思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

対称性の崩れ・自然と真球・離接的偶然

2013年10月19日 | 思考探究

[思考] ブログ村キーワード

 17日の朝は、常念岳が初冠雪となりました。これは絵になると思い車から降り写真を撮ろうとしたところ急に山頂が雲におおわれてしまいました。翌朝18日は昨夜の雪はどうかと見ると消えてなくなっていました。



 あくまでも個人的な感覚の世界ですが、冬になり戸外に出ると冬の匂いがします。その匂いとやらはどのようなものかと、言葉で表現しようとしてもできるものではありませんが、ヒンヤリとした漂うなにものかがあります。

 朝焼けにはまたそれぞれの季節の色があります。あかね色の雲でも季節によって目に優しい色もあれば、強さよりも重さのある色に感じる場合があります。

 寒暖の差が激しいと霧も立ち込め牧歌的なそれぞれの季節の風景を作ります。

 台風のもたらした大島の災害。孤島における災害。

「特別警報、運用見直しへ…離島豪雨への対応念頭」という見出しの記事が出たばかりですが、今朝のニュースを見ると「台風27号 猛烈勢力で北上へ」とのこと。26号と同じコースをたどるとの予報です。

「よく災害は忘れたころにやって来る」などと言いますが、今は気象学が発達し進路、規模の予想も確実性を増し、必ず災厄な事態がどこかで発生しています。

 2011年の3.11東日本大震災後に書かれた『3.11後の思想家』(大澤真幸編著・左右社)で立教大学講師の小倉敏彦さんが九鬼周造の偶然性の三つの分類{(1)定言的偶然 (2)仮説的偶然 (3)離接的偶然 }の中の離接的偶然の論理で、誰もがその災厄の事態に遭遇する可能性があることの自覚を語っておられましたが、最近は偶然と必然の範疇化を超え現象とは常に矛盾的に事態が重なっていることだという実感を持ちます。

 それは私も遭遇することになるという・・・心構えだけではなく行動がともなわないと最悪の事態になることを確信する時代になっていると考えた方がよいということです。

 冬には冬の形があるように、自然には自然の様相がある。「在る」という前提に「成る」という働きがあるので、最近の予報は確実な働きの世界を示しています。

 自然の力の前には、制御ができない事態があることを常に知らされています。ある意味こんな親切なことはないのですが・・・私には訪れないという気持ちが支配してしまいます。

 人口エネルギーの消費増大が、人間の理性を失わす。

 ということを書きましたが、自然の力も原子物理学の世界が絡んでくるとコントロールできる、制御ができるという数式の世界で解釈してしまいますが、人間にはどの程度の実力があるのでしょう。

 最悪な事態を投げかけられ今まさに知らされている。自然環境は何らかの情報を私たちに示しています。意味を理解せよという投げ掛けです。

 くり返しになりますが、私の身には起らない・・・と考えてしまうのがいまだに芭蕉の時代の人間の性(さが)になっています。弁証的な止揚なき旧来の性(さが)概念を持ち続けているように思います。

 「人生には意味がある」「光に照らされて」

 現代は本当に意味理解の時代に入っている、と言ってよいかも知れません。

 穏やかさの対称性も必ずや敗れる非対称性があるということです。最近はこの数学の世界を目にします。別次元の数式の世界の話ですが、科学的な気象予報は正にその世界の話し、対称性は崩れる運命にあることを教示しているように思います。

 着実に冬はおとずれ、台風は向ってきます。すべては避けられない流れの中にあります。

 今週の月曜日にNHK綜合で「激突神ワザ!~究極の“真球”を目指せ~」という番組が放送されていました。世界の最大のシェアーを誇るベアリング会社の造る真球と世界トップクラスの精度を誇る天体望遠鏡のレンズを造るレンズ会社の真球のその精度を競う内容でした。

 ベアリング会社は機械的にその真球を鋼鉄から造り上げます。一方レンズ会社は職人さんの手作りの真球です。

 真球は二次元的に直径が常に等しい関係にあり、それが三次元の球体に成ったものです。

 この真球は対称性にある物で、精度の競いはいかに対称性にあるかということになります。


(NHK綜合「激突神ワザ!~究極の“真球”を目指せ~」から)

 計測の方法が話によると世界で初めてというようなことを言っていました。その方法は、水平な鋼鉄の斜面を転がし真っ直ぐに進んだ長さで競うもので、レール状の磨き上げられ鋼鉄の上を転がします。このレールの製造もその道の達人会社が造った物で精度が高いわけです。


(NHK綜合「激突神ワザ!~究極の“真球”を目指せ~」から)

 対称性のあるものならば真っ直ぐに揺らぐことなく落ちずに進むはず。

 空気抵抗、摩擦、重力の均衡性もあるでしょうが精度が高ければ条件はいっしょ。

 しかし対称性は崩れる運命にあるのでしょうか、勝敗は出るわけでベアリングの会社の真球が勝ちました。


(NHK綜合「激突神ワザ!~究極の“真球”を目指せ~」から)


(NHK綜合「激突神ワザ!~究極の“真球”を目指せ~」から)


(NHK綜合「激突神ワザ!~究極の“真球”を目指せ~」から)

 個人的に感動したのは負けはしましたが、レンズ会社の若い職人さんが手の感触だけで造った真球の精度の高さです。感覚だけで造る。0・01mmの精度まで指の感覚で解ることが紹介されていましたが、人間のもつ能力の高さにはびっくりします。「ものとなって」とはまさにこのことです。

 磨き上げられた真球は光り輝いて荘厳さを醸し出していました。しかしそれは微妙な崩れの中を脱することはできませんでした。

 これはどのような意味を私たちに提示しているのでしょう。

 ここで離接的偶然という言葉を書きます。対称性の崩れは何処にでも在(あ)る。在るということはそれ以前に「成る」という働きによるということです。

 日本列島に住み始めてから人々は、この対称性の乱れや崩れを体験して集団的な美的感覚として持っていたのではないか。「美的」とは矛盾的なものが同一場に現れていて矛盾のままに善しと是認する感性とでも表現しうるもので、黒部ダムのあの人工物がいつの間にか一枚の絵になるようなものです。富士山をバックに最新式の新幹線が走る風景のようなものです。いつの間にかセイタカアワダチソウが安曇野の風景になるようなものです。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
いくら真球でも (kawagoekochan)
2014-05-31 15:44:25
地球は自転しています.台風やシンクの渦巻きができるぐらい影響しているのですから,その影響を考慮しないと本当の評価にはならない.と思うのですが.
返信する
そのとうりだとは思うのですが。 (管理人)
2014-05-31 22:15:11
>kawagoekochan様
 その通りかもしれませんが、

>本当の評価

 難しい問題ですね。

 これはとても重要なことかも知れませんが、最終的には納得する主体の問題です。地球の自転、地球の公転、天球にある星々の引力・・・影響しないとは言えないでしょう。

 限りなき影響は、存在自体が関係性の中に成りて在(あ)ることを示すもので、また存在自体が場を必要とします。自分以外がそこに必要だということにも通じる話だと思います。

 さて真球ですが、可能な限り真球であるという許認する条件下で、同意する関係者の中でそれが語られるならば、彼らの本当の評価であると思いますが、条件に不同意があるならば、関係者ではなくなります。

 番組を見て「すごいなぁ」と感動するならば、それはそれで美しい話であると思います。

 地球の自転

 真球の戦いにおいては条件は同じです。

 この戦いには平等に自転が力が働いているでしょうし、微細に時間の経過とともにその力も違うでしょう。

 なめらかな平面を転がす。

 先週の木曜日に、超絶凄(すご)ワザ!「究極の“真球”を目指せ」(進撃編)が放送されていました。20mの平面を完走しましたね。

 番組を楽しみました。
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