新しい職場に就職し、また新たに地域活動に参加することになり、夢見た第二の人生はあくまでも夢であったとの実感を持つにことになっています。昨日も地域の親睦ソフトボール大会、5チームがトーナメントで戦い午前8時から始まり午後の2時ごろ試合終了その後は懇親会で終了が午後5時ころ。
30年ぶりに行うソフトボール・・・右肩が痛い。
このような中唯一4日の土曜日は、須坂市まで車で2時間かけ哲学者の内山節先生の哲学講座の聴講に出かけました。
信州岩波講座連携事業第一回「ふるさと・内山塾」、今回は「現代社会を生きる~現代世界と宗教~」でした。JR須坂駅の近くにあるビルの三階のシルキーホールで開催され主催者側の話によると120人ほどが聴講に来ていました。
講義終了後の談話会では4・5人の方が内山先生への質問をなされていましたが県内各地から集っていることにビックリしました。
午後1時会場で、私は午後1時30分から午後5時までの参加でしたが久しぶりの哲学講座聴講に満足しました。著作を読むだけではなく実際の語りに接することは非常に理解を深めることになるような気がします。
哲学宗教、宗教哲学に興味があり、それがまた郷土的な実際の生きる世界の話し・・・体系的な部分で自分のもつ理解が整理されていく実感を持ちました。
西洋的な二元論や東洋的な多元の世界などと考えて理解してきたも理解の視点を実際の生活に当てはめると異なるわけではありませんが、納得の段階に「おのずから」そうなってきた深みを感じます。
民俗的な宗教感は決して教団的な世界ではなく共同体の中で培われた「おのずから」の世界があります。引き継がれた伝統を大切にしようという話ではなく、明治維新とともに西洋文化に押し流されてきて、個人のメリット、デメリットの宗教的価値観が主流になり宗教、信仰というものがその姿、形が見えなくなりつつあります。
御利益宗教ではなく自然の姿に「そうなること」の教えがある。喜びも悲しみも全てがある世界に生きていることの実感こそが現実なのでしょう。
親兄弟、親戚に隣組、さらに趣味グループもあれば企業の共同体もありそれぞれが「つながり」の中で生きています。
「つながる」という話は、連帯というはなしのもなりますがそのような大げさな話ではなく身近なところのその気づきを感じます。不幸になろうという家族がいるわけもないのに子殺しや親殺しが実際に世間にはあり、最も身近な連帯が瓦解しつつあるようにみえます。
久しぶりにブログを書いていますが、そうなんですね世の中の流れ、我が人生というものは・・・。