興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

こころの内から出てくるやる気と外部環境からの圧力

2006-09-14 | プチ精神分析学/精神力動学

私たち人間は毎日の生活の中で様々な活動をする。
人生とはある意味であらゆる活動の集積だけれど、
そのあらゆる活動には、必ず何かしら理由があり、
その、私たちを動かしている「何か」は大きく分けて、
External Oppression (外部・環境からの圧力や、
プレッシャー)と、Internal Motivation
(こころの内から湧き出てくるようなやる気や動機)
の二通りあると見ることができる。

仕事をしたり、勉強したり、飲んだり、食べたり、
芸術活動をしたり、誰かとどこかへ出かけたり、
掃除をしたり、運転をしたり・・・と、様々な
活動があるけれど、たとえば、「洗車をする」という
行為について考えてみたとき、その人が、自分の車が
大好きで、いつも愛車と時間を過ごすことで
満たされていて、愛車の手入れをするのが至上の
楽しみ、と言う場合、この人にとって、洗車するのは
「こころの内からの動機」によるものだ。

一方で、別に自分の車にたいした愛着もなく、
仕事に行くのに仕方なく運転している人が、
「汚れていると、みっともない」とか、周りの
目を気にして、「時間がないのに」とか、
「洗わなきゃ」と思いながらする洗車は、
「外部からの圧力」による。

これは他にもいろいろなことに言えることで、
「誰かとどこかへ出かける」という行為にしても、
その人が好きで、一緒に時間を過ごしたい、という
場合と、面倒くさいし乗り気じゃないけど、
行かないと人間関係がギクシャクするから、とか、
みんなが行くから、という理由で行くのとでは、
同じ、「誰かとどこかへ出かける」にしても、
二者の体験する精神活動は、全然違うものになるだろう。

ただ、人間は、社会的な動物だから、多くの場合、
この2つの要素は作用し合っているので、どちらか
一つの要因、というのではなく、その2つの割合や
程度の違いによって分けられる。

ここで面白い話があるのだけれど、絵を描くことが
大好きな、子供がいて、その子はどんどん自発的に
絵を描いていくのだけれど、その子供の親が
喜んで、その子に、もっと描く様にと、お菓子やお金
などの物理的な報酬を与たら、その子は、だんだん
絵を描くのが嫌になって、最後にはやめてしまった、
と言うものだ。

こういう話は、しばしば聞くもので、実際にこういう事って
多いのだと思うのだけれど、この話は、もともと
その子が、絵を描くことそのものを楽しんでいて、
それはこころの内面から湧き出てくる
喜びだったのに、それが、外部からの報酬という
プレッシャーによって台無しになってしまった、という
分かりやすい例だと思う。お金などの報酬がないから
こそ、その子供達は絵を描くのが喜びだったのだ。

私たちが、今している活動の中には、嫌々している
ことがあるかもしれない。それが何で嫌かと言うと、
それは、「そうしないと困ったことになる」とか、
「面倒なことを避ける」(締切日や法律や、周りの
人間の期待や、プレッシャー)という「自分の
置かれた状況や環境のプレッシャー」が私たちを
動かしているからだ。

そうした全てのことを、なんとか楽しく、というのは
難しいけれど、その活動の中に、自分のこころの
内から出てくる楽しみを見出せたら、その活動はまた、
今までとは違ったものになってくるから面白い。

ちょっとした工夫や思考の転換で、それは見つかったり
して、その「己の華」が、生活を豊かにしてくれることに
なるかもしれない。