
中国の新幹線は雷に弱かった。日本では当然あるべき避雷針がなく雷の直接受けて信号設備が正常に作動しなかったことが原因のようです。
「雷に打たれたような衝撃」という表現をします。「雷に打たれる」の打たれるという表現は、日本刀を振り落されて斬られる場合の刀に打たれると同じ意味合いで、「バッサリ」「スッパリ」「スパット」と鋭さのある---この場合は音から来るので---擬音語が合う言葉です。
中国にこんな話があります。
<『道教百話』(窪徳忠著 講談社学術文庫)から>
董(とう)某が昼寝をしていると、妙な姿の数匹の鬼があらわれ、この男は口がとんがっているから、病気中の雷さまの身代わりになれそうだといいながら、斧(おの)をそでに押し込み、りっぱな御殿につれていった。
殿上にすわっている天子ふうの人が、「ある村の姑(しゅうと)に不孝をする嫁が天罰をうけることになったが、官公が折あしく病気なので行く者がない。手下どもがお前を代わりに推挙しているから、おふだをもらって行ってこい」という。
董がおうけをして御殿のそとにでると、もう足もとには雲がむらがり、まわりには稲妻が光って、りっぱな雷神となっていた。
空を飛んでその村に行くと、土地神(とちしん)が案内にきた。空からみると、嫁が姑に毒づき、そのまわりを大ぜいの人がとりかこんでいる。董が袖から斧をだして一撃すると物すごい音がして、嫁はすぐに倒れ、まわりの人はおどろいてひざまずいた。
董が帰って報告すると、天子ふうの人はひきとめて別の職につかせようとしたが、辞退した。改めて、希望をきかれたので、学校に入りたいと答えた。「来年は入学できる」、と天子ふうの人がいったとたん、夢からさめた。
ふしぎに思って、その夢の話をして、みなといっしょにその村に行ってみたら、たしかにひとりの女が雷にうたれて死んでいたし、その日時もまったく一致していた。しかも、翌年には入学もできた。「子不語一巻五 署雷公(しょらいこう)」
<以上同書p81「雷さんの話---雷神」から>
「雷にうたれて死ぬのは天刑のあらわれ」と中国では昔から思う人が多いようです。と事故で犠牲者となられた人の冥福を祈るのでもなく中国批判をするのかと言われそうですが、そうではありません。今日はこの「雷さま」の話を書きとどめたいと思うわけです。
雷さまというと「雷神」とも呼ばれています。雷神と言えば過去に、
光明を探して(2)[2010年08月22日]
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/d098191100cf25e4aad40512bbecbc12
で、書道家の金澤翔子さんの「風神・雷神」の書の話をしたことがあります。
俵屋宗達のあの有名な「風神・雷神」画を漢字で思うがままの筆遣いで表現したところ、宗達の絵の構図が全く同じであったという不思議な話です。
雷さまと言うと人智を超えた自然現象で科学的にその現象は説明できても100%ここに落ちる、この人を打つ、ということは言えるものではなく、避雷針を設置するか、金属のものを体から遠ざける、車の中に逃げ込むなどの方法しかなく、ある面気ままな暴れん坊という擬人化もされそうで、子どもの雷さまのキャラクターも目にします。
さてこの雷さまの話で、8月1日のEテレ「日めくり万葉集」はあの上代文学研究者の森陽香(もり・ようこ)先生が、雷を詠った万葉集歌を紹介されていました。
日本では雷さまのことを「稲妻(いなずま)」
「雷(いかづち)」「鳴る神」と呼びます。
番組内容と少々ずれますが、日本における雷さまの立ち位置はどうなのかという話をしたいと思います。
森先生は番組で雷さまの歌を2首紹介されました。
<巻19-4235>
天雲(あまくも)を 天雲乎
ほろに踏(ふ)みあだし 富呂尓布美安太之
鳴(な)る神も 鳴神毛
今日(へふ)にまさりて 今日尓益而
恐(かしこ)けめやもす 可之古家米也母
(県犬養美千代 あがたいぬかいのみちよ)
訳
天の雲を
ばらばらに踏み蹴散(けち)らして
鳴る雷でも
今日以上に
恐れ多いことがありましょうか
※女官が天皇にお会いされた際の恐れ多い心情を詠ったもの。
<巻14-3421>
伊香保嶺(いかほえね)に 伊香保祢尓
雷(かみ)鳴(な)りそね 可未奈伊里曽祢
我が上(へ)には 和我倍尓波
故(ゆゑ)はなけども 由恵波奈良家杼母
児(こ)らによりてそ 兒良尓与里弖曽
(東歌 上野国歌・かみつけのくにのうた)
訳
伊香保の嶺に
雷よ
鳴ってくれるな
僕にはなんともないけれど
かわいい恋人が怖がるからさ
これ等の詩を紹介されて森先生は、最後に
【森陽香】
「僕にはなんともないんだけどね」 と、わざわざ歌の中でことわっているところに、男の強がりがちょっぴり見えるようで、愛らしい歌です。
『万葉集』には、雷を詠んだ歌が十数首あるのですけれども、そのおよそ半分が、この歌のように、恋に関わっで詠まれています。
一方、季節という点から考えてみますと、はっきりと「夏の歌」とわかるものがありません。万葉びとにとって宙は、季節の風物詩というよりも、恋と関わって歌に詠まれているところが面白いですね。
【以上】
こういう話は素直に納得してしまいます。
私の知る限りでは、雷さまは稲妻として、実りと密接に関係していました。番組では紹介されませんでしたが奈良時代には「稲交(いなつるび)」とも呼ばれ、雷光は稲と情を交すものと考えられていたのです。
雷鳴というほどに凄まじい雷神ですが、他方キャラクターにもなってしまうのが日本の雷さまなのです。
(江戸期の団扇絵)
日本の雷さまには、怖さと恵みの優しさが同居しているのです。