思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

「正しく墜ちる」と「無常」

2009年12月28日 | つれづれ記

 学研から「NHK 私の1冊日本の100冊」という雑誌が出版されています。有名人が感動した本1冊を紹介するもので、本屋さんに行きテキストコーナーで見つけました。

 12月10日号の僧侶では作家でもおられる玄侑宗久さんが、木村敏先生の『時間と自己』という本をその一冊として紹介していました。

 宗教に関係者する方ならば必ず読まれる本で、精神医学の立場から人間が「時間」、「自己」をどのように捉えているかを知るには必要不可欠な本のように思います。

 さてこのところ二日続けて坂口安吾先生の『墜落論』について書いているのですが、偶然は偶然ではないと言ってユングが共時性を述べていますが、この100冊で映画監督・作家の森達也さんがこの『墜落論』を紹介していました。

 森さんは「平成の今の世相にも、ビビッドに反応している評論です」と書かれているので、やはりそう思う人もいるのだとわかり自己の感性に安心しました。

 ・・・・「生きよ、墜ちよ」が出てくるわけだよね。これはもう、ちょっと鳥肌が立つぐらいのレトリックだと思います。

 ・・・・「墜落」という極めて否定的な言葉を使い、安吾は人々に覚醒を訴えました。今の時代に、この本の持つ意味とは、どんなものでしょうか?

と森監督は書いています。
 わたしは「正しく墜ちる」この言葉に凄く刺激されるのですが、卑近な手短な例にどんなものがあるだろうか、少々考えてみました。

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 考察程度はあまりにも軽薄で、軽さがありますが、一連の鳩山総理の贈与税の問題で遂に「6億円」の支払いに至りました。

 正しく申告を行いこれでもう責任は軽くなりました。認識のない過失による無申告でしたから、知った時点で遅滞の申告ですが仕方ありません。

 世の中とは凄いもので、手当てがなくなり1円にも困まる老夫婦がいる一方、右から左へと税金(借金)を間髪をいれずに支払うことがことができる人が存在する。世の無常とはこのこと脱痛感します。

 「しっかりやることが総理としての私の責任、進退問題は考えていない」これも総理という日本国の代表ですから「はい。さようなら」というわけにも行きません。

 報道番組では「父子家庭の男性」も「手当てが減額された老夫婦」も涙が出るほど「しっかり」生きています。

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 国民全体が正しく墜ちていっているような気がします。本来正しいも悪いもないかもしれません。

 無常とは、善悪の分別の世界ではない。

 あるがままの世界に、「正しく墜ちる」姿が見えて仕方がありません。

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