正門は音楽学部で、1878年(明治7年)

伊沢修二、目賀田種太郎の連名で設立スタートした。

一方南側に位置する美術学部の歴史はアーネスト・フェノロサ、

岡倉天心、狩野芳崖らが中心になって東京美術学校が

設立されたのがスタート。両学部は日本で最も歴史ある

芸術分野の最高学府だ。最近の流れは映像芸術(映画、アニメーション)

舞台芸術(演劇、舞踊)までを包括した総合芸術大学への改革を進めている。

この古い門は現在の美術学部の正門の位置にあった

旧正門を新大学美術館の新設に伴い、移転されたもの。

音楽学部の校舎の中で営業している上島珈琲店。一般の人も

外から入れ、このエリアはとてもモダンな良い雰囲気が漂っていた。

芸大は上野以外に取手、横浜、千住にもキャンパスがある。

美術学部キャンパス内にある正木記念館の隣りにある

大名屋敷の門の様な所にポツンと1人で立っている女の子。

遠くから見たらそう勘違いしてしまった作品。これは学生さんの

作品なのか、あるいは著名な方の作品なのか

分からないが、近くで見てもものすごい存在感のある彫刻だった。

芸大の正門に向かう女子大生。背中には楽器を背負って

未来の巨匠を目指しているのだろう。この街、この通りには

こんな学生が大勢歩いていた。将来の芸術家の卵が

明日を夢見て勉強している若者に喝采を送りたい。

日本で最初に建てられた本格的な西洋式音楽ホールの

旧東京音楽学校奏楽堂。1890年(明治23年)に

オーディトリウム(演奏会場)として建設された。設計は四高記念

文化交流館(金沢市)、五高記念館(熊本市)を設計した

文部技官の山口半六と久留正道が担当した。

1984年(昭和59年)に国の重要文化財に指定された。

2013年から休館し、耐震工事、建物の保存と修復の工事を

松井建設が施工中だ。今年秋には再開する予定だとか。

この門は旧因州池田屋敷表門(黒門)で重要文化財。

元々は丸の内大名小路(現丸の内3丁目)に建てられていたが

明治25年、芝高輪台町の常宮御殿の表面として移建された。

のちに東宮御所として使用され、さらに高松宮家に引き継がれた。

屋根は入母屋造、門の左右に向唐破風造の番所を備えており

大名屋敷表門として最も格式が高く、江戸時代末期に建てられたもの。

1872年(明治5年)に開館した東京国立博物館。日本最古の

博物館で本館、表慶館、東洋館、平成館、法隆寺宝物殿の

5つの展示館と資料館から成っている。2017年11月時点で

国宝89件、重文640件を含む収蔵品の総数は

117,190件、これとは別に国宝55件、重要文化財258件の

寄託品を収蔵している。写真の本館は1937年(昭和12年)に

竣工し、翌年開館した。設計は公募で渡辺仁の案が採用された。

尚、東洋館は谷口吉郎、表慶館は片山東熊

法隆寺宝物館は谷口吉生、黒田記念館は岡田信一郎が設計している。

国立科学博物館の屋外に展示してあるシロナガスクジラが

海面での深呼吸を終えて急速に深く潜ろうとしているところ。

因みに20世紀初めには南極海だけで20万頭以上いたと

言われているシロナガスクジラが今では全世界で

1万頭程度と言われ、国際条約で厳しく保護されている。

通称上野公園は上野の森とも呼ばれ、武蔵野台地末端の

舌状台地「上野台」に公園が位置することから

「上野の山」とも呼ばれる。総面積約53万㎡(約16万坪)。

上野の森を歩く人々は文化の香りがする。