思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

永劫回帰

2009年06月18日 | 仏教

 日めくり万葉集、薬師寺管主安田暎胤さんが選者でした。
 
 お話の中に薬師寺の仏足跡歌の八番目

 この御足跡を 尋ね求めて 善き人の 在(い)す国には
 我も参てむ 諸々を率いて
 
 これが大乗仏教という一首です。
 
 ルサンチマン(恨み)。被支配者のユダヤの民は弱きものでした。その支配され民の支配者に対する、また、運命に対し、妬み、恨みを懐き、そして耐えることをの根拠を求めた。現れた神は「弱きものは幸いである」」と救いの言葉を民にかけた。

 忘却ではなく、耐えることが天国への入り口から入ることを許された民への契約であった。

 ニーチェは、この「忘却」のはたらきを非常に重要なものだと見なしている。忘却は「積極的な抑止力」だ、というのである。肉体がさまざまなものを消化しなくてはならないように、精神もまたさまざまな体験を消化・吸収しなければならない。この精神の作用を意識下におこなって、現在の意識をわずらわせないようにすること、これが「忘却」の役割である。 (西研著 実存の哲学 毎日新聞社P44から)

 永劫回帰(永遠回帰)。今あなたにこのように告げる者がいる、「過去から現在のあなたの人生は、死して生まれ永遠に繰り返す」と。生の絶対的肯定。ルサンチマンであるよりも忘却と新しき自分を取り戻すことに心を切り返すことができるか。

 ニーチェは、彼のいわゆるヨーロッパのニヒリズムを、仏教のヨーロッパ的形態のと考えている。(西谷啓治著 ニヒリズム 創文社P3緒言から)

 ニーチィの「ニヒリズム」には、一般的な意味の超越した意志の力、誇らしい自己肯定の意味がある。

 「神は死んだ」という言葉には「真理・道徳」の否定という路線がひかれヨーロッパはニヒリズムに陥る。そしてニヒリズムの極限は、人間のあり方の問いであり、ニーテェは著しく仏教、特に大乗仏教の「空」の立場に近づいていた。西谷啓治先生の語っている。