語る、シェフ

小さなレストランのオーナーが、日々の出来事を語ります。

  決闘2

2010-01-21 00:36:47 | シェフと剣道
ランチ改革をしようかと・・・思っているんです。今月中にやりますよ。
2月から、変えられるように・・・。

さて、決闘!!イヤ、試合。
僕は、一礼するとすり足で三歩進み竹刀を構えそんきょした。(そんきょとは、お相撲さんが手を着く前にやるあれだ)
「はじめ!!」と言う声と共に僕は彼の面を打った。「メェ~ン!!」
しかし、彼はそんな事お構い無で、いきなり付けていた面をかなぐり捨てると、
僕が、彼の頭を直接打っても顔色ひとつ変えずにズンズン向かってきて、いきなり胸ぐらをつかむと、
多少抵抗する僕を、1本背負いで投げ飛ばした。
まだその頃は、受身の「う」の字も知らない僕は、道場の床に叩きつけられた。
彼は、仰向けになった僕に馬乗りになると、いっきに絞めにかかった。
僕は、だんだん意識が薄れていくのが分かった。先生は、なにやらわめいている。
頭の中に、もやがかかったように感じ、先生の声がだんだん小さくなってきた。
「あ~、このまま本当に死んじゃうんだな・・・」と、思った。
その時だった、「これ以上やったら死ぬ。」と彼が手を離したのだ。
僕はゆっくり目を開けた。先生が何やら叫んでいる。
「谷田部~良くやった。相手は試合放棄だ!!お前の勝ちだ。」
やれやれ、どう考えても僕の負けだ。戦場だったらとっくに死んでる。

僕は、道場の隅まで仲間に引きずられ、横になったまま、そこでしばらく休んでいた。
試合は、引き続き行われていたけれど、その後の事は覚えてない。
それにしても、50年近く生きてきたが、
「あ~もう死ぬんだ。」と、本当に思ったのは、後にも先にもあの時だけだ。

しかし、1年生の剣道部・・・まだまだイロイロありましたよ。

    それでは、また。

  決闘

2010-01-20 03:08:48 | シェフと剣道
準備運動を終わらせ、ロードで4Km走って道場で着替えを済ませ、
練習を始めようとしている僕たちにH先生は言った。
「これから、援団の奴らと剣道の試合だ!!」
僕らはまともだったので、彼がいったい何を言っているのか一瞬理解できなかった。
それでも僕は、彼尋ねた。
「なぜ、応援団と試合しなければいけないのですか?」
「剣道を、バカにしたからだ!!」
そうか、それなら試合だ!!な、わけないでしょう。
「先生、そんなこと言ったって、いくら援団のつわものとは言っても、相手は素人ですよ。試合になりませんよ。」
と、僕が言うと、彼はニヤッと笑い、
「大丈夫だ。ルール無でやる。」
これじゃ、ただのケンカじゃないか・・・。

しばらくすると、応援団の先輩達が入ってきた。僕達は、「ちわーっす」と挨拶した。
先輩達は、部の防具を付け始めた。本当にやるらしい。
僕は、こんな事をする方がよっぽど剣道を馬鹿にしていると思った。
それでも、先生の命令は絶対だ。
僕は、覚悟を決めた。ただし、絶対に剣道のルールは守ろうと誓った。相手がどう出てこようと・・・。

相手は5人なので、こちらからも5人出る事になった。
3年生1人と、僕を含む1年生4人が選ばれた。僕は、3番目「中堅」だった。

    (剣道の5人の団体戦では、先鋒・次鋒・中堅・副将・大将の順番)

お互いに礼をし、試合?が始まった。先鋒は、3年生の先輩だった。
始まるや否や、先輩の突きが喉元に突き刺さり、
援団の先輩は、まるで漫画のように道場の壁まで飛んでいった。
「本当に飛ぶんだ」と、思ったのを覚えている。
一応それで勝負あり。まず僕たちの1勝だ。
次鋒戦は、向こうが剣道では勝てないと、最初から竹刀を捨て組んできた。
こうなると、防具もつけているし、なかなか勝負がつかない。
適当なところで、先生が「よ~し良くがんばった。引き分けだ」と言って終わった。
いよいよ僕だ。しかし相手が、よりによって柔道初段だか2段だかの団長さんだった。

今でも、目を閉じるとその時のことは、思い出せる。まるでスローモーションのように・・・。

     それでは、また。

  渋滞でした。

2010-01-19 01:36:30 | Weblog
今日は、寝坊させてもらって、銀行とゴミ捨、そしてメトロに行きました。
メトロに行く途中で、「たまには、川向こうの三郷のビバとヨーカドーに行こうかな?」
なんて思いながら、橋がすいていたら行こうと車を走らせました。
多少は混んでいたものの、信号2~3回で渡れると判断して、行く事にしました。
三郷のスーパービバに行こうと思ったのは、母に灯油を頼まれていたし(18L×3本)
家のキッチンタイマーの調子が悪かったので「可愛いタイマーね!?」と、
妻に頼まれていたせいもあったのです。
流山で、あっち行ったりこっち行ったりするよりは、1ヶ所で済むからいいかな・・・と思ったのです。

ところが短いはずの車の列が、進まないのです。
引き返そうかと思ったのですが、今までの経験で
「このくらいの長さならそう時間はかかるまい。」と、思って新聞読んでいました。
ところが、すご~くいっぱい新聞が読めちゃったんですよ。
結局橋を渡るまでに30分もかかってしまいました。
何と言うことはない、三郷側の橋を渡りきったところで追突事故の為片側通行だったのです。
進まないはずです。
 
      
 目が「分と秒」「口バシ」がスタートストップの可愛い?タイマー

久し振りの三郷のヨーカドーは、テナントが代わっていて
洋服屋さんがなくなって、大きな100円ショップ「セリア」になっていました。
今日は、確認しなかったんですが「ユニクロ」も年末に行った時無くなっていたので、
今度は、何になったのでしょう?
灯油もガソリンも、またちょっと上がりましたよね。
帰り道はどうかな?と思ったけど何とか大丈夫でした。

さて、明日は火曜日・・・また1週間の始まりです。
がんばりますよ。    それでは、また。



  初めての合宿

2010-01-18 01:33:14 | シェフと剣道
今日は、マスクをして走って見ました。
ちょっと穴を開けて・・・冷たい空気が気にならず、苦しくもなくなかなか良かったです。
ただ、見た目がちょっと・・・へん・・・かな?
左足は、順調に痛いですが、走りは戻って来ました。
やはり、ちょっとした上り坂でも、坂がまだダメです。もう少し様子を見ながら走って行きたいです。

高校初の合宿は、確か千葉県の真ん中へんの海よりだった様な・・・
はっきり覚えてないんです。
銭湯をやっているところが宿泊するところとか体育館とかもっていて、
本当に運動部の合宿場と言う感じのところでした。
だから、宿泊施設も食事も「学生寮」みたいな感じだったし、
寝るときも、もちろん大部屋で雑魚寝でした。

ルンルン気分で行った合宿・・・初日から死ぬかと思いました。
今までは、あまり前面に出てこなかった3年生2人が、僕たちを鬼のようにしごきました。
顧問のH先生は、剣道はやらないので空手着を着て、空手の練習をしながら、
僕たちに激励の言葉を叫んでいました。
朝は、5時起きで朝練、朝食の後昼まで、体育館で練習、昼食後にちょっと休憩で、5時頃まで再び練習。
お風呂に入って、夕ご飯を食べ・・・さあ、ゆっくり眠れるかと思いきや・・・
合同合宿に来ている応援団の先輩達が、なかなか眠らせてくれないのです。
しかも下手に寝ると、体中に落書きされてしまうのです!!
ちょっとここには書けない様な事まで、されちゃったりするんですよ!!(笑)
そんな訳で、熟睡したら危ないので、もう大変なんです。

こんな毎日を、5日間も続けたのです。
それでも、どんなにハードでも、誰も決して根を上げませんでした。
疲れてくればくるほど、なんて言うのかな・・・別のところから力が湧いてくるような・・・。
そんな経験でした。今でも思うのだけれど、限界まで行って初めて本当の力が出るんじゃないかと・・・。
それを経験すれば、どんな事にも、とっても自信になる・・・のでは?

そんな練習をしていたので、食事もびっくりでした。
とにかく、お腹はすいているのに、食べられないんです。
でも、食べないとバテてしまうので、とにかく胃に押し込みました。
3日目には、手のひらの皮が半分ぐらいズルズルになっちゃたので、
Tシャツをちぎって手に巻いてがんばりました。
それでも、一人の脱落者も出さず、5泊6日の合宿は終わりました。

家に夕方帰って来て、自分の部屋に行ってそのまま布団の上に倒れ込んだんです。
まだ、外は明るかったですね。
ふと目が覚めてみると、外はもう暗い。
「あ~、もう晩ご飯だな」なんて思いながら、1階に行くと母が、
「あら、やっと起きたの?」と言うではないですか。
な・なんと、次の日の夜になっていたんです!!
24時間以上、1回も起きることなく寝続けていたらしいのです。
自分が思っている以上に疲れていたんですね。
でも、とってもいい経験でした。あれ以来、めったな練習ではキツイと思わなくなりましたよ。

夏休みも終わり、たくましくなってきた僕達は、2学期へと入っていった。
そしてそれは、ある日突然の事だった。

    それでは、また。

  高校剣道1年生

2010-01-17 01:18:12 | シェフと剣道
今日は、妹の小学校時代のお母さん達の同窓会がありました。
もちろん私の母も出席です。
毎年、1月の第3か第4土曜日に開催です。
ここ数年は、いつもラ・ポンムでやってくれるんです。
終わると、その場で来年の予約もしていってくれるんですが、
新年になって、幹事さんが連絡するとみんな忘れているようです(笑)
僕は、すぐにカレンダーに書き込むので、忘れませんよ~!!

さて、高校の剣道部・・・1年生の時。
顧問のH先生が、もう、すごい人で、本当に今だったら大変な事になっていたでしょう。
先生の事は、また後で書くとして・・・

まず練習なんですが、なぜか応援団の人達が、僕たちを「しごく」んです。
腕立て伏せも、200回ぐらい平気でやりましたね。
足あげ腹筋も、腹の上に乗られたりしました。
しかも、運動場でトラックを走るのも、腕立ても腹筋も、回数や時間を決めてくれないんです。
これはもう、地獄でした。ゴールのないマラソンはきついです。
ゴールがあるからこそ、苦しくてもがんばれるのに・・・。
仕方がないので、僕はいつも「どんなに長くても、今日中には絶対終わる。」って思ってがんばってました。
自分でゴールを作ってたって訳です。
中学の時から、腕立て腹筋、うさぎ跳びは、ガンガンやっていたので、
精神面以外は、全然大丈夫でした。
精神面も、「なんで、応援団の人に練習をさせられるのか?」と言う不満の方が大きかったです。

ただ、本当に応援団の人達は、すごい人ばかりで、今思い出しても、
「どう考えても、高校生じゃあないだろう。」って人達ばかりでした。(笑)
ある人なんか、迷彩服を着て総武線のいちばん前から全部の車両を闊歩して、
突っ張ってるヤツを、ボコボコにして歩いたとか・・・。
でも、「週1回してるんだよ」と言われれば、納得してしまいそうな人達でした。
だからって、そういう先輩達を「すごい」と思っても【怖い】と思ったことはありませんでした。
ハキハキものも言ったし、自分の意見もはっきり言うタイプだったので、
好かれましたね・・・彼らには・・・よく帰りに喫茶店でご馳走になりました。
「やたべ~、おまえは、いい目しちょる。」と、よく言われました。
ただ、近眼が進んできていたので、目を細める癖のせいだったと思うのですが・・・(笑)

こんな風に、高校の1年生の剣道部生活は、始まった。
ようやく高校生活にも慣れ始めた頃、夏休みに入りさっそく合宿があった。
始め僕は、合宿って修学旅行みたいに楽しいものだと思っていたんです・・・ところが
とんでもない間違いでした。やれやれ・・・。

   それでは、また。

  高校生

2010-01-16 01:14:41 | シェフと剣道
今日は、ゆっくり走ってみました。
こんなペースでいいなら、どこまででも走っていけそうなペースです。
でも、やっぱり上り坂の時は、左足がかなりきついです。
感覚的には、もうすぐ治りそうです。

さて~高校生。
僕は、高校を選ぶ時、全然真剣じゃなかった。
なんとなく・・・だった。
全部で私立2校、県立1校の計3校受けた。
それで、日本大学習志野高等学校に通う事になったのだ。
当時の日習の1年生は、「普通科だけ」になった1期生だった。
2年生や3年生には、建築科や土木科があった。
そんな訳で、僕でも受かったのだ。

だが・・・剣道部はイマイチだった。だいたい人数が少ない。
ただ、僕たち1年生は新入部員が7人もいた。
しかも、不幸な出来事で1人辞めた他は、3年生まで全員残った。

しかし、顧問の先生は確か26歳ぐらいで、日大出身(ほとんどに日大出身の若い先生だった)
しかも、剣道ではなく空手をやっていた先生だった。
これに、なぜか応援団の3年生とこの先生が仲が良く、1年生の時は夏の合宿までついてきた。
練習は、隣接する日大理工学部の武道場を使う事が出来た。

このような環境の中で、今では考えられない最初の1年間を過ごす事になるのだが・・・。
1年生の時の事を思えば、2年3年なんて「屁」でもなかった。

   それでは、また。 

  イヤ~寒い!!

2010-01-15 01:43:46 | シェフと剣道
今日も走るのはやめました。
昨日に比べて、全然いいんですがまだちょっと痛いし、
とりあえず大事をとって、お休みです。
今日より良くなるのだったら、明日は大丈夫ですね。

そんな訳で、中学1年の時の剣道は、学校で体力作り、江戸川台支部で実技・・・って感じでした。
1年の時は、当時の3年生が強かったので、なかなか試合には出られませんでした。
だいたい、学校対抗の5人制の団体戦が多かったのですが、
我が北部中は、郡大会(野田、柏、流山だったと思う)でも、2位か3位ぐらいだったような・・・?
申し訳ないのだが、中学の時の戦績は、詳しく覚えていないのだ。
とにかく、当時柏2中が1番強かった記憶はある。

それでも、2年生の時に週1回講堂を使えるようになり、
さらに3年生の時は、とうとう部に昇格し、講堂と体育館も週1回づつ使えるようになった。
僕は、確か剣道初段になっていた。

中学の時は、確かに部活はすご~く一生懸命やった。
でも、勝敗はあまり気にしてなかったような覚えがある。
まあ、指導者もいなかったし、名ばかりの顧問の先生じゃ、どうにもならなかったのかも。

ただ高校に入学してからは、まったく変わってしまう。
中学3年生のときに、少しその兆候があったかもしれない。
とにかく高校生の時は、「勝負は、勝たなければ意味がない!!」と完全に思っていた。
それなのに、日大習志野高校に行ったのだ。市立習志野高校じゃなく・・・。
それなのに、本当にすごく練習した。部活の前後にも練習した。
それなのに、あんまり勝てなかった。(笑)

高校の時のことは、けっこう覚えているので、乞う御期待(本当かな?)

    それでは、また。

  二つのこと

2010-01-14 02:10:45 | Weblog
今日も遅くなってしまった。
実は昨日走った時に、左足の付け根あたりに故障発生!!
何とか、スピードを落として帰ってきたものの、今朝になっても治らない。
仕方がないので、今日はお休み・・・。
ただ、初めての箇所なのでちょっと不安です。
「4時間切る!!」と宣言しているのに、長引いたら大変です。
ハーフだったら、1ヶ月でも何とかなるけど、フルの場合はとにかく練習量が必要です。
ごまかしは効きません。とにかく早く治したいです。

そんな中、今日もメトロに行って来たのですが、帰りに再びスプーン探し。
人間の記憶なんて本当にいい加減なもので、
息子が転んだと思ったところより、はるか手前で見つけました。
「まさかこんな近くじゃ・・・あっ、あった!」って感じです。
ふた晩もこんなところにいたなんて、思わず、
「見つかってよかったな。さっ、帰ろう」と、話しかけてしまいました。(笑)

妻は、大学時代にドイツ語を学んでいて、留学もしているのでドイツが好きなんです。
そのスプーンは、「ルフトハンザ」のスプーンなんですよ。
だから大事かな?と思って、見つけたかったんです。
まあ、妻はそんなに執着はなかったみたいですが・・・。(笑)

  さっ、明日もがんばろうっと・・・それでは、また。

  遅くなっちゃいました。

2010-01-13 02:53:07 | Weblog
今日こそ、「剣道」の続きを書こうと思ったんですが、
遅くなっちゃったんで、また今度です。

今日は、銀行や八百屋さんや例のメトロに行ったり、
例のファンケルのそばの田んぼ道に、スプーンを捜しに行ったりと、
なかなか忙しかったです。
お店は、ぜんぜん暇でした・・・(悲)

スプーンって言うのは、凧揚げに行った帰りに自転車で転んだ時
どうやら、落としてきちゃったらしいんです。
メトロの帰りに行ったんだけど、もうだいぶ暗くなっていて、しかも雨も降っているし、
結局見つからなかったんです。
明日は、見つかるかな?何とか探し出したいと思います。

でも、絶対「転んだ時」とは限らないんですよね。
まあ、がんばってみます。

  それでは、また。

  とても、寒かったです。

2010-01-12 01:41:31 | Weblog
今日は、息子と江戸川と運河の合流点に凧あげをしに行きました。
最初からそこに行こうと思った訳じゃなかったのだが、
2人で自転車で走っているうちにたどり着いたのだ。
最初は風がなくてダメかと思って出かけたのだが、そこは土手の上・・・
なかなかいい風が得られましたよ。
でも、息子が作った凧は、なんかビニールで作られた今にも壊れそうなやつだったので、
「本当にあがるのだろうか?」と疑問だったんです。
僕が子供の時には、紙と竹ひごで作った凧が当たり前だったので、なんか馬鹿にしていました。
ところが、よ~くあがりました。びっくりです。
きっと、レジ袋でもちょっと細工すればあがりますね。
糸が短すぎて・・・追加の糸を持っていけばよかったです。
そうすればもっと高く上がったと思いますよ。

しばらく遊んでから、お昼ご飯にしました。
妻作のおにぎり弁当をふたりで食べました。
でも、すご~く寒くておにぎりをもつ手が震えました(笑)
荷物が多くて、結局、炭と網は持ってこなかったんですが、やっぱり持っていけばよかったです。
おにぎりを食べている時、息子と同じ江戸小の女の子達4人組が来て、少し話をしました。
話してみると、僕の同級生の息子さんと同じクラスの子がいましたが、
話は全然弾みませんでした(涙)
でも、おしゃべりな僕の事ですから、そこそこは話しましたよ。
全員「ひとりっこ」だとか、お母さんの年齢が39歳から47歳だという事だとか(笑)
でもそれは、僕が49歳で1年生の息子って話になったから、
彼女達が勝手に、話し始めたんですよ(笑い)
よっぽど、「妻は若い?んだ」って言おうと思ったけど、さすがにやめました。(再笑)

おにぎりを食べてから、もう一度凧あげをして帰途につきました。
運河とか江戸川の土手には、祝日だった事もあって、
走っている人やサイクリングの人が次々と通っていきました。
やっぱり流行っているんですね~。
そういえば、「かすみがうらマラソン」も、けっこういっぱいみたいです。
僕はもう、4時間切りのエントリーは完了です(笑)

帰りは、江戸川の土手からいつものファンケルの横を通って帰ってきたのですが、
途中、未舗装の田んぼ道を自転車で走っていると、10mぐらい後ろで息子が転んだんですよ。
後ろで、「パパ待ってよ!!」と叫んでいるんですよ。
ただ自転車で転んだだけで・・・。しかも下は、柔らかい土なのに。
僕は、「早く来いよ!!」と叫んでいつもザリガニ捕ったりする橋の上まで来ちゃったんです。
すると息子は、「置いてかないでぇ~」と大泣きしてるんですよ。
こんな一面田んぼだらけで、500m離れてたって何処にいるか分かるような場所で・・・。
まったく、あきれちゃいました。
両手を広げて口を開いていれば、いつでも口に運んでくれるとでも思っているのでしょうか?
転ぶ事はとてつもなく重要です。しっかり、転び方を覚えて欲しいと思います。
僕と過ごせる時間は、もうそんなにないのだから・・・。

さて、カメラは忘れてっちゃったので、写真はないんです・・・すみません。
 
   
                  山手線仕様のお茶のペットボトル

今週からが、いよいよ本格始動です。週末には予約もそこそこ入ってますよ。
がんばります。皆さんも、風邪などひかぬよう気をつけてください。

     それでは、また。