思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

関川夏央著『人間晩年図鑑』

2014年09月25日 | 文藝

 帰宅時にNHKのラジオ番組夕方ニュース特集で、「晩年をどう生きるか ~“人間晩年図巻”の試み~」という番組が放送されていました。

 「人は自らの晩年をどのように生きるか。そして、どのように死を迎えるか? 」

という難問に今取り組んでいる作家の関川夏央さんがゲスト出演され、作家の山田風太郎さんが書かれた『人間臨終図巻』を引き継ぐ形で、今年5月からインターネットで『人間晩年図巻』を連載している話をされていました。

 「メメント モリ(Memento mori)」(死を忘れるな)というラテン語の句があり、この言葉が『旧約聖書』「詩篇」第90第12節「われにおのが日をかぞえることを教え、智慧の心を得さしたまえ」に由来するという哲学者田辺元先生の晩年の哲学に学び、万人に平等(びょうじょう)に現われる「死」について時々思考の世界においていることから、番組に聞き入ってしまいました。

 関川さんの話によると個人情報の関係で「臨終」という今まさに死にゆく床の状況を知ることは難しいという現状から「晩年」という言葉に代え、直前の作品等による描き方をしたということでした。

 臨終は病院で迎えるのが一般的で、どうしても生々しさのうちに臨終の様子はうかがい知ることは不可能に近い。医療は個人情報であり医師はもとより病院関係者の保秘義務という壁がそこにはある、考えてみればその通りですが、世の流れはそうならざるを得ない状況にあることを改めて知りました。

関川さんは、池波正太郎、オードリー・ヘップバーン、栃錦、尾崎豊など、古今東西の人々の「死に方」をこれまで書いていますが、手持ちの山田風太郎著『人間臨終図巻』(3巻本・徳間書房)を見ると確かに山田さんは死亡年齢で区分けしているのですが、そうせずに人物ごとの掲載にすることにしたということでした。

 そんな話を聴いていると、帰宅後、山田風太郎著『人間臨終図巻』を取出し目を通すことに衝動に駆られ読むことになりました。すっかり忘れた話ですが第Ⅲ巻に西田幾多郎先生の話が掲載されていました。

 臨終に際し親友の鈴木大拙の悲痛の悲しみ西田先生の甥御さんの話を聞いたことがあり知っていましたが、昭和天皇に昭和16年「歴史哲学について」を進講しその際に「西田は」と呼称すべきところを「わしは、わしは」と西田先生はいいはじめてしまった話、死ぬ少し前に西田先生は夫人に墨をすらせゲーテの「旅人の夜の詩」を自分なりに訳したものを書き残したとのことなどが書かれていました。

見はるかす山の頂(いただき)
梢(こずえ)には風も動かず
鳥も鳴かず
まてしばし
やがて汝も休(やすむ)らん

 西田先生はその後すぐに意識不明になり、これが西田先生の絶筆で6月7日午後4時に死去し、医師は間に合わず、見守ったのはご婦人と娘さんの二人きりであった、とのこと。

関川夏央さんの『人間晩年図鑑』ですが下記の岩波書店サイトで読むことができます。

『人間晩年図鑑』(関川夏央著)岩波書店サイト
https://www.iwanami.co.jp/web_serials/sekikawa/index.html

人間死にゆく姿は様ざまですね。

山田風太郎著『人間臨終図鑑』、関川夏央著『人間晩年図鑑』 お薦めです。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。