【ナレーション】
スイスの神経科学者ピーター・ブルーガーは、幻影という言葉がヒントになるかもしれないと考えています。
※幻肢実験の画面が出て。
<女性の声>
このゴムの手がなんだか自分の本当の手のように感じます。
【ナレーション】
彼は手足を切断した人々を観察していくうちに脳が幻影を作り出す仕組みについて独自の理論を持つようになりました。
12年前ペギー・チェノウェスは、落下してきた1台のコンピューターによって左足の骨を砕かれてしまいました。
【ペギー・チェノウェス】
膝の下を切断しました。くるぶしの上12cmぐらいの所です。手術を終えて目を覚ましたとき左足の感覚があったのを覚えています。脛(すね)を強くけられ足の指が痙攣している感じでした。
でも実際には左足はなくなっていました。足は失ったことは分かっているのに感覚ははっきり残っていたのです。
【ナレーション】
このような現象は、幻肢(げんし)と呼ばれています。手足を切断人の9割が体験するもので失われた手足が、まだあるような感覚や痛みを覚えたりするものです。
【ペギー・チェノウェス】
きっと脳の一部は、まだ左足があると思っているのでしょう。
【ナレーション】
サードマン現象を引き起す脳の働きと手足を失った人に幻肢を引き起こす脳の働きは同じものではないか、ブルーガーはそう考えています。
幻肢は手や足だけですがサードマン現象は全身の幻影だということです。
【ピーター・ブルーガー】
実際の手が失われても手があるイメージは脳の中に残っています。そのイメージは外部の元々手があった場所に投影されます。だから切断面が動くと手のイメージも一緒に動くのです。この手のイメージと身体のほかの部分は一体となってつながっています。
両手を中に入れて。
【ナレーション】
ブルーガーは、鏡の箱と言われる方法を使って脳が実際には存在しないものを存在すると感じる例を示しています。
<ブルーガー>
何かおかしなことが起きていると感じたら言ってください。
<被験者女性>
指が見えないのに左手にまだ指が触れているのを感じるのが変な気分です。
<ブルーガー>
私があなたの両手に触れ、その片方の様子だけが鏡に映ります。そちらの手を離せば両手から私の指が離れたように見えます。でも実際には見えないもう片方は指が触れたままなんです。それによって見えるものと、感じるものの間に奇妙な食い違いが生まれてきます。
実際には刺激を受けていない部分に何かを感じることもありうるわけです。
【ナレーション】
そこにいない何ものかが存在するように感じられるのは、自分の身体の延長であり脳が勘違いをしているにすぎないというのがブルーガーの理論です。
極限状況における医療の専門家ケン・カムラーは、私たちのほとんどがサードマン現象をサバイバルの手段として考えています。
【ケン・カムラー】
日常生活では、自分の中にあるサバイバルの能力になかなか気づきません。自分が試される状況になってはじめて気づくんです。その能力は一生眠っている場合が多いですが、極限状況に直面した時に突然目覚め力を最大限に発揮します。
【ナレーション】
カムラーはあの9月11日におけるロン・ディフランチェスコの体験こそ自分の説を裏付けるものだと考えています。
ディフランチェスコが崩壊するサウス・タワーから奇跡的に脱出してからほぼ10年が過ぎました。彼も妻のメアリーもワールド・トレードセンターがあった場所を訪れるのはあの日以来です。
ロン・ディフランチェスコが、サウス・タワー84階のオフィースから逃げた後彼の身に起きたことは一体なんだったのか。ケン・カムラーが独自の分析を試みます。
【ケン・カムラー】
9月11日ディフランチェスコはサウス・タワーで仕事をしていました。彼の脳は通常の仕事モードで様々な部分が活動していたはずです。飛行機がぶつかる寸前までそうだったことでしょう。
飛行機がぶつかった途端脳内の働きが変わります。命の危険を感じ取り瞬時にサバイバルモードに切り替わったのです。しかし必死に活動することで彼はエネルギーを失っていきます。
【ナレーション】
疲労が増し酸欠などが起こると人間の身体で最もエネルギーを消費する機関、脳の機能に乱れが生じます。
【ケン・カムラー】
人間の身体は極限状況になると生存に不可欠でない部分を休ませ、必要不可欠な部分にエネルギーを回すようにできていますが、それでも追い付かなくなるのです。
【ナレーション】
まず頭頂葉のエネルギーが不足すると自分自身に関する感覚が乱れ始めます。
続いて側頭葉がエネルギー不足になると視覚や聴覚の情報が正しく分析ができなくなります。
【ケン・カムラー】
側頭葉でエネルギーが不足するとそこの神経細胞がランダムに興奮するようになります。 すると側頭葉が司る視覚情報と聴覚情報に混乱が起きます。つまり視覚や聴覚から得られる自分自身に関する情報と脳の中で作り出される自分自身のイメージに矛盾が生じるわけです。
すると脳はその二つを統合したようなイメージを作り出します。
【ナレーション】
ディフランチェスコの脳は様々な情報を理屈に合う形に変換しました。そこで生み出されたのがサードマンのイメージです。
【ケン・カムラー】
彼は、このサードマンを適切に判断を下すのに利用することできたんです。
【ナレーション】
以上がカムラーが考えるサードマン現象の一端です。しかし彼はサードマン現象をすべて解き明かすことは難しいとも考えています。
【ケン・カムラー】
私たちは自分の脳を使って脳の研究をするという矛盾を抱えています。ですから到達できないレベルというものがきっと存在するはずです。確かに科学的な研究はすべて可能でしょう。しかし科学的な方法だけで脳の真実をすべて掴めるわけではありません。
【ナレーション】
様々な研究者がサードマン現象を科学的に解明しようとしています。しかしロン・ディフランチェスコはあの日自分が生きのびたのは神のおぼし召しだったのだと信じています。
【ディフランチェスコ】
なぜ生きのびたか分かるだろう。
【男性】
語り継ぐためだよ。
【ディフランチェスコ】
ええ。ありがとう。
【男性】
しっかりな。
【ナレーション】
彼を励ました声の主が誰であれ、それが彼の命を救ったことだけは確かです。
<以上>
科学者はどこまでも知ることに集中します。自分には見えない、他人が見た、感じたある存在を。それを知識として顕在化しないと納まりきれない。一方見た側からすれは体験という実感によって認識したことであり説明のしようがないこと。
それぞれの立場で、それぞれの知識によって、あることの説明を語ります。
奇跡とは、この狭間で俯瞰的に見つめ理解しようという私自身なのですが、納得という折り合いはその差異を見詰めるしかありません。
地球ドラマチック「奇跡の生還に導く声~“守護天使の正体”は?~」
は大変興味深い番組でした。