思考の部屋

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ヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』を「私はこう理解したい」

2013年03月20日 | 思考探究

[思考] ブログ村キーワード

 今月のEテレ100分de名著がV・E・フランクルの『夜と霧』の昨年8月に放送された番組の再放送であることを以前にも書きました。そのような求めの流れがあるのでしょうか、3月18日に青土社から『imago現代思2013年4月臨時増刊号総特集 ヴィクトール・E・フランクル』が出版されました。

 フランクル著の「実存分析と時代の問題」「意味喪失の時代における教育の使命」「山の体験と意味の経験」の訳文、池田香代子×姜尚中の「フランクルから現代を問い直す」と題した対談他多くの方々がフランクルを語っています(詳細は青土社のサイトで)。

 「語っています」と書きましたが昨日から販売されたばかりで今日丸善松本店で購入しました。新版『夜と霧』の訳者池田香代子×『続・悩む力』の著者姜尚中の対談がとういうわけか気になったのでまず読んでみました。

 池田さんが対談中に語っていることで、『夜と霧』を多くの方々が3.11東日本大震災後読まれる方が多く、たくさんの講演会依頼があるそうです。しかし池田さんはそれを断っているとのこと、その理由と言っていいのか次のように話しています。

【池田】 「けっきょく、この本(『夜と霧』)は、私はこう読んだ、としか言えないのではないでしょうか。ここから万人向けの人生処方箋を説くのはちょっと、と思います。」

 この話を二回程され最後に姜さんが「そうだと思います。」と語り「だから逆に、フランクルはフロイトのように広がらなかったと思います。でも個人の読み方で学問的価値も含めてフランクルのほうがはるかに読み継がれていくのではないではないかと思うのです。」と答えています。そして対談の最後に姜さんは、「僕個人にとってはフランクルはある種のバイブルだという意味があります。」とも話され姜さんにとってのフランクからの一番のキーワードだったのは“「態度価値」と思う”と話されていました。

 私は個人的に興味をもちフランクルが語るところを学んでいますが、特に「現存在の意味の実現するのは --- 私たちが自らの現存在を意味で満たすのは --- 常に私たちが諸々の価値を実現することによってです。そのような価値実現は三つの方法で可能になります。」で語りはじめる創造価値、体験価値そしてこの二つの価値の実現から撤退しても、この価値の可能性が制約されても本人が正しい態度を取るならばその時こそ「態度価値」という価値を実現する機会が与えられているというこの「態度価値」に大変感銘しました。

 私自身の過去を振り返ると姜さんほど悩み多い人生を歩んできたわけでもなく、今現在実存的空虚感にあるわけでもありません。そして今後もおそらくならないのではないかと思うのです。だからといって知る必要はないという気持ちにはなれないのです。全く気持ち的には全く逆に「態度価値」の重要性を更に知っていることが人生に厚みを与えてくれるように思います。

 今夜再放送のV・E・フランクルの『夜と霧』の第三回「運命と向き合って生きる」でこの三つの価値が解説されます。池田さんの「私はこう読んだ」が非常によくわかります。

 私自身は「こう読んで、こう理解している」という面があります。夏目漱石の言うところ自己本位なのでしょうか、「私はこう理解したい」とも言えるのですがそれが私の厚みになるのです。

 この話に直接かかわるかどうかわかりませんが、以前別視点から引用しましたが、フランクル自身『宿命を超えて、自己を超えて』(春秋社))の中で、

 ・・・略・・・私は、フロイトが生きていたなら、かれは現在では別の考え方をするだろうと確信しています。本来の創始者よりも、追従者のほうがずっと正統主義的であり、教条主義的であるものです。そしてこのことから、私はある教訓を学びました。私は、ロゴセラピー研究所の創設と、カリフォルニア州パークレイの「フランクル記念図書館」 --- これは記録センターのようなものですが --- の開設の機会に言いました。「みなさん、ロゴセラピーは、まだけっして完成されてはいません。私が試みたのは礎石を敷くことです。みなさんがロゴセラピーという建物をはじめて建設するのです」と。その後、一冊の本が出ました。『ロゴセラピーの現状』という題の本です。三十名の執筆者がその中で自分の主張を述べています。かれらの多くは、アメリカで活動しており、さまざまな分野でロゴセラピーの応用を専門としています。その本の前書きで私ははっきりとこう言っておきました。それぞれの執筆者が別々のことを、ある意味では私がまったく賛成しかねるようなことをも言っているが、かれらには、その権利があり、完全な自由がある、ロゴセラピーには正統というものはないのだから、と。(上記書p64から)

と語っています。素人の立場で考え、思い、くり返しになるのですが、『夜と霧』は「私はこう読んだ」という自分自身の読後感をもたせてくれるのではないかと思うのです。

 どんな本にも読後感はあるのですが、自分の糧としての「私はこう理解したい」があるように思うのです。

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