思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

うまし(甘し・美し・旨し)に思う

2011年07月23日 | ことば

 土用丑の日ということで21日(木)には鰻を食した人が多かったのではないでしょうか。

 最近では鰻の産卵地の特定が進み、養殖のための稚魚探しにも苦労しない時代も近いような、そんな報道もなされています。

 好みはそれぞれでどうもあの泥臭さがと、苦手な人もおられますが大方の日本人は食べているのではないかと思います。

 栄養満点、ビタミンAが豊富で目にもよいのだそうですが、何と言っても夏バテには最適な食べ物ではないでしょうか。

 翌日の22日(金)の放送になりますがEテレ「日めくり万葉集」は伝承料理研究家奥村彪生(おくむら・あやお)さんが撰者で大伴家持が友人の吉田石麻呂(よしだのいしまろ)に詠んだ歌でした。

<万葉集巻16-3853>

 石麻呂に     いしまろに
 我物申す     われものもうす
 夏痩せに     なつやせに
 良しというものそ よしというものそ
 鰻捕り喫せ    うなぎとりめせ

訳(テキスト)
 石麻呂殿に
 私が物を申そう
 夏やせに
 効果てきめんということですぞ
 鰻を取って召しあがりなされ

鰻は美味(うま)いから食べる。美味いとは味覚ですから舌の感覚のどごし等これこそ身体的な、肉体的な感覚で、日本人はこれを「うまい」と言語表現します。

 古語・やまと言葉では「うま・し」と平仮名表記し古いことばです。

 今朝は岩波書店の『古語辞典』を参照します。

<参照>

うま・し【甘し・美し・旨し】〔形ク〕
1 味がよい。おいしい。
2 感じがよい。
3 巧みだ。じょうずだ。
4 よい。好都合だ。
5 愚かだ。あまい。

この5つの意味を見ると、なぜかまったく正反対な表現になっています。

 感じがよい、巧みだと褒(ほ)めておきながら、愚かだ、曖昧だとあさはかさを指摘して貶(けな)している。

 褒めと貶しの混合で、合理的に褒めと貶しが直接他者に伝達されたなら、賛美と戦いが展開されるところです。

 この肉体的言語は自己に身にある内は「美味しい」のですが、他人の口に乗ると貶しの「皮肉」になるのです。

 「なでしこジャパン」のなかで「あきらめない」という言葉について書きましたが、この言葉も似たところがあります。「あきらめない、良い言葉ですよね」と他者から言われた時、聞く私は「素直」ならその通りですが、少々へそ曲がりの人生を歩んでいると、結果は己に左右され翻弄されてしまいます。

 多分外国語のも同じ例はあるのではないかと思いますが、はなはだしく肉体的に直結した言葉は、早計かもしれませんが自己と他者では共通場において、取り方の中に微妙な人間関係が出てきます。

 合理的にその意以外は認識の概念に表象されないものならば、曖昧さの、懸念は惹起されませんが、抽象的でどうにでも取れるものだと、非常に困る・・・・・。

 この「非常に困る・・・・・」がまた、共通場においては、場の雰囲気の安定にもつながる。曖昧だからいいのである。それが日本的だという話に通じるところがあるわけですが、現代社会はこれでは困る。

 物がはっきりしないと現代人は、精神疾患になりやすい歴史的身体になりつつあります。

 多分日本人は23対46の遺伝子の17番目は、SS型・SL型が多く、やや暗さのある人生を歩む傾向がある、そこで言語によってある程度ショックを和らげている、そのように思えるのですが、いかがでしょうか。

 「うまいものは美味い」のであって、巧みでない人には細やかに指摘して、良き方向に押し上げてやることが、善き生き方でないだろうかと思います。

 土用の丑の日、そんな思考で鰻を食してみました。ちなみに万葉の時代の鰻は筒焼というもので味噌で食べたようです。