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思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

『苦海浄土』と猛狂の世界

2016年09月07日 | ことば

 NHKテキストのコーナーに行くと中沢新一さんのEテレの「100分de名著」を推薦する写真入りの紹介札が掲げられている。同番組が紹介する9月の名著は石牟礼道子さんの『苦海浄土』です。この作品を知らない私は先月の発売日に購入し、著者の石牟礼さんのことば表現の世界に驚かされ、第一回の番組でさらに言葉表現の奥深さとともに呼応し自らが感じいる心の動きに何とも言えない悲哀の念とともに罪深さを思った。

 煩悩があるからまたこの世に生まれ居る。

テキストの最初の方に、有名な狩野芳崖筆の「慈母観音」の絵とともに

人が苦しめば悲しむほど、仏が近くなってくる。
人が苦しめば苦しむほど、それを支えてくれる大いなる力が現れる。

 散る桜の花びら。地面に落ちたその花びらを、水俣の病に侵された少女が曲がった指で摘まもうとする。

 重水銀を海に垂れ流す。

 猛狂(たけくるい)の世界です。人間は言葉を取得し、感性を薄め、ことの成り行きの荒れの世界が見えなくなった、そんな気がします。

 逆に、文字の発明によって、その表現の世界によって、人間は救いの御手の問いを投げかける存在にもなった・・・『苦海浄土』とはそういう御手であるかのようです。

 パンドラの箱の蓋の開放は、猛狂魔を世に放った。

 番組で紹介された「煩悩」という言葉は欲望や執着などを表す語ですが、確かに奥深い「生(いきる)」があるように思えます。

 「仏が近くなってくる。」

 大乗の語る仏性、仏になる可能性を悉(ことごと)く持ち得ているという。

 この世は、善悪(ぜんあく)の価値観では、決して納まらない世界。

 狂(くるい)が現れているのに誰も気がつかない。

 善悪(ぜんあく)も猛狂の顕現かもしれない。

 ※猛狂という言葉は造語です。


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